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放課後の体育館には、独特の熱気が立ち込めている。
床を叩くボールの重い音、バッシュが刻む鋭い摩擦音。そして、高い天井に反響する「さあ来い!」「一本!」という野太い叫び声。
「……っし、決まった!」
鮮やかなバックアタックを決めた駆(かける)は、着地の勢いのまま拳を突き上げた。器用さと、高い身体能力。部活内でもムードメーカーとして通っている彼は、コートにいるだけで空気を明るく変える力があった。
「駆、無駄な動きが多い。着地で膝を遊ばせるな。怪我するぞ」
ネットの向こう側から、氷のように冷たい声が飛んでくる。セッターを務める澪(れい)だ。女子からは「キレイ」「カッコいい」と言わせる容姿だが、その口から出るのは、同級生に対しても容赦のない毒舌ばかりだ。
「厳しいな、澪! 今のは俺の最高の一撃だったろ?」
「意味が分からない。……次、さっさとポジション戻れ」
澪は、手にしたボールを無造作に駆へ放り投げた。受け取った駆は苦笑いする。
幼馴染で、阿吽の呼吸を持つセッターとアタッカー。誰とでも仲良くなれる駆が、唯一その核心に触れられないのが、この澪という男だった。駆がどれだけ熱くぶつかっても、澪はそれを柳に風と受け流し、時に鋭く突き放すのだ。
「あー……マジで、肩が取れる……」
部活帰り。下り電車の二人がけシートに沈み込んだ駆は、重い溜息をついた。
夏の大会を前に、練習メニューは過酷さを極めている。窓の外を流れる夕闇と、規則的なレールの振動。冷房の風が、火照った首筋を心地よく撫でる。
隣に座る澪は、いつも通り窓の外を眺めていた。膝の上にはバレー雑誌を広げているが、その瞳はどこか遠くを映しているように見える。
(やべえ、意識が……)
駆の頭が、船を漕ぎ始めた。
好奇心も、持ち前の快活さも、極限の睡魔の前では無力だ。視界が急速に狭まり、隣にいる澪の存在だけが、確かな重みを持って意識の端に残る。
カクン、と首が落ちた。
その勢いのまま、駆の頭は澪の肩へと吸い寄せられた。
ストン。
細い、けれどしっかりと芯の通った肩の感触。
「……ん……」
駆は無意識に、その温もりに顔を寄せた。
(怒られるかな……。また『暑苦しい』って、突き放されるか……)
そう思いながらも、重力に逆らう体力は残っていない。
だが、予想に反して、衝撃は来なかった。
むしろ、澪が僅かに身体を傾け、駆の頭が滑り落ちないように支えてくれたような――そんな優しい感覚があった。
夢と現実の境目。
意識が深い海の底へ沈んでいくような、不思議な静寂。
その時だった。
耳元で、衣類が擦れる微かな音がした。
澪が本を閉じ、駆に唇を寄せてきたような、密やかな気配。
ガタン、ゴトンという走行音の向こう側から、震えるような、消え入りそうな声が響いた。
「……好きだよ、駆」
その瞬間、駆の脳内に稲妻が走った。
「好き」?
今、澪が言ったのか?
練習中あんなに厳しくて、普段は「バカ駆」としか呼ばないあいつが?
駆は目を開けようとした。
驚きで心臓が跳ね、全身の細胞が覚醒を叫んでいる。だが、身体は鉛のように重く、鉛を流し込まれたかのように瞼が動かない。金縛りに似たもどかしさの中で、駆は必死に耳を澄ませた。
澪の呼吸が、すぐ近くで聞こえる。
澪が、微かに震えているのが伝わってくる。
(嘘だろ……。聞き間違い、だよな? 練習がハードすぎて、俺がおかしくなったのか……?)
確信が持てない。けれど、あの声に含まれていた切実な熱を、駆の心は確かに捉えていた。
けれど、強烈な眠気の引き潮が再び訪れ、駆の意識を強引に引きずり戻していく。
「……言えるわけないのに……」
最後に聞こえたその一言が、駆の心に深く棘を残した。
そのまま、駆の意識は真っ暗な闇の中へと、深く、深く落ちていった。
「おい。起きろ、駆。終点だぞ」
乱暴に肩を揺さぶられ、駆は勢いよく顔を上げた。
「……っ! 澪!?」
「なんだよ、その顔。寝ぼけてるのか」
目の前には、いつもの冷めた表情の澪がいた。
カバンを肩にかけ、早く降りろと言わんばかりに顎で出口を指している。その瞳には一分の動揺もなく、車内の蛍光灯の下では、さっきの熱い告白などすべて幻だったのではないかと思わせるほど、彼は「いつも通りの澪」だった。
「いや……あのさ、澪。お前、寝てる間に何か……」
「ヨダレ垂れてる。汚いから近づくな」
澪は吐き捨てるように言うと、スタスタとホームへ降りていった。
その後ろ姿を見つめながら、駆は自分の胸に手を当てた。
心臓が、ざわざわと騒がしい。
(夢……だよな? でも、あの声も、震えも……)
夢なのか現実なのか。なんとか確かめる方法はないものかと、駆は考え始めた。
床を叩くボールの重い音、バッシュが刻む鋭い摩擦音。そして、高い天井に反響する「さあ来い!」「一本!」という野太い叫び声。
「……っし、決まった!」
鮮やかなバックアタックを決めた駆(かける)は、着地の勢いのまま拳を突き上げた。器用さと、高い身体能力。部活内でもムードメーカーとして通っている彼は、コートにいるだけで空気を明るく変える力があった。
「駆、無駄な動きが多い。着地で膝を遊ばせるな。怪我するぞ」
ネットの向こう側から、氷のように冷たい声が飛んでくる。セッターを務める澪(れい)だ。女子からは「キレイ」「カッコいい」と言わせる容姿だが、その口から出るのは、同級生に対しても容赦のない毒舌ばかりだ。
「厳しいな、澪! 今のは俺の最高の一撃だったろ?」
「意味が分からない。……次、さっさとポジション戻れ」
澪は、手にしたボールを無造作に駆へ放り投げた。受け取った駆は苦笑いする。
幼馴染で、阿吽の呼吸を持つセッターとアタッカー。誰とでも仲良くなれる駆が、唯一その核心に触れられないのが、この澪という男だった。駆がどれだけ熱くぶつかっても、澪はそれを柳に風と受け流し、時に鋭く突き放すのだ。
「あー……マジで、肩が取れる……」
部活帰り。下り電車の二人がけシートに沈み込んだ駆は、重い溜息をついた。
夏の大会を前に、練習メニューは過酷さを極めている。窓の外を流れる夕闇と、規則的なレールの振動。冷房の風が、火照った首筋を心地よく撫でる。
隣に座る澪は、いつも通り窓の外を眺めていた。膝の上にはバレー雑誌を広げているが、その瞳はどこか遠くを映しているように見える。
(やべえ、意識が……)
駆の頭が、船を漕ぎ始めた。
好奇心も、持ち前の快活さも、極限の睡魔の前では無力だ。視界が急速に狭まり、隣にいる澪の存在だけが、確かな重みを持って意識の端に残る。
カクン、と首が落ちた。
その勢いのまま、駆の頭は澪の肩へと吸い寄せられた。
ストン。
細い、けれどしっかりと芯の通った肩の感触。
「……ん……」
駆は無意識に、その温もりに顔を寄せた。
(怒られるかな……。また『暑苦しい』って、突き放されるか……)
そう思いながらも、重力に逆らう体力は残っていない。
だが、予想に反して、衝撃は来なかった。
むしろ、澪が僅かに身体を傾け、駆の頭が滑り落ちないように支えてくれたような――そんな優しい感覚があった。
夢と現実の境目。
意識が深い海の底へ沈んでいくような、不思議な静寂。
その時だった。
耳元で、衣類が擦れる微かな音がした。
澪が本を閉じ、駆に唇を寄せてきたような、密やかな気配。
ガタン、ゴトンという走行音の向こう側から、震えるような、消え入りそうな声が響いた。
「……好きだよ、駆」
その瞬間、駆の脳内に稲妻が走った。
「好き」?
今、澪が言ったのか?
練習中あんなに厳しくて、普段は「バカ駆」としか呼ばないあいつが?
駆は目を開けようとした。
驚きで心臓が跳ね、全身の細胞が覚醒を叫んでいる。だが、身体は鉛のように重く、鉛を流し込まれたかのように瞼が動かない。金縛りに似たもどかしさの中で、駆は必死に耳を澄ませた。
澪の呼吸が、すぐ近くで聞こえる。
澪が、微かに震えているのが伝わってくる。
(嘘だろ……。聞き間違い、だよな? 練習がハードすぎて、俺がおかしくなったのか……?)
確信が持てない。けれど、あの声に含まれていた切実な熱を、駆の心は確かに捉えていた。
けれど、強烈な眠気の引き潮が再び訪れ、駆の意識を強引に引きずり戻していく。
「……言えるわけないのに……」
最後に聞こえたその一言が、駆の心に深く棘を残した。
そのまま、駆の意識は真っ暗な闇の中へと、深く、深く落ちていった。
「おい。起きろ、駆。終点だぞ」
乱暴に肩を揺さぶられ、駆は勢いよく顔を上げた。
「……っ! 澪!?」
「なんだよ、その顔。寝ぼけてるのか」
目の前には、いつもの冷めた表情の澪がいた。
カバンを肩にかけ、早く降りろと言わんばかりに顎で出口を指している。その瞳には一分の動揺もなく、車内の蛍光灯の下では、さっきの熱い告白などすべて幻だったのではないかと思わせるほど、彼は「いつも通りの澪」だった。
「いや……あのさ、澪。お前、寝てる間に何か……」
「ヨダレ垂れてる。汚いから近づくな」
澪は吐き捨てるように言うと、スタスタとホームへ降りていった。
その後ろ姿を見つめながら、駆は自分の胸に手を当てた。
心臓が、ざわざわと騒がしい。
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