郷守の巫女、夜明けの嫁入り

春ノ抹茶

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第十一話︰頭領、焔

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 使用人が襖に手をかける。
 ス、と少しの隙間が開いただけで、この場の空気は張り詰める。一枚隔てた先は鬼族当主の領域。その緊張感たるや、刃を鼻先に突きつけられているようだった。

 襖は完全に開かれた。
 いつも以上に顔が強ばる紬に対し、彗月は変わらずにこやかなまま、主に声をかける。

「焔様、戻りました。“郷守の巫女”も隣に。」

 ──最奥で待ち構えていたのは、漆黒の髪に真っ赤な瞳を持つ、鬼のあやかしだった。
 高貴な着物に身を包み、こちらを睨むように見据える様は、まさに主と呼ばれるに相応しい風格。これほどの威圧感と妖気を持ちながら、見かけは若い青年であることが、かえって異質で恐ろしかった。

 (この方が……焔様)

 彗月と並んで座した紬は、膝の前に手をつき、深々と頭を下げる。

「東端の朝日村より参りました、紬と申します。何卒よろしくお願いいたします」
「……顔を。」

 低い声が返ってきた。紬は言われた通りに、ゆっくりと姿勢を戻して顔を上げる。
 焔は黙ってこちらの目を見つめ、脇息から肘を離した。

「貴女の話は聞いている。此度は彗月との婚姻を受け入れ、この暁の里への尽力を約束されたこと、誠に感謝する。」

 燃える炎よりも、流れる血よりも赤い瞳が、鋭く紬を捉えている。まるで捕らえられた獲物のような気分になる。

 彼の言葉のひとつひとつが重々しい。緊張の糸は少したりとも緩めてはいけないと思った。僅かなほつれも、この場では許されないのだと。
 しかし、隣の彗月が口を開いたことで、嫌な汗はひいていく。

「また気が立っていますよ、焔様」
「!」
「彼女は里入りしたばかりの人間です。あまり怖がらせないで下さい」
「……ああ。悪い。」

 窘められた焔は目を閉じる。次に、その瞼が開かれると──厳格な雰囲気こそ変わらないものの、こちらを射殺さんばかりだった眼光は、いくらか静まったように思えた。
 無意識の苛立ちが殺気に思えるのは凄まじいし、それを即座に抑えられるのは並の精神力ではない。紬は感心してしまって、ほうけた顔で焔を見た。

「失礼。威嚇するつもりはなかった」
「いえ、そんな……」

 紬は一瞬、焔以外の“気”に意識を向けてから、おずおずと口を開く。

「あの。失礼があったら、申し訳ないのですが」
「構わない」
「貴方の苛立ちは、この屋敷にある魔物……いえ、の気が原因でしょうか?」
「!」

 焔の眉がぴくりと上がる。
 傍らで聞く彗月の表情も、穏やかなものではなくなった。

「……やはり、貴女には分かるのか」
「ええ。この紅蓮邸には、非常に強い気がある。しばらく探ってみて分かりましたが……その気は三つですね」

 紬は言いながら、三本指を立ててみせる。

「一つは貴方です、焔様。これは言うまでもないでしょう。問題なのは、残りの二つ──」

 つとめて冷静に説明を続けるために、ここでひと呼吸置く。
 先程までと比べて、感じ取れる気の正体が明確になってきた。だからこそ動悸がする。このおぞましさを、より鮮明に理解出来てしまう。

「残りの二つは、あやかしと魔物。今にも一体と化してしまいそうなほど……ぐちゃぐちゃに混ざり合っている。はっきり申し上げて、異常です。」
「……!」

 紬の言葉に、焔は今度こそ目を見開いた。
 もうそこまで。と、受け入れ難い様子で呟いていた。

「そのあやかしが、あやかしでいられるのは……あとどれぐらいだ?」
「分かりません。が……恐らく、あまり長くはないかと」
「……」

 紬の返答を聞き、焔は額に手を当てる。

「そんな……奥様……」
「!」

 小さな声がして振り返ると、先ほどまで微動だにしていなかった使用人が、顔を両手で覆っていた。その肩はかすかに震えている。

「……」

 今の話をした途端に、この場が重く静まり返ってしまった。次にどう口を開けば良いかと困っていると、隣にいる彗月が、毅然として切り出した。

「焔様。紬さんには、奥様の件を明かしましょう。そして頼るべきです」
「……彗月」
「紅蓮邸の者達が手を尽くしても、どうにもならなかった。もう、郷守の巫女の力に頼る他ないでしょう。残された希望は彼女だけです。」
「…………」

 焔は悩ましく眉を寄せてから、顔を上げる。

「先に、退魔の結界の話をするべきだ。……本来ならな」
「!」

 焔と紬の目が合う。鬼族の証である赤と、巫女の証である金が、交わった。

「儀式のこと、祝言のこと──この里の長として、貴女と話しておくべき重要事項は、他に山ほどある。……だが私情を許してくれ」

 彼は姿勢を正し、それから深く頭を下げた。

「巫女殿。妻を──瘴気に侵された妻を救ってほしい。どうか、手遅れになる前に。」
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