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4.芝居小屋で見つけたものは 4
しおりを挟む「さぁ、来たわよぅ。父さんの国の偉いお方」
心配半分、期待半分の気持ちでリシェルは黒猫亭、最奥の部屋の扉の前に立った。この店なら料理人も従業員も全部知っている。仲の良い者も多い。
だから何にも怖がる事はない、とリシェルは大きく息を吸い込み、扉をノックした。
「失礼いたします」
ゆっくりと扉を開ける。
よく知る店の見慣れた部屋。どっしりとした黄色い漆喰の壁があちこちくり抜かれ、珍しい置物や植物が飾られた、狭くとも寛げる感じに設えてある個室。
そして―――
真ん中に置かれた卓の左右に、二人の男が向き合って座っている。
一人は温厚そうな老人、もう一人は背の高い若い男だった。
「……」
リシェルが何も言う暇も無く、年取った方の男が立ち上がり、恭しく辞宜をする。その所作は優雅で、如何にも洗練された動きだった
「これはリシェル嬢、本日はお呼びたて致しまして申し訳ございません。私はエイティス聖王国の前宰相ヨハネイス・サムエルセン・ヴァン・アロウと申しまする。どうぞアロウとお呼びください。これは姓なのですが、既に愛称と化しておりますのでな。そしてこちらは」
「アレクシオン・ヴァン・シュトレーゼルと言う」
老人に促され、アレクシオンは仕方なさそうに立ち上がった。
狭い小部屋の天井につっかえそうなほど背が高い。黒い服を着ているのでなおさらそう思える。彼は驚いたように目を丸くしているリシェルを値踏みするように、不機嫌そうな灰色の目で上から下までじっくりと眺めた。
「リシェルと申します」
大きな男が余りに自分を無遠慮に見つめるので、後退りそうになるのを踏み止まりながら、リシェルは何とか淑女らしく腰を屈めた。
「おおリシェル嬢、素敵なお嬢様だ。まぁ、どうかお掛けください」
にこやかにほほ笑みながら老アロウは空いている椅子を勧める。リシェルはおずおずと入口に一番近い席に座った。リシェルが座るのを待って男達も腰を下ろす。二人とも生まれついての上流階級の所作が身に付いているのだろう。
リシェルが席に落ち着くや否や、老人はにこにこと話しかけてきた。
「お疲れではありませんか? 今宵の舞台では大変なご活躍でしたからね。ねぇ、伯爵」
「……」
アレクシオンは話しかけられてもむっつりと押し黙ったまま、骨付き肉を吟味している。これはいくらリシェルが取るに足らない階級の女とはいえ、これはいささか無礼な態度である。まるで餌を与えられた軍用犬のようだと彼女は思った。
しかし、伯爵と呼ばれていた。
と言う事は、このおっかなそうな男も貴族なのか。ヴァンと言うのは、エイティス聖王国の貴族の称号の一つだ。微笑みさえすれば、すごくいい感じなるだろうに、この無表情。どう見ても軍人か、もっと怖い職業に見えてしまう。
一体どこのどなた様なのかな?
リシェルが黙っていると、老人がにこにこと話しだした。
「実は私どもは偶然こちらで掛かる芝居の評判を聞いて、こっそりやって来たのですが、噂に違わぬ良い舞台でした。余りに素晴らしかったので、そのヒロインとどうしてもお近づきになりたいと、こう思いましてな」
「それはとても光栄です。ありがとうございます」
言いながらリシェルは拍子抜けしていた。
なぁんだ、父の国から来たというので何事かと思ったが、単にお忍びでやってきた隣国の貴族達の道楽か。それなら別に何と言う事も無い。
「お酒はあがられますかな?」
老人が前に置かれた杯に葡萄酒を満たそうとするのを、リシェルは慌てて止めた。
「あ……申し訳ありません。私お酒は苦手で……」
そう言った途端、老人の眼が一瞬きらりと光ったが、杯に気を取られていたリシェルは気がつかなかった。
「おや。それは気がつきませず、失礼いたしました。ではお料理はどうですかな? このお店の料理はどれも素晴らしいと今、彼とも言っておったのですよ。もしよろしければ私達と一緒に召し上がってくだされば嬉しいです。ええ本当に。こんなに沢山注文してしまったしねぇ、とてもこの年寄りには食べきれない」
老人の水色の瞳が茶目っ気たっぷりに瞬き、リシェルはこの人物に好感を持った。年をとってもこんな風に女を誘える男性はかっこいい。隣の仏頂面と違って。
「ありがとうございます。では頂きます。実は舞台がはねたばかりで、とってもお腹が空いていたんです」
「それは良かった。さぁどうぞ」
実はこの店の料理はどれも慣れた物であったから、リシェルは何をどう食べればスマートに見えるかよく知っている。せっかくお金持ちにご馳走して貰えるならもっと別のお店が良かったなぁ、等と調子のいい事を考えている最中にも空腹だったせいで、リシェルの前に置かれた皿は次々に空になっていった。やっぱり幾度食べても美味しいものは美味しい。特に手の込んだ煮込み料理等は絶品だと口うるさい下町の客達にも評判なのだ。
「おお、気持ちのいい召しあがり方だ。女優さんは重労働だと聞いているしねぇ」
「女優と言ってもまだまだ駆け出しで、いつもは裏方ばっかりで……今回の役はたまたま、といった感じなんですもの」
「ははぁ。それにしては素晴らしく楽しい舞台で。いや、今回こちらで公館でご厄介になっておった折に、私の部屋係になった者からこのお芝居の話を聞きまして、興味を持った次第なんですわ。何でも大層なロングランですとか」
「はい。お陰さまで五か月になります。こういう下町の劇場では長い方だと思います。目の肥えたお客さんが多くてすぐに飽きられますから。でも、次の演目はもう決まっておりまして、実はもう稽古に入っているんです」
「それにも主役に?」
「いいえ、とんでもない。私は今度は脇役ですわ。主役はフェビアン・リーンといってウチの花形です」
「ああ、あの金髪の……」
「ええ、大人気なんです」
リシェルは自慢するように言った。
「……そうですか。次作は主役ではないのですな。それにしても貴女はお若い。女優さんに年齢を聞く失礼を許して貰えるなら……貴女のお年を伺ってもいいですかな?」
「ああ、ちっとも構いません。私、今年で十七歳になります」
「十七! それはお若い! この爺ぃの末の孫娘よりも四つも年下ですよ」
「まぁ。お孫さんがいらっしゃるんですか?」
「ええ、孫は五人いて、三人までもう所帯を持っていて、曾孫も二人います。これがまたやんちゃで手に負えませんわい」
「まぁ」
アロウの孫達の話をきっかけに、リシェルは目に見えて打ち解け始めた。
子どもの話をしたのは上手い方法だ、流石に老獪さに年季が入っていると、アレクシオンは感心しながらただ黙って喰らい、杯を重ねている。しかし、流石の彼にもまだこの老人の意図するところの本質は見抜けなかった。芝居見物はただの口実に過ぎない、そこまでは読めるのだが。
会話は次第に娘の専門の方へと巧みに誘導されて行く。
「それにしてもあなたは、見事に少年と女神の二役を演じておられましたなぁ。素晴らしい演技力だ」
「お褒めの言葉ありがとうございます。でも、女神の役は殆ど喋りませんし、そもそもそれほどに登場しないのですもの。そんなに大変ではありません」
言いながらリシェルはよく食べた。昼に軽食をとった後は、舞台で歌うために何も口にしていず、相当空腹だったのだ。ついさっきまでがっつり食べていた男の鋭いグレイの瞳が、グラス越しに時々呆れたように自分を見ているのに気がついたが、別に構わなかった。
「いやいや、最初のシーンで少年が海の女神を見て恋に落ちてから、あらゆる場面で女神の存在が暗示されていましたよ。立派な存在感でした」
「それは……伯父におっしゃってくださいな。脚本を書いたのも演出もアンゼル伯父さんなんです」
「ええ、先ほどお会いしました。あのお方はあなたの伯父上で?」
「はい。母方の兄にあたります。私の親代わりなんですの」
「おやそうでしたか……失礼ですが、お嬢様のご両親は?」
「両親は亡くなりましたの。七歳の時に父が、三年後に母も」
「それはそれは……お気の毒に」
「いえ、よくある話ですわ。でも、もう平気です。伯父は大層私を可愛がってくれますし、それに家族みたいな劇団の人たちに囲まれて、ちっとも寂しい思いはしませんでしたし」
「学校は?」
「国で定められている期間は普通に通いました。けれど、音楽や、歌や踊り、そして学校では教えてくれない大切な事は皆、劇団の人たちから教えて貰ったんです」
「貴女は余程ここが好きなようですな」
「はい。ここにしか私の居場所はありません。私、自分が大して才能のない女優だってことぐらい分かっているんです。でも、別に有名にならなくっても、脇役でも、裏方でも、毎日お芝居に携わってみんなの役に立てたらそれでいいんです」
「有名になって贅沢をしたいとは思われない? 貴女は磨けばもっと美しくなれるのに」
「はぁ……きれいになれたらいいですけどね。でも、あんまりらしくない無理はしたくないというか……別に普通でいいんです。伯父だってそう思っていると思います」
「伯父さまも?」
「ええ、お前はごく普通の娘だから背伸びはしないで普通でいなさいって」
リシェルは心から満足そうにそう答えた。きっと本気でそう思っているのだろう。
「成程。あなた様は、そんな環境で貴女はお育ちになったのですな……リシェル姫」
老人の水色の瞳が煌いた。
「姫は女王になる気はございませんかな?」
「……へ?」
「!?」
リシェルが果物の刺さった匙を宙で止めたのと同時に、アレクシオンも口に運んでいた杯を持つ手を固めた。
二人の行動が初めて一致した瞬間だった。
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