不器用なαと素直になれないΩ

万里

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 碧人がスタジオのドアノブに手をかけた瞬間、背後から十和の呼び止められた。
「……一つだけ」
 碧人は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。十和の瞳は、数年前の大学時代、碧人の夢を真剣に聞いた時のように、一点の曇りもなく、強く熱を帯びていた。しかし、その熱は、あの日のような怒りや焦燥ではなく、純粋な感情に満ちていた。
 十和は、碧人の首筋に巻かれた黒革の抑制カラーを、まっすぐに見つめた。その視線が、碧人の心臓を射抜いた。
「…お前は、今、パートナーがいるのか…?」
「は…?」 
 碧人には十和の意図がまったく理解できなかった。なぜ今、そんなことを聞く?
「いるのか…?」 
 十和は、さらに一歩距離を詰めた。その真剣な圧に、碧人の頭は混乱した。
「……い、いる…」 
 気が付いたら、反射的にそんな言葉を口走っていた。十和への想いを隠すための、咄嗟の嘘だった。
 十和は「え?」と、わずかに動揺した顔を碧人の方へ向けた。その表情の変化は、碧人の心を揺さぶった。
「なんだよ…?」
 十和は、先ほどよりも更に大きな深呼吸をした。感情を押し殺すように、長く息を吐き出す。
「…どんなやつだ…?」
「別に、どうだっていいだろ…」 
 碧人は、そう言って目線を逸らそうとしたが、十和の真剣な目に見つめられて、逸らせなかった。
「教えてくれ…」
「…や、優しくて、キレイで、おしゃれで、よく気が付いて…」 
(なんて…、な。ああ、嘘ばっかりだ…)
 碧人は、架空の恋人をでっちあげる。自分で自分が滑稽に思える。だが、一度ウソをついた手前、後に引けなくなった。
「そいつは、αなのか?…番に、なるのか?」
「っ…! てめぇには関係ねえだろうが…!」 
 碧人は、思わず声を荒らげた。どうしてこんな質問をされなければならないのか。彼が去って行った後も、自分の心を支配しようとするのか。
(これ以上惨めにさせんな…!)
 と碧人は思ったものの、十和は少し顔を顰めただけで、さらに静かに、しかし強く言った。
「関係ある」
「…は?」 
 碧人は、その理不尽な言葉に、混乱して十和を見つめ返した。
 十和は、碧人の瞳から逃げず、その金色の瞳に、強い熱意を込めた。
「お前が他の誰かのものになるのは、嫌だ…」
「へ…?」
 碧人は、言葉の意味を理解できず、一瞬、頭が真っ白になる。五年前のあの夜と同じ、独占欲に満ちた言葉。しかし、その根底にある感情は、あの時よりもずっと深く、純粋なものに感じられた。
(何言ってんだ? こいつ…。え? もしかしてドッキリとか…? こんなことあるか? 都合のいい夢でも見ているのか…?)
 碧人は、目の前の現実が信じられなかった。五年間、諦めきれずに、そして叶うはずがないと割り切ってきた想いが、唐突に、彼自身から肯定されたのだ。
「俺の番になってほしい」
 目の前の男の言葉が、碧人の胸の奥に静かに、しかし深く落ちていった。五年間、秘めてきた想いの堤防が、内側から崩れるのを感じる。
「お前が好きだ…」
 十和は静かに言った。その声は、五年前の激情的な態度とは違い、いつになく真っ直ぐで、揺らぎがなかった。αのフェロモンに支配された感情ではなく、彼自身の意思だとわかる。
「……?!」 
 碧人は目を見開き、思わず息を呑んだ。心臓が早鐘を打つ。
「……多分、初めて会った時から…」 
 十和の言葉は、まるで過去を辿るように続く。碧人の胸の奥が、じわりと熱を帯びていく。知らぬ間に涙が滲み、碧人は慌てて顔を背けた。
「いや、はは…っ、何、言ってんだ…?」 
 笑って誤魔化そうとする声は、どこか掠れていた。こんな状況で、自分の感情を認めるのが怖かった。
 けれど、十和は笑わなかった。その瞳は、真剣そのものだ。
「あのときお前の夢の邪魔をしたのは、お前のことが心配なのもあったが、それ以上に、あいつに嫉妬したからだ…。離れてからも、ずっとお前に会いたかった。あの日のことを後悔していた。……なんであのとき、『好きだ』『一緒にいたい』って言わなかったんだって、いつも考えていた」
 碧人は、耳を塞ぎたくなった。あの日の、混乱と恐怖に満ちた記憶が、鮮明に蘇る。
「もう黙れ…」 
 碧人は、かろうじて声を絞り出す。それでも十和は、言葉を止めなかった。
「そうしたら、今お前は…」
「やめろっっ…!!」 
 碧人の悲鳴のような声が、静かな空気を激しく震わせる。十和は、何か言いかけて、強く口を閉じた。
「……っ、悪い…」 
 十和は、深く息を吐いた。
 碧人は、全身が震えるのを感じた。嬉しさ、戸惑い、そしてあの日の自分への激しい後悔。十和が好きだと認めたあの日、もし素直に「お前が好きだから、こんな形で抱かれたくない」と伝えていたら、この五年間は、まったく違うものになっていたかもしれないのだ。
「今さらこんなこと言って、悪かった。…そのカラーを今もずっと着けてくれていたから、勘違いしたみたいだ…。…幸せになれよ…」
 十和の声はどこか寂しげで、決別を受け入れているようだった。その言葉が、碧人の心に激しい警鐘を鳴らした。
(本当にこれでいいのか…? 今、素直になれば…、自分の気持ちを素直に言ってしまえば…)
 碧人の頭の中で、五年間抑圧されてきた色んな思いが駆け巡る。自分の気持ちを素直に言うことは、碧人にとってとても怖いことだ。もしも拒否されたら、そのショックでもう立ち上がれないかもしれない。それでも、今言わなければもう二度とチャンスは来ないだろう。
 いつまでもスタジオを出ようとしない碧人に、十和が「大丈夫か…?」と優しく声をかけた。その声に後押しされ、碧人は俯いたままで震える声で喋りだした。
「勘違いじゃねえし…っ」
 声が震えている。気づけば、感情の奔流にのまれ、全身が震えていた。
「俺だってずっと…、てめぇに会いたかった…!」
「え…?」
 言ってしまった。
 もう、元には戻れない。
 きっと、出会ったときからずっと好きだった。十和の顔も声も匂いも、卒業制作を一緒に撮ったことも、全部、全部忘れられない。もう終わった話だと思っていたのに。振られるのが怖くて、あのとき「てめぇだけはイヤだ」と拒否したのに。こんなにも碧人の心をかき乱すのは十和だけだ。
 でも今は、十和が『好きだ』と言ってくれている。今は、今だけは、素直になってもいいのだろうか…?
「てめぇが…、好きだ…」 
 碧人は消え入るような小声で言い、十和は目を見開いた。
「俺だって、ずっと、好きだった…っ」
 十和は、碧人の俯いていた顔を両手でそっと上げると、碧人の顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。今までに十和が見たこともない、感情を露わにした顔。十和のことが好きだと言う。こんなことは初めてだった。十和は碧人を抱きしめたい衝動に駆られたが、なんとか堪えて、碧人の涙を指で優しく拭った。
「今付き合ってるパートナーと別れろ…。そしたら、番に…」
「…っ…んなやつ、いねえよ…」
「は…?」
「全部、嘘だ…」
「はあ?! お前…!!」 
 十和は、眉間に深い皺を寄せた。殴られるかと思って碧人は思わず目を瞑ったが、十和の強いαの匂いに、優しく、しかし力強く抱きしめられた。十和が、安堵と怒りの混じった大きな溜息をつく。
「俺の、…番になれ…」
 碧人の熱い涙が、十和の上着に深く沁み込んでいく。
「いいのか…? 俺で…。男だし…」
「…碧人がいい」
 お互いに、あのときもう少し器用だったら、もう少し素直だったら…。そうは思ってみても、もう過ぎた時間は元に戻らない。
 でも今は、安堵と幸福感から、また碧人の目から涙が溢れる。この男が愛おしくて仕方ない。
 碧人は、十和の背中に恐る恐る手を回した。

 *

 碧人のマンションに着き、玄関の扉を閉めて鍵をかけた瞬間―― 碧人は、十和に唇を奪われた。
「んっ……ふ」
 舌が絡み、唾液が混ざり合う。 息継ぎも忘れて、互いの熱を貪るように口づけを交わす。 碧人は十和の首にしがみつきながら、身体の芯が熱くなるのを感じていた。
「っん……十和……っ」
 耳元に、碧人の掠れた声が響く。
「なあ、触りてえ……」
 その一言で、碧人の足から力が抜けた。 体勢が崩れそうになった碧人を、十和はすぐに抱き上げる。 そのまま寝室へと運ばれ、ベッドに優しく横たえられた。
 再び唇が重なる。 深く、丁寧に、けれどどこか焦りを含んだ口づけ。
「んっ……んぅ……」
「触ってもいいか……?」
 十和の声には、抑えきれない想いが滲んでいた。 一刻も早く、碧人を番にしたい――その気持ちが、痛いほど伝わってくる。
 寝室には十和の匂いが充満していた。 碧人は、自分の体温がじわじわと上がっていくのを感じていた。
「っ……ちょ、ちょっと待っ……」
「イヤか……?イヤならやめる……」
 十和の顔に、あからさまな残念そうな表情が浮かぶ。 その顔を見て、碧人は罪悪感を覚えた。
「イヤじゃ……っ、ねえけど……その……」
「なんだ?」
「仕事したし……風呂に入りてえ……」
「入らなくていい」
「っあ……おいっ……」
 十和の唇が、碧人の首元――カラーの際をなぞる。 その感触に、碧人の身体がびくりと震えた。
 十和の指先も、唇も、すべてが碧人を求めていた。 そして碧人もまた、その熱に抗えずにいた。
 だが、Ωといっても、ヒートでもないし男だ。 準備なしでは、どうにもならない。 碧人は少しだけ視線を伏せた。
「……初めて、だから…」
 その言葉に、十和が眉間に皺を寄せる。
「初めて?」
 碧人はなんとなくばつが悪く、目を逸らした。
「……そうだよ……」
 碧人の声は低く、どこか苦しげだった。 十和は首を傾げる。
「本当に……?」
「くそっ!言わせんなよ!まだ、一回も、誰とも、やってないっつってんだよ!」
 碧人は怒鳴るように言った。 その声に、十和は驚いたように目を見開いた。
「なあ、……あのときは、なんでダメだったんだ…?」
 十和の問いに、碧人は一瞬言葉を失う。 けれど、もう隠す理由なんてなかった。
「ぐっ……好きだったから、イヤだったんだよ……!」
「好きならいいだろうが……」
 十和の声は、少しだけ困惑していた。 碧人は唇を噛みながら、言葉を絞り出す。
「……あんな形でやるのは、イヤだったんだよ……」
 静寂が落ちる。
 十和は深く溜息をついて、碧人の隣に寝転がった。 天井を見上げながら、ぽつりとこぼす。
「あれは……お前が馬鹿なことしようとしてると思って……。 他のやつのもんになるのも、絶対イヤだったから……。 じゃなきゃ、こんな高いカラーやったりしねえ…… 意味わかれよ!」
 その言葉に、碧人はカチンときた。 顔を赤くしながら、十和を睨む。
「わ、わかるわけねえだろ…っ!! 好きなら好きって言えよ!!」
「うるせえ!こっちのセリフだ…!!」
 言い合いになりながらも、どこか懐かしさが滲む。 
 碧人はまた十和から目を逸らした。 その肩はわずかに震えていて、目には涙が滲んでいた。
 十和はもう一度、深く息を吐いてから言った。
「くそっ……もっと早く、俺のもんにしとけばよかった……」
「……っ!」
 碧人の耳が、みるみる赤く染まっていく。 十和はそっと碧人の身体を抱き寄せた。
「好きだ……。今も、ケンカしたいわけじゃねえ……。 触っていいか……?」
 碧人は、少しだけ目を伏せてから、頷いた。
「え……あ。うん……」
 出会ってから長いときが過ぎた。 お互いに、あの頃よりほんの少しだけ―― 大人になれたのかもしれない。


 朝、碧人は目を覚ますと、静かにシャワーを浴びた。 そしてクローゼットから、できるだけ首元が隠れるものを選んだ。 
 鏡の前で、いつものようにカラーを首につける。 それはもう習慣のようなものだった。
「おい、それ、まだ着けるのか……?」
 十和が後ろから声をかける。 怪訝そうな口調に、碧人は振り返って睨んだ。
「……急に外したら、色々勘繰られるだろーが……」
 芸能の仕事をしている以上、変化はすぐに話題になる。 いきなりカラーを外して現場に出れば、ちょっとしたスキャンダルになるのは目に見えていた。 そんなの、まっぴらごめんだ。 もう少しちゃんと整理して、自分の言葉で発表したい。
「そうか……」
 十和は少し残念そうな顔をした。 その表情に、碧人は気恥ずかしくなって顔を背ける。
「別に……消えねえだろ……」
 碧人のうなじには、昨夜の痕がくっきりと残っていた。 応急手当として、大きめの絆創膏を二枚貼ってある。 指先でそっと触れると、まだ少し熱を持っていた。
「その……色々、まだ整理できてねえし……こ、心の準備させろよ……」
 耳まで真っ赤になって言う碧人に、十和は目を見開いた。 驚きと、どこか嬉しそうな色が混ざったその瞳。
 碧人は、うつむいたままカラーの留め具を指でなぞる。 それは、まだ誰にも見せられないけれど―― 確かに、十和との繋がりだった。
「なあ、」
 十和が静かに声をかけると、碧人は振り返る。
「あ…?」
「俺と一緒に、海外で暮らさないか…?」
 その言葉に、碧人は目を見開いた。 十和の顔は真剣だった。 冗談ではないとすぐにわかる。
「え……?」
 戸惑いながらも、碧人の胸は高鳴っていた。 十和は一歩近づき、碧人をそっと抱きしめる。
「今日、仕事終わったら……指輪、買いに行くか…?」
「はぁ……?!ちょ、ちょっと待て!!」
 碧人は慌てて腕を突っ張り、十和との距離を取る。 顔が真っ赤になっている。
「なんだ?」
「だ、だから……!色々準備させろって言ってんだろ…っ!!」
 恥ずかしいのか、嬉しいのか、どうしていいかわからず、碧人は必死に言葉をぶつける。 その様子があまりにも愛らしくて、十和は思わず微笑んだ。
 そして、そっと碧人の頬にキスを落とす。
「ああ、わかった」
 その声は、優しくて、どこか安心させる響きだった。 碧人は唇を噛みながら、視線を伏せる。 心の中では、すでに答えが決まっている気がしていた。
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