現(うつつ)の夢

しらかわからし

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第2章 静かなまなざしで、未来を見守る

第48話:退職と独立、そして守るべき人

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一九八四年、昭和五十九年。龍児は三十五歳になり、ついに社長職を退いて会社を退職する決断をした。前社長が他界してから二年が経ち、会長職にはその妻の冴子が留任。娘の美香が副社長に就任してからというもの、龍児の仕事は次第にやりづらくなっていた。

美香は業界経験が浅く、経営の素人でありながら、あらゆる業務に口を挟んでは龍児の判断を妨げるようになっていた。商談がまとまりかけた矢先に美香の介入で破談になることもあり、龍児は限界を感じていた。

ある日、龍児は会長の冴子に相談し、「社長職を美香に譲り、私は退職させていただきます」と静かに申し出た。誰にも邪魔されず、自分の理想を自由に形にしたい——その思いが強くなっていた。すでに一億円以上の貯金があり、独立開業の準備は整っていた。

冴子は龍児の退職を受け入れつつも、「住まいだけは変えないでほしい」と懇願した。龍児はその願いを受け入れ、冴子が所有するマンションの一室に住み続けることを約束した。そして一ヶ月後、引き継ぎを終えて退職した。

龍児の退職は社内に大きな波紋を呼んだ。姉の美奈子をはじめ、外国人クラブのママ、その部下、各店舗の店長やスタッフたちが次々と退職し、龍児のもとに集まった。彼らは龍児の人柄と仕事ぶりに信頼を寄せていたのだ。

一方、美香が社長を務めることになった会社は、責任者の大量流出により機能不全に陥った。ホテルや旅館からは「女性が来ない」「人数が足りない」「前社長が退職してから無責任な経営になっている」とクレームが殺到し、会社の信用は急速に失われていった。

冴子は龍児に「戻ってきてほしい」と懇願したが、龍児はその申し出を丁寧に断った。ただ、住まいが冴子のマンションであることから、会社の情報は自然と耳に入ってきた。

さらに、美香が反社会的な人物と交際を始めたことで、会社の資金管理は崩壊。現金一千万円を持ち歩き、韓国、オーストラリア、ラスベガスなどでギャンブルに興じ、一晩で一億円を使い果たすような放漫経営が続いた。

やがて国税の査察が入り、追徴課税が払えず、冴子の住むマンションも差し押さえられた。冴子と美香は路頭に迷い、美香は母を見捨てて交際相手のアパートに転がり込んだ。

龍児は、冴子だけは見捨てることができなかった。彼女のために新たなマンションを借り、毎月三十万円の生活費を送金した。冴子はいつも「ありがとう」と感謝の言葉を口にしていた。

ある日、龍児は冴子にこう伝えた。

「奥様は、私にとって母のような存在です。これからも一生涯、面倒を見させていただきますので、どうか安心してください」

その言葉に、冴子は静かに頷いた。彼女はその後も、龍児の人生において特別な存在であり続けた。

龍児は姉が購入したマンションの一室に引っ越し、冴子の部屋には月に一度顔を出した。手料理をいただき、風呂に入り、その日は泊まっていく——そんな穏やかな時間が、二人の絆を静かに深めていった。
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