15 / 52
忘れていた物
しおりを挟む
「迎えに来てくれてありがとうございます。あの・・かおるさんもお仕事でお疲れではなかったですか?」
サングラスで表情が見えない馨の横顔を見つめながら沙耶は尋ねた。
「家からここまで30分かからないからな、大した事じゃない」
「そうですか、それなら良かったです」
一緒に暮らし始めて3か月近く経ったが、まだ二人の会話はぎこちなかった。同じ屋根の下で生活しているとはいえ、二人とも仕事で忙しく顔を合わせる時間は多いとは言えなかった。
信号待ちで沙耶の方を向いた馨が言った。「せっかくだから海浜公園の辺りをぐるっと回ってみるか」
夜のお台場は都心の明かりやライトアップされたレインボーブリッジがひときわ綺麗に見える。角度によっては東京タワーも見えた。
「うわぁ~綺麗ですね! 仕事では何度も来てますけどこうやってドライブするのは初めてです」
「ああ、俺も夜にここを走るのは初めてだが、綺麗だな。展望台から見下ろすともっといいだろうな」
「『はちたま』とかいいかもしれませんね。はじめて仕事で富士山TVに来た時にはちたまに行ったんですけど、嬉しくてキョロキョロしてたら景子に『田舎者みたいに見えるからやめて』って怒られました」
当時の事を思い出して沙耶はふふっと笑ってしまった。その横で馨の口元も口角が上がっていたが沙耶は気づいていなかった。
「お腹は空いてないか?」
「はい、撮影中は私は暇なので色々つまんでましたから」
「じゃあ真っすぐ帰ろう」
________
五瀬家ではみんな食事の時間はバラバラだった。それでも夕食は義久と結花と沙耶の3人で取ることも増えて来ていた。そして今日は珍しく馨も一緒だった。
「そういえばお前たちは結婚指輪をしとらんのだな」義久が沙耶の左手を見ながら馨に言った。
(しまった! うっかりしていた。こんなに時間が経っているのに全然気づかなかったとは・・)
「注文したものがなかなか出来上がらないんですよ。忙しくて催促するのも忘れてました」
そもそも女性と付き合ったことすらない馨は本当にそういった事柄に疎かった。それは沙耶も同じで二人して気づかなかったのだ。
夕食後、馨は沙耶を自室に呼んだ。
「すまない、指輪の事をすっかり忘れていた。サイズを教えてくれ、用意しておく」
「サイズですか・・すみません、指輪をした事が無くてサイズが分かりません」
馨は多少の驚きを浮かべて沙耶を見た。
高校は男子校だったから分からないが、大学の頃に耳に入って来た女子の会話といえば、彼氏がどうだ、化粧や洋服がどうだ、このピアスはどこで買ったなどというものばかりだった。それなのに目の前の女性は25年間、一度も指輪をしたことがない・・と?
「そうか・・明日は休みだったな? 時間を作るから明日一緒に買いに行こう」
「明日ですね、分かりました。どこかで待ち合わせますか?」
「そうだな、会社に来てくれるか? お昼ついでに出掛けよう。何か食べたいものはあるか?」
「えーと、お蕎麦が食べたいです!」
(フレンチとか寿司、と言われるかと思ったが・・ほんとに素朴な人だ)
馨はクスッと笑って言った。「よし、上手い蕎麦屋を探しておこう」
馨の部屋にベッドをふたつ置いたとはいえ、まだ同じ部屋で寝た事はなかった。今日も沙耶は自分の部屋へ戻り、早めに布団にもぐりこんだ。
「馨さんはいつも私の意向を聞いてくれるのね。とても紳士的で優しい・・」
沙耶は周囲から女性的な扱いを受けてこなかったし、高野家の人間も決して沙耶に優しくはなかった。
沙耶の為といいながら、色んな意見を沙耶に押し付けてきただけだった。
「明日はおしゃれしていかないとね。髪も少し伸びてきたけど‥このまま伸ばしてみよう。私、馨さんに綺麗だって思われたい」
______
翌日、お昼少し前に馨の会社に着いた沙耶は初めて来た時と同じように受付に自分の来訪を連絡してもらおうと向かった。だがいざ、受付嬢を前に何と名乗ろうかと言葉に詰まってしまった。
「あ・・あの石井が来たと五瀬社長に伝えて頂きたいのですが」
「はい、石井様でいらっしゃいますね。少々お待ちください」
受付嬢はこのままロビーでお待ちください、と沙耶に告げた。広いロビーの隅のベンチに沙耶は腰かけて待とうとしたが、すぐエレベーターから馨が降りてきた。
「待たせたな、さあ行こう。美味しい店を見つけてある」
二人はにこやかに談笑しながらビルを出て行った。
A「・・今のは社長よね?」
B「社長ね、間違いなく」
A「女性と出て行ったわね」
B「ええ、出て行ったわ」
A「あの・・あの・・女を寄せ付けない社長が、女性と・・デート?」
B「いえ、きっと仕事の関係者よ」
A「だって、そんな事今まであった? それにふたりきりだったじゃない」
B「きっと行った先で待ち人と合流するに違いないわ」
A「・・ちょっと賭ける? あの人が誰なのか」
B「私は仕事関係だと思うわ」
A「じゃあ私は・・いえ、やめましょう。あの社長が女性とデートなんて想像できないわ。負けが見えてる賭けなんてやだわ。でもそれにしても・・」
「二人はいい雰囲気だったって?」
受付嬢二人はうんうん、と頷いた。そして驚いて声の主を見上げると言った。「「池田さん!」」
「あの石井さんって方はどなたなんですか?!」
「どなたなんでしょうね? 僕しぃ~らない」
池田は笑いながら受付嬢の質問攻撃をひらりとかわして自分もお昼を食べに向かった。
サングラスで表情が見えない馨の横顔を見つめながら沙耶は尋ねた。
「家からここまで30分かからないからな、大した事じゃない」
「そうですか、それなら良かったです」
一緒に暮らし始めて3か月近く経ったが、まだ二人の会話はぎこちなかった。同じ屋根の下で生活しているとはいえ、二人とも仕事で忙しく顔を合わせる時間は多いとは言えなかった。
信号待ちで沙耶の方を向いた馨が言った。「せっかくだから海浜公園の辺りをぐるっと回ってみるか」
夜のお台場は都心の明かりやライトアップされたレインボーブリッジがひときわ綺麗に見える。角度によっては東京タワーも見えた。
「うわぁ~綺麗ですね! 仕事では何度も来てますけどこうやってドライブするのは初めてです」
「ああ、俺も夜にここを走るのは初めてだが、綺麗だな。展望台から見下ろすともっといいだろうな」
「『はちたま』とかいいかもしれませんね。はじめて仕事で富士山TVに来た時にはちたまに行ったんですけど、嬉しくてキョロキョロしてたら景子に『田舎者みたいに見えるからやめて』って怒られました」
当時の事を思い出して沙耶はふふっと笑ってしまった。その横で馨の口元も口角が上がっていたが沙耶は気づいていなかった。
「お腹は空いてないか?」
「はい、撮影中は私は暇なので色々つまんでましたから」
「じゃあ真っすぐ帰ろう」
________
五瀬家ではみんな食事の時間はバラバラだった。それでも夕食は義久と結花と沙耶の3人で取ることも増えて来ていた。そして今日は珍しく馨も一緒だった。
「そういえばお前たちは結婚指輪をしとらんのだな」義久が沙耶の左手を見ながら馨に言った。
(しまった! うっかりしていた。こんなに時間が経っているのに全然気づかなかったとは・・)
「注文したものがなかなか出来上がらないんですよ。忙しくて催促するのも忘れてました」
そもそも女性と付き合ったことすらない馨は本当にそういった事柄に疎かった。それは沙耶も同じで二人して気づかなかったのだ。
夕食後、馨は沙耶を自室に呼んだ。
「すまない、指輪の事をすっかり忘れていた。サイズを教えてくれ、用意しておく」
「サイズですか・・すみません、指輪をした事が無くてサイズが分かりません」
馨は多少の驚きを浮かべて沙耶を見た。
高校は男子校だったから分からないが、大学の頃に耳に入って来た女子の会話といえば、彼氏がどうだ、化粧や洋服がどうだ、このピアスはどこで買ったなどというものばかりだった。それなのに目の前の女性は25年間、一度も指輪をしたことがない・・と?
「そうか・・明日は休みだったな? 時間を作るから明日一緒に買いに行こう」
「明日ですね、分かりました。どこかで待ち合わせますか?」
「そうだな、会社に来てくれるか? お昼ついでに出掛けよう。何か食べたいものはあるか?」
「えーと、お蕎麦が食べたいです!」
(フレンチとか寿司、と言われるかと思ったが・・ほんとに素朴な人だ)
馨はクスッと笑って言った。「よし、上手い蕎麦屋を探しておこう」
馨の部屋にベッドをふたつ置いたとはいえ、まだ同じ部屋で寝た事はなかった。今日も沙耶は自分の部屋へ戻り、早めに布団にもぐりこんだ。
「馨さんはいつも私の意向を聞いてくれるのね。とても紳士的で優しい・・」
沙耶は周囲から女性的な扱いを受けてこなかったし、高野家の人間も決して沙耶に優しくはなかった。
沙耶の為といいながら、色んな意見を沙耶に押し付けてきただけだった。
「明日はおしゃれしていかないとね。髪も少し伸びてきたけど‥このまま伸ばしてみよう。私、馨さんに綺麗だって思われたい」
______
翌日、お昼少し前に馨の会社に着いた沙耶は初めて来た時と同じように受付に自分の来訪を連絡してもらおうと向かった。だがいざ、受付嬢を前に何と名乗ろうかと言葉に詰まってしまった。
「あ・・あの石井が来たと五瀬社長に伝えて頂きたいのですが」
「はい、石井様でいらっしゃいますね。少々お待ちください」
受付嬢はこのままロビーでお待ちください、と沙耶に告げた。広いロビーの隅のベンチに沙耶は腰かけて待とうとしたが、すぐエレベーターから馨が降りてきた。
「待たせたな、さあ行こう。美味しい店を見つけてある」
二人はにこやかに談笑しながらビルを出て行った。
A「・・今のは社長よね?」
B「社長ね、間違いなく」
A「女性と出て行ったわね」
B「ええ、出て行ったわ」
A「あの・・あの・・女を寄せ付けない社長が、女性と・・デート?」
B「いえ、きっと仕事の関係者よ」
A「だって、そんな事今まであった? それにふたりきりだったじゃない」
B「きっと行った先で待ち人と合流するに違いないわ」
A「・・ちょっと賭ける? あの人が誰なのか」
B「私は仕事関係だと思うわ」
A「じゃあ私は・・いえ、やめましょう。あの社長が女性とデートなんて想像できないわ。負けが見えてる賭けなんてやだわ。でもそれにしても・・」
「二人はいい雰囲気だったって?」
受付嬢二人はうんうん、と頷いた。そして驚いて声の主を見上げると言った。「「池田さん!」」
「あの石井さんって方はどなたなんですか?!」
「どなたなんでしょうね? 僕しぃ~らない」
池田は笑いながら受付嬢の質問攻撃をひらりとかわして自分もお昼を食べに向かった。
7
あなたにおすすめの小説
【完結】きみは、俺のただひとり ~神様からのギフト~
Mimi
恋愛
若様がお戻りになる……
イングラム伯爵領に住む私設騎士団御抱え治療士デイヴの娘リデルがそれを知ったのは、王都を揺るがす第2王子魅了事件解決から半年経った頃だ。
王位継承権2位を失った第2王子殿下のご友人の栄誉に預かっていた若様のジェレマイアも後継者から外されて、領地に戻されることになったのだ。
リデルとジェレマイアは、幼い頃は交流があったが、彼が王都の貴族学院の入学前に婚約者を得たことで、それは途絶えていた。
次期領主の少年と平民の少女とでは身分が違う。
婚約も破棄となり、約束されていた輝かしい未来も失って。
再び、リデルの前に現れたジェレマイアは……
* 番外編の『最愛から2番目の恋』完結致しました
そちらの方にも、お立ち寄りいただけましたら、幸いです
竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える
たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー
その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。
そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!
逆行したので運命を変えようとしたら、全ておばあさまの掌の上でした
ひとみん
恋愛
夫に殺されたはずなのに、目覚めれば五才に戻っていた。同じ運命は嫌だと、足掻きはじめるクロエ。
なんとか前に死んだ年齢を超えられたけど、実は何やら祖母が裏で色々動いていたらしい。
ザル設定のご都合主義です。
最初はほぼ状況説明的文章です・・・
転生した女性騎士は隣国の王太子に愛される!?
桜
恋愛
仕事帰りの夜道で交通事故で死亡。転生先で家族に愛されながらも武術を極めながら育って行った。ある日突然の出会いから隣国の王太子に見染められ、溺愛されることに……
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
絵麻
恋愛
桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。
父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。
理由は多額の結納金を手に入れるため。
相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。
放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。
地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果
下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。
一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。
純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。
小説家になろう様でも投稿しています。
ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~
紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。
毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる