人形令嬢の幸福~嫌われ者の道化王子に婚約破棄を宣言されたので、お人形ゴッコはもうおしまいです~

三月

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第一幕 人形令嬢の一人舞台

王冠は誰の手に

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「ドロシー嬢!」

舞踏会の翌日、王宮の回廊を歩いていると、後ろから呼び止められた。

側近を大勢連れて、小走りに駆けてくるのはルナールだ。ぴょんぴょんと金茶色の髪が跳ね、ドロシーを見つけた嬉しさからか表情は明るい。

「やあ!王子妃教育かい?すごい量の本だね」

「お見苦しくて申し訳ございません。至らない部分が多くて」

ドロシーはなにも持っていないが、後ろに控えた侍女ふたりは顔が隠れそうなほど本を抱えている。すべて今日の王子妃教育で読むように言われた本だった。王子妃教育は、教理問答や家計簿をつけるための基礎算術だけでなく、同盟国をはじめとする近隣諸国の語学、歴史に宗教に芸術、修辞学、法律や医草術など様々で、勉強することが山ほどあった。

通常、社交のあるご令嬢なら午前中はゆっくり休み、午後から散歩やお茶会に出かけ、夜は観劇や舞踏会。でも、ドロシーはどんなに前日が夜遅くても家庭教師たちの時間に合わせ、朝から王宮の学習室へ行き、講義やレッスンを受けなくてはならない。時間はいくらあっても足りない。何百年も生きているならともかく、ほんの十九歳やそこらですべて学び切るなんて不可能だ。

ドロシーは小さく息をついて、話題を変えた。

「殿下も大変なお荷物ですね」

「ああ、これ?定例会議の資料だよ。まあ、僕は父やみんなが議論してるのを聞いてるだけなんだけど」

はにかんだルナールは、「それより……昨日はよく眠れた?」とドロシーの隣に並び、声を落とした。

「はい、大丈夫です。……お気遣い頂きましてすみません」

「いや、そんな……僕が気にしたいだけ、だから」

ドロシーは聞こえなかったふりをした。本当ならルナールとこうして話すのさえ、兄王子の婚約者という立場から言えばよいことではない。
ルナールの凪いでいた風向きは、ドロシーと同じく荒れている。将来は気楽な臣下になる予定だった彼は、王位継承権争いに巻き込まれつつあった。

クロッドの母は、15年前に亡くなった正妃フローリス・イグルーシカ。
彼女は同盟国の神聖クラウィス大公国の第三公女であり、西方諸国を拠点とする大教会にも聖性を認められた聖女であった。対して、ルナールの御母堂である側妃は我が国の伯爵家出身。決して身分が低いことはないが正妃の華々しい肩書には見劣りする。

だから長年、公国の後ろ盾を持つクロッドが次期王太子だと支持されていた。しかし、最近は第二王子ルナールの立太子を望む声が多い。

ルナールは一見頼りなげに見えるが、王の寵愛を一心に受ける側妃にしっかり教育されたのか、相手の懐に入る術を心得ている。物腰は柔らかく紳士的、親しみやすい雰囲気で可愛らしい容貌も相手の警戒心を和らげることに一役買っている。まだ成人前なのに公務に励み、いつも慌ただしく国内を駆け回っているが、嫌な顔ひとつしないし、高位の相手にも物怖じせず、部下にも素直に教えを乞い、女性には優しい。

クロッドはといえば、誰からもお咎めがないものだから、女と酒に溺れ、毎日遊び歩いている。式典にも交流会にも定例会議にも出ない。そのくせ「自分が次の王だ」と言い触らしているそうだ。

無能で偉そうで影では笑い者の『道化王子』ではなく、ルナール支持派が増えるのは当然だった。
クロッドは元々血統で選ばれたようなものだし、彼を王太子にすれば「クラウィスの干渉を招くのでは」という意見も出始めた。王宮で実務を担う多くの者はルナール派であり、側妃はもちろんルナールに王太子になってほしいはずだ。

王陛下はどうなのだろうか。息子ふたりをどう考えているのか。

多くの者は、王はクロッド派だろうと見ている。最強の手札を彼に与えてあるからだ。それが王命で縛り付けた有力貴族の婚約者――ドロシーだった。
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