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22.天つ風 3
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「風花」
「ん?」
「今度はいつ会える?」
樹は生暖かい風に前髪を揺らしながら訪ねた。その目がすこし揺れている。
「私はいつでも。でも清水君の勉強のほうが大事だから」
「そう? じゃあ、また連絡する……それからねぇ……」
「……?」
いつも明晰な言葉が曖昧に間伸びしている。気のせいだろうか?
「風花。その服、学校に着て行って欲しくない、それから口紅もダメだ」
「え?」
——なに言ってるの? この子。
「見せたくない」
「……」
「ごめん」
「清水君? 気づいてた?」
「気づかないわけない。そんなに綺麗になって」
——じゃあ、最初からちゃんと気づいてくれてたんだ、口紅のことも。ひょっとして、会った時からなんとなく変だったのはそのせい?
「綺麗? ほんとに?」
「うん、腹がたつ」
「えー、でもすごく普通だよ? これ」
「ダメ。ごめんなさい」
「それすっごく俺様じゃない?」
「そうです。全部俺のわがまま。ごめんなさい。ダメですか?」
「……いいけ、ど……」
風花は渋々折れた。これは本人が言うように、子どものわがままだ。可愛らしい理不尽なわがまま。だから今は聞いてあげなくちゃならないだろう。
それに。
——そんなに真剣な目をして頼まれたら、イヤだって言えないじゃない。
「……すみません。俺がこんなんだからって嫌わないで」
「嫌わないよ」
「ありがとう……残念ながら今日はここまで。色々限界で。ごめんね風花」
樹の目が伏せられた。腰が折れる
顔がおりてくるのでキスをされるのかと思った風花だが、樹は黙ったまま風花を見つめ、顔をぐしゃりと崩したかと思うと、あっという間に背を向けて走り去ってしまった。
——なにあれ?
スタコラサッサと言う形容がぴったりの逃げ足に風花は呆れてしまう。あんな樹は初めてだった。
——なんだかいつもとギャップがありすきてかわいい。
風花もゆっくりと踵を返した。もう家は目と鼻の先だ。
「ただいま~」
「あら、早かったね」
母が帰っていて夕飯の支度をしている。
「うん、早めに食べたの。手伝わなくてごめんね」
悪いなと思いつつ、風花は二階の自分の部屋に戻った。
早速スケッチブックと画用鉛筆を取り出す。
中心を決め、ラフに線を引いていく。
——目の位置はこう、鼻筋、口……はこんな感じ。頬の線、シャープに。顎はきりっと……そう、こんな風に。
シャッシャッシャッ!
鉛筆が鳴る。
しばらく描いて手を止め、スケッチブックを机に立てかけ、風花は壁際に下がった。
「……違う」
——こんなじゃない。
——もっと深い。もっとやさしい。
「ダメだ」
——まだ私の手に余る。
風花は笑った。
「ふぅちゃあん、グラタン焼けたんだけど少しだけ食べない~? あれ?」
ノックもせずに母が部屋に入ってくる。目ざとい母はすぐに机上に広げたスケッチブックに目を留めた。
「顔描いてんの?」
「わああ!」
電光石火で風花はスケッチブックをひったくった。
「なによう、見せてくれてもいいじゃない~。風花のいけず~」
「いけずで結構、メリケン粉!」
「グラタンつくったのに。いいチーズでさ。食べないの?」
グラタンと聞いて、風花の食い意地が反応する。実は無類のチーズ好きなのである。
「食べる」
「ひひひ、そうこなくっちゃ。絵を描くのって疲れるんでしょうが」
親子揃って垂れた目を下げて、にやりと母が笑う。
その瞬間——ひらめいた!
「これだ!」
「な、何?」
「お母さん! お願いがあるの!」
「はぁ? いきなりなんですか」
「いいから、いいから。娘を助けると思って、詳しくは下で話すから……
さぁさぁ行こう。グラタングラタン!」
「なによソレェ、怪しいわねえ」
「いや~、お母さんもガチャ目でよかった~。こんな近くにいいモチーフがあったじゃないの」
「は?」
母子はにぎやかに階段を下った。
二度目の晩ご飯をおいしく食べた風花は、お風呂にも入ってすっかりいい気分になって部屋に戻った。スケッチブックはそのまんま、畳の上にうつ伏せに放り出されている。
風花はそれを拾い上げ、もう一度机上に立てかけた。
蛍光灯の明かりの下に自分のデッサンが晒される。
「ダメだね。私の鉛筆は樹くんの表面しか辿っていない」
時間が立つとよけいに自分の至らなさがよくわかった。
「ま、いいよね。今は」
——そのうちきっと描けるようになる。がんばれ、私。
そう、きっと描けるようになる。
それは確信だった。
「待ってろ、清水樹!」
——それまでここで眠っていなさい。
紙の端っこに日付を書き加え、風花はそっとスケッチブックを閉じた。
「ん?」
「今度はいつ会える?」
樹は生暖かい風に前髪を揺らしながら訪ねた。その目がすこし揺れている。
「私はいつでも。でも清水君の勉強のほうが大事だから」
「そう? じゃあ、また連絡する……それからねぇ……」
「……?」
いつも明晰な言葉が曖昧に間伸びしている。気のせいだろうか?
「風花。その服、学校に着て行って欲しくない、それから口紅もダメだ」
「え?」
——なに言ってるの? この子。
「見せたくない」
「……」
「ごめん」
「清水君? 気づいてた?」
「気づかないわけない。そんなに綺麗になって」
——じゃあ、最初からちゃんと気づいてくれてたんだ、口紅のことも。ひょっとして、会った時からなんとなく変だったのはそのせい?
「綺麗? ほんとに?」
「うん、腹がたつ」
「えー、でもすごく普通だよ? これ」
「ダメ。ごめんなさい」
「それすっごく俺様じゃない?」
「そうです。全部俺のわがまま。ごめんなさい。ダメですか?」
「……いいけ、ど……」
風花は渋々折れた。これは本人が言うように、子どものわがままだ。可愛らしい理不尽なわがまま。だから今は聞いてあげなくちゃならないだろう。
それに。
——そんなに真剣な目をして頼まれたら、イヤだって言えないじゃない。
「……すみません。俺がこんなんだからって嫌わないで」
「嫌わないよ」
「ありがとう……残念ながら今日はここまで。色々限界で。ごめんね風花」
樹の目が伏せられた。腰が折れる
顔がおりてくるのでキスをされるのかと思った風花だが、樹は黙ったまま風花を見つめ、顔をぐしゃりと崩したかと思うと、あっという間に背を向けて走り去ってしまった。
——なにあれ?
スタコラサッサと言う形容がぴったりの逃げ足に風花は呆れてしまう。あんな樹は初めてだった。
——なんだかいつもとギャップがありすきてかわいい。
風花もゆっくりと踵を返した。もう家は目と鼻の先だ。
「ただいま~」
「あら、早かったね」
母が帰っていて夕飯の支度をしている。
「うん、早めに食べたの。手伝わなくてごめんね」
悪いなと思いつつ、風花は二階の自分の部屋に戻った。
早速スケッチブックと画用鉛筆を取り出す。
中心を決め、ラフに線を引いていく。
——目の位置はこう、鼻筋、口……はこんな感じ。頬の線、シャープに。顎はきりっと……そう、こんな風に。
シャッシャッシャッ!
鉛筆が鳴る。
しばらく描いて手を止め、スケッチブックを机に立てかけ、風花は壁際に下がった。
「……違う」
——こんなじゃない。
——もっと深い。もっとやさしい。
「ダメだ」
——まだ私の手に余る。
風花は笑った。
「ふぅちゃあん、グラタン焼けたんだけど少しだけ食べない~? あれ?」
ノックもせずに母が部屋に入ってくる。目ざとい母はすぐに机上に広げたスケッチブックに目を留めた。
「顔描いてんの?」
「わああ!」
電光石火で風花はスケッチブックをひったくった。
「なによう、見せてくれてもいいじゃない~。風花のいけず~」
「いけずで結構、メリケン粉!」
「グラタンつくったのに。いいチーズでさ。食べないの?」
グラタンと聞いて、風花の食い意地が反応する。実は無類のチーズ好きなのである。
「食べる」
「ひひひ、そうこなくっちゃ。絵を描くのって疲れるんでしょうが」
親子揃って垂れた目を下げて、にやりと母が笑う。
その瞬間——ひらめいた!
「これだ!」
「な、何?」
「お母さん! お願いがあるの!」
「はぁ? いきなりなんですか」
「いいから、いいから。娘を助けると思って、詳しくは下で話すから……
さぁさぁ行こう。グラタングラタン!」
「なによソレェ、怪しいわねえ」
「いや~、お母さんもガチャ目でよかった~。こんな近くにいいモチーフがあったじゃないの」
「は?」
母子はにぎやかに階段を下った。
二度目の晩ご飯をおいしく食べた風花は、お風呂にも入ってすっかりいい気分になって部屋に戻った。スケッチブックはそのまんま、畳の上にうつ伏せに放り出されている。
風花はそれを拾い上げ、もう一度机上に立てかけた。
蛍光灯の明かりの下に自分のデッサンが晒される。
「ダメだね。私の鉛筆は樹くんの表面しか辿っていない」
時間が立つとよけいに自分の至らなさがよくわかった。
「ま、いいよね。今は」
——そのうちきっと描けるようになる。がんばれ、私。
そう、きっと描けるようになる。
それは確信だった。
「待ってろ、清水樹!」
——それまでここで眠っていなさい。
紙の端っこに日付を書き加え、風花はそっとスケッチブックを閉じた。
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