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05 温室にて(1)

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 その街の入口では知らない男達が、ザィードに話しかけてくるし、此処に来る間もそうだったが、街の中に入っても人々が親しげに笑いかける。

 中は変な形だし、色んな匂いがするし、妙な場所に来たと思っていると、ザイードの番が静かな場所に連れて行ってくれる。

 薬草園と呼ばれる場所は良かった、ここは音もしないし、草花のおかげで街の匂いが消えている。

「友人の温室に行きますので、気をつけて下さいね。温室には色々な花や実があって、今ならネトの実があるかもしれません」

「ネトの実?」
「甘くて美味しいのですが、実に棘や毒があって、刺さると大変ですし、薬草の中には、食べると毒になるものもありますから」

 ザィードと彼の番が話しているのが聞こえて来る。

 ザィードの番は色々な心配をする。
 人族は本当に面倒だ、色々な約束事に縛られているだけでなく、木になっている実の事まで心配している。


 そこは不思議な場所だった。
 温室と呼ばれた透明な箱の中は、暖かくて気持ちがよく、色々な匂いのする花や実が整然と植えてある。

 自分が知っている花や実もあったが、初めて目にするものも多かった。
 紫色の葉はいい匂いがしたし、黄色い実は腐ったような匂いがする。

 その中で、ひと際甘い匂いがする真っ赤な実を掴んだ瞬間、声が出た。

「うわっ」

 びっくりして右手を見ると、小さな棘が手のひらに沢山刺さっている。

「まぁ、大変。ネトの実を触ったのですね」

 ザイードの番が驚いている。

 これがネトの実かと思い当たる。
 ここに来るまでに、実が生っているのを見つけても、小さな棘があり、棘には毒もあるから決して素手で触らないように言われたばかりだ。

 面倒な事になった。
 確かに手に刺さった棘は痛いし、手のひらは痺れているが、自分にはたいした事ではなかった。

 獣人は強い。

 特に本来の姿になれば、小さな棘など何とでも出来るが、この場で獣の姿に戻るのは難しい。
 特に自分の王は、大切な番にまだ本来の姿を見せていなかった。

 どうしようかと思っていると、視界の端から小さな生き物が飛び出してきて、いきなり自分の手を掴むと、

「早く見せて」とその生き物が自分の手に触れ、顔を寄せ、唇を使って棘を吸い取る。

 その間中、「ネトの実を素手で触るなんて」とか「何を考えているの」とかブツブツ言っているが、ずっと手を握り、離そうとしない。

 その間、目の前にはずっとフワフワした栗色の塊が動いている。
 そのまま自分を近くの椅子に座らせると、小さな瓶に入った塗り薬を塗りながらまた怒っている。

「薬を塗っておくけれど、今日は痛いし、熱もでるわよ」

 やっと顔をこちらに向けて話す。

 茜色の瞳を持つ若い雌。
 番のいないちいさな生き物。

「見つけた」そう思った瞬間、全身の毛が逆立つような衝撃を受け、魔力が高まる。

 目の前にいた小さな生き物はびっくりして離れようとするし、

「サイラス!」

 ザイードにも声を掛けられる。
 ここが自国ではない事を思い出し、自分を落ち着かせようとすると、隣に来たイグルスまで謝っている。

「すみません、驚かせて申し訳ない。我々はガルスの者なので、魔力が暴走しました」

 番を見付けたのだから仕方ないだろうと思いながら、その小さな生き物に視線を向ける。
 茜色の瞳を持つ小さな生き物は、「大丈夫です」と言って、ザイードの番の所に逃げていく。

 なぜ彼女なのだろう?
 彼女が自分の手に触れ、唇を寄せたからだろうか?
 だが今までにも、同じような事をした雌は獣人にも人族の中にもいた。

 いつも不思議に思っていた。
 自分の王は、なぜ他人の物になると決められた雌を忘れる事ができないのだろう?
 番にとあれほど望んでいるのに手に入れようとせず、常に彼女を傷つけないように行動するのはどうしてだろう?

 確かに彼女の淡い金髪は獣人には無いものだし、美しい雌だと思う。
 だが、それ以上に強い雌も美しい雌もいた。
 にもかかわらず、それらに全く興味を持たなかった王が、彼女を忘れられなくなっている。

 そして今、自分が同じようになっているのが分かる。
 自分の番は、いきなり自分の目の前に現れて、ふれたかと思うと、怖がらせたせいで逃げてしまった。

 この国に面倒な決まり事があるのは知っている。
 自分たちの様に直接的な繋がりではなく、彼らはその約束事に縛られている。
 
 自分の王が自分を止めたのも、ちいさな生き物を怖がらせないためとその約束事のためだ。

 そう、それらの事はよく知っている。
 なによりすぐ近くに、その約束事に縛られた雌を手に入れようとしている雄がいるのだから。

 同じようにすればいい。
 怖がらせてしまったのなら、少しずつ近づけばいい、怖がらせない様に、もう一度側に行けるように。

 そうして近づく事が出来たら、必ず自分の物にしてしまおう。
 他の人間が近づかないように。
 自分の腕の中に入れて、あの茜色の瞳を持つフワフワとした栗色の塊を絶対に放したりしない。
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