【創作BLオメガバース】優しくしないで

万里

文字の大きさ
4 / 7

4

 最初の発情期のとき、『一緒にいさせてほしい』と言ったのをきっかけに、次のときも、その次のときも―― 晴臣は、壮士のそばにいてくれた。
『お前は何も悪くない』
 その言葉を聞いた瞬間、壮士の中にずっと沈んでいた重い塊が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
 ヒートのたびに、自分を責めていた。
 Ωであること。 男であること。 誰かを巻き込んでしまうこと。 誰かを傷つけてしまうかもしれないこと。
 それら全部が、自分の中にある“欠陥”のように思えていた。
 でも、晴臣は違った。
 壮士のことを否定しなかった。 責めなかった。 ただ、静かに受け止めてくれた。
 そして、自分の過去も話してくれた。 
(優しいやつだ……)
 そう思った。
 でも、それは壮士にだけ向けられたものじゃない。 晴臣は、基本的に誰にでも分け隔てなく優しい。 傷ついた人間を見れば、手を差し伸べる。 イケメンで、努力家で、周りからの信頼も厚くて、女にもモテる。
 だからこそ――その優しさに甘えるわけにはいかないと思った。
 自分だけが特別だなんて、思ってはいけない。

 それでも、ふとした瞬間に、心が揺れる。
 水を飲ませてくれる手が、そっと頬に触れたとき。 熱に浮かされて泣きそうになったとき、背中を撫でてくれたとき。 何も言わずに、ただ隣にいてくれたとき。
 そのたびに、壮士は思ってしまう。
(――伊川に触ってほしい……)
 その手で、もっと触れてほしい。 その声で、もっと名前を呼んでほしい。 その目で、もっと自分だけを見てほしい。
 でも、それはただの本能だ。
 ヒートのせいだ。 孤独のせいだ。 弱さのせいだ。
 そう言い聞かせる。
 これは恋じゃない。 これは錯覚だ。 これは、間違いだ。
 ――そう思いたかった。

 *

 部活が終わって、今日は練習のないオフの日だった。壮士は、晴臣のアパートに行く。ここのところ、大体どちらかの家にいる気がする。
「しっかりと食えよ! お前は細いんだから!」
 そう言いながら、晴臣はエプロン姿でフライパンを振っていた。
 焼きそばの香ばしい匂いが部屋に広がる。その姿は、どう見ても“お袋”そのものだった。
 手際よく麺をほぐし、野菜を炒め、ソースを絡める。 真剣な顔で料理する晴臣を見ていると、なんだか不思議な気持ちになる。
(こいつは、なんでこんなに優しいんだろう…)
 そう思った瞬間、不意に晴臣のスマホが鳴った。
 画面に一瞬だけ映った名前は、女子の名前だった。
 壮士は、見てはいけないものを見たような気がして、思わず目を逸らした。
 晴臣は少しだけ躊躇してから、「すまん、ちょっと電話する」と言って、スマホを耳に当てた。
 そして、どこかよそ行きの声で話し始める。
「ああ、大丈夫だ……」
 その声は、いつも壮士に向けるものとは違っていた。 少しだけ柔らかくて、少しだけ丁寧で―― 
 大学でも、晴臣は女子に囲まれていることがある。 告白されることもあるだろう。 そんな話は、晴臣はしない。 けれど、壮士は知っている。
 電話越しに女子の笑い声が漏れ聞こえ、晴臣が笑う。
 楽しそうで、嬉しそうで―― その声が、胸に刺さった。
(なんだよ、嬉しそうにしやがって…)
 壮士は、焼きそばの皿を見つめながら、心の奥がざわつくのを感じていた。
 さっきまで、あんなに近くにいたのに。 今は、まるで遠くに行ってしまったみたいだった。
(……ああ、イヤだ。 ムカつく。 どうして…)
 違う。
(俺が好きなのは――雅人だ)
 今までも、これからも。 ずっと息を殺して生きていけば、それでよかったのに。
 それなのに――こいつのせいで……。どんどん、欲張りになる。
 もっと。 もっと。 もっと。
「朝永、どうした?」
 電話を終えた晴臣がスマホを置く。声が優しい。
「んでもねえよ…」
 心が、揺れる。
 これは、恋じゃない。 これは、錯覚だ。 ヒートのときに一緒にいるからだ。
 そう思いたかった。
(……ああ、実家の犬に会いてーな。もふもふして、癒されてえ)
 そう思っても、癒されたいのは、きっと心の方だった。
 晴臣の笑顔が、誰かの声で笑うのを見るのが、こんなに苦しいなんて。
 自分は、ただの“友達”で。 ただの“世話される側”で。 ただの“Ω”で。
 ――それ以上には、なれない。
 そう思うと、焼きそばの味が少しだけ苦く感じた。

 *

 晴臣に迷惑をかけるくらいなら、いっそ離れた方がいい。 このまま距離を置いて、何もなかったことにしてしまえばいい。 そうやって、心を静めようとしていた。
(男のΩなんて、面倒くさいだけだろう……)
 そんなことを考えていたときだった。今日の授業が終わり、部室に行く途中。
「おーい、朝永!」
 後ろから声がかかって、振り向くと、同じゼミのαが駆け寄ってきた。名前は確か、高橋だったか。明るくて、少し距離感が近いタイプだ。
「今日の教授、面白かったな!」
 そう言いながら、いきなり肩を組まれる。
「うわっ、離せっ……!」
 壮士は少し身を引こうとしたが、高橋はお構いなしにぐいぐい距離を詰めてくる。
「なに照れてんだよ~、俺らの仲じゃねえか!」
 笑いながら、今度は頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
「おい、やめろって!髪ぐちゃぐちゃになるだろ!」
「いいじゃん、似合ってるって」
 そう言って、高橋は壮士の首元に顔を寄せてきた。
 壮士は軽く高橋の腕を振りほどいた。
「じゃ、俺部活あるから。また明日な」
「ああ、じゃーな!」
 そう言って歩き出す壮士の背中を、高橋はしばらく見つめていた。

 前方から、晴臣が歩いてくるのが見えた。
 壮士は軽く手を挙げて、部室に入ろうとした――その瞬間、腕を掴まれた。
「……っ!」
 驚いて振り返ると、晴臣の顔が歪んでいた。眉をしかめ、目を細めている。
「朝永、その匂い……」
「……あぁ?」
「ちょっと来い」
 言うが早いか、晴臣は強い力で壮士の腕を引っ張った。
「はあ?! なんだよ?! 離せ!!」
 本能的に抵抗する。けれど、晴臣の力は強かった。
「いいから来い!!」
 そのまま部室に押し込まれ、背中をドアに押しつけられる。
「痛って……!」
「誰だ……?」
 低く、抑えた声だった。
「はあ?!」
「誰にマーキングされた?!」
 その言葉に、壮士は眉間に皺を寄せた。
「マーキング……? 知らねえよ……」
「正直に言え……!」
 晴臣の手が、肩に食い込むほど強く握られる。
 壮士は、怒りに任せて叫んだ。
「知らねえもんは知らねえよ! 大体、誰にマーキングされようが、お前には関係ねぇだろ!!」
「……言え!!」
「俺はお前のもんじゃねえ!!」
 その言葉に、晴臣の目が見開かれた。
 そして――次の瞬間、壮士の肩に、晴臣の歯が食い込んだ。
「痛っ……!! おい、バカ、やめろ!!」
 壮士は晴臣の背中を殴った。何度も、強く。
 けれど、晴臣はびくともしない。
「お前は、俺のものだ……」
 低く、熱を帯びた声でそう言って、また噛みついた。
「くそっ……! 目、覚ませよ、このバカ!!」
 壮士は、怒りと恐怖と混乱の中で、思い切り晴臣の頭に頭突きを食らわせた。
 鈍い音が響く。自分も痛い。晴臣も痛そうだった。
 ようやく晴臣が少し距離を取った隙に、壮士は逃げようとした。
 けれど、ドアは晴臣の手で押さえられていて、開かない。
「……どけよ……!」
 息を荒げながら、壮士は晴臣を睨んだ。
「……すまん、悪かった」
 晴臣は頭突きされた箇所を押さえながら、少しだけ顔をしかめて言った。
 壮士は、まだ息が荒いまま、ドアにもたれていた。
「一体、何のつもりだ…?」
 そう言うと、晴臣はしばらく黙った。
 沈黙が、部室の空気を重くする。
 そして、意を決したように、晴臣は言った。
「……お前が好きだ」
「……あー……、……ええ?!」
 壮士の頭は、言葉の意味を理解するより先に、驚きで真っ白になった。
「好きだ。番になってほしい」
「は?」
「お前が他のαと番になるのは嫌だ」
「え……? 本気か……?」
 目が点になっている壮士をよそに、晴臣は真剣な目で見つめていた。
 その目に、冗談の色はなかった。
「本気だ」
 壮士は、目を見開いた。
 一体こいつは、何を言っているんだ?番になりたい……だと?
「いや、ちょっと待て……正気か?」
「大丈夫だ。今の頭突きで落ち着いた。正気だ」
「でも、お前好きな人いるって……」
「ああ、その人のことも好きだ」
 なんで聞いてしまったのか。胸がズキリと痛む。だが晴臣は続けた。
「でも今は、お前の方が好きだ」
 壮士の顔がカアッと熱くなる。
「お前、何言って…」
「なあ、番にならないか」
「ちょ、待て…、男のΩなんて出来損ないだぞ?子どももできないし、番になんてなったら、将来必ず邪魔になる。お前の足かせになるだけだ…」
「足かせになんてならない。お前がいい。子どもができなくても、お前がいればいい。お前にとっても、悪くないはずだ」
 壮士は、胸の奥がざわつくのを感じながら、言葉を絞り出す。
「む、無理だ。俺は誰の番にもなる気は…」
「……わかった。番にならなくてもいい」
 その言葉に、壮士は少しだけほっとした。
 ――それも、つかの間だった。
「それでも、一番近くにいたい」
 その言葉に、壮士は顔が熱くなるのを感じた。
「何言ってんだよ…。お前、頭、おかしいんじゃねえの……?」
 照れ隠しのように言ったが、晴臣は真剣だった。
「お前を他のαに取られると思ったら、抑えられなくなった。噛んで悪かった……」
「……」
 壮士は、言葉を失った。
 晴臣の目は、まっすぐに壮士を見ていた。
「ずっと、傍にいさせてくれ」
 壮士は、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じた。
 それが、怖くて、嬉しくて、どうしていいかわからなかった。

あなたにおすすめの小説

やっぱり、すき。

朏猫(ミカヅキネコ)
BL
ぼくとゆうちゃんは幼馴染みで、小さいときから両思いだった。そんなゆうちゃんは、やっぱりαだった。βのぼくがそばいいていい相手じゃない。だからぼくは逃げることにしたんだ――ゆうちゃんの未来のために、これ以上ぼく自身が傷つかないために。

記憶の代償

槇村焔
BL
「あんたの乱れた姿がみたい」 ーダウト。 彼はとても、俺に似ている。だから、真実の言葉なんて口にできない。 そうわかっていたのに、俺は彼に抱かれてしまった。 だから、記憶がなくなったのは、その代償かもしれない。 昔書いていた記憶の代償の完結・リメイクバージョンです。 いつか完結させねばと思い、今回執筆しました。 こちらの作品は2020年BLOVEコンテストに応募した作品です

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

人並みに嫉妬くらいします

米奏よぞら
BL
流されやすい攻め×激重受け 高校時代に学校一のモテ男から告白されて付き合ったはいいものの、交際四年目に彼の束縛の強さに我慢の限界がきてしまった主人公のお話です。

『アルファ拒食症』のオメガですが、運命の番に出会いました

小池 月
BL
 大学一年の半田壱兎<はんだ いちと>は男性オメガ。壱兎は生涯ひとりを貫くことを決めた『アルファ拒食症』のバース性診断をうけている。  壱兎は過去に、オメガであるために男子の輪に入れず、女子からは異端として避けられ、孤独を経験している。  加えてベータ男子からの性的からかいを受けて不登校も経験した。そんな経緯から徹底してオメガ性を抑えベータとして生きる『アルファ拒食症』の道を選んだ。  大学に入り壱兎は初めてアルファと出会う。  そのアルファ男性が、壱兎とは違う学部の相川弘夢<あいかわ ひろむ>だった。壱兎と弘夢はすぐに仲良くなるが、弘夢のアルファフェロモンの影響で壱兎に発情期が来てしまう。そこから壱兎のオメガ性との向き合い、弘夢との関係への向き合いが始まるーー。 ☆BLです。全年齢対応作品です☆

【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。 モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。 このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。 「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」 恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。 甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。 全8話。

祝福を授かりましたが、まるで呪いです。

めっちゃ抹茶
BL
異世界に生まれ変わって出会った、一組の運命の番であるαとΩの話。 ※ご都合主義があります ※オメガバースの知識がある人向け/作中で説明は一切ありません ※主人公が可哀想、ハッピーエンドではありません 主人公目線、あまり悲壮感はありませんがタグをご確認のうえ以上の事を念頭に、大丈夫な方のみお進み下さい。