シャドウ・ガール

文野さと@書籍化・コミカライズ

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3.芝居小屋で見つけたものは 3

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「リシェル~! 支配人が呼んでるわよ!」
 鏡の前で化粧を落としていたリシェルに女優仲間のメルが声をかけた。リシェルの身支度はいつも早い。今夜も破れやすい女神の衣装を手早く脱ぎ、化粧を落とすまでにものの二十分も掛かっていなかった。
「はぁ~い、あと少しで終わるから直ぐ行くって言っといて貰える? えっと……十五、十六……」
 髪から抜いた模造真珠のピンが、ちゃんと二十個あるか数えながらリシェルは答える。
「了解!」
 赤毛のメルが陽気に答えて扉の向こうに消える。
「何かなぁ? アンゼル伯父さん、さっきは何も言ってなかったのに……二十! おしまい!」
 これで一安心、ピンを専用のケースに戻しながらリシェルは一人ごちた。
「今日の舞台が良く出来たって褒められるんじゃないの?」
 さっきまで顔を洗っていた背の高い美女のミシアが、リシェルの後ろに来て言った。ミシアは敵の海賊頭目の情夫役である。悪女の役柄で、衣装も化粧もなかなか落とせなくて大変そうだ。少年役のリシェルとは大違いだったが、彼女は彼女で、トレードマークとも言うべき長い黒髪を整えるのに手を焼いている。
「それはさっき言ってもらった。だから何かなって思ってね。ああ、この髪! わずらわしいなぁ。もう切ってしまいたい」
 椅子に座ると床にまで届きそうな豊かな黒髪は、それを手入れする者にとっては確かに頭痛の種だろう。王侯貴族のように、髪を世話する専門の侍女でもいれば話は別なのだが。
「支配人が許しちゃくれないわよ。あんたの髪をそりゃぁ気に入っているんだから。この国の者にしては珍しい正真正銘の黒髪だし」
 ダレルノ公国のある平原地方の国々の人々は、薄い色の髪や瞳をもつ者が多い。特に平原主要部の国ではその傾向がある。濃い色の髪を持つ者でも、よく見れば濃い褐色だったり、灰色だったりする。リシェルのように漆黒の髪を持つ者もいないではないが、平原の周辺部やもっと遠い山岳地方の国々からやってきた移民や旅人等がほとんどだった。
 そして、珍しいと言えば、リシェルの瞳の方がもっと不思議であった。屋内や、光の少ないところでは髪と同じように真っ黒に見えるのに、明るい場所や、室内でもどうかした拍子に少ない光を拾った時、その虹彩は鮮やかな藍色の光を放つ。ミシアはこんな瞳をした人間を見た事がなかった。
 その瞳は支配人のアンゼルが言うには、リシェルが七歳の時に亡くなった彼女の父親譲りなのだと言う。
 その髪と瞳の色は、可愛いけれど普段、これと言って特徴のないリシェルの雰囲気を非常に印象的なものにしていた。
「そりゃ、私には髪ぐらいしか褒めるところがないから分かるんだけどね」
「あらら、随分謙遜したもんねぇ。私やフェビアンは始終あんたを可愛いって言ってるじゃないの。少しは信じなさいよ」
「それは身びいきだって思うんだけど。背だって低いし、顔立ちだって平凡だし……もう、髪はこれでいいや」
 諦めたように櫛を放り出す。亡くなった両親がこの髪をこよなく愛してくれたので、何となく切る機会を逸してしまい、今では腿の辺りまで伸びてしまった。髪質が細くて柔らかいので、今のところどうにか始末出来ているが、もうそろそろ切るべきだろうと本気で思っている。両親と同じように、この髪を愛おしんでくれる大好きな伯父のアンゼルが渋い顔をするのが目に見えるが、キチンと話せばわかってくれるだろう。
 今回はたまたま海賊と海の女神の一人二役と言う事で、髪をきつく縛った凛々しい少年海賊と、解いて女神になった時の対比が面白いだろうと、この配役が決まったのだけれど。
「それにしてもなんだろうね。普段こんな時間に呼び出さないのに」
「きっとどっかの金持ちの伯父さんが、今夜あんたと食事でもしたいとか支配人にゴネついたんじゃない? 気をつけなさいよ!」
「ええ~、そう言うの、今まで全部伯父さんが断ってくれてたんだけど。それに御誘いならミシアの方が多いじゃない」
 派手な美人のミシアはこの劇団の看板女優の一人である。彼女は艶っぽく腰を捻った。
「あたしはほら、アンタと違って適当に奢ってもらってサヨナラできるワザぐらい持ってるから! あ、ちょっとお待ち! ほっぺたにおしろいが残ってるわよ。はい、蒸しタオル。よく拭いて」
「ありがとう……ふはぁ、いい気持ちだぁ」
 リシェルは毛穴を広げる熱いタオルを顔に乗せてもらいながら、ふやけた声を出した。
「ほら、直ぐにクリームをつける! 女優は肌が命なんだよ、こんなにきれいな肌なんだから大事にしないと」
「女優かぁ……別になるつもり無かったけど、やってみると案外面白いね」
 素直にこてこてとクリームを鼻の頭に塗りながら、リシェルは呑気に言った。
「またこの子は……怒られるよ。なりたいって憧れてる子が多いのにさぁ……さ、支配人を待たせちゃ悪いよ、髪はどうすんのさ、このまま?」
 舞台用の化粧を落とした後は紅さえ引いていない。女優の卵がこれでいいのかと言う疑問は残るが、リシェルにはあまり出世欲が無く、今回の異例の抜擢も彼女の黒髪が役にぴったりだと言う、支配人兼、脚本家兼、演出の彼女の伯父アンゼルの発案で初めて主役を務める事になったのだった。
 偶々それが当たってこんな下町の劇場にしては、異例のロングランとなった訳だが。
「う~どうだろう? 今更編むのも面倒だし、どうせ後でお風呂に入るから、これでいいや」
 その辺にあったハンカチを取り上げ、首の後ろで無造作にまとめながらリシェルは立ちあがる。
「どっかに引っかけるんじゃないよ?」
「は~い、ミシアも私に黙って男の子ひっかけないでね」
「おナマはいいから、さっさと行きな!」
 ミシアはすっかり冷えたタオルでリシェル頭を叩いた。
「ひゃぁ!」
 リシェルは泡を食ったように首を竦め、白いシャツの上に黒いスカートと胴着と言う簡単な格好ですたこらと出て行く。その様子が可笑しかった。
「まだまだ子どもだわねぇ」
 ミシアは可愛い妹を見る目でリシェルを見送った。

「ああ、リリ。急がせて悪かったね、疲れてないかい?」
 リシェルが支配人室に入ると、待ちかねていたアンゼルが済まなそうに恰好の好い眉を寄せて姪に謝った。
 彼はリシェルの母の兄で、子どもがいないため、両親を早くに亡くした彼女を娘のように可愛がっている。彼自身は独身で、以前は二枚目役を演じる俳優でもあった為、四十を過ぎた今でも女性には人気の小粋な美中年である。
 しかし、いつもは陽気なアンゼルが、今夜に限って気がかりそうな表情を浮かべて姪っ子を見ている。いつも格好よく整えている自慢の口髭も心なしか元気がない。
「平気よ、伯父さん。で、何か御用?」
 ついさっき良い出来だったと褒めてくれた時とは異なる伯父の様子に、リシェルも少し声を落として尋ねた。
「何か気がかりそうだわ」
「ああ……実はエイティス聖王国の人たちが、お前に会いたいと言ってきてるんだ」
「エイティス聖王国!」
 はっと大きな瞳が見開かれる。
「そうなんだ。それも元宰相のアロウ老侯爵っておっしゃる、偉い人のようなんだ。知ってるかい?」
「ええ、名前だけはお父さんから聞いた事がある気がする……でも、なんで今更そんな隣の国の偉い人が私に? だってお父さんはとっくに……」
 リシェルの父は若いころ皇籍を離れていて、しかも亡くなって久しい。
「ああ、それは私も思った。不思議だが、しかし無視するわけにもいかないだろう彼らは食事をすると言うんで、店の奥に部屋を取ってある。今そこにいるはずだ」
「彼ら?」
「ああ。アロウ老公爵と、多分その側近なんだろう、なんだっけ、難しい名前の……いい男だが怖い顔をした青年だ」
「ふぅ~ん。なんだか知らないけど、会わない訳にはいかないみたいね。伯父さんは一緒に来てくれるの?」
「私はそう言ったんだが、向こうはお前一人で来るようにと言う事なんだ。考えてみたら失礼な話だ。いくら隣国の大貴族だからって。リリ、お前が嫌なら無理せずともいいんだよ。私が行って断って来る」
「……」
「いいわ、会って来る。でも、こんな普段着でいいのかしら?」
 リシェルは普段着の裾を引っ張った。
「それはそれでいいだろう。けど、リリ、本当に無理するな」
「大丈夫よ、伯父さん。それに……なんだか私、会わないといけないような気がするの」
「リリ、そうか。では、私も店の方に行く。厨房のそばの部屋にいるから、何かあったら部屋から飛び出してくるといい」
「分かった。そんなに偉い人なら、急に変な事になならないと思うし、大丈夫だと思うけど……」
 リシェルは立ちあがった。部屋の中央に吊るされたランプの明かりが瞳に飛び込む。その瞬間、それまで黒く見えていた瞳がきらりと青く光った。
「じゃあ、私先に行ってきます」
「私も直ぐに行くよ」

 ああ、あの人と同じ瞳だ……
 アンゼルはリシェルが七歳の時に亡くなった義理の弟を思った。




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