黒羽忍法書~前世ビッチは幸せになりたい~

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第十一章 窮奇(きゅうき)の書

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 翌朝、シスイは誰よりも早く起きて支度を済ませると、クロハのいる部屋へ侵入し天井付近に作られた隠し部屋へ入った。
 普通、忍びの者や身分の低いお付のものは複数人で一部屋なのだが、クロハは特別に殿のはからいで個室を与えられていた。
 ここの部屋はクロハの寝顔がよく見える特等席であった。
 そこでシスイは、クロハの気配をおかずに小麦粉を固めた携帯用非常食を食べた。
 味のない非常食も、そこにクロハがいれば甘いお菓子のように感じられた。

 しばらくするとクロハは起き出して布団の上でうめきながらゴロゴロし始めた。
 布団を抱きしめて顔を埋めている姿が子猫のようで可愛らしい。
 クロハはとても寝付きが悪く、寝起きも悪い。
 時々悪夢を見ているのかうなされている姿もよく見る。
 クロハはそんな自分の姿を見られるのが嫌なのか、男と朝まで過ごすことはない。
 そう、――シスイ以外の男とは。

 普段ならクロハの方からシスイの布団に潜り込んでくるのだが、今日は結局朝まで彼がシスイの部屋を訪れることはなかった。
 きっとクロハのことだから、色々と考えがあってのことなのだろう。
 決して期待して任務を受けたわけではない。

 しばらくしてクロハはボサボサになっている髪の毛を手ぐしで整え立ち上がった。
 大あくびをしながら装備点検を始めた。
 爆弾やけむり玉などの火薬類、クナイや手裏剣、短刀、カギ爪、手甲、様々な暗器を丁寧に確認して装備した。
 その後、クロハは窓辺に立って音の出ない笛を鳴らした。
 あの笛は風の里のものが扱う風鳥の笛だ。
 どこからか現れた小鳥がクロハの指の上に止まってキョロキョロとあたりを見回す。

「カエデに任務を開始すると伝えてくれ」

 クロハのつぶやきに反応した小鳥は羽を広げ、再びどこかへ飛び立っていった。
 そして体を伸ばすように柔軟をしてから部屋を出ていった。



 シスイがクロハを追いかけてこっそりと部屋を出ると、なにやらキョウコツがクロハの部屋の方へやってきた。
 シスイは廊下の影に隠れて彼の様子をうかがった。
 もし彼がクロハに余計なことをしようとしていたらすぐ暗殺しようと思い、武器を構えた。
  
 キョウコツはしばらく部屋の前をうろうろして、意を決したようにクロハの部屋に向かって
  
「クロハ、ちょっといいか?」

 と呼びかけた。
 キョウコツはしばらくクロハの返事を待ってから、
  
「なんだよ、居ねーのかよ!」
  
  と戸を軽く蹴った。
  
「キョウコツ、なにをしている」
「シスイじゃねーか。今までどこ行ってたんだ? ちょうどいいから今から部屋に来い」

 シスイとキョウコツは相部屋であったが、シスイはほとんど部屋にいないので実質キョウコツの個室状態だった。
 シスイは嫌そうな顔をしたが、キョウコツはお構いなしに彼の肩を掴んで二人の部屋へ連行していった。
 
 
 
「なあ、シスイ。俺様、最近気付いちまったんだけど、もしかしてノエって男じゃねえか?」

 部屋に着いたキョウコツは早速シスイを向かいに座らせて、真剣な表情でそう言った。
 
「いまさら気付いたのか」
「なっ……やっぱりそうなのか!? おかしいと思ったんだよ、最近やたらガタイが良くなって、背も伸びて、声変わりもしてるし!」

 キョウコツは頭を抱えて叫んだ。
 シスイは彼の肩に手を置き、「だが愛の前には性別などは関係ない」と励ました。
 しかしキョウコツは、
 
「俺は、ちっちゃくて華奢でアリも殺せなさそうなノエが好きだったんだ! 今のノエは、笑顔でアリどころかネズミも握りつぶしそうな顔してるぞ」
「昔のノエでもアリくらい殺せたと思うが」
 
 シスイはやれやれと思い、なにもない宙を見上げた。
 
「それに比べて最近のクロハはやばい。なんだあの色気、エロすぎるだろ」

 シスイはクロハという単語を聞いて、はっと意識をこの空間に戻した。
 
「やたら流し目送ってきやがるし、裾からはチラチラ生白い足を晒して、ゆるい襟元からあいつの……ふ、ふっくらした乳首が見えたときは興奮しすぎて頭から倒れるかと思ったぞ!」

 キョウコツは目を血走らせながら頭をぐしゃぐしゃにかきむしった。

「うおおお! なんだこの気持ちは! 俺が気色悪すぎる!」
「キョウコツ、お前は正常だ。クロハは間違いなくエロい。お前の気持ちはよく分かる」

 先程までの上の空はどこへいったのか、シスイは心から頷いてみせた。
 
「どう見ても男なのに、なんであいつが可愛く見えるんだ」
「それはクロハがそうあるべきと努力しているからだ。無理に我慢する必要はない。自分の心に正直になるんだキョウコツ。そして共にクロハを信仰しよう」
「信仰……?」
「クロハの美しさを毎日讃え、朝は今日も彼が健康であることに感謝し、夜は彼の幸福を祈るのだ。彼の意思はあらゆる生命より優先され、その気高き精神は三千世界を圧倒する。彼は慈悲深く生きとし生けるものを救っていく。一信奉者たる私に彼の浄化を止める権利などない。私はそんなクロハが少しでも無情な現世に煩わされることがないように陰ながら見守り、すべての巨悪から引き剥がして讃え続けたい。そう、彼は現世に現れたブッダなのだ。我々はクロハの使命を理解し無償の愛を捧げる義務がある」

 シスイは鼻息荒くキョウコツに語ってみせたが、キョウコツは突然饒舌になってシスイに固まった。
 彼はまだ、クロハの尊さと胸が苦しくなるほどの純粋さを理解しきれていないようだ。
 
「シスイ、お前も昔とはなんだか変わったな」
「天上人たるクロハを除いて、この世に変わらぬものなどいない」
「そういうものか……?」

 キョウコツは首を傾げて手元に用意された茶を飲んだ。
 
「あ、言い忘れてたんだが、なんだか殿様の体調がよくないらしくてもう一泊することになったみてーだぞ」
「そんなことはとうに把握している。だが、わざわざ伝えてくれてありがとう」
「ちっ、かわいくねーやつ」

 キョウコツは苦々しい顔をして茶を飲み干した。
 しばらくするとキョウコツはうとうとしだして、慌てて目元をこすった。
 
「ん……、シスイ、なんだか急に眠気が……」
「どうせ今日はなにもすることはないだろう。大人しく二度寝してこい」
「そう……だな……」

 キョウコツが頷いた直後、彼は意識を死神にでも奪われたようにぱたりと床に倒れ込んだ。
 それを見届けると、シスイは彼に布団をかけてやってからクロハのあとを追うために部屋を出ていった。
 
 シスイが歩く屋敷は、何人もの家来たちが泊まっているとは思えないほど異様に静まり返っていた。
 
 
 
 クロハは自室を出ると、一行が泊まっている城内の屋敷にある厨房へ忍び込んだ。
 井戸に怪しまれない程度に効く睡眠薬を混ぜたが、すべての者に効くわけではない。
 特に訓練を積んだ忍びの者は、こういった薬への耐性を積んでいる者が多い。
 
 クロハは対忍用に特別ばれにくく、即死するほど強力な毒を調合して沸かした茶に混ぜると、それを片手にシスイとキョウコツの相部屋を訪れた。
 だが二人はちょうど不在だったため、机に茶をおいて部屋を出た。
 あの馬鹿なら誰の置いたかわからない茶でも勝手に飲んでくれるだろう。
 シスイは誰が置いたのかわからない茶を飲むことはないだろうが、放って置いても大丈夫だと判断した。
 彼ならクロハを害することはないだろう。
 
 つぎにクロハはノエの部屋を訪れた。
 
「ノエ、茶をいれたから一緒に飲まないか?」

 そういって扉を叩く。
 すぐにノエは「あら、気が利くじゃない。どうぞ入ってらして」とクロハを招き入れた。
 
「ノエはもう聞いたか? 殿の体調不良でもう一泊することになった話」
「ええ、そうらしいわね。警護する身にもなってほしいわよ。あーあ、早く帰って波の里のお菓子を食べたいわぁ」
「波の里といえば干菓子が有名だな。波の里の落雁は僕も好きだ」
「あら、わかってるじゃない。最近の若い子はあんこや餅ばかり食べて、落雁なんて見向きもしないって干菓子屋のおじちゃんが愚痴ってたわよ」
「だがあんこも餅もうまいから仕方ないな」
「ええ、私も甘いものは全部大好きよ。私達、意外と気が合うのかしら」

 そう言いノエはお茶に手を伸ばすと一口のんだ。
 ノエは一瞬渋い顔をして、机にまた置いた。
 
「このお茶渋すぎないかしら」
(なんなのこのお茶、まったく喉から奥に入っていかないわ。私の秘術が食べ物と認識しないほど強力な毒が仕込まれている……?)
「うわっ、ごめん! 濃く入れすぎたのかなぁ。不味いもの飲ませちゃってごめんね。すぐ入れ直してくるよ」

 クロハは茶を口に含むと途端に苦々しい顔をして席を立った。
 当然自分のものは薬の入っていない、ただの渋い茶である。
 しかし、ノエは彼の袖をつかみ引き止めた。
 
「待ってちょうだい。あなた、体は大丈夫かしら」
「……あれ、なんだか突然眠くなってきたかも。ごめんノエ、俺、もう……」
(これはもしや睡眠薬に勘付かれた? しかし調合は完璧だったはず。何が原因だ。わからない)

 クロハはゆっくりと呼吸をして素早く思考を巡らせながらも、睡眠薬が効いたふりをして床に倒れ込んだ。
 
「ねえクロハ、あなたって薬学の名士だったわよね。ならわかるでしょ? これがどんな薬か、どんな調合か、見た目で、匂いで、味で……」
「……」
「いいわ、狸寝入りするならしたいだけすればいいのよ。私はみんなの様子を見てくるから」

 ノエがそう言って部屋を出ようとした時、彼女の首筋に向かって短刀が打ち込まれた。
 だが短刀は彼女のクナイに阻まれ、ギリギリと醜い音を立てただけだった。
 
「どういうつもりなのかは知らないけど、あなたが私達の味方でないことは理解したわよ!」

 クロハはノエの首元で短刀に力を込めて言った。
 
「味方であろうと、敵であろうと関係ない。僕はここでお前を殺すだけだ」
「天下の花忍一の兵(つわもの)がこんな卑劣な男だったなんて、見損なったわよ」

 ノエは力を込めて刀を弾き返した。
 クロハよりも体格のいいノエに刀は効かないと思い、クロハは手元に隠したカギ手甲を装備した。

「見損なってくれて結構。僕は僕のやるべきことを遂行する、ただそれだけだ」

 そう言ってクロハは煙玉を燃やすと壁や天井を飛び回り、ノエに向かって手裏剣を大量に投げつけた。
 ノエの集中が途切れた瞬間を狙って死角に入ると、彼は明後日の方向に手裏剣を一つ投げ、手に装備したカギ手甲を思いっきり振りかぶった。
 どうにか反応したノエはギリギリまで顔に迫ったそれを弾いたが、クロハはすぐに引くと天井に飛び上がった。
 その瞬間、彼の背で隠された方角から、先程ばらまかれた手裏剣たちに跳ね返ったひとつの手裏剣が現れた。
 
(もう、避けられない!)
「水遁、饕餮(とうてつ)の術!」

 ノエは一か八かで秘術を発動させ、大きく口を開けた。
 
(お願いします仏様、ノエを守ってください……!)

 ノエの必死の祈りが届いたのか、見事に手裏剣は彼女の口の中に吸い込まれていった。

 クロハは間違いなくノエに致命傷を与えたと思った。
 だが、次第に薄くなる煙の中から彼女の姿は消えていた。
 
 クロハは逃げられたことを悟って彼女を追うために慌てて部屋を出た。
 廊下へ一歩出ると、少し離れた場所でシスイが気絶したノエを脇に抱えているのが見えた。
 
「シスイ!」

 シスイは呼びかけに反応してクロハを見た。
 
「行け、クロハ。もう時間がないんだろう」
「一体どこまで把握しているんだよ。本当に恐ろしいやつだな」
「見える場所ならすべて」
「それがどこまでかわからないから恐ろしいんだ!」

 クロハは一瞬悩んだものの、すぐにシスイに背を向けると屋敷を飛び出し姿を消していった。
 その直後、屋敷の奥から凄まじい爆発音があがり、あたりが一瞬で煙に包まれた。



「……はっ! この俺様が、いつのまに眠りこけてたんだ!?」

 キョウコツは床に倒れ込むように自らが眠っていたことに気付き、慌てて起き上がった。
 その瞬間、彼は自身の体の違和感に気がついた。
 
(どういうことだ、体内の気が半分以上消えている。無意識で秘術を使ったのか?)

 わけのわからない状況に混乱していると、はるか遠くからとんでもない爆発音が聞こえてきた。
 
「ぎゃあっ! 爆弾でも投げ込まれたのか? とにかく事態を把握する必要がある」

 キョウコツは大急ぎで厨房の方角へ走っていった。



 キョウコツが音の発信源へと向かう途中で、脇にノエを抱えたシスイに出会った。
 
「おーいシスイ! 一体何が起こっているんだ」
「貴様が眠っている間に曲者に襲撃された。厨房の方は火災がひどくて近づけない」
「なんでそんな冷静でいられるんだ。クロハはどこへいった。殿や他の者達はどうした」
「クロハは敵を追って出ていった。殿や屋敷の者たちは皆、曲者の策略で眠りこけている」
「くそっ、俺様のいないうちに奇襲するなんて卑劣な曲者だ! とにかく皆を避難させるぞ!」

 キョウコツは「うおおおお!」と叫んで屋敷のものたちの部屋を次々に駆け回り、同時に五、六人の男たちを抱えあげると炎が届かなそうな場所まで運び、再び男たちを回収しに行くことを何度も繰り返した。
 
 
 
 数刻後、ノエは目を開けるとなぜか自分が屋外に寝かされていることに気がついた。
 
「あら? 私、いつのまにこんなところで寝てたのかしら……?」

 ノエは必死に自分の記憶を探った。だがクロハが茶を持ってきたところまでしか思い出せない。
 ふと周囲を見ると、ノエと同じように殿に同行したものたちが無造作に石畳の上に寝かされている。

「わからない……、何が起こっているの……? なんで何も思い出せないの?」

 ノエは頭を抱えて地面に額を擦り付けた。
 頭に思い浮かぶのは、自分はなにか大変に巻き込まれたのではないかという漠然とした不安だけであった。
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