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#17 雪の夜
しおりを挟む──其の理由。
「やぁ、未だ生きていたようだね。」
そいつは焦げ茶のロングコートを着込んで居た。雪は降っているが風はなかったらしい。傘とブーツの雪を落とすだけで済んだ。其れでも寒くはあったらしい、外気に冷やされた赤い縁の眼鏡は暖房で曇った。やれやれとでも言った様子で眼鏡の玉を拭いている間に飲み物を用意してやる。
「珈琲で良いか?」
「任せるよ。」
直ぐにまた曇る眼鏡に苦戦している間にコーヒーメーカーのスイッチを入れる。一応の準備はしておいた。
「キミにしちゃ気が利くじゃないか。」
漸く室温に馴染んだらしい眼鏡を掛け直しながら、そいつは当然のようにコートを何時もの場所に掛けて何時もの椅子に座った。丁度出来上がった珈琲を用意しておいた空のカップに注いでやる。
「毎度驚くのだがね。普段のキミを見て居る奴なら容赦なく氷を浮かべた水割りを出すと思うだろう。」
「余計な御世話だ。」
何も無い相手ならばそうして居ただろう。そいつは両手でカップを包むように持ち、唇を付けた。溜め息と共に唇を離すと黒いモブショートの髪が揺れた。
「まさか二杯目も珈琲じゃないだろうね?」
流石にそれは無い。そいつがカップを空にする前に棚からウイスキーを、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出した。グラスを並べて簡単な肴を添える。未だ飲み終わって居ない様だったから俺の分の水割りを作って呑み始めた。乾杯、等する柄では無い。
「そう言う所はイメージ通りだね。」
「俺は何だと思われてんだ。」
応えは知って居る。余りに馬鹿馬鹿しい問いだった。少し濃い目のアルコールを呷る。喉から食道へ、焼けるような感覚が流れて行く。そいつは妙な笑い方をしながら空になったカップを避けてグラスにウイスキーと水を放った。温めただけの揚げ豆腐を一口頬張った後、グラスに口を付けた。俺は菓子を噛み砕いてアルコールで流し込む。
「それで? 遺書は書いたかね?」
常識の在る奴なら物騒な問いに聞こえるだろう。俺は、そう言えば大昔の作家が一年掛けて書いた一連の作品群を遺書と呼んで居た事を思い出すくらいだった。
「私はもう書いたよ。」
テーブルの隅に封筒が置かれた。遺書と書かれている。裏には名前でも書いてあるのだろう。
「もう少し待てよ。俺には文才もねぇんだ。」
かなり特殊な部類の人間なのだと自覚している。葬儀も二人分一度に済ませて欲しいと書く心算で居る。其の方が周りも楽だろう。表向きの理由は其れだけ。裏には、少々捻くれた理由がある。
誰もが人間の尊厳を持って生きる資格を持って居るのなら、誰もが人間の尊厳を持ったまま死ぬ資格だって在るだろう。俺達にとっては其れが二人揃って自らの命を断ち切る事だった。此れ以上、否、其れは蛇足か。
「まぁ、キミが待てと言うなら待つよ。」
二人の左手首には同じ傷がある。痣の数は、そいつの方が多い。その分俺の左目は一生分の光を失ったが。其れは偶然や事故で作った物では無い。幾分暮らしがまともになった今、漸く尊厳とやらが手の中にある。また失う前に。
「外は? 未だ降りそうか?」
「そうだねぇ、珍しく予報通り、かね。」
確か明後日まで降り続くと言って居たか。なら、その時か。漠然とそう決めた。食料も酒も充分に用意してある。もう此の部屋から出る事は無いだろう。
「明日中に書き上げるよ。」
そいつの目に一瞬だけ宿った光の色が何を意味して居るのかは、最早知る必要も無いか。
「そうかい。食料と酒は?」
「一週間分くらい在るんじゃないか? 持てるだけ適当に買っただけだから分からん。」
そいつはまた妙な笑い方をした。
「キミらしいよ。」
そいつはグラスを手に窓辺へ向かい、少しだけカーテンを開けた。
「最期の雪見酒、は何時になるだろうねぇ?」
「さぁな。少なくとも今夜じゃない。」
もう少しだけ、そいつの姿を見て居よう。一年も百年も変わらない。結局は終わる。なら、苦しみは少ない方が良い。だから残す時間は短い方が良い。ガラス越しに降る雪とそいつを眺めながら、俺はぼやけたようになった思考のままグラスを傾けた。
(了・雪の夜)
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