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チョコレート・フォンデュの心痛
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少し前に降り始めた小雨の中、領地視察からダグリード侯爵邸にフォーサイスが戻ったのは、五日ぶりのことだった。
「お帰りなさいませ」
主の労をねぎらい、逸早く姿を現したスディンへ僅かに湿った外套を手渡す彼は、無表情の下で小さく落胆を覚える。旅疲れのせいではなく、いつもならこの優秀な執事よりも早く自らの帰宅を察知し、出迎えるはずの妻子の姿がないからだ。
「まだ伏せっているのか、ブルーデンスは」
「いえ、昨日にはほぼ全快されました。ただ、念のためと本日昼過ぎに来られたシェブロー様の診察後、横になられてそのまま休まれています。お珍しく眠りが深いようで……」
「まだ完全に本調子ではないんだな。自然に目が覚めるまで眠らせておこう」
フォーサイスは彼の言葉に、僅かばかりの安堵を覚えて嘆息した。
本来なら、今回の視察にも連れて行く予定だった最愛の妻ブルーデンスは、珍しく体調を崩して同行できなかったのだ。そこまで深刻な症状ではなかったが、数日前からずっと微熱が続いており、気だるげだった……その原因は分かり切っている。
十日程前のことだ。フォーサイスは妻子を連れてエイダの森を訪ねた。通称魔術師の森と呼ばれるそこは、彼女の叔父である宮廷医シェブロー邸の敷地内だった。犬猿の仲である彼の住処になど、正直近付きたくなかったのだが、好奇心旺盛な年頃の息子にせがまれ、渋々訪れたのだ。
昼なお薄暗い森の中には、発光性の魚達が住まう実に美しい清流と滝壺がある。頑是ない幼児がその話を聞けば、行きたいと言い出すのは当然だ。バーネスが生まれて以来、頻繁に(しかも、フォーサイス不在を狙って)ダグリード邸を訪れるようになったシェブローは、愛する姪の息子であるバーネスを、父親であるフォーサイスと競うほどに甘やかしていた。
蒸し暑い夏の最中にも涼やかで、幻想的な森の風景は、持ち主の顔さえ思い出さなければ実に癒やされる場所だった……それも興奮のあまり、バーネスが沢に飛び込むまでだったが。本人曰く、滝壺までオルガイムの証である翼で飛んでいこうと考えていたらしいが、幼い彼はまだ翼を制御し切れていなかったのだ。
大人の腰元までの水深があり、それなりに流れの早い清流に呑まれた我が子を目の当たりにして、フォーサイスとブルーデンスはほぼ同時に流れに飛び込んだ。幸い溺れる前に二人で小さな身体を捕まえて事なきを得たし、如何にしてか緊急事態を察知したシェブローも雷龍姿で駆けつけ、そのまま彼の屋敷に行って診察も受けた。
けれど、その場は大丈夫そうに見えたブルーデンスが体調不良を訴えたのは、翌朝のことだった。恐らく折からの暑さに疲労が蓄積していたのだろう。半分はアイリス人であり、アイリス育ちでもあったが、暑さと湿気に弱いオルガイム人の血も流れている。普段の彼女は強い精神力で決して周囲にそうと悟らせないが、夏の暑さが得意ではないのは事実だった。
かつて鬼神と呼ばわれたフォーサイスは、今やチョコレート・フォンデュと陰で揶揄されるほどにデロデロの愛妻家、親馬鹿へと転身している。けれど、飛び込んだ本人がケロッとしていたのをせめてもの救いと済ませられず、今回ばかりは鬼神さながら、息子が泣き出すくらいの説教をした。
眠っているブルーデンスは仕方ないにしても、バーネスが自分を出迎えに現れなかったのは初めてのことだ。叱られたバーネスは銀の瞳に絶え間なく涙を流し、拭う手が追いつかずに幼児特有の円やかな頬もしとどに濡れていた。痛々しい我が子の様相を思い出し、フォーサイスは少々陰鬱な気持ちになる。このまま嫌われてしまったらと思うと、夏だというのに背筋が冷たくなる。
「沐浴の準備は出来ております」
「……先にブルーデンスの顔を見てくる」
スディンの言葉に短い逡巡から我に返った彼は、最悪の予感を追い払うように頭を振る。
「かしこまりました」
恭しく腰を折る彼に見送られ、フォーサイスはブルーデンスの私室へと向かった。
ブルーデンスが倒れて以来、風邪を移したくないと言う彼女の希望で寝室を分けている。視察に出るまで時間の許す限り見舞っていたが、目覚めて腕の中に最愛の妻がないのは正直堪える。夫婦に挟まれるように眠っていたバーネスも、あの日以来一緒に寝てくれなくなっていた。それが情緒面の成長によるものであれば、一抹の寂しさを感じるものの喜ばしいが、今回の場合はただ自分を避けたいがためだ。どうやら彼は、祖母であるエルロージュのベッドにもぐり込んでいるらしい。母は思いがけない孫のおとないを大層喜んでいて、今のところ父子の仲直りを買って出てくれる気はないようだ。
結婚して早七年が経つが、フォーサイスのブルーデンスに対する愛情には一片の翳りもなかった。重ねた年月ごとに、増しているように思う。二人の愛の結晶であり、日ごと妻に似てくるバーネスも可愛くて仕方がない。妻子を愛し過ぎて何が悪いというのだ。そのことを恥じるつもりもなければ、改めるつもりも毛頭ない……だから、今の状況は心底耐え難い。
家族に対する天井知らずの愛情を再認識しながら階段を上り終えたところで、フォーサイスは左脇腹に小さな衝撃を受ける。
「……バーネスっ?」
短い腕を精いっぱい伸ばし、自らの腰にしがみつく我が子の姿に、彼は瞠目する。酷く取り乱しているのか、バーネスの背中には小さな翼が出たままだ。その身体と一緒で、フルフルと小刻みに震えている。
「……父さま、バーネスのこと嫌いにならないで」
涙膜の張った鏡のような瞳に見上げられ、震える声に耳朶を打たれれば、ただでさえ我が子に甘いフォーサイスは大きく息を呑んだ。
「……っ、……何故そんなことを思うんだ?」
「バーネスが嫌いだから、お屋敷を出て行ったのでしょう……?」
それは全くの誤解だったが、折り悪く重なったフォーサイスの不在が幼い心に不安の種を植え付けてしまったようだ。
自分と寝室を別にしたブルーデンスは、より抵抗力の弱いバーネスを部屋に入れることを禁じていた。つまりこの五日間、息子は両親二人と一切顔を合わさなかったのだ。恐怖心からフォーサイスを避けていたが、いざ独りでいるうちに、それ以上の心細さに囚われるようになったのだろう。
「ずっと前から決まっていた仕事だ。お前を疎ましく思うなどあり得ない」
「……うそ、本当に? 父さまも母さまも、バーネスを置いてどこにもいかない?」
その場に膝をつき、まっすぐ彼の目を見つめて囁いてやるも、まだバーネスの目は懐疑的だ。目の周りと鼻先が僅かに赤くなっていて、痛々しいことこの上ない。
「もちろん。出先でもお前や母様のことを忘れたことは、ひと時としてなかったぞ」
嘘偽りない真実だ。昨日など視察先で行き会った追いはぎを、先頃の鬱憤晴らしを兼ねて徹底的にのしてしまったのだ。妻子に対してはチョコレート・フォンデュでも、犯罪者に対して鬼神であるのは今も変わらない。(ただし、同行した従僕と、一切仕事をさせてもらえなかった護衛達は古株で、今回の鬼神どころか鬼畜の如き振る舞いが八つ当たりだったことに薄々気付いていた)
アイリス元帥であるフォーサイスの顔を知らない追いはぎ達は、恐らく三流の駆け出しだろう。きっと彼らは二度と犯罪に手を染めまい。そういうことで、フォーサイスは少々大人げない己の所業を何ら後悔していなかった。
今は何よりも瑣末な出来事にかまけるよりも、愛する息子に向き合うことの方が大切なのだ。ギュッと袖を握り締めてくるバーネスを胸に抱き上げ、不安を払うように涙を溜めた円らな瞳に接吻を落とす。
「叱ったのも、断じて嫌いだからではないぞ。危険な真似をして、お前を失いたくなかったからだ。バーネスも大好きな母様と会えなくなって、不安だっただろう? 父様達はお前と二度と会えなくなるかと思って、とても怖かったんだ」
「ごめんなさい、父様! もうしないっ……」
自らの血を受け継ぐ黒髪や、柔らかな純白の翼を壊れ物を扱うように繊細な手つきで撫で、耳元で優しく言い聞かせる。すると、元来素直な我が子は、フォーサイスの首に齧りつくように腕を回してきた。ドレスシャツの肩口が、じんわりと湿り気を帯びる。今回の件でしっかり骨身に染みたバーネスは、もう二度と軽はずみな行動はとらないだろう。
「さあ、バーネス。これから父様と一緒に、母様に会いに行こうか」
「いいのっ?」
「もう大分良くなったそうだから、会っても大丈夫だろう」
バネ仕掛けの人形のように勢いよく肩口から顔を上げたバーネスに、フォーサイスは笑顔で首肯する。
「ただし母様は眠っているから、顔を見るだけだ。起こさないように、静かにしているんだぞ……できるな?」
「うん、父様大好き!」
元気に頷いたバーネスは、フォーサイスに久々の笑顔を見せ、先ほどのお返しとばかりに彼の頬に柔らかな唇を押しつけてくる。これまでの心痛がいっぺんで吹き飛んだ瞬間だった。
妻方の容姿を色濃く受け継ぐ息子は、心身とも無垢で愛らしく育っていた。翼を広げている姿など、まさに天使だ。生まれるまでは、娘も可愛かろうと思っていたフォーサイスだったが、今では息子であってくれて本当に良かったと思っている。いつか他家へ嫁いでしまう娘と違い、息子は自らの後継者としてずっとダグリード邸にいるのだから。どこもかしこも天井知らずに愛くるしい我が子を、手放すことなど考えられない。
ただし、この先に待ち受ける驚愕の事実をフォーサイスは知らなかった。
微熱続きの愛妻が患っていたのが夏風邪ではなく、オルガイム人の妊娠初期症状であり、第二の天使が彼の危惧していた女児だったことに……泣く子も黙る鬼元帥閣下の親馬鹿ゆえの心痛は、まだ始まったばかりだった。
「お帰りなさいませ」
主の労をねぎらい、逸早く姿を現したスディンへ僅かに湿った外套を手渡す彼は、無表情の下で小さく落胆を覚える。旅疲れのせいではなく、いつもならこの優秀な執事よりも早く自らの帰宅を察知し、出迎えるはずの妻子の姿がないからだ。
「まだ伏せっているのか、ブルーデンスは」
「いえ、昨日にはほぼ全快されました。ただ、念のためと本日昼過ぎに来られたシェブロー様の診察後、横になられてそのまま休まれています。お珍しく眠りが深いようで……」
「まだ完全に本調子ではないんだな。自然に目が覚めるまで眠らせておこう」
フォーサイスは彼の言葉に、僅かばかりの安堵を覚えて嘆息した。
本来なら、今回の視察にも連れて行く予定だった最愛の妻ブルーデンスは、珍しく体調を崩して同行できなかったのだ。そこまで深刻な症状ではなかったが、数日前からずっと微熱が続いており、気だるげだった……その原因は分かり切っている。
十日程前のことだ。フォーサイスは妻子を連れてエイダの森を訪ねた。通称魔術師の森と呼ばれるそこは、彼女の叔父である宮廷医シェブロー邸の敷地内だった。犬猿の仲である彼の住処になど、正直近付きたくなかったのだが、好奇心旺盛な年頃の息子にせがまれ、渋々訪れたのだ。
昼なお薄暗い森の中には、発光性の魚達が住まう実に美しい清流と滝壺がある。頑是ない幼児がその話を聞けば、行きたいと言い出すのは当然だ。バーネスが生まれて以来、頻繁に(しかも、フォーサイス不在を狙って)ダグリード邸を訪れるようになったシェブローは、愛する姪の息子であるバーネスを、父親であるフォーサイスと競うほどに甘やかしていた。
蒸し暑い夏の最中にも涼やかで、幻想的な森の風景は、持ち主の顔さえ思い出さなければ実に癒やされる場所だった……それも興奮のあまり、バーネスが沢に飛び込むまでだったが。本人曰く、滝壺までオルガイムの証である翼で飛んでいこうと考えていたらしいが、幼い彼はまだ翼を制御し切れていなかったのだ。
大人の腰元までの水深があり、それなりに流れの早い清流に呑まれた我が子を目の当たりにして、フォーサイスとブルーデンスはほぼ同時に流れに飛び込んだ。幸い溺れる前に二人で小さな身体を捕まえて事なきを得たし、如何にしてか緊急事態を察知したシェブローも雷龍姿で駆けつけ、そのまま彼の屋敷に行って診察も受けた。
けれど、その場は大丈夫そうに見えたブルーデンスが体調不良を訴えたのは、翌朝のことだった。恐らく折からの暑さに疲労が蓄積していたのだろう。半分はアイリス人であり、アイリス育ちでもあったが、暑さと湿気に弱いオルガイム人の血も流れている。普段の彼女は強い精神力で決して周囲にそうと悟らせないが、夏の暑さが得意ではないのは事実だった。
かつて鬼神と呼ばわれたフォーサイスは、今やチョコレート・フォンデュと陰で揶揄されるほどにデロデロの愛妻家、親馬鹿へと転身している。けれど、飛び込んだ本人がケロッとしていたのをせめてもの救いと済ませられず、今回ばかりは鬼神さながら、息子が泣き出すくらいの説教をした。
眠っているブルーデンスは仕方ないにしても、バーネスが自分を出迎えに現れなかったのは初めてのことだ。叱られたバーネスは銀の瞳に絶え間なく涙を流し、拭う手が追いつかずに幼児特有の円やかな頬もしとどに濡れていた。痛々しい我が子の様相を思い出し、フォーサイスは少々陰鬱な気持ちになる。このまま嫌われてしまったらと思うと、夏だというのに背筋が冷たくなる。
「沐浴の準備は出来ております」
「……先にブルーデンスの顔を見てくる」
スディンの言葉に短い逡巡から我に返った彼は、最悪の予感を追い払うように頭を振る。
「かしこまりました」
恭しく腰を折る彼に見送られ、フォーサイスはブルーデンスの私室へと向かった。
ブルーデンスが倒れて以来、風邪を移したくないと言う彼女の希望で寝室を分けている。視察に出るまで時間の許す限り見舞っていたが、目覚めて腕の中に最愛の妻がないのは正直堪える。夫婦に挟まれるように眠っていたバーネスも、あの日以来一緒に寝てくれなくなっていた。それが情緒面の成長によるものであれば、一抹の寂しさを感じるものの喜ばしいが、今回の場合はただ自分を避けたいがためだ。どうやら彼は、祖母であるエルロージュのベッドにもぐり込んでいるらしい。母は思いがけない孫のおとないを大層喜んでいて、今のところ父子の仲直りを買って出てくれる気はないようだ。
結婚して早七年が経つが、フォーサイスのブルーデンスに対する愛情には一片の翳りもなかった。重ねた年月ごとに、増しているように思う。二人の愛の結晶であり、日ごと妻に似てくるバーネスも可愛くて仕方がない。妻子を愛し過ぎて何が悪いというのだ。そのことを恥じるつもりもなければ、改めるつもりも毛頭ない……だから、今の状況は心底耐え難い。
家族に対する天井知らずの愛情を再認識しながら階段を上り終えたところで、フォーサイスは左脇腹に小さな衝撃を受ける。
「……バーネスっ?」
短い腕を精いっぱい伸ばし、自らの腰にしがみつく我が子の姿に、彼は瞠目する。酷く取り乱しているのか、バーネスの背中には小さな翼が出たままだ。その身体と一緒で、フルフルと小刻みに震えている。
「……父さま、バーネスのこと嫌いにならないで」
涙膜の張った鏡のような瞳に見上げられ、震える声に耳朶を打たれれば、ただでさえ我が子に甘いフォーサイスは大きく息を呑んだ。
「……っ、……何故そんなことを思うんだ?」
「バーネスが嫌いだから、お屋敷を出て行ったのでしょう……?」
それは全くの誤解だったが、折り悪く重なったフォーサイスの不在が幼い心に不安の種を植え付けてしまったようだ。
自分と寝室を別にしたブルーデンスは、より抵抗力の弱いバーネスを部屋に入れることを禁じていた。つまりこの五日間、息子は両親二人と一切顔を合わさなかったのだ。恐怖心からフォーサイスを避けていたが、いざ独りでいるうちに、それ以上の心細さに囚われるようになったのだろう。
「ずっと前から決まっていた仕事だ。お前を疎ましく思うなどあり得ない」
「……うそ、本当に? 父さまも母さまも、バーネスを置いてどこにもいかない?」
その場に膝をつき、まっすぐ彼の目を見つめて囁いてやるも、まだバーネスの目は懐疑的だ。目の周りと鼻先が僅かに赤くなっていて、痛々しいことこの上ない。
「もちろん。出先でもお前や母様のことを忘れたことは、ひと時としてなかったぞ」
嘘偽りない真実だ。昨日など視察先で行き会った追いはぎを、先頃の鬱憤晴らしを兼ねて徹底的にのしてしまったのだ。妻子に対してはチョコレート・フォンデュでも、犯罪者に対して鬼神であるのは今も変わらない。(ただし、同行した従僕と、一切仕事をさせてもらえなかった護衛達は古株で、今回の鬼神どころか鬼畜の如き振る舞いが八つ当たりだったことに薄々気付いていた)
アイリス元帥であるフォーサイスの顔を知らない追いはぎ達は、恐らく三流の駆け出しだろう。きっと彼らは二度と犯罪に手を染めまい。そういうことで、フォーサイスは少々大人げない己の所業を何ら後悔していなかった。
今は何よりも瑣末な出来事にかまけるよりも、愛する息子に向き合うことの方が大切なのだ。ギュッと袖を握り締めてくるバーネスを胸に抱き上げ、不安を払うように涙を溜めた円らな瞳に接吻を落とす。
「叱ったのも、断じて嫌いだからではないぞ。危険な真似をして、お前を失いたくなかったからだ。バーネスも大好きな母様と会えなくなって、不安だっただろう? 父様達はお前と二度と会えなくなるかと思って、とても怖かったんだ」
「ごめんなさい、父様! もうしないっ……」
自らの血を受け継ぐ黒髪や、柔らかな純白の翼を壊れ物を扱うように繊細な手つきで撫で、耳元で優しく言い聞かせる。すると、元来素直な我が子は、フォーサイスの首に齧りつくように腕を回してきた。ドレスシャツの肩口が、じんわりと湿り気を帯びる。今回の件でしっかり骨身に染みたバーネスは、もう二度と軽はずみな行動はとらないだろう。
「さあ、バーネス。これから父様と一緒に、母様に会いに行こうか」
「いいのっ?」
「もう大分良くなったそうだから、会っても大丈夫だろう」
バネ仕掛けの人形のように勢いよく肩口から顔を上げたバーネスに、フォーサイスは笑顔で首肯する。
「ただし母様は眠っているから、顔を見るだけだ。起こさないように、静かにしているんだぞ……できるな?」
「うん、父様大好き!」
元気に頷いたバーネスは、フォーサイスに久々の笑顔を見せ、先ほどのお返しとばかりに彼の頬に柔らかな唇を押しつけてくる。これまでの心痛がいっぺんで吹き飛んだ瞬間だった。
妻方の容姿を色濃く受け継ぐ息子は、心身とも無垢で愛らしく育っていた。翼を広げている姿など、まさに天使だ。生まれるまでは、娘も可愛かろうと思っていたフォーサイスだったが、今では息子であってくれて本当に良かったと思っている。いつか他家へ嫁いでしまう娘と違い、息子は自らの後継者としてずっとダグリード邸にいるのだから。どこもかしこも天井知らずに愛くるしい我が子を、手放すことなど考えられない。
ただし、この先に待ち受ける驚愕の事実をフォーサイスは知らなかった。
微熱続きの愛妻が患っていたのが夏風邪ではなく、オルガイム人の妊娠初期症状であり、第二の天使が彼の危惧していた女児だったことに……泣く子も黙る鬼元帥閣下の親馬鹿ゆえの心痛は、まだ始まったばかりだった。
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