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第1部 第1章 ケース オブ 調香師・鞍馬天狗『盗まれた香り』
三 終電を逃す阿倍野芽依、27歳
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三
「悪くないけど、よくある話だよね」
クライアントの第一声はそれだった。
難色を示すとはこの顔のことをいうのだと、芽依はあらためて思った。
芽依が提案した企画は、『都会で味わえるファンタジーな世界』をコンセプトとして、おひとりさまを楽しむOLがファンタジーな要素をもつ都内各所を訪れ、そこで見かけたものを紹介していくという企画だった。
都会とファンタジー。相反するテーマは初めは掴みずらかったが、やはり東京は、その街らしさを外しては語れない。だが企画書は、クライアントの満足するラインには達することは出来なかった。
「もっといい感じのテーマがいいと思いますよ」
「いい感じ……の?」
やたらに縁の太い黒メガネをかける、スポンサー兼プロジェクト担当の松井が、わかりずらいニュアンスでそう述べた。
だが、そこに切り込んでいったのは林田だった。
「松井さん。その感想を待っていました。入り口はよくある話でなければ意味がなく、そう感じていただけたなら間違いありません。現実のその向こうにファンタジーが広がっているんですから」
松井は、うまく言いくるめられたという具合で、ぐうの音を上げている。
芽依は林田の熱意を目の当たりにした。確実に不十分だった自分の企画書を、まるでファンタジーが詰め込まれているかのようにプレゼンしてくれるとは。彼女は本気で自分の書くものを信じてくれているのだ。
芽依は、林田の気持ちに応えなければと遅ばせながら思った。もう、船は出港していたのだ。
白紙になるかと思われた物語のプロットではあったが、いったん再考という形でなんとな繋がっていた。
そして打ち合わせが終わった午後八時過ぎ、芽依は林田をはじめとするプロジェクトチームから食事に誘われた。
チームはとてもアットホームな雰囲気で好感が持てる人たちばかりだった。正直、懇親会というお酒の場は得意ではなかったが、よくある話を用意してしまった手前、断るわけにもいかない。それに、もっと林田と話がしたかった。
一行は、丸の内ビルの中にある、おしゃれな英字看板のカフェ居酒屋に入り、数時間をそこで過ごした。
懇親という久々の時間はとても楽しかった。料理もおいしく雰囲気も良い。都会に生きる大人の気分を味わえた。
楽しい時間は現実を忘れさせる。だから芽依はとある概念を忘れていた。終電だ。
血の気の引く思いとともに芽依はスマホで時刻を確認する。そして画面に浮かび上がった時刻は午前零時を過ぎていた。
芽依は慌てて店を飛び出した。
タクシー代を払うという懇意を断り、芽依はとにかく駅を目指して街を駆けた。
最終が何時なのかもわからなかったが、まずいことは確かである。
ヒールの音を響かせながら、午前零時過ぎの丸の内を駆ける芽依。とにかく走り、駅へ向かう最後の信号に捕まったのち、そして終電を逃した。
丸の内北口のドーム天井の下に立ち、ここへたどり着くまでの記憶を辿っていた芽依は、ようやく我に戻った。
(そうだ、迂回出来る線ってまだあるかな)
芽依はスマホを取り出し、路線アプリを起動する。出発地「東京駅」を入力したのち、自宅の最寄り駅を入れ検索をかける。だが、これから到着できる電車は残されていなかった。
電車がないのなら別の手段で帰ればいい。ここは東京。終電を逃したくらいで家に帰れないような時代ではない。駅前には終電を逃した客を待つかのように、タクシーが律儀に待機している。だが今の芽依には金銭的余裕はなかった。
林田たちは大丈夫なのだろうか。ふとそんなことを思ったが、芽依はすぐに勘付く。
おそらく、林田たちは都内住まいなのだ。都心から離れれば離れるほど終電は早い。現にまだ山手線は動いているし、あと一杯飲んだとしても余裕があるはずだ。
そのときであった。
(わ! あれ林田さんたちだ!)
見覚えのある人たちがこちらへ向かって歩いてくる。
終電に間に合わなかった姿など見られては恥ずかしい。そう思い、芽依は柱の影に身を隠しながら移動し、林田たちに見られぬように駅舎を出た。
東京駅は、夜になるとライトアップによって赤煉瓦の駅舎は橙色の光をまとう。その幻想的な景色は異国情緒すら持ち気品ある東京夜景を魅せてくれる。だが午後九時を過ぎればその魔法は溶け、駅舎はその役目を終えるように灯りを消し、駅の改札口と建物に併設されているホテルだけが夜を照らす形となる。
それでも午前零時過ぎともなれば、街は薄暗い夜を呼び寄せていた。
(来た時と全然違う)
駅前の広大な敷地にはかえって孤独感を煽られる。
家に帰れないというのはここまで心細くなるのかと芽依は途端に怖気付いた。
「これからどうしよう」
芽依は駅を離れ、丸の内ビル街に戻って来ていた。
恥を忍んで林田に連絡でもしてみようかという考えが過ったが、やはりそんな勇気は出ず、持っていたスマホをトレンチコートのポケットにしまう。
「とりあえず、行けるところまでタクシーで行って、どこかのネットカフェで過ごすしかないかな」
そう思い、芽依は少し歩くことにした。
「悪くないけど、よくある話だよね」
クライアントの第一声はそれだった。
難色を示すとはこの顔のことをいうのだと、芽依はあらためて思った。
芽依が提案した企画は、『都会で味わえるファンタジーな世界』をコンセプトとして、おひとりさまを楽しむOLがファンタジーな要素をもつ都内各所を訪れ、そこで見かけたものを紹介していくという企画だった。
都会とファンタジー。相反するテーマは初めは掴みずらかったが、やはり東京は、その街らしさを外しては語れない。だが企画書は、クライアントの満足するラインには達することは出来なかった。
「もっといい感じのテーマがいいと思いますよ」
「いい感じ……の?」
やたらに縁の太い黒メガネをかける、スポンサー兼プロジェクト担当の松井が、わかりずらいニュアンスでそう述べた。
だが、そこに切り込んでいったのは林田だった。
「松井さん。その感想を待っていました。入り口はよくある話でなければ意味がなく、そう感じていただけたなら間違いありません。現実のその向こうにファンタジーが広がっているんですから」
松井は、うまく言いくるめられたという具合で、ぐうの音を上げている。
芽依は林田の熱意を目の当たりにした。確実に不十分だった自分の企画書を、まるでファンタジーが詰め込まれているかのようにプレゼンしてくれるとは。彼女は本気で自分の書くものを信じてくれているのだ。
芽依は、林田の気持ちに応えなければと遅ばせながら思った。もう、船は出港していたのだ。
白紙になるかと思われた物語のプロットではあったが、いったん再考という形でなんとな繋がっていた。
そして打ち合わせが終わった午後八時過ぎ、芽依は林田をはじめとするプロジェクトチームから食事に誘われた。
チームはとてもアットホームな雰囲気で好感が持てる人たちばかりだった。正直、懇親会というお酒の場は得意ではなかったが、よくある話を用意してしまった手前、断るわけにもいかない。それに、もっと林田と話がしたかった。
一行は、丸の内ビルの中にある、おしゃれな英字看板のカフェ居酒屋に入り、数時間をそこで過ごした。
懇親という久々の時間はとても楽しかった。料理もおいしく雰囲気も良い。都会に生きる大人の気分を味わえた。
楽しい時間は現実を忘れさせる。だから芽依はとある概念を忘れていた。終電だ。
血の気の引く思いとともに芽依はスマホで時刻を確認する。そして画面に浮かび上がった時刻は午前零時を過ぎていた。
芽依は慌てて店を飛び出した。
タクシー代を払うという懇意を断り、芽依はとにかく駅を目指して街を駆けた。
最終が何時なのかもわからなかったが、まずいことは確かである。
ヒールの音を響かせながら、午前零時過ぎの丸の内を駆ける芽依。とにかく走り、駅へ向かう最後の信号に捕まったのち、そして終電を逃した。
丸の内北口のドーム天井の下に立ち、ここへたどり着くまでの記憶を辿っていた芽依は、ようやく我に戻った。
(そうだ、迂回出来る線ってまだあるかな)
芽依はスマホを取り出し、路線アプリを起動する。出発地「東京駅」を入力したのち、自宅の最寄り駅を入れ検索をかける。だが、これから到着できる電車は残されていなかった。
電車がないのなら別の手段で帰ればいい。ここは東京。終電を逃したくらいで家に帰れないような時代ではない。駅前には終電を逃した客を待つかのように、タクシーが律儀に待機している。だが今の芽依には金銭的余裕はなかった。
林田たちは大丈夫なのだろうか。ふとそんなことを思ったが、芽依はすぐに勘付く。
おそらく、林田たちは都内住まいなのだ。都心から離れれば離れるほど終電は早い。現にまだ山手線は動いているし、あと一杯飲んだとしても余裕があるはずだ。
そのときであった。
(わ! あれ林田さんたちだ!)
見覚えのある人たちがこちらへ向かって歩いてくる。
終電に間に合わなかった姿など見られては恥ずかしい。そう思い、芽依は柱の影に身を隠しながら移動し、林田たちに見られぬように駅舎を出た。
東京駅は、夜になるとライトアップによって赤煉瓦の駅舎は橙色の光をまとう。その幻想的な景色は異国情緒すら持ち気品ある東京夜景を魅せてくれる。だが午後九時を過ぎればその魔法は溶け、駅舎はその役目を終えるように灯りを消し、駅の改札口と建物に併設されているホテルだけが夜を照らす形となる。
それでも午前零時過ぎともなれば、街は薄暗い夜を呼び寄せていた。
(来た時と全然違う)
駅前の広大な敷地にはかえって孤独感を煽られる。
家に帰れないというのはここまで心細くなるのかと芽依は途端に怖気付いた。
「これからどうしよう」
芽依は駅を離れ、丸の内ビル街に戻って来ていた。
恥を忍んで林田に連絡でもしてみようかという考えが過ったが、やはりそんな勇気は出ず、持っていたスマホをトレンチコートのポケットにしまう。
「とりあえず、行けるところまでタクシーで行って、どこかのネットカフェで過ごすしかないかな」
そう思い、芽依は少し歩くことにした。
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