4 / 23
第一幕 人形令嬢の一人舞台
人形令嬢と道化王子の婚約
しおりを挟む
ドロシーは、由緒正しいドロフォノス侯爵家の長女として生まれた。
共に暮らす家族は、父、母、兄。
建国のときより王家に仕えており、その歴史の長さから多くの血族、多岐にわたる爵位・所領を持ち、ブレイク・ブロウクス王国の中核を担っている一族であった。
ドロシーが、王命によりクロッド第一王子の婚約者となったのは7年前。ドロシーが12歳、王子が17歳のときだった。
王陛下と侯爵家の間で交わされた政略的な婚約で、ドロフォノス家よりも力を持つ貴族家はなかったため、すんなり話は進んだ。ただ側妃殿下やその実家だけは、ドロシーと婚約するのは同い年である自分の子ルナール第二王子の方がいいのではと、最後まで難色を示していたようだ。
クロッド・イグルーシカと初めて顔を合わせた日のことを、ドロシーは昨日のように思い出せる。
雨の降る初冬だった。
父侯爵とともに王宮に向かう有蓋馬車に揺られながら、ドロシーは黒い毛皮の襟巻に顔を埋め、深く悩んでいた。予想通りの雨模様。これでは王宮の庭でお茶もできないし、外を散歩するのも難しい。王子となにを話せばいいだろう。そう思っていたのだが、顔合わせはお茶の用意もない小さな談話室で、ほんの数分だけだった。
クロッドはそのときからとても背が高くて、まだ少女のドロシーは顔を真上に上げないと目を合わせられないくらいだった。彼は小さな女の子の扱いに明らかに困っており、大きな身体を丸めて床に膝を付き、「これからよろしく」とだけ言った。
ドロシーは満足だった。
婚約式さえない書類上の婚約関係だったが全然かまわなかった。
顔合わせ以降、少しでも相手のことを知りたくてドロシーは頻繁に手紙を書いた。
――父と母はとても仲が良く、兄はちょっぴりイジワル。水曜日につまらないダンスのレッスンがある。いつもドロフォノスの領地にある森で遊ぶ。黒い色のドレスをよく着る。いつか世界中を旅してみたい。
そんなような内容だ。
彼には退屈だったろうが、必ず返事をくれた。
『家族の仲がいいのは素晴らしい。自分も弟と仲がいい。ダンスはもう少し大きくなったら一緒に練習しよう。森で遊ぶときは護衛から離れ過ぎないように。きれいな黒髪だから黒いドレスはとても似合う。自分の夢は大きなパイをまるごと食べること』
ドロシーはまだ正式なお茶会や夜会に出られる年齢ではなかったため、王子とふたりで会うことはなかったが、季節が変わるごとに贈り物が届き、ドロシーも拙い刺繍を施したハンカチなどを贈った。
ところが、ささやかな交流は突然終わりを告げた。
ドロシーが十五歳になり社交界へのお披露目が終わって、王子妃教育が始まった頃から手紙はぱったりと返ってこなくなった。王宮ではすれ違いになるばかりで、ようやく参加できるようになった夜会でも欠席を連発。私的なお茶会に招待しても来てくれない。完全に避けられていた。
当初、ドロシーは王子に嫌われている婚約者として馬鹿にされていた。やっぱりあんなに歳が離れたお嬢ちゃんなんてイヤよね。美人だけど陰気だし愛想もないし、王子にないがしろにされて当然よね。社交界に出ればこんな陰口を叩かれた。
ところが、その頃から王子にも悪評が立ち始めた。
いわく、招待された夜会で酒に酔い無礼な振る舞いをする、公務に携わらない、目下の人間に高圧的、贅沢好きで見栄っ張り、側近を次々クビにする、優秀な弟王子を毛嫌いしている、下手なくせにしょっちゅう狩猟に行く、彼に手を出され王宮にいられなくなった侍女が大勢いる――。
そのときクロッド・イグルーシカは、ちょうど二十歳。
「これまでおとなしくしていた第一王子は、女を知ってダメになってしまった」と周囲は嘆いた。この国では十五歳で社交界に参加でき、二十歳で成人。王族は成人前後が閨教育開始時期なのだ。
こうなってくるとドロシーに対する風向きは変わり、少しずつ悪口は減っていった。
それどころか婚約者の立場を憐れまれることが多くなり、不敬極まりないが「王家への生贄」呼ばわりされ、「ルナール王子の婚約者だったらよかったのにね」と母の友人たちに慰められる始末。
そう、風向きが変わった者がもうひとりいる。
ルナール第二王子殿下である。
共に暮らす家族は、父、母、兄。
建国のときより王家に仕えており、その歴史の長さから多くの血族、多岐にわたる爵位・所領を持ち、ブレイク・ブロウクス王国の中核を担っている一族であった。
ドロシーが、王命によりクロッド第一王子の婚約者となったのは7年前。ドロシーが12歳、王子が17歳のときだった。
王陛下と侯爵家の間で交わされた政略的な婚約で、ドロフォノス家よりも力を持つ貴族家はなかったため、すんなり話は進んだ。ただ側妃殿下やその実家だけは、ドロシーと婚約するのは同い年である自分の子ルナール第二王子の方がいいのではと、最後まで難色を示していたようだ。
クロッド・イグルーシカと初めて顔を合わせた日のことを、ドロシーは昨日のように思い出せる。
雨の降る初冬だった。
父侯爵とともに王宮に向かう有蓋馬車に揺られながら、ドロシーは黒い毛皮の襟巻に顔を埋め、深く悩んでいた。予想通りの雨模様。これでは王宮の庭でお茶もできないし、外を散歩するのも難しい。王子となにを話せばいいだろう。そう思っていたのだが、顔合わせはお茶の用意もない小さな談話室で、ほんの数分だけだった。
クロッドはそのときからとても背が高くて、まだ少女のドロシーは顔を真上に上げないと目を合わせられないくらいだった。彼は小さな女の子の扱いに明らかに困っており、大きな身体を丸めて床に膝を付き、「これからよろしく」とだけ言った。
ドロシーは満足だった。
婚約式さえない書類上の婚約関係だったが全然かまわなかった。
顔合わせ以降、少しでも相手のことを知りたくてドロシーは頻繁に手紙を書いた。
――父と母はとても仲が良く、兄はちょっぴりイジワル。水曜日につまらないダンスのレッスンがある。いつもドロフォノスの領地にある森で遊ぶ。黒い色のドレスをよく着る。いつか世界中を旅してみたい。
そんなような内容だ。
彼には退屈だったろうが、必ず返事をくれた。
『家族の仲がいいのは素晴らしい。自分も弟と仲がいい。ダンスはもう少し大きくなったら一緒に練習しよう。森で遊ぶときは護衛から離れ過ぎないように。きれいな黒髪だから黒いドレスはとても似合う。自分の夢は大きなパイをまるごと食べること』
ドロシーはまだ正式なお茶会や夜会に出られる年齢ではなかったため、王子とふたりで会うことはなかったが、季節が変わるごとに贈り物が届き、ドロシーも拙い刺繍を施したハンカチなどを贈った。
ところが、ささやかな交流は突然終わりを告げた。
ドロシーが十五歳になり社交界へのお披露目が終わって、王子妃教育が始まった頃から手紙はぱったりと返ってこなくなった。王宮ではすれ違いになるばかりで、ようやく参加できるようになった夜会でも欠席を連発。私的なお茶会に招待しても来てくれない。完全に避けられていた。
当初、ドロシーは王子に嫌われている婚約者として馬鹿にされていた。やっぱりあんなに歳が離れたお嬢ちゃんなんてイヤよね。美人だけど陰気だし愛想もないし、王子にないがしろにされて当然よね。社交界に出ればこんな陰口を叩かれた。
ところが、その頃から王子にも悪評が立ち始めた。
いわく、招待された夜会で酒に酔い無礼な振る舞いをする、公務に携わらない、目下の人間に高圧的、贅沢好きで見栄っ張り、側近を次々クビにする、優秀な弟王子を毛嫌いしている、下手なくせにしょっちゅう狩猟に行く、彼に手を出され王宮にいられなくなった侍女が大勢いる――。
そのときクロッド・イグルーシカは、ちょうど二十歳。
「これまでおとなしくしていた第一王子は、女を知ってダメになってしまった」と周囲は嘆いた。この国では十五歳で社交界に参加でき、二十歳で成人。王族は成人前後が閨教育開始時期なのだ。
こうなってくるとドロシーに対する風向きは変わり、少しずつ悪口は減っていった。
それどころか婚約者の立場を憐れまれることが多くなり、不敬極まりないが「王家への生贄」呼ばわりされ、「ルナール王子の婚約者だったらよかったのにね」と母の友人たちに慰められる始末。
そう、風向きが変わった者がもうひとりいる。
ルナール第二王子殿下である。
20
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)
miy
恋愛
(※長編なため、少しネタバレを含みます)
ある日目覚めたら、そこは見たことも聞いたこともない…異国でした。
ここは、どうやら転生後の人生。
私は大貴族の令嬢レティシア17歳…らしいのですが…全く記憶にございません。
有り難いことに言葉は理解できるし、読み書きも問題なし。
でも、見知らぬ世界で貴族生活?いやいや…私は平凡な日本人のようですよ?…無理です。
“前世の記憶”として目覚めた私は、現世の“レティシアの身体”で…静かな庶民生活を始める。
そんな私の前に、一人の貴族男性が現れた。
ちょっと?訳ありな彼が、私を…自分の『唯一の女性』であると誤解してしまったことから、庶民生活が一変してしまう。
高い身分の彼に関わってしまった私は、元いた国を飛び出して魔法の国で暮らすことになるのです。
大公殿下、大魔術師、聖女や神獣…等など…いろんな人との出会いを経て『レティシア』が自分らしく生きていく。
という、少々…長いお話です。
鈍感なレティシアが、大公殿下からの熱い眼差しに気付くのはいつなのでしょうか…?
※安定のご都合主義、独自の世界観です。お許し下さい。
※ストーリーの進度は遅めかと思われます。
※現在、不定期にて公開中です。よろしくお願い致します。
公開予定日を最新話に記載しておりますが、長期休載の場合はこちらでもお知らせをさせて頂きます。
※ド素人の書いた3作目です。まだまだ優しい目で見て頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
※初公開から2年が過ぎました。少しでも良い作品に、読みやすく…と、時間があれば順次手直し(改稿)をしていく予定でおります。(現在、146話辺りまで手直し作業中)
※章の区切りを変更致しました。(9/22更新)
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。
ねーさん
恋愛
あ、私、悪役令嬢だ。
クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。
気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる