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#01 夜明けの火
しおりを挟む──夜と朝の狭間。
煙が流れて行く。夏の短い夜が明けて行く。黒から青へ、僅かな紫を経て赤に変わる。
空を見て居た、のだと思う。この場所へ至った記憶も感情も曖昧で、明瞭なものは一つも無い。ただ、空に広がる紫色だけが鮮明に見える。
雲は殆ど止っているようだったが、地上の風は僅かにそよいでいる。不思議な心地だった。自転車の学生が走り抜けると、それも消えてしまったけれど。
蒼い世界。誰の物でもないと思える町並み。煙草に赤い火を点す。煙を吐きながら眼を細めて見る。馬鹿め。何も変わりはしない。生きるべきだと決めつけられた日常は延々と続く。死すべきだと思っている私は少し笑った。止めようか。煙草の火が消えたら、行くとしよう。
車を降りると強く風が吹いた。手をかざし、目を伏せる。たった一人の逃避行。少しずつ残された時間だけがすり減って行く。
けれど。
僅かやわらいだ風と、誰もいないこの青白い時間は贅沢に使ってしまおう。
猶予はない。何度も確かめた。何度も躊躇った。いよいよ追い詰められて、漸く空を見上げた。夜と朝が混ざったような紫、見下ろせば誰もいない青い道。さぁ、踏み出そう。
何度繰り返せば気が済むのだろう。暗闇に慣れた目で天井を見上げているうちに悪夢の中にいる。目が覚めれば朝にしがみつく。生き延びる道なんぞ一つも見えていない癖に、残された時間に甘えている。
背後に張り付いた二つの影が言う。いや、今まで見捨てて来た全ての影が言う。いい加減に。
県境。小さいとも大きいとも言えない駐車場。空が明け始める、様々な色が混じり合った空と、どこまでも続きそうな緑。睡眠は充分ではないが、これ以上硬いシートで眠っても大差はないだろう。煙草に火を点す。すぐに出発しても良いが、陽が出るまでまだ少しある。それまでは、こうしていようか。
様々な物に遮られながら朝陽が広がって行く。その分だけ憂鬱になる。今日も面倒な一日が始まる。得る物などない。ため息ばかりが増え、疲労感ばかりが積もって行く。重い体を無理矢理動かす。煙草に火を点けても煙が広がるだけで旨いとは思わなかった。それでも、生活を始めなければ。立ち上がって、いよいよ体が動かなくなった。
何の為に? 誰の為に?
そんな簡単な問いの答えさえ、俺は持っていない。そう気付いたその日に俺は遁走した。
自分の人間性や生活を卑下する気はないが、誇る事もない。よく晴れた秋口の午後、ひらひらと落ちる葉に、銀杏らしき実。休日だと言うのに会う人も、する事もない俺は近くの公園のベンチで煙草を銜えていた。三十を過ぎた頃からか、友人達は家庭を築き、少しずつ疎遠になっていった。俺には何もない。誰かに紹介する家族もないし、住んで居るのは安アパートだ。それでも、最低限の物は揃っているし、多少の不自由には慣れた。見た目は、どうだろうな、普通だろう。悪運だけは自信がある。何度か死ぬような思いはしたが、軽いケガで済んでいる。
まぁ、良いさ。
座っているのは汚いベンチだが、座り心地は悪くないし、灰皿も置いてある。風もゆるく煙を流す程度だし、風景も悪くない。頭上には落葉樹。周囲には細い葉をつけた木が二種類と、大木が一本。奥には細い木や切り株が並んでいる。添え木をされているものもある。
ふいに遠くから子供達の声が聞こえて来た。運動会でも近いのか、やたら高圧的な大人の声も混ざっている。自分にもそんな頃があったのだろうが、おぼろげに空き缶一つで遊んでいた事ぐらいしか覚えていない。あの頃はまだ切り株ではなかった木の影に隠れていたっけ。他に何人居たのか、どんな顔だったのか、もう覚えていない。ロクに連絡する事もなくなったが、元気にやっているだろう。
──君は?
誰かが問う。そりゃもう、適当に仕事をこなして一人薄暗い部屋で酒を飲み、眠るだけの健康な暮らしをしている。
ため息が煙と一緒に流れて行く。そのずっと先に小さな女の子の手を引き歩く女性がいた。自分にはない幸せが、と考えて止めた。丁度煙草の火も消えた。さぁ、俺は俺の生活に戻ろう。
ベランダの柵に肘をついたまま、火の点いていない煙草を銜えて呆けていた。不意に小さなライターの火が差し出された。まだ夜が明けきらない空間で、それは妙に眩しく見えた。
「それは誰の物語かな?」
火を点ける。
「君? 私? 他の誰か? それとも。」
僅かに顔を出した朝陽が赤く染め始めた空に白い煙を吐き出した。
「決まってるだろ、俺の妄想だよ。」
(了)
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