【創作BLオメガバース】優しくしないで

万里

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『好きだ。番になってほしい』
『お前が他のαと番になるのは嫌だ』
 そんなことを言われて、壮士は動揺していた。つい、できるだけ口実をつけて晴臣から逃げ回る。

「ちょっと用事あるから」
「課題やばくて」
「親から電話来てて」 
 言い訳のレパートリーは日々増えていった。

 けれど、そんな努力も虚しく――
 晴臣には、壮士のヒートの周期がわかっている。
「そろそろ、ヒートだろう」
 そう言って、晴臣は当然のような顔でアパートにやってきた。
 壮士は、ドアの前で一度深呼吸してから、渋々鍵を開ける。
「……ちっ」
 晴臣は笑いながら、買い物袋を下げて部屋に入ってきた。 中身はスポーツドリンク、冷却シート、ゼリー飲料、そして壮士の好きなプリン。
「お前、ヒートセット極めすぎだろ……」
「経験値が違うからな」
 ベッドに座った晴臣を横目に、壮士はため息をついた。
 頭ではわかっている。 こいつが傍にいてくれると、安心する。 それが、どれだけ心地いいか。
「……お前、男のΩに関わってもいいことなんかねえぞ」
「男とかΩとか関係ないんだ。お前がいい」
「……お前、頭おかしいんじゃねぇの?」
 距離を取るつもりだったのに。 逃げるつもりだったのに。
 気づけば、晴臣の優しさに誘われ、肩にもたれていた。
「……んっ」
 晴臣の匂いが、ふわりと鼻先をくすぐった。
 優しくて、あたたかくて、どこか懐かしいような香り。 それに包まれると、壮士の身体は自然と力を抜いてしまう。
 離れたくない――そう思った瞬間、気づけば自分から晴臣の胸に顔を埋めていた。 腕が背中を撫でてくれる。 その手が、妙に心地よくて、安心してしまう。
 唇が近づいてきて、そっとキスを落とされた。
「もっと……」
 自分の口から漏れた言葉に、壮士は一瞬息を呑んだ。
(……なに言ってんだ、俺)
 恥ずかしい。 自分から強請るなんて、ありえない。 でも、やめられなかった。
 晴臣は、微笑んで応えてくれる。
「ああ」
 もう、いっそ意識を手放してしまいたい。 中途半端に記憶が残っていると、後で思い出して、羞恥心で死にたくなる。
 でも――
 気持ちいい。
 晴臣の手。 晴臣の声。 晴臣の体温。そして優しい匂い。
 全部が、壮士のヒートに寄り添ってくれる。
 誰かに触れられるのが怖かったはずなのに。 誰かに求められるのが苦しかったはずなのに。
 今は、ただ―― 晴臣に包まれていたかった。
 晴臣の優しさが、壮士の境界線を、少しずつ溶かしていく。
「なあ、朝永……好きだ」
 耳元で囁かれた瞬間、壮士の背筋にゾクリとした震えが走った。
 晴臣の声は、いつもより低く、熱を帯びていた。 その響きが、耳の奥に残って、じんじんと痺れる。
「ひっ……」
 思わず声が漏れる。
 ベッドにゆっくりと倒され、晴臣の顔が近づいてくる。 息がかかる距離。 視線を逸らそうとしても、身体が動かない。
「好きだ……」
 もう一度、囁かれる。
 その言葉が、まるで呪文のように壮士の思考を溶かしていく。
「抱きたい……」
「や、あ……」
 首元に違和感を覚えた瞬間、晴臣の舌がカラーの上から滑った。
 冷たい金属の縁をなぞるように、ゆっくりと。 そして、カラーぎりぎりの肌に、強く吸いつかれる。
「っ……!」
 痛みが走る。 けれど、それはすぐに熱に変わる。
 じん、と痺れるような感覚。 痛いのに、気持ちいい。 恥ずかしいのに、もっと欲しくなる。
「抱いていいか……?」
 晴臣に聞かれ、壮士は観念して目を閉じ、ゆっくりと頷いた。

 *

 晴臣に抱いてもらうと、驚くほど速くヒートは収まった。
 壮士自身も驚いた。 あれほど苦しかった熱が、晴臣の体温に包まれると、すっと引いていく。 これが自然の反応なのだろう。自分のΩという性を思い知る。
 普段は“友達”――と言いたいところだが、晴臣の距離感はどうにも近い。 肩を組むのも、頭を撫でるのも、当たり前のようにしてくる。 それが嫌じゃない自分にも、少しだけ戸惑っていた。
 ヒートのときは、セフレ。 晴臣は「好きだ」の「番になってほしい」のと、真面目な顔で言うけれど、壮士はその言葉を真正面から受け止めることができなかった。
(……このままで、いいんじゃねえか)
 そう思っていた。
 番にならなくても、晴臣はそばにいてくれる。 ヒートのたびに来てくれて、抱いてくれて、優しくしてくれる。 それ以外の日も、隣にいてくれる。
 あまりにも居心地が良すぎて、怖くなることもあった。
 この関係がずっと続けばいい。 変わらないままでいてくれたら、それでいい。
 そう願っていた。
 そして、大学4年になっても―― 壮士と晴臣の関係は、変わらず続いていた。

 *

 いつも傍にいたから、もしかしたら、このままずっと一緒にいるんじゃないか―― そんなことを、壮士は時々ぼんやりと思っていた。
 晴臣は、何か特別なことをするわけじゃない。 ただ、いつも隣にいてくれる。 ヒートのときも、そうじゃないときも。 気づけば、当たり前のように隣にいた。

 今日も一緒に食堂に来ていた。
 けれど、その日は朝から胃がムカムカしていた。
 昨日、腐ったものでも食べただろうか? それとも、連日の暑さで胃がやられたのか? 
 梅雨が明けて、気温はぐんぐん上がっている。 熱中症か、食中毒か――どちらにせよ、体がだるい。
「ぎもぢわりィ……」
 食堂のテーブルに突っ伏しながら、壮士はペプシだけをちびちび飲んでいた。 食欲なんてまるでない。 何か口にしたら、すぐに吐きそうだった。
 晴臣は、壮士の向かいに座って、心配そうに眉を寄せていた。
「大丈夫か? 今日は早めに帰ったらどうだ?」
 その声は、いつも通りの穏やかさで、でも少しだけ低くて、優しさが滲んでいた。
「あー、うん……」
 壮士は目を閉じて、だるさに身を任せながら頷いた。
 晴臣は、何も言わずに立ち上がり、食堂のカウンターに向かった。 戻ってきたときには、冷たいおしぼりと、スポーツドリンクを持っていた。
「これ、飲めそうか?」
「……ありがと」
 壮士は、少しだけ体を起こして、受け取った。
 冷たいペットボトルが、手のひらに心地よかった。
「もうすぐヒートだろう。俺も今日行くから」
 晴臣の言葉に、壮士は反射的に返事をした。
「……ああ……」
 けれど、その瞬間、ふと気づいた。
 ――そういえば、ヒートは……?
(……え?まだ来てない…)
 いつもなら、そろそろ身体がざわつき始める頃だ。 微熱のような感覚が続いて、匂いに敏感になって、落ち着かなくなる。 それが、今回はまるでない。
(あれ……?)
 周期がずれるのは、よくあることだ。 ストレスや気温、体調の変化でも簡単に前後する。 だから、気にするほどのことじゃない。
 でも――
 晴臣に相手してもらうようになってから、ヒートは驚くほど楽になった。
 あの苦しさが、まるで嘘みたいに軽くなる。 身体が、晴臣を受け入れることに慣れてしまったのか。 それとも、何かが変わったのか。
(……身体が、変わった?)
 一瞬、何かが頭を過った。けれど、壮士はすぐに首を振った。
(そんなもん、あるわけねぇだろ…)
 自分で自分に言い聞かせるように、心の中で否定する。
「じゃあ、夕方に行くから。気を付けて帰れよ」
 晴臣は、いつも通りの調子で言って、次の授業へと向かった。
 壮士は、ぼんやりとその背中を見つめながら、 胸の奥に小さな違和感が残っているのを感じていた。

 けれど、それから何日経ってもヒートの兆しはなく、壮士は痺れを切らした。
 そして、薬局で『妊娠検査薬』を買った。
 まさか、とは思った。 でも、どこかで引っかかっていた。 身体の違和感。 妙な眠気。 ダルさ、胃のムカつき。
 アパートのトイレで、ひとり。 検査薬を手にして、息を詰める。
 結果は――
「……うそ、だろ……」
 くっきりと浮かび上がった陽性反応に、壮士は思わず声を漏らした。
 手が震える。 心臓がバクバクと鳴って、頭が真っ白になる。
(え? これ……どうすりゃいいんだ……?)
 どう考えても、晴臣の子どもだ。
 こんなことになるなんて思っていなかった。 晴臣は「好きだ」と言っていたけれど、壮士はそれを曖昧に受け流してきた。 番にはならず、セフレのような関係で、この先もずっと続けていけると思っていた。
(いや、男のΩって妊娠率低いんじゃないのかよ……?!むしろ、なんで妊娠してんだよ……?!)
 頭の中で、言い訳のような言葉がぐるぐる回る。
 でも、妊娠したとしても、ちゃんと育って、産める保証なんてない。
 壮士は、Ωだとわかったときに言われたことを思い出す。
 ――男性のΩは妊娠は可能だが、リスクが高い。 ――身体への負担が大きく、命の危険もある。
(……俺、死ぬかもしれねぇのか?)
 検査薬を見つめながら、壮士は頭を抱えた。

 でも――
 でも、正直に言えば、嬉しかった。
 少しずつ実感が湧いてくるにつれて、壮士の胸の奥に熱が広がっていった。
(産めるなら、産みたい…)
 この腹に、一つの命がある。 そう思うだけで、柄にもなく感動していた。
 自分の中に、誰かがいる。 晴臣との間にできた命が、ここにいる。
(……あいつに、話す?)
 ふと、晴臣の顔が浮かぶ。
 けれど、すぐに首を振った。
 いや、ダメだ。
(あいつから離れなきゃ。 きっと迷惑になる。 就職も決まって、αとして社会で活躍していく晴臣の人生に、俺は汚点にしかならない…)
 そんな未来、あいつに背負わせたくない。
(イヤだ……)
 でも、傍にいたい。 噛んでほしい。 番になりたい。 離れたくない。
(あいつが、スキだ)
 どうしようもなく、好きだ。
 でも、ダメだ。
 色んな感情が頭の中を駆け巡って、心臓がギュッと掴まれたように痛む。
 いつの間にか、こんなにも晴臣のことが好きだったんだと思い知る。

 いつも隣にいたから、気づかなかった。 ヒートのときも、そうじゃないときも。 晴臣は、変わらず優しくて、変わらず傍にいてくれた。
 壮士がどんなに不安定でも、どんなに不器用でも。 晴臣は、笑って受け止めてくれた。
 いつも、大切に。 こんな自分を、愛してくれる。
(……あいつに、言いたい)
 でも、言えない。
 腹の奥に芽生えた命と、胸の奥に芽生えた想いを抱えて―― 壮士は、ひとり、静かに目を閉じた。

 それでも、最後に残ったのは――
(あいつに迷惑をかけたくない。 あいつの人生の邪魔をしたくない…)
 それだった。

 晴臣の顔が浮かぶたびに、壮士の胸は締め付けられた。 晴臣はきっと、受け止めてくれる。 
「一緒にいよう」と言うだろう。 
「大丈夫だ」と笑うだろう。

 でも、それが怖かった。
 晴臣の未来は、明るくて、広くて、まっすぐで。 社会に出て、きっと誰かに愛されて、普通に結婚して、子どもができて―― そんな道を、壮士が曇らせてはいけない。

(お腹の子だけは、産んでもいいか? 他には、何もいらないから。 迷惑はかけないから)
 そう、心の中で何度も繰り返した。
 卒業までの単位は、すでに足りていた。 残りの時間は、ただ過ごすだけだった。
 だから、壮士は表向きには「就職活動」と言って、早々に実家へ戻った。
 晴臣には、
「ちょっと、地元で動いてみるわ」 
「親が帰って来いってうるさくてさ」 
「まあ、落ち着いたらまた連絡する」
 そんな言葉を並べて、笑って見せた。
 晴臣は、少しだけ寂しそうな顔をしたけれど、何も追及しなかった。
「わかった。無理すんなよ」
 その言葉が優しくて、壮士は危うく泣きそうになった。
 駅のホームで、スマホを握りしめながら、壮士は深く息を吐いた。
(……これでいい)
 そう思った。
 晴臣の未来を守るために。 この命を守るために。 そして、自分自身を守るために。
 壮士は、静かに電車に乗り込んだ。
 窓の外に流れていく街並みの中に、晴臣の姿が見える気がして―― そっと目を閉じた。

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