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32 パン屋でかち合う二人
しおりを挟む「おはよう、ジーナ。この間はお茶会をありがとうな」
「あっ、アロイス! あの時は一人にしちゃってごめんなさい」
「いや。それより良かったな、レニーとの事」
一昨日食堂で別れた時は少し沈んだ様子に見えたけれど、今日はいつものアロイスに戻った気がする。これなら私の新たな決意を話しても大丈夫かもしれない。
「それでね私、アロイスのあの問題について、違う解決策はないか探そうと思うのよ」
そして声を落として囁いた。
「クレアの事は力になれなかったけど、アロイスならきっとすぐに素敵な人が見つかるわ! もちろんそっちの方も応援するわよ」
アロイスは驚いていたけど、私はやる気満々よ。この世界の人がどうする事も出来なかったアロイスの呪いも、『ホリスタ』をやり尽くした私なら違う視点で解呪の方法を見つけられるかもしれない。
並んで廊下を歩いていると、後ろから肩を叩かれた。
「や、おはよう二人とも。何か大事な話?」
「おはよう、レニー。大した話じゃないのよ」
「ふうん、二人は以前から仲が良かったみたいだけど……まぁいいや。行こうジーナ」
レニーは私の腕を掴んで、ぐいぐいと早歩きで教室に向かう。ちらっと後ろを振り返りアロイスを見ているみたい。
「レニー、どうしたの? 腕が痛いわ」
「ああ、ごめん。ねぇジーナ、今日の放課後うちに遊びに来ないか? 父上が珍しい白馬を買って来たんだ。君に見せてあげたい」
「それはとっても嬉しいんだけど、ごめんなさい放課後は行けないわ。ほらパン屋へ行かないといけないの」
「ああ、ごめん、そうだったね。もしかしてクリコット伯爵が破産したって言うのは本当だったの?」
「ほとんど、みたいな感じかな。でも領地からの収益は少しだけど上がって来るし、弟がもう少し大きくなれば……」
下級貴族の子女はアカデミーを卒業した後、上級貴族の屋敷や王宮へ侍女として働きに出る事がある。うちだって伯爵家とはもう名ばかりなのだから、お母様だって働きに出たっておかしくない。ルドルフが大きくなれば、お母様が家を空けても平気になるわ。
お金がない、お金がないとブツブツ言うばかりのお父様と、外聞ばかり気にして働きに出ないお母様を思い出して、急な苛立ちを覚える。
「アカデミーに通いながらだから、パン屋だったんだね?」
よかった! やっぱりレニーは分かってくれるって思っていたわ。さっきまでの苛立ちもどこかへ吹き飛んで、私は嬉々として頷いた。
「そうなの! もう生活費がぎりぎりの所まできていて、すぐにも働かなきゃいけなかったから」
「そのパン屋を見に行くよ。その後でまた話し合おう」
レニーは満面の笑顔を私に向けた後、教室に入って行った。ん? 話し合う? 何の話し合いだろう、いつ馬を見に行くかってことかしら。
今日の昼休みは珍しくクリストファーがアロイスを誘っていた。クレアは婚約以来、ジェリコと過ごすことが多くなった。レニーは聖騎士の試験の準備で昼からは教会に行ってしまい、久しぶりに私は一人でランチを取っている。
「あら、お一人なんて珍しいですわね」
「そうなの。今日はあぶれちゃった」
「なら、失礼しますわ」
そう言いながら私の隣の席に座ったのはブリジットだった。
ブリジットは私と目を合わさず、前を向いたままで受け答えする。この人はどこまでも照屋さんなんだわ。
「先日、お兄様からプレゼントを頂きましたわ。ジーナさんが一緒に選んでくださったんでしょう?」
「そうなの。もう読んでみたかしら、面白い?」
「ええ! とても興味深いわ。シュタイアータでのコリウス教の歴史についてとても詳しく書かれているの」
「聖女についての記述が独特だとか店主が言ってたんだけど……」
「そう! 著者が実際に体験した話らしいんだけど、本当に不思議なのよ。聖女の神聖力がそんな風に使われるなんて考えも……あっ、ごめんなさい。興味ないですわね」
話に熱が入って、ブリジットは私に向かって真剣に語り掛けていた。瞳がキラキラしていて熱意のほどが伝わる。
「そんな事ないわ、なんたって私たちの身近にはクレアっていう聖女様がいるんだし。神聖力ってどんな感じかしら、何かこう体から湧き上がる力みたいな物を感じるのかしらねぇ」
ブリジットもまだ本を全部読んだわけではないらしく、読んだ所までの感想を聞かせてくれた。そしておまけのように、最近のレニーは聖騎士の試験勉強が大変らしい事を教えてくれた。
「お兄様ったら勉強し過ぎで頭がパンクしそうなんじゃないかしら。時々、宙を見つめてぼんやりしている事があるんですの」
頼りがいがありそうでも、ちょっと抜けてるレニーが私は好き。
『ホリスタ』でもそういう純朴なキャラクターだったレニーだけど、この世界で実際に見るレニーは少し違ったわね。転生してすぐの頃はゲームのキャラそのままって感じに見えたけど、最近は違う姿も垣間見えるようになってきた。ここではちゃんとみんな一人の人間として個性があるんだわ。
放課後はいつもの様に仕事へ向かう。レニーはパン屋に来てみるって言っていたけど、今日は教会へ行ってるんだし来ないわよね。
調理場の方でパンの仕込みをしていると、ファラマン夫人がやって来た。
「ジーナちゃん、この間のお貴族様、また来てるわよ」
一瞬、私はレニーが来てくれたんだと思った。でも店頭でパンを楽しそうに物色するクリストファーの顔を見た時、ファラマン夫人が『この間の』と言った事を思い出した。
「やあ! ジーナ。また来たよ」
快活に手を振るクリストファーだけど、私の表情を見て苦笑いした。
「っても、嬉しそうではないね」
「私、この間はっきり言ったはずよ」
「うん、ちゃんと聞いてたよ。でも僕は諦める気はないから。ジーナがランディス君から僕に乗り換えてくれるまで、ここにも通うと決めたから」
「乗り換えるだって?」
私の知っている人とは思えないような怒りの形相で、レニーが戸口から大股で店内に入って来た。
「レニー! 教会に行ってたんじゃあ……」
「どうしてあなたがここに居るんです?」
レニーは私の言葉を無視して、クリストファーに詰め寄った。
「僕に対するジーナの好感度を上げたいから、こうやって売り上げに貢献しようとしてるんだよ」
つらっとしてクリストファーは言う。
「人の物に手を出さないで頂きたい」
「君たちの事は知ってるけど、僕は僕で好きにしてるだけだ。僕はジーナに振りむいて欲しいだけで、手を出すなんて人聞きの悪い。それにジーナは物じゃないよ」
怒り狂っているレニーとは反対に、クリストファーは冷静に言い返している。でもさっきまでのへらへらした様子は消えていた。レニーは視線を逸らし、私の方へ振り向いた。
「ジーナ、こんな店は辞めるんだ。誰でも入ってこられるような場所で働くからつけ入る隙を与えるんだ」
レニーはまた朝の時の様に私の腕をぐっと掴んだ。
「行こう」
「ちょっと待ってください」
ファラマン夫人が止めに入ろうとカウンターから出て来たが、大柄で逞しいレニーに上から睨みつけられてハッと言葉を飲んでしまった。
「レニー、待って。私まだ仕事中なの」
そこへクリストファーが割って入った。
「ちょっと外で話そう。お店の人にも迷惑だよ」
クリストファーの提案に無言で同意したレニーは出口に向かったが、まだ私の腕をきつく掴んでいる。まるで私が逃げ出すからとでも言わんばかりに。
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