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第8話 けたたましい始まり
しおりを挟むリーンゴーン
若干さび付いた玄関ベルが鳴り響いた。
マイヤー子爵家のベルが鳴ったのは何年ぶりだろうか。王都の貴族街に居を構えるマイヤー子爵家ではあるが、領地をもたないから、そうそう所用などあるはずもなく、貧乏子だくさんだから御用聞きの商人を呼びつけることもないのであった。
「こんな朝早くに誰かしら」
家族の朝食の支度のため、早起きをして厨房にいた夫人は首を傾げた。
それでも一応は確認しなくてはいけないと、玄関ホールに小走りにやってきた。
一応は鍵のかかった玄関ドアを開けてみれば、そこには姿勢正しく立っている女性がいた。着ているのはきっちりとしたメイド服だ。きれいに洗濯され、糊のきいたメイド服を着た女性は、マイヤー子爵夫人を見て深々と頭を下げた。
「わたくし、ミュラー公爵家より紹介状を持ってまいりましたアンナと申します」
差し出された紹介状を持ち、夫人はどうしていいかわからなかった。だって、使用人を雇ったことなどないからだ。
「あ、ああ、こ、こちらにいらして」
夫人はアンナを客間に通した。
「ここでお待ちになって」
慌てて夫を呼びに行く。確か昨日、宰相閣下が紹介状を持たせて使用人をよこすと言っていた。だからきっとそうなのだろう。中身は確認していないけれど。
「あなた、あなた大変よ」
起きたばかりの夫マイヤー子爵に夫人は駆け寄った。
「うん?」
手渡された封筒にはミュラー公爵家の家紋の蜜蝋で封が施されていた。
それを見た途端、マイヤー子爵は覚醒した。もう、目がぱっちり何てものじゃない。飛び上がる勢いで寝台から起き上がると、大慌てで執務室に行き、丁寧に封筒を開いた。中には確かにミュラー公爵、つまりは宰相閣下の直筆の紹介状が入っていた。つまりは魔法契約書である。
「い、急がねば」
メイドとはいえ、公爵家からである。もとはマイヤー子爵よりも高い家柄のご令嬢だったはずだ。あえてアンナとしか名乗らなかったのは、きっとあえてなのである。マイヤー子爵は急いで着替えた。毎日同じ服を着ているから、何も難しいことはない。なにしろ使用人が一人もいないから、着替えなんか一人でできる。お仕着せの役人服なんか、前にボタンが付いているだけだから、目をつぶったままでも着替えられるイージーな服だ。
「待たせてしまった」
少し上がった息を整えながら、マイヤー子爵はマリアと対峙した。マリアは律儀にソファーの横に立っていた。これは夫人のミスである。
「いいえ、事前の連絡もなく、こんな朝早くに来てしまったのはわたくしの手落ちにございます」
そう言って深々と頭を下げられると、どうしていいのかマイヤー子爵にはわからない。だって、宰相閣下ミュラー公爵からの紹介状にはマリア・ヴェーバーと書いてあったのだ。ヴェーバー家は伯爵だ。爵位はマイヤー子爵より一つ上になる。いまだにヴェーバーと名乗っているとなると、マリアは未婚なのだろう。つまりまだまだ伯爵家の何かがあるわけだ。
「いえ、そんなことはない。昨日ミュラー公爵より直々に紹介状を持たせて使用人を送ると言われて失念していた私の責だ」
マイヤー子爵はそう言いながらマリアをソファーに座らせた。契約内容はすでにミュラー公爵とマリアの間で交わされているから、今更マイヤー子爵が何かをする必要などないのだ。ただ事実を確認するだけである。
「お時間もあまりありませんでしょうから、わたくしめが朝食の支度をさせていただきます。奥様はお子様方を食堂に集めてくださいませ」
きりっとした顔で言われれば、夫人は従うしかない。相手は伯爵家のご令嬢だった人だ。しかも、公爵家から派遣されてきた。貧乏な子爵夫人よりもよっぽど立場があるのだ。もはや肩書がちがうのだ。
「これは、まぁ」
厨房に入ってマリアはため息が出た。まったくもって食材がない。おそらく夫人の作りかけのパンは、オーブンで焼くよりフライパンで焼く方が適していると思われる発酵具合だ。なにしろこの厨房には料理に必要な魔石が不足している。マリアは持参した魔石をオーブンに取り付け、持参したパンを焼くことにした。焼き上がりまでは時間があるから、ジャガイモと玉ねぎを軽く炒めてスープを作る。まだ春の朝はしっとりと空気が冷たいから、ポタージュに仕上げるのがいいだろう。調味料はそこそこあるようなので、惜しみなく使わせていただく。
これまた持参したベーコンと卵を焼き皿に盛りつけ、ワゴンに乗せる。人数分のカラトリーを用意して、スープ皿を乗せ、これまた持参した果物の皮をむけばそれなりの朝食の準備ができた。オーブンから焼きたてのパンを取り出し、籠に盛る。
「やあ、いい匂いだ」
ひょっこりと厨房に顔を出してきたのは御者のジャックだ。勝手に空いていた使用人部屋で寝ていたのだ。馬に水をあげていたらパンの焼ける匂いがしたので勝手に入ってきたのである。マイヤー子爵家の防犯はまったく意味を成してはいなかった。
「あら」
ジャックの顔を見てマリアはすぐに分かった。ジャックもミュラー公爵家からやってきた使用人である。だがしかし、まだ紹介状が届いていない。さすがの公爵閣下も仕事をしながら使用人と魔法契約を交わすほど暇はないのである。というより、マイヤー子爵家に何もなさ過ぎて揃えるものが多すぎたのだ。
「パンが焼けたわ。これと、スープはこの皿でいいわね。卵とベーコンは勝手に食べて頂戴」
マリアはそう言うとワゴンをおしていってしまった。
「お待たせいたしました」
マリアが食堂に行くと、マイヤー子爵家は何とか全員が席についていた。身だしなみについては言及しない方がいいだろう。何しろ使用人がいないのだ。優しく身支度を整えてくれるメイドの姿などないのである。
「どうぞ、ご主人様」
全員の前に朝食が並べられ、マリアがマイヤー子爵を促す。食事の前の挨拶は一家の主人の大切な仕事である。
「神の恵みに感謝を」
マイヤー子爵はそう言って、まずはポタージュを口にした。いままで夫人が作ったスープを飲んできたが、まったくもって別物だった。しっかりと味があり、のど越しがなめらかである。焼きたてのパンは温かく、バターを乗せるとじんわりと溶けていく。おまけにデザートの果物まである。ちゃんと季節の果物だ。しかも、なんと、食後にはお茶まで出てきた。
「皆様、食事のマナーについてはまだまだでございます。早急にマナーの講師を呼ばせていただきます」
くつろぐマイヤー子爵家の全員が驚愕した。
朝食が試験だっただなんて。
そんなの聞いてない。
とか思っていたら、今の発言は誰だ?
マイヤー子爵家の全員の首がぎこちなく動く。マリアではなく、その先、壁際にたたずむ一人の老紳士だ。どう見てもマイヤー子爵より上等な上着を羽織っている。おまけに大変姿勢が良い。
「お初にお目にかかります。わたくし、ミュラー公爵家より参りましたセバスティアン・バッハと申します。こちらがミュラー公爵より預かった紹介状にございます」
そう言って白い封筒をマイヤー子爵に手渡した。マリアの時と同じく、ミュラー家の家紋の蜜蝋で封がなされていた。
マイヤー子爵が封筒を受け取ると、セバスティアンは何処からともなくペーパーナイフを取り出して、マイヤー子爵に手渡す。マイヤー子爵は封を開けると素早く中を確認した。内容はおおむねマリアの時と一緒だった。
執務室の書類箱にセバスティアンの紹介状もしまい込むと、ドアがノックされた。マイヤー子爵が驚いているうちに、セバスティアンがドアを開ける。滑り込んできたのはどう見ても御者だった。
「マイヤー子爵、こちらがミュラー公爵より預かりました紹介状にございます」
白い封筒が手渡され、マイヤー子爵は(以下略)
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