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Ⅴ.人気作家の育て方
14.過去の失敗はいつだって夢に見る。
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学校の空き教室。そこにある教壇の下に天城は隠れていた。
もっとも、本気で隠れるのであれば、こんなところは使わないはずである。
学校内にはいくつかの空き教室があるが、そこには一切鍵がかかっていないし、教壇の下というのは角度によっては廊下から見えないこともない位置である。
そうでなくとも空き教室は各階にひとつやふたつはあるもので、しかも天城がいるのは三年生、つまりは自分たちのクラスがある階の教室なのだ。
本気で隠れるのならば少なくとも階くらいは変えるべきで、もし階を変えないにしても、掃除用具を入れるロッカーは空っぽで、人が隠れるにはもってこいのなのだから、そちらを選ぶ方が賢明と言えるだろう。
にも関わらず、天城はそうしなかった。
同じ階の、しかも使われている教室の隣で、見つかってしまう可能性がある教壇の下に、別に小さくなるわけでも無く普通に収まっていた。天城は身長が平均よりも大分高いのだから、相当丸くならなければ見つかりやすいのだが、それもしない。
ようは見つけてほしかったのだ。
自分の大好きな、いつだって味方でいてくれる幼馴染に。
「失礼しまーす……」
控えめに開けられたであろう扉は、それでも立て付けの悪さからがらがらと音を立てる。一瞬廊下の喧騒が入り込むが、すぐにその音は小さくなる。誰が入ってきたのかはすぐに分かった。
「えーっと……」
こつこつと、やはり控えめな足音が近づいてくる。その音に迷いはない。教室の後方から入ってきたその音は段々と前方へと進んでいき、
「あ、やっぱり」
見つかった。
教壇の下を幼馴染――都筑明日香が覗き込む。そして、何を思ったのかしゃがみ込む。視線と視線がぴったりとつながる。明日香はいたずらっ子にでも語りかけるように、
「せーちゃんのことだからそんな遠くには行ってない気がしたんだ。どしたの?」
聞いてくるが、彼女が事実を知りたくてそんな質問をしているのではないということを、天城は良く知っている。
「大したことじゃない」
「そう?でも、なんか文芸部の人たちがせーちゃんを探してたよ?」
「…………」
言葉に詰まる。文芸部、というフレーズは、聞くだけでも嫌だった。そんな反応を、明日香は全く気にすることなく、
「まあ、探してた……っていうとちょっと違うかもしれないけどさ。でも、せーちゃんは、あの人たちを騙したりとかそういう事をしたかった訳じゃないんでしょ?」
天城は頷く。明日香は、そんな反応を待ってましたとばかりに、
「そうだよね。ちょっと、すれ違っちゃってるだけなんだよね。良かった。それじゃさ、」
手を差し伸べ、
「ほら、行こ。大丈夫だって、話せば分かってくれるから、ね?」
その声色は、小さい頃のままで、
「さ」
天城はあえてそっぽを向く。明日香はそれでも手を伸ばし、
「あっ」
小さな声と、もっと小さな、気を付けなければ聞き逃してしまうほどの音。
近づいた手は、払いのけられていた。
明日香は申し訳なさと悲しさをないまぜにしたような表情で、そっと手を引っ込め、
「……ごめん。そう、だよね」
すっと立ち上がり、
「私、ちょっと話してくる。大丈夫。こう見えても信頼はある方だから」
無言。
「だから、待ってて。また、迎えに来るから」
無言。
それでも明日香は柔らかく微笑んで、天城の元を、教壇を、空き教室を後にする。再び、廊下の喧騒が飛び込んでくる。
「明日香どしたの?そんなところから出てきて?」
「あ、うん。ちょっとね。ほら、一人になりたい時ってあるでしょ?そういう感じ」
「なんだそれ。怪しいなぁ」
「怪しくないって、もー」
「そうかぁ……?まあ、いいや、それで?天城は見つかった?」
「あー、えっとね……」
途切れる。扉が閉められたのだろう。遠く、天城とは関わりのない世界で、笑い声が聞こえる。教壇の下、天城は自分の手を見つめる。差し伸べられたはずの手はもう、そこにはなかった。
◇ ◇
夢に関する解釈は時代や学問によって様々だ。あるいは精神分析に使ってみたり、またあるいは集合的無意識なる存在をちらつかせてみたり、またまたあるいは占いに使ってみたり、夢という存在は様々なアプローチで理解しようと試みられてきた。
そんな夢だが、天城は基本的に見ない。
いや、本当は見ているのかもしれない。しかし、少なくとも朝起きた時点ではきれいさっぱり忘れていることが殆どで、いい夢も見なければ、悪い夢も見ないし。初夢がどうこうなどという話は全くの蚊帳の外であった。
ところが、
「昨日、珍しく夢を見たんだよ」
「そうなのか?」
そう。
天城にしては珍しく、夢を見た。しかもその内容までばっちりと覚えていた。
忘れもしない。あれはまだ天城が中学生だった頃の記憶そのものだ。その顛末を、天城は嫌という程覚えている。何故そんな頃の夢を今更見たのかは良く分からない。昨日伊織理に明日香の話をされたからだろうか。
「どうも俺はあんまり夢を見るような質ではないらしくてな。基本的に寝入ったら次の瞬間は朝なんだが、不思議なもんだ」
と、いう訳で、手持ち無沙汰の天城は、星生に話しかける。
なぜ手持ち無沙汰なのかといえば、天城が部室を訪れた時には久遠寺が部室におらず、相も変わらず文庫本を眺めていた星生しかいなかったからである。
一応補足をしておけば、久遠寺は昨日のように遅れているわけではなくて、飲み物を買いにいっているだけらしい。その証拠にカバンが置いてある。最初は、帰ってきたら、文句の一つでも言ってやろうかと思ったのだが、どうやら星生の飲み物もついでに頼まれているらしかったので、やめておくことにした。
とはいえ、暇を持て余しているのには変わりがないため、こうして星生に語り掛けるのだった。
天城としては正直反応が欲しかったわけではなかったし、なんなら無視してくれてもよかったから、取り敢えず聞き手っぽい立ち位置でそこにいて欲しかっただけで、ひとりごとを呟いているという状況が嫌だっただけなのだが、どういう訳か星生はきちんと話を聞いて、返事までしてくれた。案外、律儀なのかもしれない。
そんな星生は文庫本を片手に、
「どんな夢?」
「どんな夢……か」
さて、どうしたものか。
夢の内容は天城が過去に体験した出来事であり、もっといってしまえば、その終盤だけをかいつまんだようなものである。その部分だけ説明しても星生には当然なんのことか分からないだろう。
きちんと分かるように伝えるのであれば、都筑明日香という人間について説明する必要があるし、天城の中学生生活についても説明するほかない。しかし、それをすれば当然とんでもない時間がかかるし、何より天城がそれをしたくない。
と、いう訳で、
「ちょっとした、過去の失敗談……とでも言っておこうか」
誤魔化す。
一応、間違ってはいない。
酷く断片的ではあるが。
そんな回答に納得したのかしていないのかは分からないが星生は、
「……天城でも、失敗する?」
「するさ。俺だって」
「意外」
「そうか?」
首肯。
「そう」
「どういたしまして。でも、俺だってそんなに完璧な人間じゃないさ」
「そう、なのか」
「そうさ」
沈黙。
やがて、話が終わったと解釈したのか星生が文庫本を開、
「そうだ」
こうとして止まる。
「今、思い出したんだが」
「なんだ?」
「昨日、何を聞こうとしていたんだ?」
「昨日……」
天城は、必死に記憶を手繰り寄せる。
さて、何の事だろう。
昨日は色んなことをしゃべったような気がするが、鷹瀬の登場に全てを持っていかれてしまい、余り良く覚えていないというのが正直な所だ。久遠寺に対するアドバイスだって中途半端だったし、その前にも、
「あぁ」
思い出した。
「南野円……っていうか鷹瀬のさ、最初の作品ってどうだったんだ?」
そう。
南野円こと鷹瀬紫乃の書いてきた二作目は、星生の眼鏡にはかなわなかった。そこはいい。そこに疑問を挟むつもりはない。
それなら一作目はどうなのか。
二作目も挿絵を担当させたいと鷹瀬が鼻息を荒くするのであれば、少なくとも一作目の時点では星生が担当していたはずだし、その作品はきっと一定の水準に達していたのではないか。そう思ったのだ。
そんな疑問に星生は、
「良かった」
即答だった。
「マジか。どれくらい良かったんだ?」
我ながらなんとも曖昧な表現である。しかし星生は力強く、
「凄くよかった。駄目なところは殆どなかった」
「そこまでか……」
天城は続けて、
「それでも、二作目は駄目だった、と」
「そういうこと」
「ってことはさ、鷹瀬はちょっとスランプなだけで、実はもっと良いものを書ける可能性は、」
「十分にある」
断言。
そして、突き付けられる。
今、鷹瀬はスランプなのかもしれない。彼女の生み出す作品は以前とは全く違い、魅力的で無いかもしれないし、間違いだらけかもしれない。
しかし、それが何かのきっかけで、元通りにならないという保証はどこにもない。
相手は曲がりなりにもネット上で、大賞に輝いたものを生み出した作者なのだ。
本来ならば久遠寺が戦って勝てる相手ではない。
天城は心配になり、
「ちなみに、なんだが」
「うん」
「久遠寺は、どれくらい可能性があると思う。具体的には、鷹瀬との差っていうか、そういうの」
そこで言葉を切り、続ける。
「ほら、俺はあいつの作品しか見てないだろ?だから、分かんないんだわ。実際、どうなんだ?あいつに、勝ち目ってあるのか?」
星生は手に持っていた文庫本をすっとかざして、
「今現在において、単純な作品を生み出す力で言えば、久遠寺に分があると思う」
「マジか」
「そう。ただ、鷹瀬は味方が多い。その辺りも出来るだけ公平になるようにルールは決めた……つもり」
「そういや、一任されてたな。もう考えたのか?」
「一応。多分、これでほぼ決定っていうのは」
「どういう感じなんだ」
「それは久遠寺が来てからに、」
瞬間。
狙いすましたように部室の鍵がガチャリと音を立てて開く。
「ごめんごめん。ちょっと時間かかっちゃった……お、天城も来てたのか」
途中から声のトーンが一つ下がるのはどういうことなのだろうか。
「来てたとも。どこまで行ってたんだ?随分時間がかかったが」
久遠寺は扉を内側からしっかり施錠し、
「例の自販機。仕方ないだろ?あそこにしかないものだってあるんだから」
そんな言い訳をしつつ星生の元まで行って、
「はい、抹茶コーラ」
天城は思わず乗り出し、
「ちょっと待て。そんなもん売ってんのかあの自販機」
久遠寺はさらっと、
「ん?そうだけど?」
天城の対面に座る。その手には、
「どろっと絞ったオレンジ……」
「あ、これ?そう。これがまた良いのよ。ドロドロ感が何とも言えないっていうか」
知らんがな。
天城は缶ジュースを開ける久遠寺を横目に、
「星生」
「分かってる」
星生は久遠寺に勝ってきてもらった紙パックを机に置いて、ホワイトボードの前までトコトコと歩みより、
「それじゃ、説明する」
マーカーを手に取った。
もっとも、本気で隠れるのであれば、こんなところは使わないはずである。
学校内にはいくつかの空き教室があるが、そこには一切鍵がかかっていないし、教壇の下というのは角度によっては廊下から見えないこともない位置である。
そうでなくとも空き教室は各階にひとつやふたつはあるもので、しかも天城がいるのは三年生、つまりは自分たちのクラスがある階の教室なのだ。
本気で隠れるのならば少なくとも階くらいは変えるべきで、もし階を変えないにしても、掃除用具を入れるロッカーは空っぽで、人が隠れるにはもってこいのなのだから、そちらを選ぶ方が賢明と言えるだろう。
にも関わらず、天城はそうしなかった。
同じ階の、しかも使われている教室の隣で、見つかってしまう可能性がある教壇の下に、別に小さくなるわけでも無く普通に収まっていた。天城は身長が平均よりも大分高いのだから、相当丸くならなければ見つかりやすいのだが、それもしない。
ようは見つけてほしかったのだ。
自分の大好きな、いつだって味方でいてくれる幼馴染に。
「失礼しまーす……」
控えめに開けられたであろう扉は、それでも立て付けの悪さからがらがらと音を立てる。一瞬廊下の喧騒が入り込むが、すぐにその音は小さくなる。誰が入ってきたのかはすぐに分かった。
「えーっと……」
こつこつと、やはり控えめな足音が近づいてくる。その音に迷いはない。教室の後方から入ってきたその音は段々と前方へと進んでいき、
「あ、やっぱり」
見つかった。
教壇の下を幼馴染――都筑明日香が覗き込む。そして、何を思ったのかしゃがみ込む。視線と視線がぴったりとつながる。明日香はいたずらっ子にでも語りかけるように、
「せーちゃんのことだからそんな遠くには行ってない気がしたんだ。どしたの?」
聞いてくるが、彼女が事実を知りたくてそんな質問をしているのではないということを、天城は良く知っている。
「大したことじゃない」
「そう?でも、なんか文芸部の人たちがせーちゃんを探してたよ?」
「…………」
言葉に詰まる。文芸部、というフレーズは、聞くだけでも嫌だった。そんな反応を、明日香は全く気にすることなく、
「まあ、探してた……っていうとちょっと違うかもしれないけどさ。でも、せーちゃんは、あの人たちを騙したりとかそういう事をしたかった訳じゃないんでしょ?」
天城は頷く。明日香は、そんな反応を待ってましたとばかりに、
「そうだよね。ちょっと、すれ違っちゃってるだけなんだよね。良かった。それじゃさ、」
手を差し伸べ、
「ほら、行こ。大丈夫だって、話せば分かってくれるから、ね?」
その声色は、小さい頃のままで、
「さ」
天城はあえてそっぽを向く。明日香はそれでも手を伸ばし、
「あっ」
小さな声と、もっと小さな、気を付けなければ聞き逃してしまうほどの音。
近づいた手は、払いのけられていた。
明日香は申し訳なさと悲しさをないまぜにしたような表情で、そっと手を引っ込め、
「……ごめん。そう、だよね」
すっと立ち上がり、
「私、ちょっと話してくる。大丈夫。こう見えても信頼はある方だから」
無言。
「だから、待ってて。また、迎えに来るから」
無言。
それでも明日香は柔らかく微笑んで、天城の元を、教壇を、空き教室を後にする。再び、廊下の喧騒が飛び込んでくる。
「明日香どしたの?そんなところから出てきて?」
「あ、うん。ちょっとね。ほら、一人になりたい時ってあるでしょ?そういう感じ」
「なんだそれ。怪しいなぁ」
「怪しくないって、もー」
「そうかぁ……?まあ、いいや、それで?天城は見つかった?」
「あー、えっとね……」
途切れる。扉が閉められたのだろう。遠く、天城とは関わりのない世界で、笑い声が聞こえる。教壇の下、天城は自分の手を見つめる。差し伸べられたはずの手はもう、そこにはなかった。
◇ ◇
夢に関する解釈は時代や学問によって様々だ。あるいは精神分析に使ってみたり、またあるいは集合的無意識なる存在をちらつかせてみたり、またまたあるいは占いに使ってみたり、夢という存在は様々なアプローチで理解しようと試みられてきた。
そんな夢だが、天城は基本的に見ない。
いや、本当は見ているのかもしれない。しかし、少なくとも朝起きた時点ではきれいさっぱり忘れていることが殆どで、いい夢も見なければ、悪い夢も見ないし。初夢がどうこうなどという話は全くの蚊帳の外であった。
ところが、
「昨日、珍しく夢を見たんだよ」
「そうなのか?」
そう。
天城にしては珍しく、夢を見た。しかもその内容までばっちりと覚えていた。
忘れもしない。あれはまだ天城が中学生だった頃の記憶そのものだ。その顛末を、天城は嫌という程覚えている。何故そんな頃の夢を今更見たのかは良く分からない。昨日伊織理に明日香の話をされたからだろうか。
「どうも俺はあんまり夢を見るような質ではないらしくてな。基本的に寝入ったら次の瞬間は朝なんだが、不思議なもんだ」
と、いう訳で、手持ち無沙汰の天城は、星生に話しかける。
なぜ手持ち無沙汰なのかといえば、天城が部室を訪れた時には久遠寺が部室におらず、相も変わらず文庫本を眺めていた星生しかいなかったからである。
一応補足をしておけば、久遠寺は昨日のように遅れているわけではなくて、飲み物を買いにいっているだけらしい。その証拠にカバンが置いてある。最初は、帰ってきたら、文句の一つでも言ってやろうかと思ったのだが、どうやら星生の飲み物もついでに頼まれているらしかったので、やめておくことにした。
とはいえ、暇を持て余しているのには変わりがないため、こうして星生に語り掛けるのだった。
天城としては正直反応が欲しかったわけではなかったし、なんなら無視してくれてもよかったから、取り敢えず聞き手っぽい立ち位置でそこにいて欲しかっただけで、ひとりごとを呟いているという状況が嫌だっただけなのだが、どういう訳か星生はきちんと話を聞いて、返事までしてくれた。案外、律儀なのかもしれない。
そんな星生は文庫本を片手に、
「どんな夢?」
「どんな夢……か」
さて、どうしたものか。
夢の内容は天城が過去に体験した出来事であり、もっといってしまえば、その終盤だけをかいつまんだようなものである。その部分だけ説明しても星生には当然なんのことか分からないだろう。
きちんと分かるように伝えるのであれば、都筑明日香という人間について説明する必要があるし、天城の中学生生活についても説明するほかない。しかし、それをすれば当然とんでもない時間がかかるし、何より天城がそれをしたくない。
と、いう訳で、
「ちょっとした、過去の失敗談……とでも言っておこうか」
誤魔化す。
一応、間違ってはいない。
酷く断片的ではあるが。
そんな回答に納得したのかしていないのかは分からないが星生は、
「……天城でも、失敗する?」
「するさ。俺だって」
「意外」
「そうか?」
首肯。
「そう」
「どういたしまして。でも、俺だってそんなに完璧な人間じゃないさ」
「そう、なのか」
「そうさ」
沈黙。
やがて、話が終わったと解釈したのか星生が文庫本を開、
「そうだ」
こうとして止まる。
「今、思い出したんだが」
「なんだ?」
「昨日、何を聞こうとしていたんだ?」
「昨日……」
天城は、必死に記憶を手繰り寄せる。
さて、何の事だろう。
昨日は色んなことをしゃべったような気がするが、鷹瀬の登場に全てを持っていかれてしまい、余り良く覚えていないというのが正直な所だ。久遠寺に対するアドバイスだって中途半端だったし、その前にも、
「あぁ」
思い出した。
「南野円……っていうか鷹瀬のさ、最初の作品ってどうだったんだ?」
そう。
南野円こと鷹瀬紫乃の書いてきた二作目は、星生の眼鏡にはかなわなかった。そこはいい。そこに疑問を挟むつもりはない。
それなら一作目はどうなのか。
二作目も挿絵を担当させたいと鷹瀬が鼻息を荒くするのであれば、少なくとも一作目の時点では星生が担当していたはずだし、その作品はきっと一定の水準に達していたのではないか。そう思ったのだ。
そんな疑問に星生は、
「良かった」
即答だった。
「マジか。どれくらい良かったんだ?」
我ながらなんとも曖昧な表現である。しかし星生は力強く、
「凄くよかった。駄目なところは殆どなかった」
「そこまでか……」
天城は続けて、
「それでも、二作目は駄目だった、と」
「そういうこと」
「ってことはさ、鷹瀬はちょっとスランプなだけで、実はもっと良いものを書ける可能性は、」
「十分にある」
断言。
そして、突き付けられる。
今、鷹瀬はスランプなのかもしれない。彼女の生み出す作品は以前とは全く違い、魅力的で無いかもしれないし、間違いだらけかもしれない。
しかし、それが何かのきっかけで、元通りにならないという保証はどこにもない。
相手は曲がりなりにもネット上で、大賞に輝いたものを生み出した作者なのだ。
本来ならば久遠寺が戦って勝てる相手ではない。
天城は心配になり、
「ちなみに、なんだが」
「うん」
「久遠寺は、どれくらい可能性があると思う。具体的には、鷹瀬との差っていうか、そういうの」
そこで言葉を切り、続ける。
「ほら、俺はあいつの作品しか見てないだろ?だから、分かんないんだわ。実際、どうなんだ?あいつに、勝ち目ってあるのか?」
星生は手に持っていた文庫本をすっとかざして、
「今現在において、単純な作品を生み出す力で言えば、久遠寺に分があると思う」
「マジか」
「そう。ただ、鷹瀬は味方が多い。その辺りも出来るだけ公平になるようにルールは決めた……つもり」
「そういや、一任されてたな。もう考えたのか?」
「一応。多分、これでほぼ決定っていうのは」
「どういう感じなんだ」
「それは久遠寺が来てからに、」
瞬間。
狙いすましたように部室の鍵がガチャリと音を立てて開く。
「ごめんごめん。ちょっと時間かかっちゃった……お、天城も来てたのか」
途中から声のトーンが一つ下がるのはどういうことなのだろうか。
「来てたとも。どこまで行ってたんだ?随分時間がかかったが」
久遠寺は扉を内側からしっかり施錠し、
「例の自販機。仕方ないだろ?あそこにしかないものだってあるんだから」
そんな言い訳をしつつ星生の元まで行って、
「はい、抹茶コーラ」
天城は思わず乗り出し、
「ちょっと待て。そんなもん売ってんのかあの自販機」
久遠寺はさらっと、
「ん?そうだけど?」
天城の対面に座る。その手には、
「どろっと絞ったオレンジ……」
「あ、これ?そう。これがまた良いのよ。ドロドロ感が何とも言えないっていうか」
知らんがな。
天城は缶ジュースを開ける久遠寺を横目に、
「星生」
「分かってる」
星生は久遠寺に勝ってきてもらった紙パックを机に置いて、ホワイトボードの前までトコトコと歩みより、
「それじゃ、説明する」
マーカーを手に取った。
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