世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【20】忘れていた温度

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「えー……全然覚えてねえ……」
 食事を採りながら、ヒューは顔をしかめた。
 ベールポートの街門に近い食堂は、旅人や冒険者で賑わっている。夜はそのまま酒場になるようだ。

「気持ちいい場所だなーって思ったことは覚えてっけど……」
 腹をさするヒューに、リオネルは顔をしかめた。
「遺跡出るまでぼーっとしてたよ。慌てて帰り道に罠踏んじゃったけど、ヒュー全然反応しなかったもん」
「マジか……盗賊の名折れだな……」
「踏んだのはヴェルだけどね」
「すみません……毒霧浴びたのが私で良かったです……」
 ヴェルゼがしゅんと肩を竦める。
 罠が作動してもぼんやりしていたと知らされて、ヒューは愕然としていた。ベテランのプライドに傷ついたようだが、問題はそこじゃないとリオネルは思った。それにさっきから食事もあまり進まず、腹ばかり撫でている。
「ごはん、しっかり食べたほうがいいんじゃない?」
「え、食ってるよ」
「さっきからスープ掻き混ぜてばっかじゃん。ミストに栄養あげたからって、ヒューの体重にはいっこも関係ないから。どんどん痩せるよ?」
「食ってるって……」
 言いながら、匙を口に運ぶ。出された食事は残さない主義だが、あまり腹が減った気がしない。美味しいはずの食事が、どこか物足りない。それよりもっと、あの場所にいたかった。清浄な空気の中で、たっぷりの濃い魔素を、体が求めていた。
「マジで怖い。これから一人で遺跡とか絶対行かないでよ?」
「……分かったよ」
「黙って食べて」
「はい」
 リオネルの忠告に、ヒューは素直に頷いて、食事を続けた。
 さっさと遺跡を離れるために、リオネルの飛竜ワーテイルを呼び出し、斤量オーバーでベールポートまで戻ってきたのだ。馬で三日の距離を一気に駆けさせて、ワーテイルには悪いことをした。あとで鱗を磨いてやろう。
「……あとは、今日は情報収集ぐらいで終わりにしとくか」
「は!? 今日はもういいよ! 寝なよ!?」
「この街も久々だから、色々情報仕入れときたいんだよ。これはもう、盗賊の癖っていうか……知ってないと落ち着かないんだよ……」
「もう! そんな生き急がなくていいよ!」
 あー! とリオネルが声を荒げ、ヒューを指さす。
「そんなだからアレクがイカレちゃうんだって! ヒューがいなくなってから、ずっと落ち込んでたんだから! もう、ウザくてウザくて……!」
「そ、そんなに……?」
 ひく、とヒューの顔が引き攣る。
「『ヒューの好みのタイプ知らない?』とか訊かれたし、パーティーでヒューが着てた礼服あったじゃん、あれずっと持ってて洗わせてくれないってお城の人が……」
「えっ、嘘だろ、気持ち悪……」
「気持ち悪くさせたんじゃん!?」
「何に使ってたんでしょうかね、その服……」
 野菜スティックを食べながらヴェルゼがぼそっと呟き、ヒューはぞっとした。
「指輪をずっとナデナデ触って、ため息ついて『ヒュー、愛してる』……」
「ひえ……」
「いやヒューは悪くないよ、別に! 基本アレクが悪いよ! でもさあ、ヒューもちょっと無自覚過ぎたと思う! ……ってガインが言ってた!」
「無自覚……俺が……?」
 ショックを受けかけたが、いやでもたしかに、とヒューは思い直した。

 出会ってから十年間、ベタベタした奴だと思ってはいた。やたら目を合わせてくるし、店で食事をするときや野営で焚き火を囲んでいるときも、常に隣にいた。情報収集で酒場に行くことを異様に嫌がったり、変装で女装をすると絶対に外に出さないと毎回煩いので、とうとう大喧嘩をしたときには、泣かしたこともある。

 ――あれ全部、俺を好きだったからだ……。

 そう考えたら辻褄が合うのに、まったく十年気づかず、距離近けーな、としか思っていなかった。デリカシーに欠けていたといえば、そうだ。そこに関してはアレックスと別れてから反省はしている。

 はーあ、とリオネルが息を吐いた。
「ヒューのお腹に知らない赤ちゃんいるって知ったら、世界が終わるかも……」
「そういう言い方すんな! 実体は無いんだよ!」
「だったら、しきりにお腹さするのやめない!?」
「意識して触ってねーよ!」
「お、落ち着きましょう。リオネル様の言うことに一理はありますが、ヒュー様も悪くないですよ……」
 まあまあ、とヴェルゼが間に入って宥める。魔族に喧嘩を仲裁してもらうことは、中々ないだろう。
「やめてよね、情報収集とか言って、ヒュー、簡単に女装とかするんだもん」
「女の姿だと油断してくれるし」
「一理ありますよね」
「一理あっても肩持たないで。一人で出かけて、一人で色々やろうとして、たまに一人で危ない目に遭ってんのがヒューだから」
 リオネルが険しい目で二人を睨む。
「いやそりゃ何にでもリスクは……」
「リスクとかいーよ!」
 リオネルがテーブルを叩き、声を荒げる。ヴェルゼが慌てて周囲を見たが、昼時の喧騒であまり目立ってはいなかった。

「――いっつも! 絶対、誰にも相談とか、しないしっ! 自分のことあんま大事にしないから、みんな心配してるのに……っ」
 じわ、とリオネルが目の端に涙を浮かべる。

「……ヒューがいなくなったあと、ボクだって、寂しかった……!」

 我慢していたものを吐き出すように、リオネルは肩を震わせた。ぐ、と拳を握って、胸に引っかかる息を吐き出した。

「……アレクは、ちょっとエルドにムカついてた……その気持ち、少し分かる。エルドは何でも知ってて、でも何でもは教えてくれなくて……だけどヒューは、頭が良くて頼れるエルドが一番好きだもん……」
「え、いや、みんな好きだけど……」
「そういうことじゃないんだよ……上手く言えないや……」

 誰もが賛辞を贈る竜騎士が、鼻を啜って泣いている。どれだけの敵を前にしても、泣き言も弱音も吐かない少年が、べそべそと顔を歪めた。
「リオ……」
 手を伸ばしかけるヒューに、リオネルは頭を振って拒んだ。いつもそうやって慰めているから、ヒューは面食らった。リオネルだって、撫でられたらいつもは喜ぶのに。

 でも、いまのリオネルは違うのだろう。
 撫でてほしいわけじゃない。慰めてほしいわけでもない。
 涙を自分で拭い、赤くなった鼻をすんと啜り、少年は呟いた。

「――世界を救ったって、大事な人に頼ってもらえない……そんなの、悔しいよ……」



 その夜、ベッドに横になっても、ヒューはなかなか眠れなかった。
 体は疲れているのに、腹の奥がずっと熱い。
 ここに“竜”がいるからではなく、忘れかけていた熱を思い出した。
 アレックスが中に入ってきたときの感覚――ずいぶん忘れていた。もう“違うもの”が入ってしまったからだ。
「……っ」
 あの熱の記憶を手繰ろうとすると、体の内側で何かが蠢いた。ヒューは掛布の中で体を丸め、ぎゅっとその身を抱き締めた。
(アレクのこと、考えるなってことか……?)
 下腹部に手を当て、心の中で竜の仔に尋ねる。返事はない代わりに、体の奥を暴かれるような感覚に、全身がぞくぞくと震えた。
「……え、ちょ、動くな……」
 竜の仮宿になってから、初めてぞっとした。今までは温かさすら感じていたのに、体の奥で、異質なものが目を醒まし、自分の内側を喰らっていくような。
 知らない感覚に戸惑って、ヒューは声を上げようとしたが、出ない。同じ部屋のベッドにリオネルが寝ていて、魔族のヴェルゼは横にならなくても休めると、椅子に腰かけていたはずだ。布団の中でヒューが見悶えていたら、気づくはずなのに。

(え、なに、なんで……)

 体の奥から、冷たい空気を感じる。それは人間にとっては寒いと、ヒューは何度も言い聞かせるように腹をさすった。

(……なんで、急に……)

 静かな部屋に自分の呼吸と呻きだけが響いて、現実感が無い。夢の入り口にしては苦痛が生々しい。あの祭壇がある湖に還りたいと思った。あそこは心地が良い。でもそれはヒュー自身の感情ではない。

 ――怖い。

 は、は、と短く息を吐き出し、なんとか落ち着こうとした。腹の中で何かが蠢く感覚は、竜というより内側で蛇が這っているようだ。
「あ、あ……」
 せり上がってくる不快感に、ヒューは口許を押さえた。頼むから暴れないでくれと、心の中で必死に願った。

「……は……、あ……アレ、ク」

 唇が勝手に、名前を呼んでいた。体の中から彼の感覚がなくなって、違うものに上書きされていくようだ。それならそれでいいと、割り切れると思っていた。アレックスのことは忘れて、自分が死んでも、彼は誰か別の大切な人を見つけてほしい。

「……やだ……」

 目尻から涙が落ちた。
 どくん、とこれまでにない大きな鼓動を感じ、ヒューの体が跳ねた。
 この体はもう、自分の物じゃなくなる。
 そうしたらもう、アレクが触れたときの感触も、忘れる。

「――忘れないよ」

 はっきりと声が聴こえて、ヒューは目を見開いた。

「……え……?」
 長い指が、ヒューの頬に触れ、涙を掬った。
 知ってる――知っている、この指、この感覚、この熱。
 あの夜、嫌というほど分からされた。

「……アレックス……?」
 目を開いているのに、霞がかったように見えない。その顔を見たい。体を起こそうとすると、腹の奥で何かが暴れた。苦しくて、ヒューは喉を震わせた。
「……っ、……まって」
 確かめたい。けれど、“この子”は嫌がっていて、体をヒューの思うようにしてくれない。動かないで、少しだけ待ってと、心の中で懇願しながら、腹を抱え、小さく丸くなって耐えた。その体の外側から、大きな手のひらが触れてくる。内側と外側から撫でられて、頭がおかしくなりそうだった。

「ヒュー、ゆっくり息を吐いて……大丈夫」
「や……」
 はくはくと息を継ぎながら、ヒューは涙を落とした。
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