38 / 45
38エミリア、思い出せなくなる
しおりを挟むあれからアレクは頻繁に屋敷へ来るようになった。
大きな花束を抱えてきたかと思えば、店一軒丸ごと買い占めたかと思う位のスイーツを持参して私を驚かせた。
あいにくこの日は使用人の休暇日にあたり、最低限の人数しか屋敷に残っていなかった。だから沢山のスイーツは公爵家の騎士団にもお裾分けする事にした。
一番喜んだのはイライザだ。
「わぁ~凄いですね。ケーキに焼き菓子に・・こんなに沢山! 間違えて作ったという量じゃないですね」
「うちで作った物じゃないの。新しい菓子屋がオープンしたとかで」
「ああ、モーガン卿ですか!」
アレクの噂は騎士団にまで届いているのね・・。スイーツをテーブルに並べていたイライザが私に顔を近づけながら声をひそめた。
「今回もやはりカモフラージュ役なんですか?」
「えっ?!」
「モーガン卿です。また奥様にお見合いを勧められたとかですか?」
「違うわ! あの事に関してはアレクに謝ったばかりよ。あんな事、してはいけない事だったわ」
「私としてはエミリア様がお幸せならどなたでもいいんですけど。今となっては公爵家の騎士ですから、エミリア様が他家へ嫁がれない限りはお側でお仕えできますから」
「そうね、私はずっとここに居るつもりよ」
そう、私はルーカスとの思い出を大切にずっとここに居るの。もう恋なんてしたくない、私の胸にはルーカスの面影だけが刻まれていればいい・・少し足を引きずりながら歩くルーカス、日に透ける木の葉の様な緑の瞳で私に笑いかけるルーカス・・・・はっ!
その時、突然恐怖が私を襲った。冷たい真実の手が私の心臓を鷲掴みにする。うそ、有り得ない。私が・・そんな・・。
私はルーカスの顔を思い出せなかった。
彼の歩き方やシルエットは浮かぶのに、顔をはっきりと描き出せない。考えてみるともうしばらくルーカスの事を思い返していなかった。いくら20年経っていようと、私がルーカスの顔を忘れる事なんてないと思っていたのに!
「エミリア様! ルーカスが迎えに来てますけど」
「えっ、だ、誰が来てるですって?」
「ルーカスです。チャリティオークションに出品する物を選びに行かれるご予定だと」
「あっ、そのルーカスね。では私は行くわね」
「あのルーカス以外にどのルーカスがいるのかしら・・あらっエミリア様、顔色がお悪いですわ。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ。今日の暑さにやられたのかしらね」
ドアの外に出ると確かにルーカスが私を待っていた。ルーカスもイライザと同じことを思ったのかもしれない、私の顔色を見るなり静かに言った。
「日陰を歩きましょう」
歩きながらルーカスは何気ない話を私に語って聞かせた。私に返事を求めるような内容ではなく、ただ「こうだった」「ああだった」と。彼の静かな口調を聞いている内にやっと私の動揺は収まって来た。
「ご気分は・・いかがですか?」
「ありがとう、どうにか落ち着いて来たわ」
「良かった。でも蔵まではもう少しあります」
そう言うとルーカスは私の手を取って速足で歩きだした。そして振り向きながら無邪気な笑顔で付け足した。
「さ、急がないとディクソンさんにどやされますよ!」
ドキン! うっ。
ああ! もう誰も愛さないと決めていたのに、どうして私の心臓は裏切るの!? もう気づかない振りは出来ない。私の胸の高鳴りを別の事のせいには出来ない。どうしてルーカスはそんな顔をして私に微笑みかけるの? どうしてよりによって私はまた、同じ名前の人を好きになってしまったの? 年だって随分離れているのに・・。
私が何も返さないので、ルーカスはもう一度振り向いた。
「あっ、顔色・・良くなりましたけど今度は赤過ぎます。もしかして熱が・・」
繋いでいた手をそのまま私の額へ持ってくるルーカス。払いのけるわけにもいかず、私は少し下を向いた。
「・・じゃないわ」
「えっ、何ですか?」
ぼそりとした私の呟きにルーカスは耳を私の方へ傾けた。ルーカスの顔が近づくと胸の鼓動が更に早くなる。ドキン、ドキン、ドキン・・。
「ディクソンじゃないわ。結婚したんだから、もうアンドーゼなのよ」
「そうでした! つい呼び慣れている方が出てしまいました・・ええと熱は無さそうですね」
「大丈夫よ、あまり待たせると本当にアンにどやされるわ。行きましょう」
ルーカスと目を合わせることが出来ず、俯いたままで返事する。落ち着いて、私の心臓。私の気持ちがルーカスに知れたら、ルーカスは護衛騎士としての仕事がやりづらくなるだろう。それにこの気持ちだって一時的な物かもしれない。トラブルが起きて忙しかったりしたせいで、不安な気持ちから誰かに頼りたくなったんだわ・・。
チャリティオークションの当日は快晴だが風の強い日だった。招待客は夕方から始まるオークションまで、広い侯爵邸のガーデンで飲み物を片手に談笑したりして時間をつぶしている。このオークションを主催しているのはスワンソン侯爵夫人で、慈善家の彼女が年2回開催するこのチャリティはもう30回を超えていた。
「あの、失礼ですがもしやゴールドスタイン家の方でいらっしゃいますか?」
よく響く明るい声で話しかけて来たのは、黒っぽい髪色の溌溂とした女性だった。私より少し年上だろうか。
「はい、そうですわ。エミリア・ゴールドスタインです」
私が名乗ると女性は弾けるように破顔した。
「やっぱり! 今日はゴールドスタイン家のお嬢様がお見えになるとスワンソン夫人から聞いていたので、お会いできるのを楽しみにしてましたの!」
「あの‥どなたでしたかしら?」
「まあ私ったらすっかり舞い上がってしまって、自己紹介を忘れてましたわ! 私、スーザン・ウェルチと言います。ウェルチ伯の妻で、ルーカスのいとこですの!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「嫌だわ、エミリア様ったら!」
「だってここは大事な所でしょう? 私達が初めてお会いした場面ですもの」
「そうですけれど・・私、子供みたいにはしゃいでしまって、今思い出しても本当に恥ずかしいわ」
「私と会ってあんな風に喜んでもらえるなんて、私としてはとても嬉しい思い出なんだけれど」
「そうね! それにしてもあの時は大変でしたわね」
「本当に。私も2度も襲われるとは考えてもみなかったわ」
そう、あの日私はコカトリスに襲われたのだ! またしても!
0
あなたにおすすめの小説
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、そして政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に行動する勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、そして試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私が、
魔王討伐の旅路の中で、“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※「小説家になろう」にも掲載。(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
【完結】何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること
大森 樹
恋愛
辺境伯の娘であるナディアは、幼い頃ドラゴンに襲われているところを騎士エドムンドに助けられた。
それから十年が経過し、成長したナディアは国王陛下からあるお願いをされる。その願いとは『エドムンドとの結婚』だった。
幼い頃から憧れていたエドムンドとの結婚は、ナディアにとって願ってもいないことだったが、その結婚は妻というよりは『世話係』のようなものだった。
誰よりも強い騎士団長だったエドムンドは、ある事件で左目を失ってから騎士をやめ、酒を浴びるほど飲み、自堕落な生活を送っているため今はもう英雄とは思えない姿になっていた。
貴族令嬢らしいことは何もできない仮の妻が、愛する隻眼騎士のためにできることはあるのか?
前向き一途な辺境伯令嬢×俺様で不器用な最強騎士の物語です。
※いつもお読みいただきありがとうございます。中途半端なところで長期間投稿止まってしまい申し訳ありません。2025年10月6日〜投稿再開しております。
望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで
越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。
国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。
孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。
ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――?
(……私の体が、勝手に動いている!?)
「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」
死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?
――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ
しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”――
今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。
そして隣国の国王まで参戦!?
史上最大の婿取り争奪戦が始まる。
リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。
理由はただひとつ。
> 「幼すぎて才能がない」
――だが、それは歴史に残る大失策となる。
成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。
灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶……
彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。
その名声を聞きつけ、王家はざわついた。
「セリカに婿を取らせる」
父であるディオール公爵がそう発表した瞬間――
なんと、三人の王子が同時に立候補。
・冷静沈着な第一王子アコード
・誠実温和な第二王子セドリック
・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック
王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、
王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。
しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。
セリカの名声は国境を越え、
ついには隣国の――
国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。
「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?
そんな逸材、逃す手はない!」
国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。
当の本人であるセリカはというと――
「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」
王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。
しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。
これは――
婚約破棄された天才令嬢が、
王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら
自由奔放に世界を変えてしまう物語。
「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い
腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。
お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。
当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。
彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる