現(うつつ)の夢

しらかわからし

文字の大きさ
82 / 92
第2章 静かなまなざしで、未来を見守る

第42話:銀座のスーツと揺れる心

しおりを挟む
十八歳になった龍児は、社長の運転手として本格的に働くことになった。運転免許を取得した記念に、社長からスーツをプレゼントされることになり、奥様がその手配を担当してくれた。

以前、社長のマンションに採寸のために来ていたオーダースーツ店から、スリーピースが仕上がったとの連絡が入り、奥様と一緒に銀座へ向かった。

銀座の店でスーツに袖を通した龍児は、鏡に映る自分の姿に思わず見入った。奥様はうっとりした表情で「龍ちゃん、カッコいいわよ」と微笑んだ。その言葉に、龍児は少し照れながらも、大人になったような気分を味わっていた。

スーツの支払いを済ませた後、奥様の行きつけの天ぷら屋へ向かった。龍児にとっては初めての高級店で、目の前で揚げられる天ぷらに感動した。特にメゴチの天ぷらが気に入り、十本も注文して、ご飯を五杯もおかわりした。奥様はビールの後に大吟醸を飲みながら、天ぷらをつまみにしていた。

酒が進むにつれて、奥様は社長の話をし始めた。最初は軽い愚痴だったが、次第に話は社長の浮気に及び、龍児の姉・美奈子の名前が出てきた。龍児は驚きながらも、どう反応していいか分からず、黙って聞いていた。

一時間ほど経った頃、奥様は涙を流し始めた。「若い女らしいの……」と呟いたその言葉に、龍児は胸が締め付けられるような思いがした。銀座の店内で泣かれては周囲の目も気になる。龍児はそっと「店を変えましょうか?」と声をかけ、奥様を店の外へ連れ出した。

だが、別の店に入る気にはなれず、駐車場に停めた車へ戻った。「家に帰りましょう」と龍児が言うと、奥様は静かに頷いた。

車内で、奥様はぽつりと「ねぇ、少しだけ甘えさせて……」と呟いた。龍児はその言葉に何も言わず、ただ彼女の気持ちを受け止めた。

マンションに戻ると、龍児の部屋に二人で入った。広さは管理人居室よりもずっと狭かったが、龍児にとっては落ち着ける空間だった。玄関を入るなり、奥様は龍児の背中にそっと抱きついた。

「最近、龍ちゃんが忙しくて、少し寂しかったのよ」と言う奥様の声には、どこか切なさが滲んでいた。

しばらくして、奥様は静かに身支度を整え、「今日は特別に一万円。龍ちゃんのお祝いだから」と言って財布からお金を手渡した。玄関まで送った龍児に、奥様はふと笑顔を見せ、「あっ、今、龍ちゃんの笑顔が見えた」と言って、軽くキスをして部屋を後にした。

龍児はその後、シャワーを浴びて仕事へ向かった。十八歳になってからも、十九歳、二十歳と歳を重ねる中で、彼は社長や上司、外国人クラブのママ、そして奥様からの信頼を得ながら、陰日向なく一所懸命に働き続けていた。

銀座のスーツは、ただの衣装ではなく、龍児が少しずつ大人になっていく象徴のようなものだった。そして、奥様との時間もまた、彼の心に静かに刻まれていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...