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36 サーペンテイン国王、とある聖女のおはなし
しおりを挟む図書室は足音が響かないように階段も厚い絨毯が敷き詰められている。声の主たちは俺が二階に上がって来たことに気づかないまま会話を続けていた。
「まだ陛下からの沙汰は無いのですか?」
「まだですよ。ついこの間、婚約発表をしたばかりなんだから」
「それにしたってあなたはシュタイアータの聖女を手に入れたのですよ、これでシュタイアータからの好感度が高まるのは間違いありません。この功績を認めて王太子に指名してもいいはずだわ!」
ジェリコとその母の王妃だった。聞き覚えのあるジェリコの声がしたので、俺は隠れたのだ。ここでジェリコに見つかるのはうまくない。
どうやらジェリコが王太子に指名されないことに、王妃は相当苛立っているようだ。
「母上、私だってさすがに焦っていますよ。どうして父上は王太子の指名を先延ばしするんです。もう息子は私一人みたいなものでしょう?」
「それは私が聞きたいわ。でも陛下は『しかるべき時に、しかるべき人物を指名する』としかお答えくださらない。これじゃあまるでアロイスが回復するのを待っているようじゃない」
「それはだめだ! 私が一体これまでどれほど苦労して皆の信頼を集めて来たか。その努力を水の泡にするわけにはいきません」
確かに完璧な王子の仮面をかぶり続けるのは苦労するだろう。中身が外面とかけ離れていればいる程、大変だったろうな。その努力を自信を磨くことに使っていればジェリコはすんなり王太子になれたのではないか?
「そうだわ! 盛大な婚約記念舞踏会を開きましょう。確かアカデミーにはフェダック大公家の子息も留学に来ていたわね。丁度いいわ」
「それはいいですね!」
「著名な貴族はもちろん、シュタイアータと取引のある裕福な商家も招待するの。あなたとクレアの婚約がどれほど我が国に利益をもたらすか、陛下にアピールするのよ! そうと決まったら、早速準備に取り掛からなければ。忙しくなるわ!」
いそいそと王妃が先だって階段を降り、その後にジェリコが続いた。二人とも婚約記念舞踏会という案に満足したのか、足取りが軽い。
扉の開閉音の後に静寂が訪れた。あの二人も誰もいないのを見越して、ここで会話していたらしい。
俺も目的を果たそうと書架の陰から身を乗り出した時、背後から声を掛けられて俺は飛び上がりそうになった。
「行ったようだな」
振り返ると父上、国王陛下が階下に目をやりながら背後に立っていた。
俺は一瞬『父上』と呼びかけそうになったが、父上が現在の俺の姿を知っているはずがない。俺が離宮に隔離されてから、父上は一度も訪ねて来てはくれなかったのだから。
俺は一歩下がって、『陛下』と頭を下げた。
記憶の中の父上より少し痩せたように見えた。目尻には皺が刻まれ、俺と似た色だった青みがかった銀髪もわずかに色が薄くなった気がする。
それでも眼光は鋭いまま、厳格な視線を俺に向けながら陛下は尋ねた。
「お前はあれをどう思う?」
「えっ? あれ……ですか?」
「そうだ。あれも小さい頃はお前と仲良くしていたではないか。その頃から度量の狭い所があったが……成長してはいないようだな」
俺はまたしても間抜けな声を出した。
「えっ!」
「アロイス、ハーリンはどうした?」
「わたしにメダリオンを貸したので、廊下におります」
「そうか。調べものの邪魔をしたな、今日はここは人払いをしておこう。好きなだけ居なさい」
父上がここに居たこと、俺を認識していたこと。予想外の事だらけでしばし茫然としていると、ヴィンセントが入って来た。
「アロイス様」
「陛下が入れてくれたのか?」
「そうです、警備兵に口添えしてくださいました」
ヴィンセントにメダリオンを返しながら、ここで起きた事を説明した。
「以前は国の議会もジェリコ殿下の王太子指名を待ち望んでいる風潮がありました。ですが最近のアカデミーでの様子が議員の耳にも届いているのでしょう、今は慎重な意見が大半のようです」
「アカデミーには議員の子息女も通っているからな……それより、なぜ陛下は俺だと分かったんだ?!」
「陛下は度々、離宮をお訪ねになっていらっしゃいます」
「俺は一度も会ってないぞ」
「陛下はお忍びでいらしていました。アロイス様に会われている事が露見すると、伝染病が嘘だとばれてしまう恐れがありましたので」
それでも来ていたなら顔を見せてくれても良かったのではないか? 幼い俺は、ジェリコ以外の唯一の肉親である父上に捨てられたと感じていた。寂しく心細く、ひどく傷ついていたというのに。
そんな気持ちが顔に出ていたのかもしれない。ヴィンセントは付け足した。
「幼いアロイス様が陛下に会って、一緒に王城へ帰りたいと泣かれてしまうのではないかと心配されたそうです。そうなっては自分はアロイス様を突き放すことが出来ないだろうと」
「そうか……」
「ディーコン司教のお陰で人間の姿に戻れたあとは、『今更、どんな父親面を下げて会いに行けばいいか分からぬ』とおっしゃっておいででした。それでも月に一度はお見えでしたよ」
まさかそんな頻度で来ていたとは夢にも思わなかった。俺は捨てられたわけではなかったと思っていいのか。胸の奥から熱いものが込み上げる。心が温まり、目頭まで熱くなった。
「アロイスさま、ここでは何をお調べに?」
「そうだった。今日、レニーの妹に会ったんだがとんでもない話を聞いた」
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その昔、今から百年以上も大昔。シュタイアータの首都ベルクレストより、馬車で一時間ほど北へ離れた村。
近隣の村の中ではひと際大きな教会で、五人の聖女が奉仕活動を行っていた。五人とも神聖力を発現して間もない、聖女成り立ての少女たちだ。
力が発現するのは大抵が五歳。まだまだ幼い子供なので、実際に力をコントロールしたり、聖女の在り方を教わるのは七歳くらいになってからだ。
そして十三歳からは教会に居を移し、聖女としての活動を学んでいく。十七歳からはそれぞれが別の教会に配属され、独り立ちするのだ。
レジーナも十三歳でこの教会にやってきた。神聖力の発現は名誉なことで周囲の期待も大きい。レジーナの生まれた貧村では初の聖女だった為に、レジーナはもてはやされ、大切に扱われていた。
ここでも村と同じく、貴族の様な待遇を受けると思っていたレジーナの期待ははあっけなく外れた。
レジーナの神聖力はとても弱いものだったのだ。
「レジーナ、無理しなくてもいいのですよ。できる範囲で構わないのですから」
司祭長はいつも優しくそう言ってくれた。でもレジーナにはそれが屈辱だった。「力が弱いのはまだ私が子供だからだわ。もう少し大きくなればきっと力も強くなるはず!」
ところが、二年が経ち十五歳になってもレジーナの力は弱いままだった。切り傷などの軽いけがを治すのにも時間がかかる。教会の司祭や聖女の世話をしてくれる修道女たちは、力は強弱があると理解していた。だが、聖女候補の子供の中には心無い言葉を投げかける子もいた。
「レジーナったらいつまで時間をかけてるの。そんな小さな傷くらいでもたもたしてるなんて」
「聖女には向いてないのかもね、レジーナは」
そう言われる度にレジーナは悔し涙を流した。
その夜も悔しさと情けなさで頭がいっぱいなレジーナは、ベッドに入ったが眠れずに、一人こっそり外に出た。
風のない夜の空気はじっとりと重苦しく、まるで自分の胸の内のようで少しも気分は晴れなかった。
「このまま教会を出て村に帰ろうか……」
そう思いながらとぼとぼと歩いていると、道脇の林からレジーナの名前を呼ぶ声がした。
「こっちだよ、レジーナ。おいで」
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