9 / 9
9 たった一つの
しおりを挟む
いつの間にか眠っていたらしい。薄ら瞼を持ち上げる。怖い夢を見た気がする。でも、もう思い出せない。
この体勢は、もしかして私……海里さんに寄り掛かって寝てた?
ハッと気付いて慌てる。身を起こそうと思った。だけど。行動に移す前に声が聞こえて、動けない状況に陥る。向かい側の席に座っているお兄ちゃんと柚佳さんが、込み入った話をしていた。話し声は二人分で、それとは別に私のすぐ近くからは一人分の……海里さんの寝息が聞こえる。
柚佳さんとお兄ちゃんがこっちを見た。内心では動揺しながらも、薄目のまま寝ているフリを続ける。柚佳さんがフフッと笑う。お兄ちゃんも私の方を見ながら、目を細めて口角を上げている。……バレてないよね?
「望み薄だよ」
柚佳さんがお兄ちゃんに耳打ちしている。潜めた小さな声だったけど、私にも十分聞こえている。
「篤君、諦めついた?」
「……まだ」
「フフッ……私も」
柚佳さんが幸せそうに微笑む。笑みを解いた彼女の相貌は、どこか悲しげにも見える。
「前世の記憶がなかったらきっと、私たちは違う運命を辿ったんだろうね?」
再び笑顔を作って言及する彼女を見て思う。私が考えていた以上に……柚佳さんの心は、ボロボロだったのかもしれない。
「前の人生で、美緒の気持ちを踏みにじった。だから彼女が沼田君を選ぶのなら、仕方ないと思っていた。でも」
兄が後悔を口にする如く紡ぐ。続く言葉を聞き取れなかった。私を見つめている。彼は微笑んでいるのに変だな。泣いているように見える。
柚佳さんは静かに、お兄ちゃんを見守っていた。けれど突如「妙案を思いついた!」とでも言いたげに、明るい表情で事案を持ち掛けている。
「篤君。私、今度は子供が欲しいな。子育ては大変だろうけど、きっと楽しいよ」
っ? 思わず目を広げてしまいそうになるけど、何とか堪える。
「叶えてくれる?」
楽しげに尋ねる彼女へ、兄は心配そうに目を細めている。
「もういいの?」
兄の問いに……一言だけ返事がある。
「うん」
柚佳さんは、声を殺して泣いていた。
201号室の戸が開けられる。海里さんの親族の男性は、私たちを見るなり声を上げた。
「またかよ!」
嫌そうな顔をしながらも、海里さんと私を部屋の中へ招いてくれる。……この前の事を怒っているんだよね?
「大丈夫です! 今日は話をするだけですからっ!」
男性の視線が、弁明する私から海里さんへと移動する。睨むような目付きで、ブツブツと呟かれた内容が聞こえる。
「そんな訳ねーだろ」
海へ行った日から何日か経った。今日と明日は学校が休みなので、約束していた喫茶店とカラオケに行って来た。帰る途中、まだ話をしたいと言われて。私も一緒にいたかったので了承したら、ここに連れて来られた。
この前の事もあるし、さすがに遠慮してアパートの前で拒んでいたけど。「あいつも喜ぶから」と説得されて、恐る恐る訪れたのだ。
木目のテーブルの上に、紅茶を用意してくれた。
「ありがとうございますっ」
男性にお礼を言う。彼は私を見て目を大きくしている。微笑まれる。何故か……ホッとする。
「あっ、私のお気に入りのマグカップ!」
気付いて嬉しくなる。ニコニコと、くまさん柄のカップを見ていた。
……あれ? 変だな。何で……そんな事を思ったのだろう。
眉を寄せて首を傾げていると、テーブルを挟んで向かいに座っている海里さんが笑った。私の左隣に座った男性は、左腕で頬杖をつき溜め息をついている。
「で? 二人は話をする為に、ここへ来たんだろ? どうぞ?」
男性が投げ遣りな口調で促してくる。海里さんがニヤッとした顔で言う。
「子供は寝る時間だぞ」
「おまっ……! よく言えたなっ!」
男性が目を剥いて反論している。海里さんは静かな声で返す。
「お前こそ、オレによく言えるな?」
「オレの方が年上だぞ? 家族の団欒より、イチャイチャを選ぶのかよ! まだ未成年の癖に!」
「ま、まあまあ……。二人とも落ち着いてください。家族の団欒を邪魔しちゃってるのは私です。やっぱり私、帰ります」
ケンカの原因が私だと分かって、お暇しようとした。海里さんと男性が、勢いよく振り向いてくる。
『ダメだ!』
見事に、二人の声が重なった。
「~~~っ、分かった。オレ、また友達んちに泊めてもらう」
項垂れていた男性が言い出す。
「えっ? そんな。私、もう帰るので大丈夫です!」
焦る。泊まるつもりじゃないのを強調したい。男性からの、ジトッとした視線を感じる。
「ここには、いつでも来ていいから。その代わり、一つだけ願い事を聞いてよ」
瞬きを何度かして、見つめ返す。
「私にできる事なら」
答えた直後に内容を明かされる。
「頭、撫でてくれる?」
要望に驚く。頭が痛いのかな?
恐る恐る手を伸ばす。大人の人の頭を撫でるのって、ちょっと抵抗があるなぁ。
撫でてみる。彼は気持ちよさそうに瞼を閉じている。髪質も海里さんに似ていた。
「普段、頑張ってるのに。褒めてくれる人がいなくてさ」
理由を教えてくれた。少し俯いている彼は、しんみりした表情で目を開ける。
「……ありがとう」
「元気出ました?」
撫でるくらいじゃ全然、力になれていないと分かっているけど。心配で聞いてしまう。私が暗い顔をしていたからかもしれない。見開かれていた彼の目が細まる。
「十分だよ」
溌剌と笑ってくれた。
海里さんの親族の男性は、先程の言動通り出掛けた。
玄関の戸口の前で見送った後……下ろした右手に何かが触れる。右隣を見る。海里さんと視線が合う。彼も私と同じく、見送りの為に玄関に立っていた。指を絡めてくる。
真っ直ぐな瞳に怯む。逸らして俯いた。胸が、痛いくらいに鳴っている。
柔らかい声に話し掛けられる。
「美緒。まだ何か、心配してる?」
心音が跳ねる。左手で胸の中央を押さえ、彼へ視線を戻す。気付いてくれた事に苦しさが増す。
聞いてもらえるチャンスは、もしかしたら……もうないかもしれない。わだかまりを抱えたままでは、だめだと……違う人生を歩んだ別の『私』たちが訴えているような、心の奥からのメッセージを感じる。
「海里さん。もし柚佳さんが海里さんの事を好きだったら……本当は最初から好きだったら……海里さんは、柚佳さんと付き合ってましたよね?」
「うーん。そうだな……。記憶がなかったから、そうかもしれない」
今日、喫茶店からカラオケに向かう途中で……色々と聞いていた。海里さんが柚佳さんに、どこか距離を置かれていた事も。
柚佳さんが本当の気持ちを打ち明けて、海里さんが受け入れてしまったら。どうしよう!
夢に見てしまうくらい不安になる。「二人は両想いなのに、私のせいで遠慮してる!」などと、つい考えてしまう。モヤモヤしていた。確かめたかった。だけどできなかった。口にしたら海里さんは、柚佳さんの元へ去ってしまうんじゃないかって。
狡くて卑怯でも。ずっと一緒にいたかった。
重ねられた手を握り返す。下唇を噛んで、出そうな涙を堪える。
「記憶が甦ってから、それまであった違和感の正体が分かった。何で柚佳が好きだったのか。そりゃあ、好きだよなって思った」
軽い口調で笑っている彼を見つめる。
「『オレ』はこれまでの人生の奴らと違う。変わってしまった。変えられてしまった」
真剣な目で見つめられた。
「でも『オレ』は『オレ』の意思で選ぶ」
「~~っ。以前……迎えに来てくれた海辺で、お兄ちゃんに言われてましたよね? 私に話してないのかって。あれって記憶の事ですよね? あと、私たちの関係を秘密にするように言ってたのは? 柚佳さんや、お兄ちゃんは……私の前世も知ってたのに?」
疑問だった事柄を続け様にぶつける。きょとんとしたような間の後、ニッと口角を上げてくる。
「ああ。美緒には記憶の事を話さず、様子を見ていた。本当に篤が好きなのか疑問を持っていたから。秘密にするよう言っていたのは……抜け駆けだよ。篤を出し抜きたかった。絶対に取られたくなかったんだ。違う人生のオレなんて気にしない。『オレ』は、美緒が好きだよ」
優しい微笑みを向けられる。彼は、告げてくれたのに。私は、焦燥感に煽られて口走ってしまう。
「何でですかっ? 初めて喫茶店に行った日も……何で好きって言ったんですかっ?」
言ったらダメだと分かっているのに。勢いよく言葉が迸る。
「何で惑わすんですか? もう、手放せなくなってしまったんです……。手放したら凄く惨めな気持ちが残ってしまうのに。私には……そうする事しかできないの……」
両手で顔を覆い、俯いた。
「助けてほしかった。ずっと。許してほしかった。手を伸ばして、未来を選び取りたかった。誰かの設定した正しさより、私の真実を守っていいよって。……でもね。肯定するのも、ダメだと止めるのも……結局は私だけができるの。私を誰よりも知っているのは、私だから。私を正しいと決めるのは、世界中で私だけだから。だから私だけは、ずっと忘れないでいようと」
腕を引っ張られた。温かい。
「美緒」
宥めようとしているような、落ち着いた声音が心地いい。抱きしめられた腕の中で、暫く目を閉じていた。
「海里さん。ごめんなさい。シャツが濡れちゃいます。もう大丈夫です」
涙が止まらなかったせいで、彼の紺色のシャツに染みができている。
「いいよ」
彼は許してくれたけど。放してはもらえなかった。
何度も。思い出にしようとしていた。キスした事も。喫茶店に行った事も。雨に濡れた事も。でもそれじゃあ……今まで繰り返してきた多くの人生と変わらない。
何度も何度も繰り返された物語は……本当は、たった一つだったのかもしれない。
自分の思考が突飛で、小さく笑う。
「美緒は美緒だよ。過去や未来のオレなんて『オレ』の土台に過ぎない。ここに今いる『オレ』は、紛れもなく美緒が好きなんだ」
海里さんの話を聞いていて、考えが行き着いた。悩んで見失っていた答えを見付けた気がする。
前の私に意識が引っ張られていたけど、そっか……。この人生をどう進んで行くか決めるのは、今の私だ。私次第。私が……主人公なんだ。ハッピーエンドにしてあげたい。
「ねぇ。オレばっかり言わされたのに。美緒からは何もないの?」
行為の最中に言われた。
「オレに決めて」
「狡いですっ……んっ……こんな時……にっ……言わなくてもっ……うん」
意図せず、変な声が交ざってしまう。頬に彼の手が触れる。
「赤くなってる」
告げられ、更に熱くなったと自覚する。満足そうな瞳で、ニヤリと見下ろされている。
要求から察する。私とお兄ちゃんの仲を心配しているのか、確信がほしいようだった。
「私……ちゃんと好きだって言いましたよね?」
「足りない」
口に咬みつかれた。甘く舌を嬲られた後に乞われる。
「受け入れてくれる?」
さっきより熱が上がっている。頷いたら、もっと深く愛された。
腕枕をしてもらい横になっている。少し眠たい。
「最初に二人で会った日に、オレが言った願い事……覚えてる?」
心地いい海里さんの声が伝えようとしている内容が、凄く大事な件だと気付いて瞼を開く。相手と視線を合わせる。
「ずっと傍にいて」
以前と同じ言葉でプロポーズされた。今度は、答えを出せる。
「はい」
いつかの世界で手に入れたかったものを、ぎゅっと抱きしめた。
この体勢は、もしかして私……海里さんに寄り掛かって寝てた?
ハッと気付いて慌てる。身を起こそうと思った。だけど。行動に移す前に声が聞こえて、動けない状況に陥る。向かい側の席に座っているお兄ちゃんと柚佳さんが、込み入った話をしていた。話し声は二人分で、それとは別に私のすぐ近くからは一人分の……海里さんの寝息が聞こえる。
柚佳さんとお兄ちゃんがこっちを見た。内心では動揺しながらも、薄目のまま寝ているフリを続ける。柚佳さんがフフッと笑う。お兄ちゃんも私の方を見ながら、目を細めて口角を上げている。……バレてないよね?
「望み薄だよ」
柚佳さんがお兄ちゃんに耳打ちしている。潜めた小さな声だったけど、私にも十分聞こえている。
「篤君、諦めついた?」
「……まだ」
「フフッ……私も」
柚佳さんが幸せそうに微笑む。笑みを解いた彼女の相貌は、どこか悲しげにも見える。
「前世の記憶がなかったらきっと、私たちは違う運命を辿ったんだろうね?」
再び笑顔を作って言及する彼女を見て思う。私が考えていた以上に……柚佳さんの心は、ボロボロだったのかもしれない。
「前の人生で、美緒の気持ちを踏みにじった。だから彼女が沼田君を選ぶのなら、仕方ないと思っていた。でも」
兄が後悔を口にする如く紡ぐ。続く言葉を聞き取れなかった。私を見つめている。彼は微笑んでいるのに変だな。泣いているように見える。
柚佳さんは静かに、お兄ちゃんを見守っていた。けれど突如「妙案を思いついた!」とでも言いたげに、明るい表情で事案を持ち掛けている。
「篤君。私、今度は子供が欲しいな。子育ては大変だろうけど、きっと楽しいよ」
っ? 思わず目を広げてしまいそうになるけど、何とか堪える。
「叶えてくれる?」
楽しげに尋ねる彼女へ、兄は心配そうに目を細めている。
「もういいの?」
兄の問いに……一言だけ返事がある。
「うん」
柚佳さんは、声を殺して泣いていた。
201号室の戸が開けられる。海里さんの親族の男性は、私たちを見るなり声を上げた。
「またかよ!」
嫌そうな顔をしながらも、海里さんと私を部屋の中へ招いてくれる。……この前の事を怒っているんだよね?
「大丈夫です! 今日は話をするだけですからっ!」
男性の視線が、弁明する私から海里さんへと移動する。睨むような目付きで、ブツブツと呟かれた内容が聞こえる。
「そんな訳ねーだろ」
海へ行った日から何日か経った。今日と明日は学校が休みなので、約束していた喫茶店とカラオケに行って来た。帰る途中、まだ話をしたいと言われて。私も一緒にいたかったので了承したら、ここに連れて来られた。
この前の事もあるし、さすがに遠慮してアパートの前で拒んでいたけど。「あいつも喜ぶから」と説得されて、恐る恐る訪れたのだ。
木目のテーブルの上に、紅茶を用意してくれた。
「ありがとうございますっ」
男性にお礼を言う。彼は私を見て目を大きくしている。微笑まれる。何故か……ホッとする。
「あっ、私のお気に入りのマグカップ!」
気付いて嬉しくなる。ニコニコと、くまさん柄のカップを見ていた。
……あれ? 変だな。何で……そんな事を思ったのだろう。
眉を寄せて首を傾げていると、テーブルを挟んで向かいに座っている海里さんが笑った。私の左隣に座った男性は、左腕で頬杖をつき溜め息をついている。
「で? 二人は話をする為に、ここへ来たんだろ? どうぞ?」
男性が投げ遣りな口調で促してくる。海里さんがニヤッとした顔で言う。
「子供は寝る時間だぞ」
「おまっ……! よく言えたなっ!」
男性が目を剥いて反論している。海里さんは静かな声で返す。
「お前こそ、オレによく言えるな?」
「オレの方が年上だぞ? 家族の団欒より、イチャイチャを選ぶのかよ! まだ未成年の癖に!」
「ま、まあまあ……。二人とも落ち着いてください。家族の団欒を邪魔しちゃってるのは私です。やっぱり私、帰ります」
ケンカの原因が私だと分かって、お暇しようとした。海里さんと男性が、勢いよく振り向いてくる。
『ダメだ!』
見事に、二人の声が重なった。
「~~~っ、分かった。オレ、また友達んちに泊めてもらう」
項垂れていた男性が言い出す。
「えっ? そんな。私、もう帰るので大丈夫です!」
焦る。泊まるつもりじゃないのを強調したい。男性からの、ジトッとした視線を感じる。
「ここには、いつでも来ていいから。その代わり、一つだけ願い事を聞いてよ」
瞬きを何度かして、見つめ返す。
「私にできる事なら」
答えた直後に内容を明かされる。
「頭、撫でてくれる?」
要望に驚く。頭が痛いのかな?
恐る恐る手を伸ばす。大人の人の頭を撫でるのって、ちょっと抵抗があるなぁ。
撫でてみる。彼は気持ちよさそうに瞼を閉じている。髪質も海里さんに似ていた。
「普段、頑張ってるのに。褒めてくれる人がいなくてさ」
理由を教えてくれた。少し俯いている彼は、しんみりした表情で目を開ける。
「……ありがとう」
「元気出ました?」
撫でるくらいじゃ全然、力になれていないと分かっているけど。心配で聞いてしまう。私が暗い顔をしていたからかもしれない。見開かれていた彼の目が細まる。
「十分だよ」
溌剌と笑ってくれた。
海里さんの親族の男性は、先程の言動通り出掛けた。
玄関の戸口の前で見送った後……下ろした右手に何かが触れる。右隣を見る。海里さんと視線が合う。彼も私と同じく、見送りの為に玄関に立っていた。指を絡めてくる。
真っ直ぐな瞳に怯む。逸らして俯いた。胸が、痛いくらいに鳴っている。
柔らかい声に話し掛けられる。
「美緒。まだ何か、心配してる?」
心音が跳ねる。左手で胸の中央を押さえ、彼へ視線を戻す。気付いてくれた事に苦しさが増す。
聞いてもらえるチャンスは、もしかしたら……もうないかもしれない。わだかまりを抱えたままでは、だめだと……違う人生を歩んだ別の『私』たちが訴えているような、心の奥からのメッセージを感じる。
「海里さん。もし柚佳さんが海里さんの事を好きだったら……本当は最初から好きだったら……海里さんは、柚佳さんと付き合ってましたよね?」
「うーん。そうだな……。記憶がなかったから、そうかもしれない」
今日、喫茶店からカラオケに向かう途中で……色々と聞いていた。海里さんが柚佳さんに、どこか距離を置かれていた事も。
柚佳さんが本当の気持ちを打ち明けて、海里さんが受け入れてしまったら。どうしよう!
夢に見てしまうくらい不安になる。「二人は両想いなのに、私のせいで遠慮してる!」などと、つい考えてしまう。モヤモヤしていた。確かめたかった。だけどできなかった。口にしたら海里さんは、柚佳さんの元へ去ってしまうんじゃないかって。
狡くて卑怯でも。ずっと一緒にいたかった。
重ねられた手を握り返す。下唇を噛んで、出そうな涙を堪える。
「記憶が甦ってから、それまであった違和感の正体が分かった。何で柚佳が好きだったのか。そりゃあ、好きだよなって思った」
軽い口調で笑っている彼を見つめる。
「『オレ』はこれまでの人生の奴らと違う。変わってしまった。変えられてしまった」
真剣な目で見つめられた。
「でも『オレ』は『オレ』の意思で選ぶ」
「~~っ。以前……迎えに来てくれた海辺で、お兄ちゃんに言われてましたよね? 私に話してないのかって。あれって記憶の事ですよね? あと、私たちの関係を秘密にするように言ってたのは? 柚佳さんや、お兄ちゃんは……私の前世も知ってたのに?」
疑問だった事柄を続け様にぶつける。きょとんとしたような間の後、ニッと口角を上げてくる。
「ああ。美緒には記憶の事を話さず、様子を見ていた。本当に篤が好きなのか疑問を持っていたから。秘密にするよう言っていたのは……抜け駆けだよ。篤を出し抜きたかった。絶対に取られたくなかったんだ。違う人生のオレなんて気にしない。『オレ』は、美緒が好きだよ」
優しい微笑みを向けられる。彼は、告げてくれたのに。私は、焦燥感に煽られて口走ってしまう。
「何でですかっ? 初めて喫茶店に行った日も……何で好きって言ったんですかっ?」
言ったらダメだと分かっているのに。勢いよく言葉が迸る。
「何で惑わすんですか? もう、手放せなくなってしまったんです……。手放したら凄く惨めな気持ちが残ってしまうのに。私には……そうする事しかできないの……」
両手で顔を覆い、俯いた。
「助けてほしかった。ずっと。許してほしかった。手を伸ばして、未来を選び取りたかった。誰かの設定した正しさより、私の真実を守っていいよって。……でもね。肯定するのも、ダメだと止めるのも……結局は私だけができるの。私を誰よりも知っているのは、私だから。私を正しいと決めるのは、世界中で私だけだから。だから私だけは、ずっと忘れないでいようと」
腕を引っ張られた。温かい。
「美緒」
宥めようとしているような、落ち着いた声音が心地いい。抱きしめられた腕の中で、暫く目を閉じていた。
「海里さん。ごめんなさい。シャツが濡れちゃいます。もう大丈夫です」
涙が止まらなかったせいで、彼の紺色のシャツに染みができている。
「いいよ」
彼は許してくれたけど。放してはもらえなかった。
何度も。思い出にしようとしていた。キスした事も。喫茶店に行った事も。雨に濡れた事も。でもそれじゃあ……今まで繰り返してきた多くの人生と変わらない。
何度も何度も繰り返された物語は……本当は、たった一つだったのかもしれない。
自分の思考が突飛で、小さく笑う。
「美緒は美緒だよ。過去や未来のオレなんて『オレ』の土台に過ぎない。ここに今いる『オレ』は、紛れもなく美緒が好きなんだ」
海里さんの話を聞いていて、考えが行き着いた。悩んで見失っていた答えを見付けた気がする。
前の私に意識が引っ張られていたけど、そっか……。この人生をどう進んで行くか決めるのは、今の私だ。私次第。私が……主人公なんだ。ハッピーエンドにしてあげたい。
「ねぇ。オレばっかり言わされたのに。美緒からは何もないの?」
行為の最中に言われた。
「オレに決めて」
「狡いですっ……んっ……こんな時……にっ……言わなくてもっ……うん」
意図せず、変な声が交ざってしまう。頬に彼の手が触れる。
「赤くなってる」
告げられ、更に熱くなったと自覚する。満足そうな瞳で、ニヤリと見下ろされている。
要求から察する。私とお兄ちゃんの仲を心配しているのか、確信がほしいようだった。
「私……ちゃんと好きだって言いましたよね?」
「足りない」
口に咬みつかれた。甘く舌を嬲られた後に乞われる。
「受け入れてくれる?」
さっきより熱が上がっている。頷いたら、もっと深く愛された。
腕枕をしてもらい横になっている。少し眠たい。
「最初に二人で会った日に、オレが言った願い事……覚えてる?」
心地いい海里さんの声が伝えようとしている内容が、凄く大事な件だと気付いて瞼を開く。相手と視線を合わせる。
「ずっと傍にいて」
以前と同じ言葉でプロポーズされた。今度は、答えを出せる。
「はい」
いつかの世界で手に入れたかったものを、ぎゅっと抱きしめた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~
双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。
なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。
※小説家になろうでも掲載中。
※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
こんにちは、最強騎士にお持ち帰りされたダメエルフです~もう逃げられません~
西野和歌
恋愛
おちこぼれエルフのシャーリーは、居場所を求めて人の国にて冒険者として活躍する事を夢見ていた。
だが、魔法も使えず戦闘ランクも最低のお荷物エルフは、すぐにパーティーを解雇される日々。
そして、また新たに解雇され一人になったシャーリーが、宿の食堂でやけ酒をしていると、近づく美貌の男がいた。
誰もが見惚れるその男の名はウェダー。
軽い調子でシャーリーを慰めるついでに酒を追加し、そのまま自分のベッドにお持ち帰りした。
初めてを奪われたエルフは、ひたすらハイスペックエリートの騎士に執着されるうちに、事件に巻き込まれてしまう。
これは、天然ドジな自尊心の低いシャーリーと、自らに流れる獣の血を憎みつつ、番のシャーリーを溺愛するウェダーの物語です。
(長文です20万文字近くありますが、完結しています)
※成人シーンには☆を入れています。投稿は毎日予定です。※他サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる