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37 とある聖女のおはなし2
しおりを挟む「こっちへおいで、ここは暖かいよ」
男とも女ともつかない声がレジーナを呼んでいる。はっきり聞こえるのに、大声ではない、澄んだ声。それに寝間着のままで少し肌寒く感じていたところだった。
(焚火でもあるのかな)
膝まである草を踏み分け林に入るレジーナ。月夜とはいえ、林の中に月光は届かない。真っ暗な世界の先にほんのりゆらめく炎が見えた気がする。
一歩一歩と炎の明かりを目指して歩くが、先ほどから木々のざわめきも夜の鳥たちの鳴き声も虫の音すらも、何も聞こえない事に気付いてしまった。真っ暗で何もない闇の中に自分は立ち入ってしまったのだ。
背筋に冷たい物が流れる。レジーナはがむしゃらに走り出した。まだ引き返せるかも。でも振り向いたら今来た道が消えていそうで怖かった。
「絶対に、絶対に振り返っちゃだめ」
息も切れ切れになり、やっと焚火の前まで辿り着いたとき、レジーナの瞳には涙が溢れていた。
「ああ、可哀そうに怖かったね。もう大丈夫」
声の主は男性だった。レジーナを迎えるように立ち上がり、焚火の前の切り株に腰掛けるように促す。レジーナが座ると、その向かい側に男も座った。
炎の明るさと人がいる事に安心した。落ち着いてみると、向かい側には小川が流れていて、水面が月光にきらめいている。水音も聞こえるし、薪のはぜる音も木々のざわめきも、確かに聞こえている。
向かい側の男に改めて目を移した。さっきは大人に見えたのに、座って微笑んでいるその彼は自分と同じ年頃に見える。髪は先ほどの闇の様に黒く、瞳は金色に輝いている。見た事もない美しい顔だ。
「あなた、誰? どうしてこんな所に……」
「僕はヘレル。君を助けるためにここで待っていたんだよ」
「私を村へ帰してくれるの?」
「村に帰らなくてもいいようにしてあげる。君は力の使い方をちょっと変えるだけでいい、とても簡単な事さ」
レジーナの心に小さな疑問が生まれて来た。こんなに遠くからなぜこの人の声が聞こえたんだろう。どうしてこの人は私の事を知っているの?
そのいくつもの小さな疑問を見透かしたように小さく笑うと、男はどこからともなくカップを取り出し、小ぶりなポットから飲み物を注いだ。
「これを飲むと体の中から温まる、さあどうぞ」
立ち上る湯気から紅茶のいい香りがしていた。だがすぐ口を付ける気にはなれない。
その様子を見て、ヘレルは自分のカップにも同じように紅茶を注ぎ入れ、飲んで見せた。まだ納得しきれない疑問が心にわだかまっている。
「ちょっと甘いかな」
ヘレルが美味しそうに飲むのを見て、レジーナもおずおずと一口口に含んだ。はちみつの入った甘いお茶は、懐かしい村でたまに飲むご馳走だった。
「おいしい」
ヘレルはまた優しくレジーナに微笑んだ。安心して、僕は君の味方。君を傷つけたりしない。金色の瞳はそう語り掛ける……。
気が付くとレジーナはベッドに横たわっていた。まだ薄暗いが、東の窓に明かりが差して朝が来た事を告げている。
(あれは全部夢だったのかな)
そう思いながら、レジーナはベッドから起き上がった。自分をなじった少女のベッド脇に立つ。すやすやと寝息をたててぐっすり眠っているようだ。
レジーナはその少女の腕にそっと触れた。
あの夢を見た日からレジーナの力は日増しに強くなっていった。十六歳になる頃には五人のうちで一番になった。もっとも今は四人の中で一番だ。一人は亡くなってしまったから。
十七歳になってレジーナも配属先の教会が決まり、独り立ちした。だがその教会のある町では奇妙な変死事件が時々起きるようになった。
それは原因不明の衰弱死で、何の前触れもなく突然弱り始め、二,三日で急激に老化して死んでしまうのだ。
初めは年に一人くらいだったのが、それは年々増えて行ったのだった。
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「これがブリジットに教えて貰った話だ、大分かいつまんで話したが」
「原因不明の衰弱死。これは王都でも相次いでいる不審死ですね」
「そうだ。ブリジットはこれを読んで、なぜかクレアを連想してしまったと打ち明けてくれた。でも周りの誰にも相談できなくて悩んでいたらしい」
「兄のレニーもクレア様には憧憬のような感情を抱いていましたしね……不審死とクレア様がこの国に留学に来た時期が重なっていれば、かなり怪しいということになりますね」
ブリジットとお茶を終えた時間からでは、アカデミーの図書室の利用時間が足りないと判断してこの王城の図書室にやって来た。
ここには毎日の新聞も保管されている。やはりクレアが来る前までは急激な老化による不審死は確認されていない。最初の不審死はクレアが留学に来てから三か月ほど経ったときだった。
だがそれが本当に最初だろうか? 俺はジーナと秘密会議をしていた旧校舎でクレアと出会った時の事を思い出していた。
あの時クレアの手から受け取ったリスの死骸はまだ温かかった。人間以外の生命力も奪えるのだとしたら……。
「かなり黒に近いグレーですね、確実に黒とは言えませんが。もし黒だとして、力を悪用する理由は何でしょう? アテート公爵家の有利になるように、この国の権力者の後ろ盾を得ようとする事と関連があるとは思えませんが」
確かにそうだ。クレアがこの国に留学に来た理由が、クリストファーの言う通りだったとすると、この力を使う意味が分からない。
「そういえば、先ほどのお話のレジーナはその後どうなったのですか?」
レジーナはその後なんと三十年もの間、人々を騙し続け聖女として活動を行っていた。
レジーナは高い神聖力を買われ、皇国の首都にあるコリウス教総本山の教会に移動することになる。しかし、その首都でも衰弱死が発生し出す。
その教会の司教の一人が、六十歳目前なのに三十代そこそこにしか見えないレジーナに不信感を抱くようになった。司教はレジーナの事を細かく調べ尽くし、衰弱死との関連も疑うようになる。
そしてとうとう、レジーナの行動を監視していた司教は、レジーナが神聖力を使って人の生命力を奪っている現場を押さえることに成功する。
「まさか、その生命力で自分は若くしていられたという事ですか!」
「そうらしい。レジーナは囚われ、牢に幽閉されてそのまま一生を終えたそうだ」
「死刑にはならなかったのですね」
「レジーナが人々から奪った生命力は、自分の若さを保つ以外は全て、癒しを求める人に充てられていたらしい。健康な人から命を奪い、病に苦しむ人を助ける……救われた人の数が圧倒的に多かったようだ」
なんという歪んだ形の奉仕だろうか。シュタイアータではこの事実を徹底的に隠ぺいしたようだ。こんなことが公になっては大混乱になってしまうだろうから無理もない。
レジーナの悪行を暴いた司教はこれを本にしたが、絶版になってしまったのは言うまでもない。
「クレアはどこかでこの本を見たのかもしれない」
「我々もクレア様を監視しますか?」
「現場を押さえて捕え、目的を聞き出すのがいいかもしれないな」
ヴィンセントは裏家業のギルドからスパイなどを請け負う人間を雇い入れ、クレアを監視させた。
だが、事はそう簡単にはいかなかった。
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