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54 カディフォル大草原 2
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「なにを世迷言を! 第二夫人など、俺たちの祖父の時代の風習ではないか!」
ユルディスは怒りを露わにして怒鳴った。珍しいことである。
「完全になくなったわけではないです。マヤの伯母の夫は、二人の妻を持っている。マヤはそれでいい。ユルディス様がこの人を選ぶというのなら」
マヤが指差す先にはミザリーがいる。
「指を差すな無礼者。俺には全然良くない。ミザリーとお前を同列に考えることなどできない。形式の婚約はしきたりに則り、正式に解消したはずだし、そもそも俺はお前に、親族の情以外のものは最初からない」
「ユルディス」
さっきからどんどん居心地が悪くなっていたミザリーが、ついに口を挟んだ。
「私は今夜ここで一人で休みます。あなたは他の天幕で眠って」
「ミザリー、どうしてです! このとんでもない娘のことで気を悪くされたか?」
ユルディスは慌ててミザリーの肩を掴んだ。
「いえ、大丈夫。でも少し疲れたかもしれない。いただいたお湯を早く使いたいわ」
「手伝います」
「いいえ」
ミザリーの返答はにべもない。
「一人でゆっくりしたいの。それにあなたたちには話が必要だわ。今夜は二人で話をした方がいい」
「あなたはユルディス様に命令するのか? この方はカドウィン族の……」
「黙れ、マヤ!」
ユルディスは少女を一喝すると、マヤはびくりと泣きそうになり、大人しく引きさがった。
「わかりました。ミザリー、俺は今夜はこの天幕の外で眠る」
「それでは疲れが取れないわ。どうぞ他の天幕に」
「少しも疲れていない。マヤ、出るぞ!」
ユルディスは毛布を一枚掴むと、マヤを追い立てて出ていった。
やれやれ、あんな女の子にまで嫌われてしまったわ。
人徳がないのかしら?
最初はお義母様、そしてクレーネさん、よくせき同性に縁がないのね私って。
ようやく一人になったミザリーは服を脱ぐと、湯を使って全身を拭いた。残りの湯で髪を洗う。少し冷めていたが、山越えの間はできないことだったので、ありがたかった。
外からはマヤの声が聞こえてくる。
話の内容までは聞こえない。ユルディスはほとんど相手にしていないようだった。彼女なりに自分を押し殺しているのだろうが、切羽詰まっていることだけはわかった。
二人のやり取りを聞きたくなくて、ミザリーは天幕の奥に横になり、毛布をひっかぶった。天幕に敷かれたマットは存外柔らかく、そして暖かくミザリーを包む。
どこに行っても、人の感情に振り回されてしまう。
でも、気がつかないふりはもうしない。私だって何も思わないでここまでやって来た訳じゃない。
欲しいものを手にするために、やるべきことをするだけだわ。
手を伸ばしてランプを吹き消すと、すぐにユルディスが顔を出した。
「なにか不自由はありませんか?」
「いいえ。とてもいい気分なの。もう寝るわ。あなたもどこかの天幕で休んで」
「言ったでしょう? 俺はこの前で休みます。この辺りの草原には俺たちに敵対するものはいないが、万が一ということがある」
「……わかったわ。ありがとう」
ミザリーはユルディスの好きにさせようと想ったが、彼はなかなか去ろうとしない。
「どうしたの?」
「あなたの横で寝たい……です。山では獣を警戒してゆっくり過ごすこともできなかったから」
「ごめんなさい。でも、マヤさんのいるところで、二人で過ごすのはいけないわ。他の方もいらっしゃるのだし……ね?」
珍しく元気のない様子のユルディスに、ミザリーは思わず唇で微笑んでしまう。本当は自分も、彼の温もりが欲しいことを自覚している。
「不愉快にさせているのなら、すみません。彼女のことは、必ずけりをつけるので」
「私に部族のことに口を出しする資格はないわ。でも、彼女の気持ちはわかるの。私だって、ずっと恋に恋をしていた女の子だったから」
ミザリーはルナールのことを思い出しながら言った。もう何日も、彼のことを考えていない。少女だった頃は、遠くにいても毎日彼に想いを馳せていたのに。
「想いは大切だもの」
「なのに……動揺していないのですか?」
「してるわ。マヤさんはずっとユールのことが好きで、同じ部族のいとこなのでしょう? そして私を敵視している。まぁ、敵視されることには慣れているけど、やっぱりおっかないし不安だわ」
「……それを聞いて嬉しい」
「私が動揺しているのが嬉しいの?」
「ああ。それはあなたが、俺のことを気にしてくれているということだから」
「十分気にしているわよ。そうでなければ草原に来たりはしないもの。私には今、あなたしかいないのよ……ユール……」
「なんですか?」
「明日からずっとそばにいてね」
「……っ!」
ユルディスは思わず天幕の布を握りしめ、内へと一歩踏み出すのを非常な努力で耐えた。
「今は俺を煽るのはやめてください。本当ならあなたを抱きしめて眠るはずだったんだ。いつまでもひどい人だ」
「今更よね」
「おやすみなさい!」
彼はすごい勢いで天幕を閉じた。中央の松明のおかげで影だけがくっきりと浮かび上がる。逞しくて精悍な美しい影。
「ごめんなさい。もう少し辛抱して」
「明日にはあなたに父や兄を会わせる。部族の作法通り、結婚の許可をもらいます。だが、許可などなくても、あなたはもう俺のものだ。これだけは譲らない」
「嬉しいわ。ずっと自信がなかったの……ありがとう。天幕の内と外でごめんね」
「まったくです。今日も俺の友は左手のようだ」
「……え?」
「なんでもない。おやすみミザリー」
「おやすみなさい」
そのままミザリーは横になった。
眠りに落ちる寸前、真上の空で鋭い鷹の鳴き声を聞いたような気がした。
*****
ツィッターに大草原のイメージがあります。
今後、民族衣装のイメージも投下していきます。
ユルディスは怒りを露わにして怒鳴った。珍しいことである。
「完全になくなったわけではないです。マヤの伯母の夫は、二人の妻を持っている。マヤはそれでいい。ユルディス様がこの人を選ぶというのなら」
マヤが指差す先にはミザリーがいる。
「指を差すな無礼者。俺には全然良くない。ミザリーとお前を同列に考えることなどできない。形式の婚約はしきたりに則り、正式に解消したはずだし、そもそも俺はお前に、親族の情以外のものは最初からない」
「ユルディス」
さっきからどんどん居心地が悪くなっていたミザリーが、ついに口を挟んだ。
「私は今夜ここで一人で休みます。あなたは他の天幕で眠って」
「ミザリー、どうしてです! このとんでもない娘のことで気を悪くされたか?」
ユルディスは慌ててミザリーの肩を掴んだ。
「いえ、大丈夫。でも少し疲れたかもしれない。いただいたお湯を早く使いたいわ」
「手伝います」
「いいえ」
ミザリーの返答はにべもない。
「一人でゆっくりしたいの。それにあなたたちには話が必要だわ。今夜は二人で話をした方がいい」
「あなたはユルディス様に命令するのか? この方はカドウィン族の……」
「黙れ、マヤ!」
ユルディスは少女を一喝すると、マヤはびくりと泣きそうになり、大人しく引きさがった。
「わかりました。ミザリー、俺は今夜はこの天幕の外で眠る」
「それでは疲れが取れないわ。どうぞ他の天幕に」
「少しも疲れていない。マヤ、出るぞ!」
ユルディスは毛布を一枚掴むと、マヤを追い立てて出ていった。
やれやれ、あんな女の子にまで嫌われてしまったわ。
人徳がないのかしら?
最初はお義母様、そしてクレーネさん、よくせき同性に縁がないのね私って。
ようやく一人になったミザリーは服を脱ぐと、湯を使って全身を拭いた。残りの湯で髪を洗う。少し冷めていたが、山越えの間はできないことだったので、ありがたかった。
外からはマヤの声が聞こえてくる。
話の内容までは聞こえない。ユルディスはほとんど相手にしていないようだった。彼女なりに自分を押し殺しているのだろうが、切羽詰まっていることだけはわかった。
二人のやり取りを聞きたくなくて、ミザリーは天幕の奥に横になり、毛布をひっかぶった。天幕に敷かれたマットは存外柔らかく、そして暖かくミザリーを包む。
どこに行っても、人の感情に振り回されてしまう。
でも、気がつかないふりはもうしない。私だって何も思わないでここまでやって来た訳じゃない。
欲しいものを手にするために、やるべきことをするだけだわ。
手を伸ばしてランプを吹き消すと、すぐにユルディスが顔を出した。
「なにか不自由はありませんか?」
「いいえ。とてもいい気分なの。もう寝るわ。あなたもどこかの天幕で休んで」
「言ったでしょう? 俺はこの前で休みます。この辺りの草原には俺たちに敵対するものはいないが、万が一ということがある」
「……わかったわ。ありがとう」
ミザリーはユルディスの好きにさせようと想ったが、彼はなかなか去ろうとしない。
「どうしたの?」
「あなたの横で寝たい……です。山では獣を警戒してゆっくり過ごすこともできなかったから」
「ごめんなさい。でも、マヤさんのいるところで、二人で過ごすのはいけないわ。他の方もいらっしゃるのだし……ね?」
珍しく元気のない様子のユルディスに、ミザリーは思わず唇で微笑んでしまう。本当は自分も、彼の温もりが欲しいことを自覚している。
「不愉快にさせているのなら、すみません。彼女のことは、必ずけりをつけるので」
「私に部族のことに口を出しする資格はないわ。でも、彼女の気持ちはわかるの。私だって、ずっと恋に恋をしていた女の子だったから」
ミザリーはルナールのことを思い出しながら言った。もう何日も、彼のことを考えていない。少女だった頃は、遠くにいても毎日彼に想いを馳せていたのに。
「想いは大切だもの」
「なのに……動揺していないのですか?」
「してるわ。マヤさんはずっとユールのことが好きで、同じ部族のいとこなのでしょう? そして私を敵視している。まぁ、敵視されることには慣れているけど、やっぱりおっかないし不安だわ」
「……それを聞いて嬉しい」
「私が動揺しているのが嬉しいの?」
「ああ。それはあなたが、俺のことを気にしてくれているということだから」
「十分気にしているわよ。そうでなければ草原に来たりはしないもの。私には今、あなたしかいないのよ……ユール……」
「なんですか?」
「明日からずっとそばにいてね」
「……っ!」
ユルディスは思わず天幕の布を握りしめ、内へと一歩踏み出すのを非常な努力で耐えた。
「今は俺を煽るのはやめてください。本当ならあなたを抱きしめて眠るはずだったんだ。いつまでもひどい人だ」
「今更よね」
「おやすみなさい!」
彼はすごい勢いで天幕を閉じた。中央の松明のおかげで影だけがくっきりと浮かび上がる。逞しくて精悍な美しい影。
「ごめんなさい。もう少し辛抱して」
「明日にはあなたに父や兄を会わせる。部族の作法通り、結婚の許可をもらいます。だが、許可などなくても、あなたはもう俺のものだ。これだけは譲らない」
「嬉しいわ。ずっと自信がなかったの……ありがとう。天幕の内と外でごめんね」
「まったくです。今日も俺の友は左手のようだ」
「……え?」
「なんでもない。おやすみミザリー」
「おやすみなさい」
そのままミザリーは横になった。
眠りに落ちる寸前、真上の空で鋭い鷹の鳴き声を聞いたような気がした。
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ツィッターに大草原のイメージがあります。
今後、民族衣装のイメージも投下していきます。
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