郷守の巫女、夜明けの嫁入り

春ノ抹茶

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第二十六話︰寄り添う

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 人の悪意に触れた。
 それを抱えていたのは子供だ。
 悪戯心とか、喧嘩の八つ当たりとか、そんなかわいらしいものじゃない。
 人を殺せてしまうくらいの憎悪だった。
 その感情の裏側は知りたくないと思った。千歌の目を見て、知るのが怖くなって、すぐにその場から立ち去ろうとした。

 でも、それでも、視た。
 紬は千歌の“過去”を視てしまった。
 不安定な状態だったからか、ほんの一瞬の、断片的な映像しか覗けなかったけれど。
 過去も未来も映す巫女つむぎの瞳は、千歌の罪を捉えた。





「──すみません。こんなに早く、帰ることになってしまった」

 近くに人力車が停まっていたので、帰りはそれに乗ることにした。彗月の提案だが、こちらに気を使ってくれたのだろう。
 紬は自分が情けなくて、目を伏せる。

「いいんです、謝らなくて。……何があったか話せますか?」
「……」

 話さなければいけない。きちんと言葉にしなければいけない。
 静かに息を整えてから、おもむろに彗月の方を見る。

「!」

 すると、彗月が手を差し出してきた。
 紬がすぐにその手を握ると、彼も握り返してくれる。
 相変わらずひんやりとして、温もりのある手ではないけれど、紬にとっては何よりもあたたかいものだ。
 とくん、とくん、と心臓が落ち着きを取り戻すのがわかる。

「……ありがとうございます。彗月さん」

 紬が頬を緩めると、彗月もまた、安心したように微笑んだ。
 手を繋いでもらったまま、紬は小さな口を開く。

「事故ではなかった。魔物がアカツキ学校に入り込んだのは、奥様がその魔物に襲われたのは、事故なんかではありませんでした。……私……この事件の犯人が、分かりました。その子と話していたんです。」
「……!」

 その“子”。生徒に探りを入れていた紬が突き止めたということは、そういうことだ。
 彗月はぐっと眉を寄せて、続きを聞く。

「視たくなかった。でも、確かめないといけないと思ったから……その子の過去を覗きました。」

 視えたのは──千歌の目の前で、映像だった。
 千歌は、自分の姿形をした魔物を見て頷いていた。それから言葉を交わそうとしたところで、映像はぶつりと消えてしまった。

「女子生徒の恭子ちゃんと千歌ちゃんが、奥様が倒れた場に居合わせたと話していましたが……実際にいたのは、恭子ちゃんと、“千歌ちゃんに化けた魔物”だったんだと思います。その魔物は千歌ちゃんが差し向けた……」
「奥様を襲うために、ですか」

 彗月は、空いている方の手を顎に添える。

「なるほど。それなら、学校の誰も魔物に気が付かなかったことにも頷けますね」
「というと……」
「魔物は人型に擬態している時、その“気”を消すでしょう?」

 初めて知る特性だと思ったが、ふと、里に来たばかりで魔物に襲われた時のことを思い出す。確かに人の姿に化けた魔物からは、邪気など全く感じなかった。

「しかし、その千歌という生徒が差し向けた魔物は、擬態を解かずに瘴気を操ったということになりますか……並の魔物では出来ない芸当ですよ。厄介な奴と手を組みましたね」
「……」

 紬は俯いて、千歌のことを思い返す。

 (私に妖術が効かないと知った時……千歌ちゃんは、私を睨んでいたんじゃない。“奥様を救った巫女”を睨んで、憎んでいたんだわ。)

 よくも邪魔をしてくれたな。そう言いたかったのだろうか。
 そんな憎悪を見せるほどに、日和の苦しみを──死を、望んでいたのだろうか。

「あの子はよく、お友達と一緒に、奥様のところへ行っていたそうなんです。お喋りしに行っていたって。……それなのに」

 日和は千歌たちをかわいがっていたはずだ。あんなに慈悲深い人だから。仲良くして、気を許していたから簡単にやられてしまったんだ。かわいい生徒に魔物を仕向けられたなんて、きっと今でも思っていない。
 だって奥様は、あの子を疑う言葉なんて、ちっとも口にしていなかった。

「……あんまりだわ……」

 千歌は何故こんなことをしたのか、どうして日和一人を狙ったのか、動機は──今はどれを考えようとしても、脳が拒む。
 死んでしまいそうな日和を間近で見た。治したのは自分だ。一命を取り留めた日和は、夫と手を取り合って泣いていた。
 それを知っているからこそ、心に堪えた。

「まだ、たった十四の子供よ。あんな悪意に染まってしまったのはどうして?優しい奥様を、どうして──」
「紬さん」

 静かに口を開いた彗月は、繋いでいた手をそっと離す。
 そして、紬の肩を抱き寄せた。

「……」

 紬は彗月にもたれかかって、身を預ける。
 人力車の深い幌が、寄り添う二人の姿を隠した。

「貴女はとても真っ直ぐな人だ。素敵な故郷に生まれて、素敵な人達に囲まれて育って。特別な力を誰かのために使ってきた、優しい人だ。……憎しみや悪意に触れるのは怖かったでしょう」
「……怖い。そうです、怖かった。」

 一度言葉にしてしまえば、少し気が抜けた。
 紬は小さく笑ってみせる。

「すみません。弱気になって、格好悪いですね。私らしくない」
「そんな風に言わないでください。貴女は強く見えますが、一人の人間です。……どうか無理はしないでほしい。」

 彗月は、いつだって優しい言葉をかけてくれる。
 けれど今のは、励ましでも気遣いでもなく、まるで懇願だった。
 紬は彗月を見上げる。

「彗月さんは、怖くはないんですか」
「そうですね。もうすっかり、慣れてしまった」

 春子の言葉が思い出される。影族として生まれた彗月は、この暁の里の暗い面を多く見てきたという。

「じゃあ……怖いものはなんですか?貴方も一人のあやかしですから、一つや二つはあるでしょう」

 問うと、彗月は驚いたような顔をした。
 どうしてそんな顔をするんだろうと思った。あやかしだからといって、特別な立場だからといって、何も怖くないはずはないのに。

「……僕は」
「!」

 彼の口からこぼれたのは、いつもの声だ。いつもと同じ端麗な顔をしている。
 けれど紬は、どうしてか、幼い少年の面影を見た気がした。

「貴女を失うのが怖いです」

 ガタン。車輪が地面の小石を踏んだ。
 紅蓮邸が近づいてくる。

「貴女が、先代の巫女と同じ道を辿ってしまわないか。怖くて仕方がありません」

 大人びていてしっかり者で、毅然として笑顔を絶やさない、里の二番手。
 そんな彼がずっと奥底に隠していた、柔く脆い部分が、今にも触れられそうなところにあった。
 紬の肩を抱く、彗月の力が強まった。その大きな手が着物につけた深い皺が、紬の目に焼きついた。
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