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30エミリア、ドレスに地図を書く
しおりを挟む目的の大道芸人に辿り着いた私とルーカスは、彼の見事なボール芸を大いに楽しんだ。少しすると人混みをかき分けてイライザも合流した。
「はぁ~やっと追いつきました。ルーカスはちゃんとエミリア様を護衛してた? 芸に見とれてたんじゃないでしょうね」
「大丈夫、この手を絶対に離さないから」
ルーカスの言葉にイライザはパッと視線を下げて、瞠目した。
「手を繋いで・・って、ルーカス! エミリア様は小さな子供じゃないんだから、レディの手をそんな風に繋ぐなんて!」
「あっ、ま、全くもってそうですな。あ、いえ・・すみません」
ルーカスは慌てて私の手を離した。顔を赤らめて恥ずかしがるルーカスにあてられ、自分にも改めて恥ずかしさが募ってくる。せっかく大道芸に夢中になって、さっきの事を忘れていたのに・・。
「ぷっ、ルーカスって焦ったり慌てたりすると、すぐ口調がおかしくなるわよね。騎士団の中でも『グランパ』ってあだ名されるかもよ」
イライザは面白がっている。そんなやりとりをしている間に芸は終わって、少し人が引けて来た。外は人だかりで熱気があり、お酒が少し入っていた私は喉が渇いて来た。イライザが、はぐれている間に飲み物を売る店を見つけたからと、そこへ移動する事になった。
「オレンジジュースを3つ買いましたよ~」
イライザが大きなコップを2個持ち、隣のルーカスが1個を持って私に近づいて来た時だった。『気を付けて!』と言いかけたが間に合わなかった。
イライザの後ろを横切ろうとした背の高い青年が、振り返りざまにイライザの腕にぶつかった。
「あっ」
イライザも女性とはいえ平素から鍛錬を欠かさない立派な騎士だ。人にぶつかった位で転んだりはしない。でも手に持っている大きなカップになみなみと注がれたオレンジジュースはそうではなかった。
2杯分のオレンジジュースが私のドレスにたっぷり降り注いだ。その結果、淡い黄色のドレスにはオレンジ色の大きな地図が出来上がってしまった。
「ああっ、エミリア様!」
ぶつかった方の青年も途端に青ざめた。イライザとルーカスは護衛騎士の制服を着ている。その二人の護衛が付く程のレディの高価そうなドレスに、間接的とはいえオレンジジュースをぶちまけたのだから。
「も、申し訳ありません!」
普段に持ち歩く薄い絹のハンカチなどで拭いても埒が明かない。ルーカスはおろおろするし、イライザはぶつかってきた青年に文句を言いながらドレスが破れそうな程ハンカチでこするし、周囲には新しい見世物かと、人が集まってきている。
「ローリー、探したのよ。一体どうしたの?」
その青年をローリーと呼んだのは他でもないメイドのエレンだった。
「ねえさん! 大変なんだ。俺、この方のドレスを汚してしまって・・」
「あら、エレン」
「エミリア様!」
その場にいた全員が顔を見合わせた。瞬時に状況を理解したエレンが私のドレスの地図を見ながら言った。
「すぐ染み抜きしなくていけません。お嬢様、私の家がここからすぐです。そこで綺麗に致しましょう」
エレンの自宅は本当にすぐ近くだった。お祭りの賑わいが窓から漏れてくる。エレンはルーカス・ウォーデンがエレンに贈った遺産で借金を返済し、父親の元を出てこの家を買ったのだと話してくれた。
「そうだったんですか・・お役に立てて本当に良かったです」
「嫌だわルーカス、エレンさんの役にたったのはあなたじゃないでしょう」
イライザの指摘にルーカスは照れ笑いを返した。
「はっ、はは。そう、ですよね。僕な訳ないですね」
私がエレンの服を借りている間に、エレンの母親がドレスの染み抜きをしてくれている。その母親が作業している水場の方から何やら声が聞こえて来た。
「エレ~ン、ジョンをそっちに連れて行って頂戴。邪魔で仕方ないわ」
エレンが連れて来たジョンとは犬だった。エレンが小麦色の大型犬を苦労して抱き抱えてくると、尻尾をフリフリ、人懐っこい様子で私達の周りをくるくる回ってどんな客人なのか確かめている。
「エミリア様、この子はあのジャムの子の家から貰ったんですよ」
「ああ、懐かしいわね」
ジョンはエミリアの服を着ている私を家族だと勘違いしたらしく、よそ者の匂いがするイライザとルーカスの匂いを執拗に嗅いでいる。イライザはあまり気にせず、出されたお茶を飲んでくつろいでいるがルーカスはすぐジョンと仲良くなっていた。
「ジャムの子ってどなたですか?」
イライザが犬と戯れるルーカスを見ながらエレンに聞いた。その質問には私が答える。
「ずっと以前、子供の頃に買い物に出かけた先で犬と遊ぶ男の子と出会ったの。その子にパンをご馳走になったのでお返しにジャムをプレゼントしたのよ」
それからもエレンが定期的にジャムやお菓子を届けに行っていたので、仲良くなったらしい。
「へえ~、じゃあ君はジョンが産んだ子なんだね」
ルーカスが犬の頭を撫でながらそう言った。
「いえ、その子はジョンの孫なんです」
「それでまた『ジョン』だと、頭が混乱しそうですね」
イライザとエレンは気が合ったようで、『エレンの様な優しい姉が欲しかった』とイライザは後で言っていた。でも私はなぜかこの時の会話に違和感を覚えている。でも違和感の正体がはっきりしないのだ。花の名前を間違えている人に、正しい名前を教えてあげたいのに、その正しい名前が思い出せないようなもどかしさを私は感じていた。
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