Etoile~星空を君と~

結月

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第一章

#1 旅立ち

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 父は言った。人は死んだら星になるのだ、と。
 一人野原に座る少女は空へ向かって手を伸ばす。星の光を遮るものが少ないこの小さな農村は、夜になると満天の星空が広がる。
 どこまでも続く漆黒の闇には星々が点々と輝いており、少女はその一つを掴み取るような仕草をした。瞬間、サアッと吹いた風が肩より短く切り揃えられた、まるで星明かりが照らす夜空のような少女の黒髪をふわりと揺らす。
(そろそろ夜ご飯の時間だ…遅くなるとおばさんに怒れちゃう)
 少女はよいしょ、と立ち上がり星空の下家路を辿る。点々と立ち並ぶ家はどこも明かりが灯っており、お腹の空くような香りが漂ってきた。
 少女はお腹が鳴りそうになるのを抑えながら小走りに家に急ぐが、途中二つの人影が視界に入り足を止めた。その人影のうち一人はこの小さな農村の年老いた村長。もう一人は穏やかな農村には似つかわしくない黒い制服をかっちりと着ており、ツルなしの眼鏡が特徴的で少々年配にも関わらずぴん、と背筋が伸びたいかにも厳格そうな顔つきの…軍人であった。
(あれって軍人さん……?) 
 この国アルカディオ。十年前の星の制裁により、戦争が収束している今でさえも限られた国としか国交を持たない超閉鎖的国家。そんな国を統べるのは、長きに渡る戦争から代々この国を守ってきたアルカディオ家。なんでもお堅い軍人一家らしく、総司令官である歴代当主の指揮のもと統制されたアルカディオ軍もまたお堅い人間ばかりらしい。
 そんな軍人さんが東西南北広がる領土の中、首都から遠く離れた辺鄙な田舎村へ何の用だろう。
 少女は物珍しい光景に興味をそそられ、近くにあった建物の陰に隠れ村長と軍人の会話に耳をすませる。
「この村に……という………いませんか」
「それなら……に………だ」
 距離的に双方の会話は途切れ途切れにしか聞こえず、内容はさっぱりだ。
「う~ん…よく聞こえないや…」
「徴兵だったりしてな」
「うわ!?」
 突然横から現れた声に少女はびっくりして大声を出してしまう。
 気づかれてしまっただろうか、と少女は物陰からそろりと様子を伺うが、どうやら話に夢中でこちらには全く気付いてはいないようだった。
 少女は声の主、自身と同じぐらいの十三、四歳の少年をジロリと睨みつける。
「いきなり話しかけないでよセンリ」
「悪い悪い、ミユが帰ってくるの遅いから見てこいって母ちゃんが」
 センリと呼ばれた少年は少女の母の姉の息子…つまりは従兄弟である。
 センリは手で謝るポーズをとると少女、ミユの隣に立ち共に聞き耳を立てる。
「やっぱ全然何言ってるか分かんねえな」
「ねえ、さっき言ってた徴兵ってどういうこと?」
 ミユはセンリが先程言っていたことについて聞く。
「ああ、なんでもお国の戦況がよろしくないみたいでよ、そのうち一般人も徴兵させるんじゃないかとかなんとか~…って大人達が言ってたのを聞いたことあるんだ」  
 センリは頭をぽりぽり掻きながら曖昧気味に答える。
「あれ、戦争って終わったんじゃなかったの?」
 十年前に戦争は終結したはずなのになぜ今更兵を集める必要があるのだろう。
「大規模なのはな。星の制裁をきっかけに戦争から身を退いた国も多いけど今でもうちの国境付近では敵国との争いが絶えないらしいぜ。上辺じゃ平和を謳ってるけど、国の勝利のためなら手段を厭わないって聞くしな。科学者が造った兵器を軍が買って戦って…それがこの国のサイクル。日々物資とお金と命の無駄遣いよ」
 やれやれといった風にセンリは両手を掲げながら首を横に振る。
 国のために戦う、まだ何も知らない幼い少年少女である自分たちにはなんとも馬鹿げた行為のように感じた。何故人が命をかけて戦い合っているのか、痛い程に知ることになるのはもう少し後のこと—————
「あ、移動する。追いかけるぞ!」
 村長から何かを書き綴ったメモを受け取ると、軍人はどこかへと向かって歩き出した。ミユとセンリも建物の陰から出るとその後をつける。
 軍人は点々と家が建っている住宅地を歩いていき、目的地に辿り着いたのか足を止める。
「ここか」
 そう呟いて軍人はメモをもう一度確認する。メモを近づけたり遠ざけたりしているのは、村長の書いたメモが不可解なのか、それとも余程目が悪いのか。
 建物の戸をノックすると中から出てきたのは中年の女性。女性は少し顔をしかめたが扉の外で少し話をした後、軍人を家の中に入れた。
 後ろから後をつけていた二人は軍人が入っていった家を見て驚愕する。
「え………」
 そこは紛れもない自分たちの家だった。
「うちの父ちゃんが兵士に……!?武器…と言ったらクワか鎌ぐらいしか持ったことねえぞ…?あと斧か…」
 センリはどうしようというように頭を抱える。
 いくら人の少ない田舎とはいえここに来るまでにも何軒か家はあった。村長から渡されたメモを頼りにこの家に来たのは本当に徴兵が目的だからなのだろうか。
 混乱しているセンリを引きずりながらミユは裏口に回ると、窓の外からそっと覗く。窓から見える部屋には先程まで自分たちが後をつけてきたツルなし眼鏡の軍人と伯母、伯父の姿があった。
 伯母が人数分のお茶を用意し終え席に着くと、軍人が眼鏡をくいっと上げ話を切り出す。
「ミノル・カンザキという人物をご存知ですか?」
 先程物陰で聞いていた時よりもはっきりと聞こえた。
 "ミノル・カンザキ"
 ミユはその言葉に目を丸くする。
「ミノル…?カンザキってたしか……」
 先程まで頭を抱えていたセンリはミユの方をチラッと見る。
 カンザキとはミユの姓だ。しかし重要なのは…。
 久しく聞いていなかった名前に困惑しているミユが答えるよりも先に伯母が吐き捨てるように答えた。
「ミノルは私の妹の夫よ。十年前に死んだけどね」
 ミノル・カンザキ。伯母の妹の夫、そしてミユの父親である。
 伯母は、というより母方の血縁者は皆父のことが嫌いなのだ。オトナの事情っていうのはよく分からないが、素性が知れなかった父の生い立ちとか母方の一族の問題とか色々あったらしい。好きな人とただ一緒にいたいだけなのに何故ダメなのだろう。
 結果母は家を飛び出し父と駆け落ちした。そして娘を産み幸せに暮らす……はずだった。
 生まれつき身体が弱く、元より病気を患っていた母は娘を産んで間もなく亡くなり、父も十年前の星の制裁にて帰らぬ人となった。幼い娘を一人残して—————
 まだ幼かったミユは伯母の家に引き取られ今に至る。もっとも姓はそのままなのだが。
「そうそうお前の父ちゃん。すっげえ科学者だったんだろ?」
 そうなのだ。父は俗にいう天才科学者で、この国でも有名だっらしい。残念ながらその遺伝子は一切自分に受け継がれなかったようだが…。以前伯母から「あの男から唯一受け継いだのは髪色とその泣き黒子だけね」と言われたことがある。ミユは左目の下にある黒子をそっと撫でた。
 天才科学者、それこそが母の一族が父を嫌う理由。
 ただ己の探究心のまま最高の結果だけを求める科学者と、勝利のためなら如何なる手段も厭わない軍。その相互関係から治安維持に強く取り組んでいるにも関わらず、国は半ば犯罪じみたその存在を黙認している。
  母や伯母の一族は、アルカディオ建国以前に東の国から伝わった遥か昔から続く由緒正しい刀派"サクラネ"の継承者らしく、技術が発達した今でこそ刀というものはただの鋼の塊と称されあまり扱われなくなったが、人の心を込めて打つ、すなわち"刃は魂"を心情とするサクラネ家もとい刀工たちは、人の命を奪うために有を生み出す科学者たちと相容れない。
 そんな存在の頂点に達するような父と母との関係を一族が黙っているはずがなかった。
 結果として正式な跡取りであった母を死なせてしまった父は、妻の死に涙を流さない人でなし、幼い娘を一人置いてこの世を去った無責任な男、冷酷科学者、悪魔など、数百年続くサクラネ家の歴史にその悪名を刻まれたのである。
「そう、みたいだね…」 
 ミユは苦笑しながらおぼろげな父との記憶を思い出す。周りはよく父のことを良くも悪くも人ではないと言うが、父と過ごした日々はたった四年ではあったが幸せなものだった。
「十年前、あの戦場にあった遺品の中から発見されたものです。…ご本人のもので間違いないでしょうか」
 そう言って軍人は懐から何か布で包まれた物を出しテーブルの上に置く。
 包んでいた布を広げると、血が染み付いた手帳が露になる。
 伯父は血痕に触れぬよう慎重に手帳を開き、伯母に見せた。
「……義弟のものだわ」
 伯母は顔をしかめながら答えると伯父に手帳を閉じさせ軍人を見る。
「それで?今更こんな物持ってきて一体何のつもりかしら?」
「その手帳からも分かるように彼が携わっていた研究…エトワールシリーズについてお聞きしたい」
 伯母の眉が一瞬ピクッと跳ねたのを窓の外から見ていたミユは見逃さなかった。
「エトワールシリーズって何だ?」
 センリはミユの方を見て尋ねる。
「私に聞かれても…。第一パパが何を研究していたかも分からない…」
 そう言ったミユは、ふと十年前父が帰らぬ人となった日のことを思い出す。あの時の父の顔は幼いながらにはっきりと覚えていた。
 戦場から発見された父の手記、エトワールシリーズ、軍人……。
 父が携わっていた研究は—————
「生憎ミノルに関する物も情報も何一つ持ってはいないの。悪いけど帰っていただけるかしら」
 伯母は夕食を盛り付けるようにとテーブルの隅に準備された食器をわざとらしくチラッと見る。
「……分かりました。また何か分かった事があればこちらに電報を送ってくださるとありがたい」
 軍人は連絡先を書き記した紙を伯母の前に差し出すと、用意されたお茶を飲み干し立ち上がる。
「夕飯時に突然押しかけてすまなかった。では失礼」
 伯父と伯母に一礼した軍人は、白髪の目立つ結った長い髪を靡かせながらくるりと背を向けると、その場を後にした。
 伯母宅から出てきた軍人は、はあ…と深い溜息を吐くと眉間に皺を寄せる。思っていた情報が得られず機嫌が悪いのだろうか。
 ミユとセンリは軍人が去っていくのを確認するとコソコソと家に入る。軍人の一件ですっかり忘れていたが、センリは帰りの遅いミユを呼びに行くよう言われていたのだ。きっと怒られる。
「随分と遅いお帰りね」
 抜き足差し足で自身の部屋に向かおうとしていた二人を、背後から氷のように鋭い言葉が突き刺す。
「た…ただいま……」
 おそるおそる振り向くとそこには鬼…いや伯母が腕を組んで立っていた。
「「ごめんなさいぃぃぃ!!」」
 玄関に二人の息ぴったりな断末魔が響く。
「二人ともおかえり」
 二人の断末魔が聞こえると、奥からひょっこりと現れた伯父が笑顔で迎える。これがこの家の日常茶飯事。
「ハンバーグ焼くから。さっさと手洗って席につきなさい」
 伯母も溜息を吐くとそれ以上は怒らず、食事にしようと促す。
「お!ハンバーグ!?やった!!」
 そう言ってセンリは食卓へ急ぐ。
「いっただっきま~す!!」
 元気に隣で手を合わせているセンリに合わせてミユも小さく「いただきます」と言うとテーブルにセットされていたフォークを手に取る。
 目の前のハンバーグは伯母の得意料理。昔はよくセンリと三人でヘンテコな形を作っていたものだ。
 ミユは一口大に切ったハンバーグを口に運びながらチラッと前を見る。あんなことがあったのに伯母も伯父もいつも通りだ。それとも二人にとって父はどうでもいい存在なのだろうか。少なからず伯母にとっては良くない存在であることに間違いはないのだが。
「どうかしたの?」
 無意識にじっと見つめていたミユの視線に気づき伯母が尋ねる。
「ううん、なんでもないよ」
 ミユは慌てて目を逸らすと、一口大に切るだけ切って全く減っていないハンバーグに目を落とす。
 いつも通りにしている伯母がなんだかとっても憎らしい。先刻父の話をしていた時はあんなに顔をしかめていたのに。
 いつもなら喜んで食べるのに、あんなにお腹が空いていたのに。
 ミユは手にしていたフォークをテーブルに置くと席を立つ。
「ごちそうさま…」
「どうしたんだい?ミユちゃん。どこか具合でも悪いのかい?」
 伯父は心配そうにミユを見る。
 伯父も伯母もいつも通りだ。自分も平然を装わねば。
「違うよ!ちょっと遊び疲れちゃって…!もう寝るね」
 そう言って逃げるように台所から出ると階段を上り自室へ向かう。
 ミユがいなくなってしばらくしん、と静まり返っていた食卓でセンリはそ~…っと皿の上に一口大に転がるハンバーグに手を伸ばす。
「……ミユの分食べていい?」
「…ダメよ」
 そう言って伯母はセンリからミユの残したハンバーグを取り上げると、薄い透明のフィルムをかけて保冷用の棚にしまった。


          ☆   ★   ☆


 ミユは自室の隅で小さく蹲っていた。明かりをつけていないにも関わらず、部屋の中は窓から差し込む星の明かりだけで本が読めそうな程には明るかった。
 父が亡くなった時、誰が自分を引き取るかで大分揉めたのを覚えている。
 皆一様に一族の大切な跡取りを誑かした悪魔の血が流れた子、と呼び誰も自分を引き取ろうとはしなかった。
 伯父は知らないが伯母は父のことが嫌いだ。それだけならまだしも、まだ幼かったので母のことはあまり覚えてはいないが、妹である母とも仲が良くはなかった、という話も聞いたことがある。
 一体伯母は何を思い自分を引き取ったのだろうか。
 伯母は本当は自分のことが嫌いなのではないだろうか。
 急に孤独に苛まれたミユは父のことを思い出す。
(パパ…!)
 ふとあることに気づくとミユは顔を上げ、窓の外に広がる満天の星空を見つめる。
 軍人が手記を出した時伯母は間違いなく父の物だと言った。父に関する物も情報も何も知らないと言っていたが何故あの手記が父の物だと分かったのだろう。
(それにあの~…なんだっけ…なんとかシリーズってやつ……)
 その話が出された時一瞬ではあったが確かに伯母は反応していた。
 伯母は何か隠している。
 ミユはずっと前にセンリとかくれんぼをしたことを思い出す。センリが隠れた物置部屋。あそこに入って伯母にこっ酷く怒られた思い出がある。あの時はお化けが出るから二度とここへ入ってはいけないと言われ、そのままそこへ足を踏み入れようとはしなかったが、間違いない。あの部屋にはきっと父に関する何かがあるはず。
 窓の外に光る無数の星たちのうち、一つが大きく弧を描くように流れるのを見ると、ミユは立ち上がってそっと扉を開けた。
 廊下に出ると薄暗く、階段の方から台所の灯りが見える。伯父も伯母もセンリもまだそこにいるようだった。
 物置部屋はそれぞれの個室が並ぶ一番奥。
 ミユは一歩歩く度に床が軋む廊下をゆっくり歩いて行き物置部屋の扉に手をかける。
 鍵がかかっていたらどうしようかと思ったが、その心配もなく扉は開いた。あまり出入りされていないのか蝶番が錆びており、開けた瞬間ギイッという音が静かな廊下に響いた。
(うわわ…)
 ミユはこれ以上音が響かないよう小さく開いた扉の隙間から中に入る。
 中は天窓がある六畳ほどの部屋で少し埃っぽかった。
 辺りを見回すと埃被った箱がいっぱい積んである。
(さすがに手当たり次第に開けるのはダメだよね…)
 窓から注ぐ星明かりを頼りに近くにあった箱を見てみると"センリ おもちゃ"と記載がしてあった。他の箱もよく見ると"夏服"だの"ダン(伯父のことである)の古本"だのと箱の中身が何なのかきちんと書いてある。なるほど、実に几帳面な伯母らしい。
 ミユは箱に書かれた文字を一つ一つ確認していく。そうするうちに部屋の一番奥、光の当たらないとろに置かれた、両手を広げたぐらいの大きさの木箱が目に入る。見てみるとその箱だけ何も書かれていない。
(きっとこれだ…)
 箱の上に埃が積もっていない。少し前に誰かが開けたのだろうか。
 木でできた箱の蓋を開けるとムワッと広がったカビの臭いに思わず咳き込む。
 日の当たらない場所でカビが生えても放置されていた箱…おそらくこれだ。
 ミユは鼻と口を押さえながら箱の中を覗き込む。中には紐で括り通されたボロボロの紙の束と布に包まれた棒状の何かと先程軍人が持ってきた父の手記が入っていた。
 伯母が手記を入れたから箱の上に埃が被っていなかったのだろう。幸いなことにカビているのは箱だけで中身の物にカビは生えていなかった。
 箱から中身を摘み上げると天窓の下へ行き、まず始めに棒状の何かに包まれている布を外す。
(これって……刀!?)
 布の中から現われたのは、桜の装飾をあしらった鮮やかな紅色の鞘に収められた打刀だった。
 桜…これはきっと母が打ったものなのであろう、とミユは悟った。母の記憶は殆ど無いが、父は母のことを春に咲く桜のような人だと言っていたからだ。
 おそるおそる鞘から抜いてみると星の光に反射するように揺らめいて見えた刃紋に思わず魅入ってしまう。
 ミユは刀をそっと鞘に収めると続けて床に置いた紙の束を見る。
 
 エトワールシリーズ研究資料
 
 所々インクも剥がれ落ちるぐらい年季の入ったボロボロの紙に大々的に書かれている文字を目にして息を飲んだ。
「エトワールシリーズ…」
 さっき軍人が言っていた言葉だ。
 ミユは暗闇の中窓から差し込む星明かりを頼りに書かれていることを読む。

 エトワールシリーズ。遥か昔この大地に降り注いだ星から生まれし兵器。我々人間はついに神に匹敵する力を手に入れた。新世界を創る星の力をここに記す。尚、成功体のナンバーはその実験の累計数とする。

 紐で括り通された紙を一枚めくると何だか文字がいっぱい書いてあった。よく分からなかったが、これがそのエトワールシリーズというものの資料なのだろうか。そこにはNo.13と書かれており、禍々しく赤黒い13という数字が浮かび上がった戦車のような大きな"何か"の写真が共に貼ってあった。

 No.13 星詠暦十五年十二月某日 アーク■■■■■■■

 星詠暦十五年。今は二一四年。驚いたことにこれは二百年前に書かれたものらしい。汚れていて少ししか読めなかったが、下に書かれたサインがこれを造った科学者なのだろう。
 ミユはパラパラとページをめくる。紐で括る式なので後ろへ行くほど紙が綺麗になっていった。
  そしてとうとうその名を見つける。
 
 No.108 星詠暦二〇〇年七月七日 ミノル・カンザキ

 一番最後のページ。何故か破られていたのでその詳細は分からないが、僅かに残った紙の切れ端にたしかに父の名が刻まれていた。
「エトワールシリーズって……」
 難しい言葉ばかりで学のないミユにとっては眠くなりそうな話だがエトワールシリーズとはつまり兵器のことだったのだ。ということは……。
 —————軍は戦争で父が造った兵器を使おうとしている。
「そんなことになったらまたパパが…」
 また悪く言われてしまう。
 ミユはべったりと付着した血をそっと指でなぞると父の手記を開く。所々しか読めなかったが、そこにはエトワールシリーズの壊し方らしきことも書き記されていた。
 "魂がこもった刀はどんなものでも断ち切る"
 母の家に代々伝わってきた言葉だ。
 ミユは先程出てきた母の刀を見る。
 十年前、最後に見た父が何故あんなに悲しそうな表情だったのかこの手記を見てようやく分かった気がする。
(パパはこの研究を後悔していた。だから軍がエトワールシリーズを使うことを止めようとしたんだ)
「ここで何しているの」
 不意に背後から聞こえてきた声にミユはハッと我に返る。
 振り返ると伯母がそこに立っていた。
「ここに入ってはいけないと言ったでしょう」
 伯母は静かに部屋から出ていくよう促すが、ミユが持っている紙と手記、床に落ちた刀を見て血相を変える。
「それ…は…今すぐ渡しなさい!」
 伯母はミユに近寄ると持っていた資料と手記を取り上げる。いつも冷静沈着な伯母がこんなに取り乱している姿を見るのは初めてだ。
 小さい頃伯母に父のことを聞いても大抵知らないで済まされてきた。伯母が父のことが嫌いだと気づいてからはあまり聞かなくなったが…。
「おばさん何も知らないって言ってたくせにずっと知ってたんだね、パパのこと」
 伯母は深く溜息を吐くと先程取り上げた資料を見ながら言う。
「……たしかにこれはあなたの父、ミノルが関わっていた研究の資料。あなたも今見たのでしょう?ミノルがやっていたのは人の命を奪うことなのよ」
 伯母はおそらく自分のためを思って父について語らなかったのだ。
 ミユは俯き泣きそうになるのを堪えながら言葉を紡ぐ。
「みんなパパのこと悪く言って…ママを不幸呼ばわりして…何にも、知らないくせに…」
 伯母を責めたいわけではないのに、今まで溜まっていた思いが溢れて言葉が止まらない。
「私がエトワールシリーズを壊す」
 ミユは床に落ちている刀を拾い上げると伯母が立つ扉に向かう。
「待ちなさい!そんなことっ……!」
 伯母は咄嗟に出て行こうとするミユの腕を掴む。
「パパは誰が何と言おうと素敵な人だもん!」
 その言葉に伯母は一瞬言葉を失ったように瞠目した後俯くと、何故か「ごめんなさい」と消え入るような小さな声で謝ったような気がした。
 伯母の力が抜けていくのを感じ、ミユは掴まれている腕を抜くと小走りで扉に手をかける。伯母はそれ以上止めるわけでも追うわけでもなく、ただその場に佇んでいた。
 ミユは少し迷ったが振り返ると最後にずっと聞きたくても聞けなかった質問をする。
「おばさんはどうして私を引き取ってくれたの?」
「………………」
 しかし伯母は俯いているだけで何も答えることはなかった。
「……じゃあ行くね。今まで、ありがとうございました」 
 そう言うとミユは物置部屋を後にし、自室へと戻った。


          ☆  ★  ☆


 肩掛けの鞄を引っ張り出すと、ありったけのお菓子となけなしのお小遣い、地図を詰める。
 お菓子のうちの一つ、金平糖。元々は父が好んで食べていたのを真似して常備しているのだが"甘い物は身体に良い"とよく言うのでこれは必須だ。
 ミユは最後にまるで星の欠片のような金平糖がいっぱい入った手のひらサイズの巾着を鞄へと入れる。
 先の見えない旅の荷物にしては随分と心許ないがとりあえず荷造りは終わった。
 殆どお菓子でぱんぱんになった鞄の蓋を閉めると肩に掛け、母の刀を元々包まれていた布に再び包むと、両頬をパンっと叩き立ち上がる。
(玄関から行くとおじさんとセンリに見つかっちゃうな…)
 そう思いながらミユは窓を開ける。
 子供一人が通り抜けられるぐらいの大きさの窓から身を乗り出すと、屋根の上に下りて壁に手をつきながら蟹歩きでそっと渡っていく。 
(あの塀に飛び移れたら下まで降りられそう…!)
 隣の建物のを囲む幅一メートル未満の塀を見る。
 ミユは深く深呼吸をし、そっと壁から手を離すと、屋根の上で助走をつけ迷わず飛ぶ。着地地点を見据えながら母の刀をぎゅっと握る。右足から着地し左足も塀に乗せようと思ったが上手くバランスが取れず、数秒の間腕を振り回す奇妙なダンスを踊っていたが、無事に隣の建物の塀に着地できた。
(よかった…)
 ミユは安堵の溜息を吐く。
 運動神経には少しだけ自信があった。足の速さなら同年代の男子であるセンリにだって負けてない。しかし今日程それを感謝した日はないだろう。
 母は生まれつき体は弱かったが運動神経は良かったらしく、それこそ初対面である父を一人で返り討ちにするほど剣の才覚もあったとか。
 何はともあれ、父の頭の良さは一切受け継がなかったが、代わりに母の運動神経の良さを受け継いだわけである。
 冷たい夜の風がセーラー襟の付いた白いノースリーブのワンピースを揺らす。
(寒っ…)
 昼間は暖かかったのでお気に入りであるこのワンピースを着たのだが、まだ春も初め。さすがに旅立ちがこの格好はまずかっただろうか。
(だけどもう戻れないよね…)
 ミユは自身の部屋の窓を見上げ溜息を吐く。
(ううん、決めたんだもん)
「おじさん、センリ、おばさん……ごめんなさい」
 塀から下りると十年育った家に向かって一礼し、村の門へと走り出した。


          ☆  ★  ☆


『ミノルは誰が何と言おうと素敵な人よ!』

「びっくりよ…まったく同じ事言うんだから…」
 ミユが去り暫く物置部屋にいた伯母は義弟の手記をぎゅっと握る。
(あの子を止められなかったこと、あなたは怒るかしら)
 伯母は台所に戻ると、保冷用の棚にしまったミユが残したハンバーグを温め直し、まだ食卓に座り会話をしていた伯父とセンリに差し出す。
「食べていいわよ」
「マジで?やったー!!」
 そう言ってセンリは温め直されたハンバーグに手を伸ばす。
「いいのか?」
「……いいのよ」
 伯母は伯父の顔を見ずに答える。
「……にしてもミユの大好物なのにな、ハンバーグ。昔よく変な形のやつ作ったよな。思えばミユが来てからか?母ちゃんがハンバーグを得意料理だから~って言って作るようになったの」
 センリは一口大に切られたハンバーグを二、三個ずつフォークで刺して口に運びながら言う。
「そうだったかしら」
 伯母は二人に背を向けたまま窓を見る。すると、暗闇の中小さな人影が隣の建物の塀に着地するのが見えた。
「いってらっしゃい」
 伯母はそう小さく呟くと瞑目して夜空に輝く星に祈りを捧げる。
 

          ☆  ★  ☆
 

 一人で村の外へ行くのは初めてだ。
 村から出て初めの分かれ道に直面し、ミユは鞄から地図を取り出す。
 この小さな田舎村は首都を中心に広がるアルカディオの北寄りの東に位置するらしい。
 我ながらあまりにも無計画で飛び出してきたため目的地も定まっていないのだが、とりあえず首都へば何か情報が得られるかもしれない。
 そのためには西に向かえばいいのだが……。
「西ってどっち…?フォークを持つ方?それともナイフ?」
 ミユは夕飯時にテーブルに並んでいたフォークとナイフを頭に浮かべながら、手に持っている地図を上下左右傾けうんうんと唸る。
 早くも雲行きが怪しい旅路に、不安の波が小さな少女をさらおうとする。
(ダメダメ…泣いちゃダメ…!)
「パパ…ママ…」
 ミユは不安を払拭するように大きく首を横に振ると、夜空を煌々と輝く星たちに向かって手を伸ばす。すると、一際輝いていた星が二つ、大きく弧を描くように流れた。
 今思えば科学者である父が、「人は死んだら星になる」と言っていたのは妙なことだった。きっとそれほどまでに母の存在を繋ぎ止めておきたかったのだろう。
 父はたしかに母を愛していた。誰が何と言おうと私は幸せである。
 先程までの不安はどこかへ消え、何だか幸福感で胸がいっぱいになった。
 母の形見である刀をぎゅっと抱きしめるとミユはナイフを持つ手の方の道を選ぶ。
 まだ何も知らない小さな少女の大きな旅の始まり。
 満天の星空が見下ろす下、少女は東へ向かって歩き始めたのだった。
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