至急、君との交際を望む

小田マキ

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 ミュラーリヤ第一竜騎兵隊隊長であるシャトリンは、目下の想い人にこれでもかと理性を試されていた。
 第三弓騎兵隊の優秀なる隊長、クラリス・ヴィアッカ少尉は焦ればどんどん失言を繰り返してしまう困った性質がある。厄介なのは、突飛な言動の数々が完璧に統制していたはずの己の感情を大いに揺さぶるのに、そのことを決して不快に感じないことだ。何よりも彼女のお陰で、己はまだ命を繋いでいる。粗野で浅ましい原始的衝動に襲われれば自決しようと、シャトリンは強く心に誓っていたのに。
 生まれる時期が、サリュートの慣習と違っていた。
 たったそれだけのことで母フェレンルイエは婚約者に裏切られ、両親をも喪った。発狂寸前だった母を救ったのは尊敬する父クラッドだ。慈しみ深い父はいつ何時も妻を支え、愛し、強い夫婦の絆を築いた結果、時季外れのムライドとして己が生を受けたのだ。
 身体能力と生理的機能はサリュート人と同等でも、外見的特徴と寿命がほぼソルケット人のシャトリンに、スーシエはヴォーグ・クワンと名乗ることを許さなかった。だから、自分には両親が付けてくれたシャトリンと言う名しかない。それは神族と認められていないことと同義……クロエスドイルが、あのザッカー・クワン家がそんな自分との政略結婚を承諾する訳がないのだ。
 祖父母を死に追いやった男の娘を妻にするなぞ耐えられなかったために、相手から断ってくれたのは幸いだが、あの時投げられた罵声は親子揃って生涯の傷だ。イエニスタスが前髪に一房混じる黒髪を除けば、ほぼ完璧なサリュート人として生まれてくれたことには秘かに安堵した。こんな思いをするのは、己一人だけでいい。
 不当な差別から心を守るためには、サリュートリアン以上に感情を制御抑制するしかなく、そう努めてきた。付け入る隙を与えない完璧さを、シャトリンは常に求めていたのだ。クラリスに心が深い共感を覚えるのは、親の七光りと揶揄され、謂れのないやっかみを受けぬよう人一倍切磋琢磨する姿に、自分を無意識に重ねてしまうからなのだろう。
 だからこそ……だからこそ、彼女にこんなことをさせたくはなかった。
「今からでも遅くないから、思い留まりたまえ」
 自らの股座の前に、猫のようにスラリとして無駄のない身体を折り畳むように膝ついたクラリスに向かって、シャトリンは理性的に聞こえるように最大限努めた声で訴える。
「往生際が悪いですよ、大佐。今の内に少しでも処理しておかないと、後々辛いのは貴方ではなく私の身体ですから」
 なのに、相手は自らの専売特許である論理と効率論で対抗してくる。返された言葉は全くもってその通りで、ぐうの音も出なかった。ミー・ガンにおける本能的な性衝動は、抑えつければ抑えつけるだけ箍が外れた時の反動が大きい。理性のある内に吐精しておくのは、有効な手段だろう……だが、長時間の性行為で疲弊し切っている彼女が付き合う必要はない。
「自分で処理すれば済むことだ。幸い浴室もある」
 少尉はあらゆる事態において勉強熱心で、学習能力も非常に高かった。一度腹を括ってしまえば、羞恥心さえ消える……その心意気はいっそ男らしい。段々と躊躇っている己の方が女々しく思えてくるのだから不思議だ。
「せっかく心得があるのですから、それを活かさないなんて非論理的です」
 再度の訴えも、常の彼女らしからぬ強気な台詞で素気無く却下される。
 何事にも真摯かつ積極的な姿勢は好ましいが、何もこんな方面にまで発揮しなくてもいいだろうに。股の間に両手をつき、暗いブルネットの髪の隙間から視線だけでこちらを見遣る姿は実に蠱惑的で、目の毒だった。下肢にはまだ己が吐き出した精が伝っている……敢えて視覚的刺激を狙っているとしたら、何とも末恐ろしいことだ。
 せめて何か羽織ってほしい。こうも積極的に煽られては、せっかく取り戻した理性も消し飛んでしまう。そうなれば、本末転倒だ。
「では、失礼致します」
 律儀にそう断り、自らの性器に向かって頭まで下げると、クラリスはそろそろと手を伸ばしてきた。シャトリンは居た堪れなくなって天を仰ぎ、熱を帯びつつある息を吐き出す……手淫及び口淫の手ほどきをしたと言う少尉の姉君を、甚く恨んだ。
 彼女には腹違いの姉が五人いるそうだ。世間一般的な基準の美女達であるために、縁談が山程舞い込んでいて、皆早々に既婚者となっていた。夫婦仲も頗る良い姉達の最大の長所は、いつ如何なる時に置いても夫を「立てる」ところだと言う。
 男性の陰茎を手や口で奉仕する際の作法は、九歳上の三番目の姉君から騎兵隊入隊祝いとして教授されたそうだ。三人の子を持つ母親でもある彼女は、妊娠中に夫の欲望をそうやって処理してきたらしい。クラリスの入隊の頃と言えば、若干十五歳だ。まだ年端もゆかぬ少女に対して何と破廉恥な、と堪らず口を挟んだシャトリンに彼女も首肯したものの、それは姉なりの親切心なのだと続けた。
 万一性犯罪者や好色な上官に襲われるようなことがあったら、本番前に口で精を搾り尽してやれ。最悪貞操は守れる。
 それが姉君の言い分らしい。美しい上に金持ちの父まで持てば良からぬ考えを持つ男を引き寄せるには十分で、姉君自身が片手で余る程の際どい被害に遭っていたのだ。秘かに磨いた手練手管で射精させ、無抵抗状態に陥らせた相手の睾丸を容赦なく潰して、見事貞操を守り抜いたそうだ。
 決して声高に触れ回ることは出来ない技術だが、か弱き婦女子の身を守る術としては護身術よりも有効であろう。強姦魔に同情はしないが、うっかり我が身で想像してしまい、背筋が凍った。半分しか血の繋がりはなくとも、さすがは少尉の姉君である。ヴィアッカ一族恐るべし。
 墓場臭い死人顔の自分にはあり得ない事態だとか、余計な世話だとか散々言い合いになったらしいが、「世の男達には一定数のゲテモノ好きがいて、そう言う輩に限って絶倫なのだ」と謎の説得力溢れた持論を展開し、一歩も譲らぬ姉に、クラリスも結局は押し切られてしまったそうだ。発想は突飛でも我が身を真摯に案じてくれるのは確かなので、そんな姉心を無にするのに気が引けたとも言っていた。
 薄々気付いていたが、少尉はどうにも人が好過ぎる。任務中は申し分ないが、それ以外の時ももう少し警戒心を持つべきだ。もっとも、誰よりもその善良な性格に付け込んだ自分に言えた義理ではないが。
 十一年の時を経て、その知識が役立つ日が来ようとは……遠い目をして独り言のように呟いた彼女に、シャトリンは無表情の下で複雑な思いに駆られた。絶倫については否定出来ないが、自分は決してゲテモノ好きではない。クラリスは人が好過ぎる上に、自分の価値が全く分かっていないのだ。
 今もって非論理的であるとしか思えないし、陳腐この上ないために本人には口が裂けても言えないが、彼女を想うようになった原点は単なる一目惚れなのだから。
 あれは八年前の合同模擬演習でのことだ。見習い兵にとって、入隊二年目に訪れるこの模擬演習はそれまで受けた訓練の総決算で、これをもって実戦……つまりは、現場任務に送り出せるか否かの判断が下される。その年の判定員の一人だったシャトリンはゾーイに跨り、上空から舞台となるエアリアス平原をつぶさに監視していた。
 真新しい武具と軍衣に身を包んだ集団の中、訓練用の鏃を潰した弓矢を構え、颯爽と馬を駆る若い弓騎兵に目が留まる。己の身の丈程もある鋼鉄製の長弓を軽々操り、白兵戦慣れした歩兵達を次々と、ただの一人も急所を外さず仕留めていく。まだあどけなさが抜け切らないその少女は、それなのに動く標的を狙い慣れていた。
 獲物に向ける仄暗くも鋭い双眸、仕留めた瞬間に薄く切れ上がる赤い唇に、気付けば平原全体を視野に置き、平等に評定を下さねばならない己が役割も忘れて見入っていた。視線を長く送り過ぎ、彼女に中空の気配を気取られる程に。初めて見たらしい飛竜に刹那目を奪われながらも、間髪置かずに向けられた弓矢がシャトリンに届くことはなかったが、今思えば射抜かれたも同然だった。
 その日を境に、潰された鏃よりも余程鋭い切れ味を持つ双眸が心に焼き付いて離れなかったのだ。
 晴れて現場任務に就いたクラリスは順調に手柄を重ね、八年後には一部隊を任されるまでに躍進した。資産家の父の後押しもあったが、二十代の若さと女性と言う不利を跳ね除けたのは、彼女自身の実力だ。職務に対する真摯な姿勢や、立ち居振る舞い同様にまっすぐな心根を観察し続ける理由が、優れた身体能力への純粋な関心ではなく、異性に対する好意だとはっきり認めるまでに要したのも八年……騎兵隊本部の廊下行き会った少尉に、あの時と同じ鋭さを持つ瞳を至近距離から受け取った時だった。
 青天の霹靂だった。
 突如自覚した想いに動揺し、一度は踵を返したが、蓋をし切れずに噴き出した感情を抑え切れず、衝動的に振り返ってしまった。口を衝いて出たのは前後に何の脈絡もない、酷い告白だ。硬直して動かなくなった少尉の前から、己はそのまま逃げるようにして立ち去った。
 ただし、その直後ミュラーリヤ連合評議会へ聴聞会を要請し、自らを断罪した己に、クラリスは随分と困惑したことだろう。今もその決断を悔いてはいないが、非常に間が悪かったことは否定しない。彼女に投げ掛けた糾弾の台詞は、全て本心からの言葉だったとしても。
 フレデリック・チュモニック少将の服務規律違反及び職権乱用は以前より目に余り、告発する準備を進めていた。第三弓騎兵隊と合同で当たった囚人護送任務にも、当然注目していた。チュモニック少将率いる第七騎兵隊は長期外地任務中で、本来なら国内にはいない。第一級殺人罪の囚人護送とは言え、別の任務に就く管轄外の少将がわざわざ呼び戻されてまで就くような任務ではなかったのだ。
 更に工程を半分も短縮して王都に取って返し、そのまま軍の持ち物である砂蜥蜴一匹とともに姿を晦ました……それで不正を疑うなと言う方が無理だ。事態を正確に把握するため、騎兵隊本部に赴き、丁度事の顛末を記した任務報告書を携えたクラリスと会ったのは、まさに渡りに船だったのだ。
 もちろん、チュモニック少将を失脚させるために、少尉を利用した訳ではない。彼女を指名して聴聞会を招集したのは、別の目的があった。むしろ、それこそが真の目的と言っていい。シャトリンは、騎兵隊にとって害悪としかならない無用な火の粉を払った上で、評議会理事の面々にクラリス・ヴィアッカ少尉と言う人物の顔と名を印象付けたかったのだ。
 服務規律違反の被疑者から一転、不当に陥れられた被害者になっただけでも理事達の心には大きな印象を残したはずだ。十分備わっていた危機回避能力を発揮しなかった旨による謹慎処分は大げさに映っただろうが、少尉は一言の反論もなく受け入れた。その清廉潔白さは格段に彼らの心証を良くしたに違いない。特に女性書記官は、同性のクラリスに一層同情的であったと見受けられた。
 また、シャトリンが敢えて本件とは直接関わり合いのない地税の不正まで詳らかにしたことで、少将の怒りの矛先はクラリスから己に移ったはずだ。彼女一人でもチュモニック如き小物の訴えなぞ退けられただろうが、実の父にさえ縋ることを厭う生真面目な彼女は、理不尽な嫌がらせも甘んじて受ける厄介な性質である。此度のことを教訓にして、折角持って生まれた権力を躊躇わずに使えるよういずれ改めてもらいたいものである。
 ヴィアッカ少尉は、こんな下らない理由で潰されるべき人材ではない。彼女には優れた指揮管理能力だけでなく、人の上に立つべき人間に必要不可欠な人徳が備わっている。癖が強いことで有名な第三弓騎兵隊の部下達とも、非常に深い信頼関係を構築していた。それは、シャトリンには持ち得ない資質だ。今は現場任務を好んでいるようだが、行く行くは第一線を退き、ミュラーリヤ連合評議会初の女性理事に上り詰めてほしい。
 そして、何十年先になるかは分からないが、その時には副官として彼女の傍らに寄り添うことが許されたら……それは何にも勝る幸福だろう。ヴィアッカ少尉に対する感情は深い尊敬の念であり、決して肉欲を伴うものではないと、シャトリンは固く信じていた。
 それなのに恋慕の自覚が肉体にまで影響を与え、サリュート人の忌まわしい本能が牙を剥いた。懇切丁寧に愛を請わねばならない相手に猶予のない要求を突きつけて、自ら言い出した五日と言う期限すら裏切ったのだ。
 まさに鬼畜の所業だ。
 こんな酷薄な人間の命を救うために、その身を捧げてくれた彼女の何と穢れなく清らかなことか……どれだけの感謝を覚えているか。そのことを余さず伝えたいのに、口を衝く台詞は無味簡素な事実確認ばかりだ。何より感情をそのまま舌に乗せて、醜い欲を知られるのが怖い。臆病で、卑怯な心を知られるのが怖い。

「……何で、どうして……反応しないのですかっ……」

 つらつらとこれまでの人生を反芻していたシャトリンは、自らの股間から上がった悲痛な声に我に返った。反射的に声のした方を俯けば、気持ち恨みがまし気な表情をしたクラリスと目が合う。彼女の白い手はそれでも己の性器に掛けられ、やわやわと上下していた。
 無意識に回想に逃げ込み、現実世界の感覚を遮断していたシャトリンは、あんまりな光景を目の当たりにして右眉を跳ね上げた。それと同時に、ようやく他人の手に触れられている感覚が押し寄せてくる。
 ただただ、むず痒い。
 それは到底快楽とは呼べなかった。酷く申し訳ない気持ちになったシャトリンは、目下の視覚の暴力からそっと視線を逸らしてしまった。クラリスの指は長く繊細で、掌も弓を射るのに理想的な形をしている。何でも器用にこなしそうに思えたが、残念ながら男性器の快楽を追い上げる技術はないようだ。
 たどたどしいその手の動きは、こちら方面の知識に疎いシャトリンにしてみても、熟練しているとは言い難い。ただでさえ他人の手による刺激と言う違和感がある上、心得があると宣言して始めた割には、随分と薄ぼんやりしたたどたどしい手つきだった。
 如何に学習能力の高いヴィアッカ少尉でも、口で説明を受けただけでは物に出来なかったのだろう。そもそも彼女が姉君から手解きを受けたのは十一年も前のこと、記憶も定かでないに違いない。
 何はともあれ、シャトリンは安堵に胸を撫で下ろす。現実逃避の上、酷い自己嫌悪に駆られていたせいか、彼自身は始まる前よりも萎えていた。
「もういい、少尉」
 今なら彼女を止められる。本能も抑えられる。若干涙目のクラリスの手を己自身から慎重に引き剝がしながら、シャトリンは首を横に振った。
「もう少しだけ試せてください、そうだっ……口の中の柔らかい粘膜なら、もっと巧く出来るはずです」
「そんなことはしなくていい!」
 根が真面目ゆえに引っ込みがつかなくなったのか、とんでもないことを言い始めたクラリスに、シャトリンはつい語尾を荒げてしまう。怒鳴られたと思ったらしい彼女は、大きく肩を震わせた。
「お互いに落ち着こう、少尉。今の我々はどちらも正気ではない、我に返った時に後悔したくはないだろう?」
 頭に血が上っている様子のクラリスを落ち着かせようと、シャトリンは穏やかに聞こえるように、単語一つ一つをゆっくりとその舌に乗せる。
「後悔……」
 彼女はその言葉を復唱した後、自らを見上げる暗い双眸がポロリと涙を零した。落ち着きを取り戻し掛けていたシャトリンの心が、再びざわめき出す。
「少尉、私は……」
 握ったままだった手も振り解かれ、咄嗟に口を衝いた言葉の続きを見失った。
「私なんて、……理性がある状態では手も出したくないと言うことですか?」
 色を失ってなお赤い唇が発した声は囁くようで微かに震えてもいたが、常人より優れた聴力を持つシャトリンゆえに聞き逃しはしない。
「……少尉?」
「クラリスです!」
 再び呼び掛けた己に、彼女は叫ぶように言って頭を横に振る。
「……違うっ、……済みません。何だか私、今猛烈に面倒臭い奴になってる」
 再度訴えた後に自由になった両手で顔を覆い、俯いてしまったクラリスの姿に、無表情の下でシャトリンは激しく動揺する。己は何かを、決定的に間違えてしまったようだ。間違えてしまったことは確かだろうが、厄介なことにそれが何か分からない。
 その手はつい先程まで己の一物を揉みしだいていた訳だから汚いだろうに、申し訳ないし、やめさせたいが、余計なことをして更に追い詰めたくはない等々……愚にも付かないことばかりが頭の中をグルグルと駆け巡った。
「……私、こんなでも女なのですよ」
「ああ、そうだな」
 一拍置いて喋り出したクラリスに、頭の中に膨大な疑問符を飛ばしたままにシャトリンは頷く。否定する理由はない、彼女は女性だ。身をもって知っている。
「寄って来るのは金目当てばっかりで、まともな恋愛なんて諦めていました。でも、やっぱりほんの少しは憧れがあったんです。夢見過ぎだって思われるでしょうけど、初めては心から好きになった人と、とか……宝物みたいに大切に、優しくしてもらいたい、とか」
 なおもたどたどしく吐露された内容には、次第に胸が締め付けられる。
 クラリスが抱く女性として当然の願いに、己は何一つ応えられていなかった。性行為を愛の営みと見做す彼女の心をミー・ガンの血によって錯覚させ、浅ましい衝動で踏み躙っただけ……双方同意の行為とはとても言えない。我に返れば後悔するなぞ、よくもそんな綺麗事が言えたものだ。
「女性として魅力がないって、ちゃんと理解していたはずなんです。それなのに、私はただの本能的衝動を勘違いして……恥ずかしいやら悲しいやら」
 だがしかし、更に続いた聞き捨てならない台詞に自責の念を遮られたシャトリンは、大きく右眉を跳ね上げた。
「ミー・ガンのような生理的周期が訪れなければ、私なんてっ……」
「ちょっと待った、少尉。いつ私がそんなことを言った?」
 そして、慌ててクラリスの言葉を遮るが……。
「おっしゃってないですよっ、何も! 何の説明もしてくれないから、生理的反応から推し量るしかないじゃないですかっ……正気に戻った途端に名前から階級に呼び名も戻ってしまったし、恥じらいを捨てて頑張ってみても、貴方自身は反応するどころかすっかり萎えてしまってっ……これ程雄弁な証拠が他にありますかっ?」
 サッと顔を上げたクラリスは、初対面で己の心臓を貫いたと同じ鋭い視線とともに誤解も甚だしい返答を飛ばしてくる。
「しょうっ……いや、クラリス。全て誤解だ」
 何と言うことだろう。利己的な保身のための沈黙が、彼女の繊細な心を傷付けていたのだ。急き立てられるような思いに駆られて、シャトリンは手を伸ばした。
「へっ……あの、何で目隠しを?」
「……済まない。君の目に見られていると、巧く言葉が出てこない気がした。このまま聞いてもらえると助かる」
 咄嗟に伸ばしたシャトリンの手は、本能的にクラリスの印象的な目を覆っていた。戸惑う彼女の問い掛けへの答えは、己の目まで覆いたくなるような情けない代物だったが、偽らざる本心なのだからどうしようもない。
「私は感情を押し殺すことに慣れ切っていて、己の心を読み解くことが不得手だった。君への想いを自覚した今も、どう言葉にしていいやら分からない……だが、言葉が足らずに君を傷付けてしまったことは、本当に申し訳ないと思っている」
 震える睫毛や生温かく濡れた瞼の感触に、己が泣かせてしまったのだと再び落ち込んだ。クラリスは無理に手を振り解こうとはせず、視界が利かないままシャトリンの声に静かに耳を傾けてくれる。突如奇行に走った己を気遣う様子すら見せる彼女は、後ろめたくなる程に優しい。
「私は嘘を吐かない。八年前から君には好意を抱いていた。ただ、それを自覚するのにも八年掛かってしまったが……ミー・ガンのせいで君を選んだ訳ではない。絶対にだ。むしろ君への想いを自覚したせいで、覚醒期が訪れたと言っていい」
 その優しさに報いるために、シャトリンは言葉を続けた。
「鋭い双眸もその唇も、完璧な肢体も抗い難い程に魅惑的だが、私にとって一番価値があるのは君の心だ。本能の暴走を止められないなら、せめて理性のある間くらいは衝動を抑えたい……その一心だ。階級で呼び直したのも、自戒するためであって他意はない。足腰が立たない程に疲弊させてしまった君に、これ以上の無体を強いたくないと思うのは、そんなにおかしなことだろうか?」
 最後にそう問い掛けると、クラリスの双眸を覆っていた掌がやおら湿ってくる。また泣かせてしまった。今度は一体、何を間違えたのだろうか?
「済みません、もう少しだけこのままでっ……あぁ、もう駄目です。情けない、恥ずかし過ぎる」
 表情を読もうと手を放そうとすれば、今度は彼女が手首を掴んで動きを阻んできた。唯一目視出来た小さく戦慄く赤い唇を、シャトリンは注意深く見つめる。
「何て言ったらいいか……こんな状況、私も初めてですから。順番が逆になってしまったけれど、今からでも貴方のことをもっと知りたいです」
「……それは、我々にとってとても建設的で、実に論理的だ」
 思ってもみなかった言葉に、シャトリンはそう答えるので精一杯だった。

 これがどういった心の動きなのか己でも謎だったが、今までに増して目の前の彼女が愛おしい。
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