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第3話:崩壊の足音
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私が帝国で、温かなスープと柔らかなベッドに癒やされていた頃。
かつての祖国、プロスペル王国では、信じがたい光景が広がっていた。
「……おい、どういうことだ! なぜ結界が機能していない!」
王都の守護塔。ギルバート王太子の怒号が、魔法師たちの震える背中に浴びせられた。
目の前の魔導水晶は、不気味に赤く点滅し、ひび割れている。かつてアリシアがその身を削って維持していた「常時発動型・神聖結界」が、その根底から崩れ去ろうとしていた。
「わ、わかりません……。聖女セシリア様が毎日祈りを捧げているはずなのですが、魔力の供給がまったく追いつかず……このままでは、北壁どころか王都の門まで魔物に……」
「そんなはずないわ!」
着飾ったセシリアが、豪華な法衣の裾を揺らしながら叫ぶ。だが、彼女の額には脂汗が滲み、その手は微かに震えていた。
「私は昨日も一時間、祭壇の前で目を閉じていたのよ! それなのに、結界が反応しないのは……きっとアリシアが、立ち去り際に呪いでもかけたに違いないわ!」
セシリアがアリシアから奪った「手柄」は、実力の伴わない虚飾だった。
彼女には、アリシアのように数万の魔物と対峙し、その余波を吸収して結界に変換する力など、一滴もなかったのだ。
「呪いだと……? あの女、どこまで卑劣なんだ!」
ギルバートは拳を机に叩きつける。
「いいか、セシリア。貴様は『真の聖女』なのだろう? だったらさっさとその力を見せろ! 壁の修復が終わるまで、魔物一匹たりとも通すな!」
「そ、そんな無茶な……っ」
その時。
地響きのような唸り声と共に、王都の北側で巨大な爆発音が響いた。
アリシアが「不手際で一部損壊させた」と責められた北壁。彼女が命懸けで繋ぎ止めていたその亀裂が、ついに限界を迎え、崩壊したのだ。
溢れ出す、漆黒の瘴気と魔物の群れ。
守護兵たちが次々と悲鳴を上げて逃げ惑う。
「聖女様! 聖女セシリア様、お助けを!」
民衆の悲痛な叫びが王宮まで届くが、セシリアはただ腰を抜かし、豪華な絨毯の上で震えることしかできなかった。
「ひ、ひいぃっ……来ないで、来ないでよぉ!」
王国が「戦犯」と呼んで追い出した少女が、どれほどの重圧を一人で背負っていたのか。
彼らが失ったものの大きさを、王国は最悪の形で知ることとなった。
一方、バルドル帝国の離宮。
私は、ラグナール陛下と共に、美しく手入れされた庭園を散策していた。
「顔色が良くなったな、アリシア」
ラグナール陛下は、私の隣を歩きながら、ふと足を止めて私の顔を覗き込んだ。
「……はい。陛下のおかげです。眠れない夜が、あんなに長かったのが嘘のようです」
帝国の空気は冷たいが、どこか澄んでいて心地いい。
驚くべきことに、私の白髪は日を追うごとに神秘的な輝きを増し、指先から溢れる魔力は、王国時代よりも遥かに「濃く」なっていた。枯渇していたのではなく、より巨大な力へ脱皮するための準備期間だったのだと、今ならはっきりと確信できる。
「アリシア。王国からの返信が来たぞ。我が帝国の宣戦布告に近い通告に、彼らは恐れ慄き、今さら『誤解だったかもしれない。話し合いの場を持ちたい』と抜かしてきた」
ラグナール陛下の口端が、冷酷に吊り上がる。
「さらには、北壁の崩壊を食い止めるため、貴様に『一時的な帰還と奉仕』を命じるという、傲慢極まる親書まで添えてな」
私は、自分でも驚くほど冷めた気持ちでその話を聞いていた。
かつてなら、民のためにと無理をしてでも駆けつけたかもしれない。けれど、泥の中に捨てられたあの日、私の中のアリシアという少女は、一度死んだのだ。
「陛下……。私はもう、あの国の聖女ではありません」
私は、ラグナール陛下の大きな手の上に、自分の手を重ねた。
「私の力は、私を救い、私に居場所をくれた、陛下とこの帝国のためのものです。……あの国がどうなろうと、もう私の知ったことではありません」
「くく……、いい答えだ」
ラグナール陛下は満足げに頷き、私の腰を引き寄せた。
「ならば、こう返しておこう。『アリシアは帝国の宝であり、貴様らのような無能が触れていい存在ではない。滅びたければ、勝手に滅びるがいい』とな」
その瞬間。
私の視界に、遠く離れた王国の惨状が「鏡」のように映し出された。
逃げ惑うギルバート、泣き叫ぶセシリア、そして魔物に蹂躙される王宮。
それは私が願ったことではないけれど、止める義理も、もう一ミリも残っていない。
「……さようなら、私の絶望だった場所」
私は静かに目を閉じ、帝国の澄んだ空気の中で、新しい祈りを捧げ始めた。
それは国を救うためではなく、私を愛してくれるこの男と、この国を守るための、最強の守護魔法だった。
かつての祖国、プロスペル王国では、信じがたい光景が広がっていた。
「……おい、どういうことだ! なぜ結界が機能していない!」
王都の守護塔。ギルバート王太子の怒号が、魔法師たちの震える背中に浴びせられた。
目の前の魔導水晶は、不気味に赤く点滅し、ひび割れている。かつてアリシアがその身を削って維持していた「常時発動型・神聖結界」が、その根底から崩れ去ろうとしていた。
「わ、わかりません……。聖女セシリア様が毎日祈りを捧げているはずなのですが、魔力の供給がまったく追いつかず……このままでは、北壁どころか王都の門まで魔物に……」
「そんなはずないわ!」
着飾ったセシリアが、豪華な法衣の裾を揺らしながら叫ぶ。だが、彼女の額には脂汗が滲み、その手は微かに震えていた。
「私は昨日も一時間、祭壇の前で目を閉じていたのよ! それなのに、結界が反応しないのは……きっとアリシアが、立ち去り際に呪いでもかけたに違いないわ!」
セシリアがアリシアから奪った「手柄」は、実力の伴わない虚飾だった。
彼女には、アリシアのように数万の魔物と対峙し、その余波を吸収して結界に変換する力など、一滴もなかったのだ。
「呪いだと……? あの女、どこまで卑劣なんだ!」
ギルバートは拳を机に叩きつける。
「いいか、セシリア。貴様は『真の聖女』なのだろう? だったらさっさとその力を見せろ! 壁の修復が終わるまで、魔物一匹たりとも通すな!」
「そ、そんな無茶な……っ」
その時。
地響きのような唸り声と共に、王都の北側で巨大な爆発音が響いた。
アリシアが「不手際で一部損壊させた」と責められた北壁。彼女が命懸けで繋ぎ止めていたその亀裂が、ついに限界を迎え、崩壊したのだ。
溢れ出す、漆黒の瘴気と魔物の群れ。
守護兵たちが次々と悲鳴を上げて逃げ惑う。
「聖女様! 聖女セシリア様、お助けを!」
民衆の悲痛な叫びが王宮まで届くが、セシリアはただ腰を抜かし、豪華な絨毯の上で震えることしかできなかった。
「ひ、ひいぃっ……来ないで、来ないでよぉ!」
王国が「戦犯」と呼んで追い出した少女が、どれほどの重圧を一人で背負っていたのか。
彼らが失ったものの大きさを、王国は最悪の形で知ることとなった。
一方、バルドル帝国の離宮。
私は、ラグナール陛下と共に、美しく手入れされた庭園を散策していた。
「顔色が良くなったな、アリシア」
ラグナール陛下は、私の隣を歩きながら、ふと足を止めて私の顔を覗き込んだ。
「……はい。陛下のおかげです。眠れない夜が、あんなに長かったのが嘘のようです」
帝国の空気は冷たいが、どこか澄んでいて心地いい。
驚くべきことに、私の白髪は日を追うごとに神秘的な輝きを増し、指先から溢れる魔力は、王国時代よりも遥かに「濃く」なっていた。枯渇していたのではなく、より巨大な力へ脱皮するための準備期間だったのだと、今ならはっきりと確信できる。
「アリシア。王国からの返信が来たぞ。我が帝国の宣戦布告に近い通告に、彼らは恐れ慄き、今さら『誤解だったかもしれない。話し合いの場を持ちたい』と抜かしてきた」
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「さらには、北壁の崩壊を食い止めるため、貴様に『一時的な帰還と奉仕』を命じるという、傲慢極まる親書まで添えてな」
私は、自分でも驚くほど冷めた気持ちでその話を聞いていた。
かつてなら、民のためにと無理をしてでも駆けつけたかもしれない。けれど、泥の中に捨てられたあの日、私の中のアリシアという少女は、一度死んだのだ。
「陛下……。私はもう、あの国の聖女ではありません」
私は、ラグナール陛下の大きな手の上に、自分の手を重ねた。
「私の力は、私を救い、私に居場所をくれた、陛下とこの帝国のためのものです。……あの国がどうなろうと、もう私の知ったことではありません」
「くく……、いい答えだ」
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「ならば、こう返しておこう。『アリシアは帝国の宝であり、貴様らのような無能が触れていい存在ではない。滅びたければ、勝手に滅びるがいい』とな」
その瞬間。
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逃げ惑うギルバート、泣き叫ぶセシリア、そして魔物に蹂躙される王宮。
それは私が願ったことではないけれど、止める義理も、もう一ミリも残っていない。
「……さようなら、私の絶望だった場所」
私は静かに目を閉じ、帝国の澄んだ空気の中で、新しい祈りを捧げ始めた。
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