猫被りも程々に。

ぬい

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August

約束の日

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時刻はもう少しで13時。

駅の中でも影になっているとはいえ蒸し暑く、額にはじんわりと汗が滲んだ。その暑さにここ数日ほぼ家から出ない生活を送っていた俺は思わず眉間に皺を寄せる。

そんな俺とは違い、駅にいる他の人達は楽しそうに歩いており、本当に同じ人間か?とまで疑い始めた頃。
背後からカツカツと慌しいヒールの音が聞こえた。

「ごめん!待ったよね…!」
「大丈夫。俺も今来たとこ」

そんなベタな台詞を吐くと彼女はホッとしたように笑い、乱れた前髪を手ぐしで整える。

そう今日はご覧の通り、会長が勝手に約束を取り付けた日。
水島結衣と2人で出かける日である。

急いできた水島の服装は白いレースのワンピースに少し高いヒール。髪の毛なんかも可愛らしく巻かれていて、前見た時より随分と気合いが入っていると俺でも分かった。きっと朝早くから頑張ってくれたのだろう。

「…変かな…?」
「や、可愛い…と思う…」

こういう時にスマートに返せたら良かったが、経験が浅いため吃ってしまう自分が恥ずかしい。

照れ臭さから逃げるように早くこの駅から出てしまいたかったが、まだこれからの予定が決まっておらず。「どこ行きたい?」と尋ねると彼女が行きたい場所はもうここに来る前から決まっていたようで一切考える素振りもなく口を開いた。

「橘くん、本好きだったよね」
「うん。そうだけど…」
「じゃあ、図書館行こ」

提案されたのは予想もしていなかった場所。
そりゃあ、水島が本を読むタイプなら快くOKしただろう。でも俺の記憶では水島が本を読んでいる姿を見た事がない。
提案された場所が彼女の行きたい場所ではなく、俺に気を使って選んだ場所だと分かると素直に頷くことが出来なかった。

「もうすぐバス来ちゃうから早く早く!」
「ちょ、水島…」

俺が別の案を提案する間もなく、水島は腕を強引に引っ張ると近くの図書館に向かうためにバス停へと足を動かす。図書館までの経路に迷いがないのを見ると行き方から時刻までもう既に調べてしまっているらしい。

(水島ってこんな強引なタイプだったか…?)

中学時代と随分印象が違う。控えめで大人しく、あまり自分から話さない、話しかけても一言二言しか返ってこないそんな印象だったのに。

丁度タイミングを読んでいたかのようにやってきたバスに乗り込めば、人は疎らで静か。エンジンの音だけが響く車内であまり話すわけにも行かず、お互い黙ったまま一番後ろの席に座る。

図書館までバスで数分程度。

数分なんて窓の外を眺めていればあっという間で無言の時間はそこまで気にならない。気がつけば図書館前のバス停だと車内アナウンスが知らせた。

「私、図書館きたの小学生ぶり」
「俺も久々に来た」

目的地に着いて中に入ると夏休みということもあり人は結構多いがその割に随分と静かで男女二人で来ている人はあまりいない。
それを見るとやはりここに来るべきではなかったと思ってしまう。

そんな俺の心配を他所に水島は真っ直ぐと小説のコーナーへ向かい、綺麗に並べられた本をぐるりと見渡していた。

「橘くんどういうのが好きなの?」
「そうだな…この人の作品とか結構好き」
「あ、これ知ってる。ドラマでやってたやつだ」

数ある中で有名な作品が多い作家の個人的に一番好きな本をおすすめすれば水島は手に取り、近くの椅子に座って読み始めた。俺もそれに合わせるように読んだことの無い作品を適当に手に取ると隣に座る。

勿論それから会話があるはずもなく。
ただただ時間だけが過ぎた。

頑張って作品を読もうとするも隣が気になってあまり集中出来ない。
水島の様子を確認すると小説が思いの外面白かったのか真剣にペラペラとページを捲っていた。

お互い本を読み始めて1時間半くらい経っただろうか。

手に取った本はとっくに読み終えてしまい、どうしようかと悩みながら意味もなくあとがきページを前後していた頃。

「これすっごい面白かった」
「…そりゃ良かった」

水島も読み終えたようで座っていた椅子から立ち上がり「他のやつも読んでみようかな~」と本を収めにいく途中。
俺は頭の中で言葉を整理しながらなんとか勇気を振り絞った。

「今から水族館行かない?」
「へ?」

時刻はまだ15時前。
ここから水族館まで歩いて数分程度。閉館は18時だから今から行っても充分楽しめるだろう。

瞬きを何度も繰り返し、少し悩んだ顔をする水島に俺はそのまま言葉を続ける。

「ほら、ここじゃあんまり話せねーし…」
「そ、そうだよね」

その言葉にようやく納得の表情を見せた水島は持っていた本を慌てて収めにいく。
断られなかったことに俺は安堵し、そっと息を吐いた。

(…あそこなら、なんとかなるだろ)

中学時代、この図書館によく来ていた時期に何回か行ったことのある水族館。

そこなら地図を見なくても場所は分かるし、水島を少しでも楽しませることが出来る筈だと提案したが、2、3年前の記憶なので一応スマホで調べて頭の中に情報を軽く叩き込む。

「お待たせ。行こっか」
「おー」

本を戻した水島に話し掛けられたタイミングで俺はスマホをポケットにしまうと冷房の効いた図書館を後にし、再び照り付ける太陽の元へと足を踏み出した。
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