世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【21】世界より残酷な

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 よく知っている声。
 何度も触れた手のひら。

「怖かったね、ヒュー。でももう、大丈夫だよ」
「ア……レク……」
 必死に息をして、名前を呼ぶと、優しくそっと手を握られた。
 やっぱりアレクだ。でも、どうして。

 ――また、夢?

「夢だけど、夢じゃないよ。僕らは繋がっていて、こうして触れることも出来る」

 ――勇者って、なんでもアリだな……。

「まあね、勇者になっといて、良かった部分もあるね」

 掛布をそっと剥がされ、ぎし、とベッドが軋む音がした。アレックスは鎧を着ておらず、軽装だった。逞しい胸板が背中に押しつけられ、アレックスが覆いかぶさってきたのだと分かって、ヒューの胸にちくりと痛みが走った。

 この重み、感じたことがある。
 もう遠くなった、あの夜に。

「アレ、ク……俺……」
 ようやく声が出た。唇が震える。その名前を呼ぶと、その顔を思い浮かべると、体の中で子供が暴れる。鎮めようと下腹部をぎゅっと押さえると、悲しい感情が胸の内に満ちる。嫌なのか、とヒューは心の中で問いかけた。少しだけ、我慢してくれ。

「ヒュー……。――また、触れられた」
 背中とつうっと指がなぞり、腰まで降りていく。びく、と身を震わせ、ヒューは頭を振った。防御姿勢のように背中を丸めたまま、腹を隠すように庇う。

 アレックスが耳許で、静かに告げた。

「……その中の子、邪魔?」
「……っ! 邪魔じゃねえ!」

 反射的に、鋭い声が出た。
 冷たい声にぞっとして、全身が総毛だった。ひやりと冷たい空気が満ちて、二人の周りをキラキラと煌めく霧に、アレックスは目を細めた。

「大切にしてるんだ?」
「……してる……孵してやるって、母親と約束した……」

 そして、自分も救われている。体を蝕む毒を引き受けてくれたのは、この小さな産まれてもいない竜の仔だ。

「ヒュー、こっち見て?」

 力強い腕が、ヒューの体をぐいと起こす。あ、とヒューは声を漏らし、アレックスの胸の中にとすんと背中を預けた。
「可愛い、ヒュー。愛してる」
 ベッドの上で、背中から抱き締められ、うなじに口づけが落ちる。目を伏せると、彼の左手に指輪が鈍く輝いていた。

「……夢……これ、夢なのか……?」
 夢なのに、温度がある。匂いも、感覚も。
「そうだよ。だから安心して、誰もいないし、誰も邪魔出来ない。エルドにだってね」
 体の奥がざわめく。けれど、アレックスに抱かれていると、それが落ち着く。すごく楽になって、ヒューはほっとしてしまう。
 目の前は霞がかったまま、彼の顔は見えない。けれど、大きな手のひらが、ヒューの体をゆっくりと撫で回してくる、その感触は嫌というほど知っていた。
「……ん……」
 胸を一瞬指がかすめ、ピクンと身を震わせると、アレックスが後ろでふっと笑った。
「可愛い。覚えてるんだ?」
「……やめろ……」
 かっと頬が赤くなる。夢だなんて思えない。すぐに熱くなる体温も、締めつけられるような胸の痛みも。
「僕も、ヒューのいいところ、全部覚えてるよ」
「やめろって……」
 顎を優しく掴まれて、口づけられた。あの夜――最初は城の中庭で、初めて口づけられてから、一晩かけてすっかり慣れてしまった。
 力強く舌が口の中を掻き乱す感覚も、すぐに体が思い出す。
「……っ……!」
 押し返そうとして、敵うわけもなく、ベッドに押し倒された。ようやく正面からアレックスの顔を見た。

 薄ぼんやりとした視界に、ずっと一緒にいた男の輪郭が浮かぶ。
 忘れられるはずもない。
 いつだって隣にいて、こいつの為になら何でも頑張った。ダンジョンを探索する技術も、罠の解除も、情報収集だって最初は下手だった。女装なんか好きでやってたわけじゃない。馬だって洗ったし、料理も覚えた。何か少しでも、少しでも役に立ちたくて、気がつけば十年、旅をした。

 俺の――《勇者》。

「ああ、僕のヒューだ」

 アレックスの淡く澄んだ瞳に、自分の姿が映る。目を逸らすと、頬をそっと包まれた。また口づけてこようとしたので、手で自分の口を塞ぎ、ヒューは叫んだ。
「――やっ……やめろ! 夢ん中でヤッて、だから何なんだよ……!」
「夢でも、僕がここにいることは現実だよ。君に触れているのも、キスも、ちゃんと君の体に残る」
 無防備な首筋に口づけられた。強く吸われ、くっきりと痕が残る。
「……なんなんだよ、その能力……!」
「魔族の中に、夢を渡る奴がいるんだ。その力を貸してもらってる」
「ボコして言うこと聞かせてんじゃねーのか……」
「まあね、シルヴァーンと同じ」
 さらっと言うが、ヒューは顔をしかめた。
「お前、魔族とつるんでるのか?」
「ヒューが言うんだ? それ」
 アレックスは軽く笑った。
「エルドヴァルドの奴、よりによって《夜冠公デュクス・ノクティス》の従属者をつけるなんて、僕への嫌がらせかと思って、腹が立っちゃった」
「エルドとやり合ったのか……?」
 背中に冷たいものが走って、ヒューは思わず震えた声を出した。すっと冷めた目で、アレックスがヒューを見返す。
「……エルドが心配? ちょっと喉を締めただけ」
「……っ、仲間だぞ!」
「僕もそう思ってたけど、もうさ、ヒューがいればいいやと思って」
「……なんで……っ!」
「そんなふうに、ヒューに心を乱してほしくないんだよ」
 チッと舌打ちして、アレックスがヒューの肩を掴む。そのまま乱暴に押し倒して、脚の間を膝で割り、閉じられないようにする。
「……やめっ……!」
 乱れた裾の間に、手が潜り込む。直接肌に触れられただけで、頭が痺れて脳が焼きつきそうだった。
 アレックスが悪戯をする子供のように笑う。
「これから何されるか、想像した?」
「……うるせえ!」
 顔が勝手に赤くなる。
「あの夜みたいに、何度も交わおうよ」
「……っ」
 あの日にされたことを思い出して、体が震える。

 でも、あのときとは違う。
 本物であって本物ではない。
 アレックスはただ苛立っているだけだ。

「……夢で、なんて、嫌だ……」
 ヒューは腕で顔を覆い、頭を振った。灰の混じった黒髪が、シーツの上に散る。
「そうだね。夢じゃなくて、本当は迎えに行きたいんだけど」
「……っ、来るな! お前は、《勇者》だ!」
 慌ててヒューが叫ぶと、アレックスの表情がすうっと凍りつく。
「俺はもう、お前についていけないんだ……足手まといになるだけだ。でも、今強くなってる魔族や魔獣に対抗出来るのは、お前だけだろ……」
「そうだね、ヒューは僕が、《勇者》でいるほうが、好きだもんね」
 アレックスがヒューの手を取り、甲に口づける。そこにも痕が残った。
「……っ、好きとかじゃなくて、お前じゃなきゃ、世界は……」
「世界のために、《僕》に死ねってこと?」
「――え……?」

 アレックスの瞳は、澄んでいて、綺麗な碧色のまま、その奥底はどこまでも深いように見えた。
 綺麗なのに、底が見えなくて、不安になる。

「ヒューがいないなら、僕の心は死ぬ。君がいるから、世界を守りたいって思うよ。でもその世界が、僕からヒューを奪うなら」
 アレックスの手が、ヒューの腕を掴み、ベッドに押し付ける。
「もうどうでもいい。――全部壊すよ」

 本気だ。
 これは本気の目だ。
 鋭く射られたがましなくらい、無機質な瞳。
 ヒューの喉が一気に乾いた。上手く音が出せない。

 でも、何か言わないと。
 言わないと、アレクが。

 ――アレクが、怒ってる……。

「……ごめん……なさい……」
 ヒューは唇を震わせ、ようやくそれだけ呟いた。
 勝手に涙が零れた。大型獣に喰われる小動物のように、何も抵抗出来ずに、ヒューはただ、泣いて懇願した。
「壊さないで……」
「じゃあ、もう静かにして」
 冷酷に告げてから、アレックスは微笑んだ。
「最初より、もっと優しく出来ると思うから」
「……っ、待って、くれ、な、中に、子供……竜、の」
 いま、何も分からないのに、体の中にアレックスを受け入れたら、竜に何の影響を及ぼすか、想像もつかない。ヒューは蒼褪めた。
「どうせ夢だよ」
「ま、まだ、形にもなってないんだ……だから、頼む……やめてくれ……」
 アレックスの手が、ヒューの下腹部に触れる。ひっ、と小さく悲鳴を上げ、ヒューは身を引こうとしたが、《勇者》から逃れられるはずもない。
「ち、力、入れないで……」
「そんなに大事?」
 どう答えたら、アレックスが怒りを鎮めるのか分からない。腹の奥がざわつくけれど、竜は怯えたように大人しい。
 ヒュー自身も、アレックスの傍にいるだけで、全身から汗が噴き出し、体の底から震えが止まらない。
「だ……だいじ、だけど……」
 何とか声を絞り出し、ヒューは言葉を繋いだ。
「アレクのほうが、だいじ……」
「僕のご機嫌取りなんて、ヒューらしくないよ」
 にっこりと微笑み、アレックスが優しく腹を撫でる。は、は、と取り繕えない呼吸が、ヒューの喉から漏れる。

「――でも、優しくしてばかりだと、ヒューは僕の言うこと全然聞いてくれないから」

 もう夢なら醒めてほしい。
 この前、夢で会ったときは、抱き締められて温かったのに。
 いまは、体が奥から冷えている。
 
「……体、冷えてるね、ヒュー。“この子”がいるから」
「アレク、ほんとに、やめてくれ……逃げたことも、謝るから……」
 とんとん、と腹の上を指の腹で撫でられる。ヒューは本能的な恐怖を覚え、頭を振った。
「――ヒューを苦しめるなら、潰すよ」
 冷えた空気が、すっと引いていく。腹の中のざわめきも静かになる。
「そう、大人しくしておいで。……ヒュー、優しいから、舐められてる」
 アレックスが腹から手を離し、優しく頬に触れ、涙を拭った。
「怖がらせてごめんね。僕を大事って言ってくれて、嬉しかった」
「……え……?」
 腹を潰されると本気で覚悟していたヒューに、アレックスは優しい眼差しを向けた。口づけをされ、しばらく貪られた。角度を変えて何度も、何度も。

 忘れかけていた夜を、また思い出す。あのときのアレックスは嬉しそうだった。だけど、今のアレックスはどこか寂しそうだ。

(……違う)
 ああ、とヒューは気づいた。
(俺が、寂しくさせてんのか……)

 前なら気安く頭を抱いて、撫でてやったりもした。
 ――今はもう、出来ない。

(……俺なんかより、世界を守ってくれよ……)

 それが残酷だと、ヒュー自身も分かっている。
 でも今のままでは、アレックスはどんどん自分に執着する。それでは、どっちみちいつか世界は終わる。

 誰より強いと思っていた勇者は、誰よりも脆くて。
 世界より――自分ヒューだけを愛している。

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