好きの手前と、さよならの向こう

茶ノ畑おーど

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〇3章【秘密とマグカップ】

1節~始動~ 2

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「──それから、設計班を中心とした支援構築チーム、いわゆる『塚原チーム』の方は……」

麻衣が一歩前に出て、ホワイトボード脇に置いたファイルをぱらりと広げた。
紙の擦れる音が、会議室の静けさに浅く溶ける。

「中町、明坂、天内、山崎、佐原、藤田。……この六名ね」

一人ひとりの名前が、軽やかに、けれど確かな重みで読み上げられていく。
そのたびに、会議室の空気が少しずつ色を帯びていくようだった。
自分の名前が最初に出たとき、ヒロトは無意識にペンを指先で転がして、その動きを押さえ込む。

「明坂ちゃんは、設計分析の主担当。調査結果をもとにした提案構成、資料作成──あと、プロモ施策案の文案ね。細かい部分も含めてお願い」

「はい。……がんばります」

きちんとした声で返しながら、キリカの背筋がわずかに伸びる。
胸の前で重ねた手が小さく動き、膝の上のタブレットの縁を指先でそっとなぞった。
緊張と、それでも任されたことへの誇らしさ。
その二つが、背筋の伸び方や指先の動きに、少しだけ混ざっている気がした。

「山崎ちゃんと佐原ちゃんはフォロー。報告書まわりやヒアリングのまとめ、文章化も頼むよ」

「はーい、任せてください」

しおりとちひろが軽く手を上げ、息を抜くような笑みを浮かべた。
ふたりの声が混ざると、それだけで場の張りつめた空気が少しだけ和らぐ。
緊張をゼロにはしないまま、ちょうどいいところで弛ませるのが、あのふたりの上手さだとヒロトは思う。

「藤田ちゃんは、技術仕様とSNS連携まわりの調査担当。あと、ドキュメント構成も整えておいて」

「はい。必要なテンプレートは先に作っておきます」

すみれの落ち着いた声が、静かに会議室の手前側へと広がっていく。
ペンを持つ手の動きは無駄がなく、タブレットに打ち込まれていくメモも、最初から完成形を見据えているみたいな、迷いのないリズムだった。

「で──天内ちゃんは、ヒアリングと現地取材の同行。商店のSNS販促、雰囲気づくりもお願いすると思う。たぶん、最初の出張組になるだろうからね」

その言葉に、ヒロトの中にだけ、ほんの一瞬だけ浮かぶ映像があった。

夜の中庭。
浴衣姿で、ベンチにぐったりと寄りかかっていた少女。
自分の腕の中で、静かに眠っていたももの重さと、熱の残り方。

思い出すつもりもなかった感触が、不意に指先まで戻ってきて、ヒロトは手元のボールペンを少し強く握り直した。

そのあいだも、麻衣の声は止まらない。

「出張班の組み合わせや日程調整はこのあと詰めるとして、現地班は中町くんが統括ね。天内ちゃんと同行になることが多いと思うけど、ちゃんと引っ張ってよ」

「……了解」

短く返事をしながら、ヒロトは視線を前からそらさないようにした。
「引っ張る」という言葉が、軽口に聞こえない重さで胸に残る。
自分が迷えば、ももやキリカたちの足元も揺らぐ。その当たり前のことを、改めて知らされた気がした。

麻衣は一度資料を閉じ、今度はホワイトボードの端にマーカーで別チームの名前を書き加えていく。
インクの匂いが、会議室の空気にほんの少しだけ混ざった。

「営業連携側は、佐久間さんをリーダーに、倉本くん、佐伯くん、それから高森さん。
商店街との折衝や連携、進行情報の整理は、このチームに任せる形で動いてもらいます」

線で囲まれた名前のまとまりが、ひとつの「壁」みたいに見える。
店側の本音を受け止め、社内の事情も飲み込み、それでも話を前に進める役割。
ヒロトはホワイトボードを見ながら、佐久間や倉本の顔を頭の中で並べた。そこにさっき見たばかりの「佐伯」という新しいピースが加わる。

「佐伯くんには、商店主との交渉や外部との連携窓口をお願いする予定です。営業視点のフィードバックを設計班にも反映させていきたいから、よろしくね」

「はい」

今度もまた、端の席から佐伯の落ち着いた返事が響いた。
ただの一言だったのに、不思議と耳に残る声だった。抑揚は大きくないのに、言葉の端がきちんと立っている。

「それと、全体記録・議事管理は高森さん。出張同行も含めてサポートしてもらう予定です。資料提出や報告フローは彼女がとりまとめるから、何かあったら遠慮なく相談して」

「了解です」

紗菜が手元のタブレットに視線を落としながら頷く。
細い指先が素早く画面を滑り、入力された文字列が次々と保存されていく。
その横顔には大きな感情の揺れは見えない。
ただ、どこか「ここだけ」を見ていないような目の静かさがあって、ヒロトは少しだけ胸の奥に引っかかりを覚えた。

麻衣は一呼吸置いてから、全体をぐるりと見渡した。

「……以上が、プロジェクトの初期体制。もちろんこれからも柔軟に動いていくとは思うけど、まずはこのメンバーでスタートします」

言葉に合わせて、視線が何度も行き来する。
資料の上を行ったり来たりするものもあれば、ホワイトボードとスクリーンを往復するものもある。
その全部をまとめて飲み込むように、麻衣は笑った。

「不安もあると思うけど、それぞれが得意なことを活かせるようにしていきたい。この規模のプロジェクト、会社的にも重要案件だから──ちゃんとやってよかったねって思えるものに、みんなでしていきましょう」

言葉自体は淡々としていたが、その芯には麻衣らしい本気が通っているのが分かる。
必要以上に煽らず、それでも逃げ道は示さない。そういう言い方をされると、頑張らないほうが難しい。

隣でキリカも、タブレットに表示されたプロジェクト名を見つめながら、背筋を伸ばした。
画面の上には、さっきまでただのタイトルだった文字列が、今は「自分の担当」として乗っている。
指先がそっと画面の端を押さえ、逃げないようにするみたいに止まった。

「じゃ、今日はここまで。細かいスケジュールと初動タスクは、昼までにチャットに流すから確認しといて」

麻衣がファイルを閉じ、マーカーのキャップをカチリとはめる。

「以上! 解散~!」

いつもの調子を取り戻した軽やかな締めの一言に、会議室の椅子が一斉に軋んだ。
ざわめきと、静かな意気込みの混ざった空気が、出口のほうへ向かってゆっくりと流れ出していく。
タブレットを閉じる音、ペンケースのチャックを引く音、誰かの小さなため息。

新しい一週間。
そして、新しいプロジェクト。

心のどこかが、そっと軋んで鳴る。
気づかれないほどの、小さな音を立てながら。
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