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5.芝居小屋で見つけたものは 5
しおりを挟む「仕方がありませんなぁ……じゃぁ、本人に登場して貰いましょう」
相変わらず油断のならない微笑みを顔面に貼り付けたまま、前宰相はアレクシオンに晴れやかに告げた。
「なんだって!?」
青年は灰色の目を僅かに見開いた。
その時遠慮がちなノックの音がする。
「おお、ドンピシャ」
老アロウは器用に右目でウインクした。
子猫のように密やかな足取りで入ってきたのは、緩やかに波打つ黒髪を背に流した小柄な娘。
勿論、先ほど舞台の上で女神を演じていた娘だ。
当然ながら今は女神でも海賊でもない、普通の服を身につけている。思ったより若いが、芝居の衣装を脱ぎ、舞台用の化粧を落とすと、これと言って目立つところがないようだ。長い髪は無造作に後ろで縛っているし、白いシャツも簡素な黒いスカートも、よく似合ってはいたが、実用一点張りで極めて平凡だ。
娘は微笑むでもなく、 睨むでなく、ただ少し不思議そうな曖昧な表情でこちらの出方を伺っている。こちらの身分はさっき支配人とやらに明かしたはずだが、それを聞いたか聞かずか、とに角、あからさまに媚びへつらうつもりはないらしい。
どちらかと言うと女神と言うより、少年海賊の方がいくらか近いような気がする、とアレクシオンは思った。
婦人に敬意を表し、老人が慇懃に立ち上がるので彼も仕方なく立って、名を名のった。直立すると上背のある彼に驚いたような顔をして視線が上に向く。すると、灯火の光が瞳に映り込み、黒かった瞳が青く光った。
「……」
矢張り、と思った。
先ほど舞台の上でも、この娘の目はこのように青く光って見えた。これと言って特徴のない顔立ちのくせにこれだけは不思議な色合いだ。
「リシェルと申します」
娘は少し怯みながらも、真正面から名のった。
自分を初めて見る人間が怖じ気づくそぶりを見せるのは別段珍しい事ではないので、アレクシオンは平然と受け流した。この娘の反応はまだましな方だ。中には彼を見て泣き出す子供もいるくらいなのだから。げっそりしながらもこれ以上怯えさせないようにゆっくりと席に着いた。
それにしてもこれは一体どういう訳なのだろう。
アレクシオンには老人の意図が全く読めない。不気味だった。
俺のよく知る人間に似ているだと……?
彼は料理を食べながらこっそりと老アロウと話し始めた娘を観察した。
珍しい瞳の色は別にしても、容姿にも態度にも特に変わった点はない。豊かな髪はもの凄く邪魔くさげに背中に流している。背はそれほど高くはなく、手足も華奢だが、女の象徴である胸の隆起は割合に豊かな方だった。舞台上では衣装のせいで余り気付かなかったが、薄いシャツの下でそれは今、ゆっくりと息づいている。
おい、どこを見ている、俺
アレクシオンは慌てて視線をずらし、別の料理に手を伸ばした。さっきは旨いと思った肉料理なのに今はあまり味を感じない。しかし、酒で流し込むような不作法なまねをする訳にも行かず、彼はむっつりと肉を噛みしだいた。
「お疲れではありませんか? 今宵の舞台では大活躍でしたからね。ねぇ、伯爵」
いきなり話が振られる。しかも、どう答えていいのかよく分からない質問だ。こういう場合は妙な事を言うより、黙っている方が賢明だと知るアレクシオンは適当にその場をやり過ごした。
「……」
娘はちらりと彼に視線を向けたが、直ぐに隣の老人が酒を勧めたのでそちらに向き直った。不思議な瞳の視界から逃れられてどういう訳か彼はほっとする。
「お酒は苦手なんです」
娘は申し訳なさそうに老アロウの勧める杯を断っている。どうやら余り飲めるクチではなさそうである。まだ非常に若いようだから、それは仕方がないのかもしれないが、この娘は女優なのだ。女優と言えば人気商売だろう、若いとはいえ贔屓筋から勧められれば酒くらい飲まなくてはいけないし、それ以上の事もするものなのではないか? この方面の知識にてんで疎いアレクシオンはただ単純にそう思い込んでいた。
つまりはただの芸能人ってことだろう?
しかし娘は、酒は飲めなくとも良く食べていた。
小さな体の何処にそんなに入るのかと思うほど、ぱくぱくぱくと肉や野菜の煮物を潔く開けた口に放り込んでいる。好き嫌いはなさそうだ。洗練されていると言うほどではないが、行儀作法は習ったらしく、見苦しい食べ方ではない。健康的に美味しそうに食物を口に運んでいる。
「一七歳になります」
娘が老人の不躾な質問に素直に応じている。
八つも下なのか……
若いとは思ったがここまでとは思わなかった。今は化粧をしていないから余計にそう見えるのだろう。
黙って見ていると、老アロウは実に巧みに娘から話を聞き出している。この老人を知る者でなかったら、にこやかに世間話をしているとしか思えないだろうが、彼は自分の事を話すふりをしつつ娘の思考を探り、本音を言わせている。
やはり何かあるんだ
一体この平凡そうな娘に、老人は何を求めているのであろうか?
やがて老人は話を娘の周辺環境に持ってゆく。
「両親は亡くなりましたの。七歳の時に父が、三年後に母も」
孤児か……いや伯父がいると言っていたな
どういう訳だか微かに胸が苦しくなった。いかん、これは飲みすぎたか。それとも肉の食い過ぎか――アレクシオンは眉を顰めた。
しかし、娘はいかにも屈託なさそうに問われるままに自分の事を語っている。女優とは自分を良く見せたがる生き物だと聞くが、これでは少し明け透け過ぎないか?
アレクシオンがそう思った時――
「成程。そんな環境でお嬢様はお育ちになったのですな……リシェル姫」
いかにも何気なさそうに老人はのたまった。
「姫は女王になる気はございませんかな?」
姫?女王?
突然耳に飛び込んできた言葉に思考が止まった。
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