5 / 16
ニノ三
しおりを挟む
午前零時を回り、いつもの就寝時間になると、斎が布団を引いてくれた。しかし、部屋はとても寒く、なかなか寝つけない。さらに継続的な家鳴りが、僕を苛立たせた。氷が割れる音のように、空気を緊張させている。
隣の布団からは、規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら、斎は眠れたらしい。
仰向けになっているために、どうしても天井を見つめてしまう。それで考えることといったら、再び斎の母親の事だ。
もし母親が生きていたら、斎はこんな捻れた性格にはならなかったかもしれない。そして、僕を頼りにすることもなかっただろう。
何より、僕と斎は出会ってはいないはずだ。
十五歳の頃の僕は、なるべく多くの奨学金がもらえる高校を探していた。両親の死亡で、進路変更を余儀なくされたためだ。親戚はいたが、僕から両親の遺産を奪おうと血眼で、とても面倒を頼める人間はいなかった。おかげで、今でも絶縁状態だ。その結果、大学まで進学するには、費用を切り詰めなければとても無理だった。
だから、後見人でもあった当時の担任の薦めで、進学校で有名な私立高校へと入学したのだ。遺児といっても、少しでもお金がある子供には救いの手は回ってこないらしい。
何かと事後処理があって、入学式前日に高校の寮に入った。そこで、斎と出会った。
斎は、『反吐が出る』実家に居るのが嫌で、遠く離れたこの高校を選んだと言った。
運命とはよく言ったものだ。奇跡的な確率で僕たちは出会ったのだから。
こう考えるたびに、両親が死んでくれて良かったと強く思う。斎の母親が自殺して、父親との仲が悪くて良かったと思う。道徳的に何と言われようと、それは僕の人生最大の幸運だった。
過去を思い出せば、だんだんと気が紛れていく。僕にもようやく睡魔が現れたようだ。瞼が不規則に開閉し始める。
「…起きてる?」
あともう少しのところで、斎の声が僕を覚醒させた。
「…なんだよ?さっさと寝ろ」
「…ね、そっちに行ってもいい?」
暗闇の中、僕は顔だけを隣に向けた。斎の表情までは暗すぎてうかがえない。
「どうした、寂しいのか?」
「寒くない?だから」
「ヒーター、点けようか?」
「それ、一酸化炭素中毒で死ぬよ?」
「そうだなぁ。いいよ、おいで」
布団をめくると、冷気とともに冷たい体が入り込んできた。僕がどんなに抱き締めても、温めることは不可能にさえ感じる。
「ちょっと、きつい」
「ああ?…悪い」
どうも毎回、同じ台詞を言われてしまう。それでも、強く抱き締めていなければ消えていきそうだ。この現実も、斎も。
斎の息が僕の胸に当たり、徐々に不安を溶かしていく。甘い果物ような、ハーブのような不思議な香りが、斎が動くたび匂う。
「…ねえ、就職先って、どこだっけ?」
「ああ?バイトで世話になった会社」
「バイト、長かったもんね。だから入れてもらえたんだ?」
「バーカ。そんなに甘くないぜ、世の中は」
僕にとっては仕事の内容より、収入のほうが大事だ。そこよりも給料が良ければどこにでも行く。どんな仕事だって、上手くやれる自信はある。自分でも守銭奴だとは思うが、斎よりはましだ。斎は今まで一度も働いたことがない上に、就職すらしようとしない。
「なあ、斎。もう来月で卒業だぞ。これからどうするんだよ?」
「わかってる。うるさいよ。人のことなんだから、放っておけば?」
「関係なくない。俺の収入を当てにしてるんだったら、考え直したほうがいい」
「自分のことは自分でするよ…。今は、先のことは、考えたく、ない」
だったら就職の話を振らなければいい。だいたい、僕の進路なんて訊いてどうなる?今まで、一度もそういう質問はしなかったくせに。
「逃げてばっかりいると、後が辛くなるぞ?」
「もうすでに辛い」
斎は僕に身体を押し付けて、切なげにため息をついた。
「…体、温かくて、いいね」
話を逸らされた。僕もそれ以上は訊かないことにした。
「まあな。俺の唯一の財産だからな」
「家は?」
「あれは親の財産。俺のじゃない」
「同じじゃないの?」
「違うよ。これは俺が築き上げたものだ」
「ふうん」
斎が羨ましそうに、僕の胸を冷たい手でなぞった。その手を捕まえる。
「欲しけりゃやるぞ?」
「…いらないよ、気色悪い」
人が落ち込むようなことを斎は平気で口にする。腹が立ったので、思いっきり抱き締めてやった。少しは僕のように苦しめばいいのだ。
斎が嫌がって、僕の胸を叩いた。それでもずっと抱き締めたままでいると、無駄な抵抗もすぐに止んだ。
「じゃあさ、斎は誰のものなんだよ?」
「応募者の中から、抽選で一名様に当たります」
「何だよ、それ?」
「だから、欲しければあげるって」
「性格悪いぞ。素直に俺のものだって言えよ」
「だって、そのうちいらなくなるんだから、押し売りみたいで嫌」
「言わねえよ」
斎は顔を上げて、僕を真っ直ぐな視線で突き刺した。息がかかる距離にいるのに、心はどこにあるのかわからない。世界中の絶望を集めたって、誰もこんな顔はしないだろう。
「どうして?絶対にそうだって言える?まだ、ずっと先があって、全然見えなくて、明日には死んじゃうかもしれないのに。全然解ってないよ!」
「斎、いい加減にしろ」
「しない!誰が保証してくれるの?どうして、今を見ようとしないの?こんなことがいつまでも続くなんて信じて―――」
「俺が保証する」
一瞬の沈黙が、全てを凍らせてしまった。家鳴りの音まで止まった。
斎は素早く布団に顔を埋めてしまった。家鳴りの音も復活し、僕の精神を揺るがせた。
僕にできることは、斎を抱き締めて眠ることだけだった。
隣の布団からは、規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら、斎は眠れたらしい。
仰向けになっているために、どうしても天井を見つめてしまう。それで考えることといったら、再び斎の母親の事だ。
もし母親が生きていたら、斎はこんな捻れた性格にはならなかったかもしれない。そして、僕を頼りにすることもなかっただろう。
何より、僕と斎は出会ってはいないはずだ。
十五歳の頃の僕は、なるべく多くの奨学金がもらえる高校を探していた。両親の死亡で、進路変更を余儀なくされたためだ。親戚はいたが、僕から両親の遺産を奪おうと血眼で、とても面倒を頼める人間はいなかった。おかげで、今でも絶縁状態だ。その結果、大学まで進学するには、費用を切り詰めなければとても無理だった。
だから、後見人でもあった当時の担任の薦めで、進学校で有名な私立高校へと入学したのだ。遺児といっても、少しでもお金がある子供には救いの手は回ってこないらしい。
何かと事後処理があって、入学式前日に高校の寮に入った。そこで、斎と出会った。
斎は、『反吐が出る』実家に居るのが嫌で、遠く離れたこの高校を選んだと言った。
運命とはよく言ったものだ。奇跡的な確率で僕たちは出会ったのだから。
こう考えるたびに、両親が死んでくれて良かったと強く思う。斎の母親が自殺して、父親との仲が悪くて良かったと思う。道徳的に何と言われようと、それは僕の人生最大の幸運だった。
過去を思い出せば、だんだんと気が紛れていく。僕にもようやく睡魔が現れたようだ。瞼が不規則に開閉し始める。
「…起きてる?」
あともう少しのところで、斎の声が僕を覚醒させた。
「…なんだよ?さっさと寝ろ」
「…ね、そっちに行ってもいい?」
暗闇の中、僕は顔だけを隣に向けた。斎の表情までは暗すぎてうかがえない。
「どうした、寂しいのか?」
「寒くない?だから」
「ヒーター、点けようか?」
「それ、一酸化炭素中毒で死ぬよ?」
「そうだなぁ。いいよ、おいで」
布団をめくると、冷気とともに冷たい体が入り込んできた。僕がどんなに抱き締めても、温めることは不可能にさえ感じる。
「ちょっと、きつい」
「ああ?…悪い」
どうも毎回、同じ台詞を言われてしまう。それでも、強く抱き締めていなければ消えていきそうだ。この現実も、斎も。
斎の息が僕の胸に当たり、徐々に不安を溶かしていく。甘い果物ような、ハーブのような不思議な香りが、斎が動くたび匂う。
「…ねえ、就職先って、どこだっけ?」
「ああ?バイトで世話になった会社」
「バイト、長かったもんね。だから入れてもらえたんだ?」
「バーカ。そんなに甘くないぜ、世の中は」
僕にとっては仕事の内容より、収入のほうが大事だ。そこよりも給料が良ければどこにでも行く。どんな仕事だって、上手くやれる自信はある。自分でも守銭奴だとは思うが、斎よりはましだ。斎は今まで一度も働いたことがない上に、就職すらしようとしない。
「なあ、斎。もう来月で卒業だぞ。これからどうするんだよ?」
「わかってる。うるさいよ。人のことなんだから、放っておけば?」
「関係なくない。俺の収入を当てにしてるんだったら、考え直したほうがいい」
「自分のことは自分でするよ…。今は、先のことは、考えたく、ない」
だったら就職の話を振らなければいい。だいたい、僕の進路なんて訊いてどうなる?今まで、一度もそういう質問はしなかったくせに。
「逃げてばっかりいると、後が辛くなるぞ?」
「もうすでに辛い」
斎は僕に身体を押し付けて、切なげにため息をついた。
「…体、温かくて、いいね」
話を逸らされた。僕もそれ以上は訊かないことにした。
「まあな。俺の唯一の財産だからな」
「家は?」
「あれは親の財産。俺のじゃない」
「同じじゃないの?」
「違うよ。これは俺が築き上げたものだ」
「ふうん」
斎が羨ましそうに、僕の胸を冷たい手でなぞった。その手を捕まえる。
「欲しけりゃやるぞ?」
「…いらないよ、気色悪い」
人が落ち込むようなことを斎は平気で口にする。腹が立ったので、思いっきり抱き締めてやった。少しは僕のように苦しめばいいのだ。
斎が嫌がって、僕の胸を叩いた。それでもずっと抱き締めたままでいると、無駄な抵抗もすぐに止んだ。
「じゃあさ、斎は誰のものなんだよ?」
「応募者の中から、抽選で一名様に当たります」
「何だよ、それ?」
「だから、欲しければあげるって」
「性格悪いぞ。素直に俺のものだって言えよ」
「だって、そのうちいらなくなるんだから、押し売りみたいで嫌」
「言わねえよ」
斎は顔を上げて、僕を真っ直ぐな視線で突き刺した。息がかかる距離にいるのに、心はどこにあるのかわからない。世界中の絶望を集めたって、誰もこんな顔はしないだろう。
「どうして?絶対にそうだって言える?まだ、ずっと先があって、全然見えなくて、明日には死んじゃうかもしれないのに。全然解ってないよ!」
「斎、いい加減にしろ」
「しない!誰が保証してくれるの?どうして、今を見ようとしないの?こんなことがいつまでも続くなんて信じて―――」
「俺が保証する」
一瞬の沈黙が、全てを凍らせてしまった。家鳴りの音まで止まった。
斎は素早く布団に顔を埋めてしまった。家鳴りの音も復活し、僕の精神を揺るがせた。
僕にできることは、斎を抱き締めて眠ることだけだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる