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ニノ三
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午前零時を回り、いつもの就寝時間になると、斎が布団を引いてくれた。しかし、部屋はとても寒く、なかなか寝つけない。さらに継続的な家鳴りが、僕を苛立たせた。氷が割れる音のように、空気を緊張させている。
隣の布団からは、規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら、斎は眠れたらしい。
仰向けになっているために、どうしても天井を見つめてしまう。それで考えることといったら、再び斎の母親の事だ。
もし母親が生きていたら、斎はこんな捻れた性格にはならなかったかもしれない。そして、僕を頼りにすることもなかっただろう。
何より、僕と斎は出会ってはいないはずだ。
十五歳の頃の僕は、なるべく多くの奨学金がもらえる高校を探していた。両親の死亡で、進路変更を余儀なくされたためだ。親戚はいたが、僕から両親の遺産を奪おうと血眼で、とても面倒を頼める人間はいなかった。おかげで、今でも絶縁状態だ。その結果、大学まで進学するには、費用を切り詰めなければとても無理だった。
だから、後見人でもあった当時の担任の薦めで、進学校で有名な私立高校へと入学したのだ。遺児といっても、少しでもお金がある子供には救いの手は回ってこないらしい。
何かと事後処理があって、入学式前日に高校の寮に入った。そこで、斎と出会った。
斎は、『反吐が出る』実家に居るのが嫌で、遠く離れたこの高校を選んだと言った。
運命とはよく言ったものだ。奇跡的な確率で僕たちは出会ったのだから。
こう考えるたびに、両親が死んでくれて良かったと強く思う。斎の母親が自殺して、父親との仲が悪くて良かったと思う。道徳的に何と言われようと、それは僕の人生最大の幸運だった。
過去を思い出せば、だんだんと気が紛れていく。僕にもようやく睡魔が現れたようだ。瞼が不規則に開閉し始める。
「…起きてる?」
あともう少しのところで、斎の声が僕を覚醒させた。
「…なんだよ?さっさと寝ろ」
「…ね、そっちに行ってもいい?」
暗闇の中、僕は顔だけを隣に向けた。斎の表情までは暗すぎてうかがえない。
「どうした、寂しいのか?」
「寒くない?だから」
「ヒーター、点けようか?」
「それ、一酸化炭素中毒で死ぬよ?」
「そうだなぁ。いいよ、おいで」
布団をめくると、冷気とともに冷たい体が入り込んできた。僕がどんなに抱き締めても、温めることは不可能にさえ感じる。
「ちょっと、きつい」
「ああ?…悪い」
どうも毎回、同じ台詞を言われてしまう。それでも、強く抱き締めていなければ消えていきそうだ。この現実も、斎も。
斎の息が僕の胸に当たり、徐々に不安を溶かしていく。甘い果物ような、ハーブのような不思議な香りが、斎が動くたび匂う。
「…ねえ、就職先って、どこだっけ?」
「ああ?バイトで世話になった会社」
「バイト、長かったもんね。だから入れてもらえたんだ?」
「バーカ。そんなに甘くないぜ、世の中は」
僕にとっては仕事の内容より、収入のほうが大事だ。そこよりも給料が良ければどこにでも行く。どんな仕事だって、上手くやれる自信はある。自分でも守銭奴だとは思うが、斎よりはましだ。斎は今まで一度も働いたことがない上に、就職すらしようとしない。
「なあ、斎。もう来月で卒業だぞ。これからどうするんだよ?」
「わかってる。うるさいよ。人のことなんだから、放っておけば?」
「関係なくない。俺の収入を当てにしてるんだったら、考え直したほうがいい」
「自分のことは自分でするよ…。今は、先のことは、考えたく、ない」
だったら就職の話を振らなければいい。だいたい、僕の進路なんて訊いてどうなる?今まで、一度もそういう質問はしなかったくせに。
「逃げてばっかりいると、後が辛くなるぞ?」
「もうすでに辛い」
斎は僕に身体を押し付けて、切なげにため息をついた。
「…体、温かくて、いいね」
話を逸らされた。僕もそれ以上は訊かないことにした。
「まあな。俺の唯一の財産だからな」
「家は?」
「あれは親の財産。俺のじゃない」
「同じじゃないの?」
「違うよ。これは俺が築き上げたものだ」
「ふうん」
斎が羨ましそうに、僕の胸を冷たい手でなぞった。その手を捕まえる。
「欲しけりゃやるぞ?」
「…いらないよ、気色悪い」
人が落ち込むようなことを斎は平気で口にする。腹が立ったので、思いっきり抱き締めてやった。少しは僕のように苦しめばいいのだ。
斎が嫌がって、僕の胸を叩いた。それでもずっと抱き締めたままでいると、無駄な抵抗もすぐに止んだ。
「じゃあさ、斎は誰のものなんだよ?」
「応募者の中から、抽選で一名様に当たります」
「何だよ、それ?」
「だから、欲しければあげるって」
「性格悪いぞ。素直に俺のものだって言えよ」
「だって、そのうちいらなくなるんだから、押し売りみたいで嫌」
「言わねえよ」
斎は顔を上げて、僕を真っ直ぐな視線で突き刺した。息がかかる距離にいるのに、心はどこにあるのかわからない。世界中の絶望を集めたって、誰もこんな顔はしないだろう。
「どうして?絶対にそうだって言える?まだ、ずっと先があって、全然見えなくて、明日には死んじゃうかもしれないのに。全然解ってないよ!」
「斎、いい加減にしろ」
「しない!誰が保証してくれるの?どうして、今を見ようとしないの?こんなことがいつまでも続くなんて信じて―――」
「俺が保証する」
一瞬の沈黙が、全てを凍らせてしまった。家鳴りの音まで止まった。
斎は素早く布団に顔を埋めてしまった。家鳴りの音も復活し、僕の精神を揺るがせた。
僕にできることは、斎を抱き締めて眠ることだけだった。
隣の布団からは、規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら、斎は眠れたらしい。
仰向けになっているために、どうしても天井を見つめてしまう。それで考えることといったら、再び斎の母親の事だ。
もし母親が生きていたら、斎はこんな捻れた性格にはならなかったかもしれない。そして、僕を頼りにすることもなかっただろう。
何より、僕と斎は出会ってはいないはずだ。
十五歳の頃の僕は、なるべく多くの奨学金がもらえる高校を探していた。両親の死亡で、進路変更を余儀なくされたためだ。親戚はいたが、僕から両親の遺産を奪おうと血眼で、とても面倒を頼める人間はいなかった。おかげで、今でも絶縁状態だ。その結果、大学まで進学するには、費用を切り詰めなければとても無理だった。
だから、後見人でもあった当時の担任の薦めで、進学校で有名な私立高校へと入学したのだ。遺児といっても、少しでもお金がある子供には救いの手は回ってこないらしい。
何かと事後処理があって、入学式前日に高校の寮に入った。そこで、斎と出会った。
斎は、『反吐が出る』実家に居るのが嫌で、遠く離れたこの高校を選んだと言った。
運命とはよく言ったものだ。奇跡的な確率で僕たちは出会ったのだから。
こう考えるたびに、両親が死んでくれて良かったと強く思う。斎の母親が自殺して、父親との仲が悪くて良かったと思う。道徳的に何と言われようと、それは僕の人生最大の幸運だった。
過去を思い出せば、だんだんと気が紛れていく。僕にもようやく睡魔が現れたようだ。瞼が不規則に開閉し始める。
「…起きてる?」
あともう少しのところで、斎の声が僕を覚醒させた。
「…なんだよ?さっさと寝ろ」
「…ね、そっちに行ってもいい?」
暗闇の中、僕は顔だけを隣に向けた。斎の表情までは暗すぎてうかがえない。
「どうした、寂しいのか?」
「寒くない?だから」
「ヒーター、点けようか?」
「それ、一酸化炭素中毒で死ぬよ?」
「そうだなぁ。いいよ、おいで」
布団をめくると、冷気とともに冷たい体が入り込んできた。僕がどんなに抱き締めても、温めることは不可能にさえ感じる。
「ちょっと、きつい」
「ああ?…悪い」
どうも毎回、同じ台詞を言われてしまう。それでも、強く抱き締めていなければ消えていきそうだ。この現実も、斎も。
斎の息が僕の胸に当たり、徐々に不安を溶かしていく。甘い果物ような、ハーブのような不思議な香りが、斎が動くたび匂う。
「…ねえ、就職先って、どこだっけ?」
「ああ?バイトで世話になった会社」
「バイト、長かったもんね。だから入れてもらえたんだ?」
「バーカ。そんなに甘くないぜ、世の中は」
僕にとっては仕事の内容より、収入のほうが大事だ。そこよりも給料が良ければどこにでも行く。どんな仕事だって、上手くやれる自信はある。自分でも守銭奴だとは思うが、斎よりはましだ。斎は今まで一度も働いたことがない上に、就職すらしようとしない。
「なあ、斎。もう来月で卒業だぞ。これからどうするんだよ?」
「わかってる。うるさいよ。人のことなんだから、放っておけば?」
「関係なくない。俺の収入を当てにしてるんだったら、考え直したほうがいい」
「自分のことは自分でするよ…。今は、先のことは、考えたく、ない」
だったら就職の話を振らなければいい。だいたい、僕の進路なんて訊いてどうなる?今まで、一度もそういう質問はしなかったくせに。
「逃げてばっかりいると、後が辛くなるぞ?」
「もうすでに辛い」
斎は僕に身体を押し付けて、切なげにため息をついた。
「…体、温かくて、いいね」
話を逸らされた。僕もそれ以上は訊かないことにした。
「まあな。俺の唯一の財産だからな」
「家は?」
「あれは親の財産。俺のじゃない」
「同じじゃないの?」
「違うよ。これは俺が築き上げたものだ」
「ふうん」
斎が羨ましそうに、僕の胸を冷たい手でなぞった。その手を捕まえる。
「欲しけりゃやるぞ?」
「…いらないよ、気色悪い」
人が落ち込むようなことを斎は平気で口にする。腹が立ったので、思いっきり抱き締めてやった。少しは僕のように苦しめばいいのだ。
斎が嫌がって、僕の胸を叩いた。それでもずっと抱き締めたままでいると、無駄な抵抗もすぐに止んだ。
「じゃあさ、斎は誰のものなんだよ?」
「応募者の中から、抽選で一名様に当たります」
「何だよ、それ?」
「だから、欲しければあげるって」
「性格悪いぞ。素直に俺のものだって言えよ」
「だって、そのうちいらなくなるんだから、押し売りみたいで嫌」
「言わねえよ」
斎は顔を上げて、僕を真っ直ぐな視線で突き刺した。息がかかる距離にいるのに、心はどこにあるのかわからない。世界中の絶望を集めたって、誰もこんな顔はしないだろう。
「どうして?絶対にそうだって言える?まだ、ずっと先があって、全然見えなくて、明日には死んじゃうかもしれないのに。全然解ってないよ!」
「斎、いい加減にしろ」
「しない!誰が保証してくれるの?どうして、今を見ようとしないの?こんなことがいつまでも続くなんて信じて―――」
「俺が保証する」
一瞬の沈黙が、全てを凍らせてしまった。家鳴りの音まで止まった。
斎は素早く布団に顔を埋めてしまった。家鳴りの音も復活し、僕の精神を揺るがせた。
僕にできることは、斎を抱き締めて眠ることだけだった。
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