22 / 75
【21】世界より残酷な
しおりを挟む
よく知っている声。
何度も触れた手のひら。
「怖かったね、ヒュー。でももう、大丈夫だよ」
「ア……レク……」
必死に息をして、名前を呼ぶと、優しくそっと手を握られた。
やっぱりアレクだ。でも、どうして。
――また、夢?
「夢だけど、夢じゃないよ。僕らは繋がっていて、こうして触れることも出来る」
――勇者って、なんでもアリだな……。
「まあね、勇者になっといて、良かった部分もあるね」
掛布をそっと剥がされ、ぎし、とベッドが軋む音がした。アレックスは鎧を着ておらず、軽装だった。逞しい胸板が背中に押しつけられ、アレックスが覆いかぶさってきたのだと分かって、ヒューの胸にちくりと痛みが走った。
この重み、感じたことがある。
もう遠くなった、あの夜に。
「アレ、ク……俺……」
ようやく声が出た。唇が震える。その名前を呼ぶと、その顔を思い浮かべると、体の中で子供が暴れる。鎮めようと下腹部をぎゅっと押さえると、悲しい感情が胸の内に満ちる。嫌なのか、とヒューは心の中で問いかけた。少しだけ、我慢してくれ。
「ヒュー……。――また、触れられた」
背中とつうっと指がなぞり、腰まで降りていく。びく、と身を震わせ、ヒューは頭を振った。防御姿勢のように背中を丸めたまま、腹を隠すように庇う。
アレックスが耳許で、静かに告げた。
「……その中の子、邪魔?」
「……っ! 邪魔じゃねえ!」
反射的に、鋭い声が出た。
冷たい声にぞっとして、全身が総毛だった。ひやりと冷たい空気が満ちて、二人の周りをキラキラと煌めく霧に、アレックスは目を細めた。
「大切にしてるんだ?」
「……してる……孵してやるって、母親と約束した……」
そして、自分も救われている。体を蝕む毒を引き受けてくれたのは、この小さな産まれてもいない竜の仔だ。
「ヒュー、こっち見て?」
力強い腕が、ヒューの体をぐいと起こす。あ、とヒューは声を漏らし、アレックスの胸の中にとすんと背中を預けた。
「可愛い、ヒュー。愛してる」
ベッドの上で、背中から抱き締められ、うなじに口づけが落ちる。目を伏せると、彼の左手に指輪が鈍く輝いていた。
「……夢……これ、夢なのか……?」
夢なのに、温度がある。匂いも、感覚も。
「そうだよ。だから安心して、誰もいないし、誰も邪魔出来ない。エルドにだってね」
体の奥がざわめく。けれど、アレックスに抱かれていると、それが落ち着く。すごく楽になって、ヒューはほっとしてしまう。
目の前は霞がかったまま、彼の顔は見えない。けれど、大きな手のひらが、ヒューの体をゆっくりと撫で回してくる、その感触は嫌というほど知っていた。
「……ん……」
胸を一瞬指がかすめ、ピクンと身を震わせると、アレックスが後ろでふっと笑った。
「可愛い。覚えてるんだ?」
「……やめろ……」
かっと頬が赤くなる。夢だなんて思えない。すぐに熱くなる体温も、締めつけられるような胸の痛みも。
「僕も、ヒューのいいところ、全部覚えてるよ」
「やめろって……」
顎を優しく掴まれて、口づけられた。あの夜――最初は城の中庭で、初めて口づけられてから、一晩かけてすっかり慣れてしまった。
力強く舌が口の中を掻き乱す感覚も、すぐに体が思い出す。
「……っ……!」
押し返そうとして、敵うわけもなく、ベッドに押し倒された。ようやく正面からアレックスの顔を見た。
薄ぼんやりとした視界に、ずっと一緒にいた男の輪郭が浮かぶ。
忘れられるはずもない。
いつだって隣にいて、こいつの為になら何でも頑張った。ダンジョンを探索する技術も、罠の解除も、情報収集だって最初は下手だった。女装なんか好きでやってたわけじゃない。馬だって洗ったし、料理も覚えた。何か少しでも、少しでも役に立ちたくて、気がつけば十年、旅をした。
俺の――《勇者》。
「ああ、僕のヒューだ」
アレックスの淡く澄んだ瞳に、自分の姿が映る。目を逸らすと、頬をそっと包まれた。また口づけてこようとしたので、手で自分の口を塞ぎ、ヒューは叫んだ。
「――やっ……やめろ! 夢ん中でヤッて、だから何なんだよ……!」
「夢でも、僕がここにいることは現実だよ。君に触れているのも、キスも、ちゃんと君の体に残る」
無防備な首筋に口づけられた。強く吸われ、くっきりと痕が残る。
「……なんなんだよ、その能力……!」
「魔族の中に、夢を渡る奴がいるんだ。その力を貸してもらってる」
「ボコして言うこと聞かせてんじゃねーのか……」
「まあね、シルヴァーンと同じ」
さらっと言うが、ヒューは顔をしかめた。
「お前、魔族とつるんでるのか?」
「ヒューが言うんだ? それ」
アレックスは軽く笑った。
「エルドヴァルドの奴、よりによって《夜冠公》の従属者をつけるなんて、僕への嫌がらせかと思って、腹が立っちゃった」
「エルドとやり合ったのか……?」
背中に冷たいものが走って、ヒューは思わず震えた声を出した。すっと冷めた目で、アレックスがヒューを見返す。
「……エルドが心配? ちょっと喉を締めただけ」
「……っ、仲間だぞ!」
「僕もそう思ってたけど、もうさ、ヒューがいればいいやと思って」
「……なんで……っ!」
「そんなふうに、ヒューに心を乱してほしくないんだよ」
チッと舌打ちして、アレックスがヒューの肩を掴む。そのまま乱暴に押し倒して、脚の間を膝で割り、閉じられないようにする。
「……やめっ……!」
乱れた裾の間に、手が潜り込む。直接肌に触れられただけで、頭が痺れて脳が焼きつきそうだった。
アレックスが悪戯をする子供のように笑う。
「これから何されるか、想像した?」
「……うるせえ!」
顔が勝手に赤くなる。
「あの夜みたいに、何度も交わおうよ」
「……っ」
あの日にされたことを思い出して、体が震える。
でも、あのときとは違う。
本物であって本物ではない。
アレックスはただ苛立っているだけだ。
「……夢で、なんて、嫌だ……」
ヒューは腕で顔を覆い、頭を振った。灰の混じった黒髪が、シーツの上に散る。
「そうだね。夢じゃなくて、本当は迎えに行きたいんだけど」
「……っ、来るな! お前は、《勇者》だ!」
慌ててヒューが叫ぶと、アレックスの表情がすうっと凍りつく。
「俺はもう、お前についていけないんだ……足手まといになるだけだ。でも、今強くなってる魔族や魔獣に対抗出来るのは、お前だけだろ……」
「そうだね、ヒューは僕が、《勇者》でいるほうが、好きだもんね」
アレックスがヒューの手を取り、甲に口づける。そこにも痕が残った。
「……っ、好きとかじゃなくて、お前じゃなきゃ、世界は……」
「世界のために、《僕》に死ねってこと?」
「――え……?」
アレックスの瞳は、澄んでいて、綺麗な碧色のまま、その奥底はどこまでも深いように見えた。
綺麗なのに、底が見えなくて、不安になる。
「ヒューがいないなら、僕の心は死ぬ。君がいるから、世界を守りたいって思うよ。でもその世界が、僕からヒューを奪うなら」
アレックスの手が、ヒューの腕を掴み、ベッドに押し付ける。
「もうどうでもいい。――全部壊すよ」
本気だ。
これは本気の目だ。
鋭く射られたがましなくらい、無機質な瞳。
ヒューの喉が一気に乾いた。上手く音が出せない。
でも、何か言わないと。
言わないと、アレクが。
――アレクが、怒ってる……。
「……ごめん……なさい……」
ヒューは唇を震わせ、ようやくそれだけ呟いた。
勝手に涙が零れた。大型獣に喰われる小動物のように、何も抵抗出来ずに、ヒューはただ、泣いて懇願した。
「壊さないで……」
「じゃあ、もう静かにして」
冷酷に告げてから、アレックスは微笑んだ。
「最初より、もっと優しく出来ると思うから」
「……っ、待って、くれ、な、中に、子供……竜、の」
いま、何も分からないのに、体の中にアレックスを受け入れたら、竜に何の影響を及ぼすか、想像もつかない。ヒューは蒼褪めた。
「どうせ夢だよ」
「ま、まだ、形にもなってないんだ……だから、頼む……やめてくれ……」
アレックスの手が、ヒューの下腹部に触れる。ひっ、と小さく悲鳴を上げ、ヒューは身を引こうとしたが、《勇者》から逃れられるはずもない。
「ち、力、入れないで……」
「そんなに大事?」
どう答えたら、アレックスが怒りを鎮めるのか分からない。腹の奥がざわつくけれど、竜は怯えたように大人しい。
ヒュー自身も、アレックスの傍にいるだけで、全身から汗が噴き出し、体の底から震えが止まらない。
「だ……だいじ、だけど……」
何とか声を絞り出し、ヒューは言葉を繋いだ。
「アレクのほうが、だいじ……」
「僕のご機嫌取りなんて、ヒューらしくないよ」
にっこりと微笑み、アレックスが優しく腹を撫でる。は、は、と取り繕えない呼吸が、ヒューの喉から漏れる。
「――でも、優しくしてばかりだと、ヒューは僕の言うこと全然聞いてくれないから」
もう夢なら醒めてほしい。
この前、夢で会ったときは、抱き締められて温かったのに。
いまは、体が奥から冷えている。
「……体、冷えてるね、ヒュー。“この子”がいるから」
「アレク、ほんとに、やめてくれ……逃げたことも、謝るから……」
とんとん、と腹の上を指の腹で撫でられる。ヒューは本能的な恐怖を覚え、頭を振った。
「――ヒューを苦しめるなら、潰すよ」
冷えた空気が、すっと引いていく。腹の中のざわめきも静かになる。
「そう、大人しくしておいで。……ヒュー、優しいから、舐められてる」
アレックスが腹から手を離し、優しく頬に触れ、涙を拭った。
「怖がらせてごめんね。僕を大事って言ってくれて、嬉しかった」
「……え……?」
腹を潰されると本気で覚悟していたヒューに、アレックスは優しい眼差しを向けた。口づけをされ、しばらく貪られた。角度を変えて何度も、何度も。
忘れかけていた夜を、また思い出す。あのときのアレックスは嬉しそうだった。だけど、今のアレックスはどこか寂しそうだ。
(……違う)
ああ、とヒューは気づいた。
(俺が、寂しくさせてんのか……)
前なら気安く頭を抱いて、撫でてやったりもした。
――今はもう、出来ない。
(……俺なんかより、世界を守ってくれよ……)
それが残酷だと、ヒュー自身も分かっている。
でも今のままでは、アレックスはどんどん自分に執着する。それでは、どっちみちいつか世界は終わる。
誰より強いと思っていた勇者は、誰よりも脆くて。
世界より――自分だけを愛している。
何度も触れた手のひら。
「怖かったね、ヒュー。でももう、大丈夫だよ」
「ア……レク……」
必死に息をして、名前を呼ぶと、優しくそっと手を握られた。
やっぱりアレクだ。でも、どうして。
――また、夢?
「夢だけど、夢じゃないよ。僕らは繋がっていて、こうして触れることも出来る」
――勇者って、なんでもアリだな……。
「まあね、勇者になっといて、良かった部分もあるね」
掛布をそっと剥がされ、ぎし、とベッドが軋む音がした。アレックスは鎧を着ておらず、軽装だった。逞しい胸板が背中に押しつけられ、アレックスが覆いかぶさってきたのだと分かって、ヒューの胸にちくりと痛みが走った。
この重み、感じたことがある。
もう遠くなった、あの夜に。
「アレ、ク……俺……」
ようやく声が出た。唇が震える。その名前を呼ぶと、その顔を思い浮かべると、体の中で子供が暴れる。鎮めようと下腹部をぎゅっと押さえると、悲しい感情が胸の内に満ちる。嫌なのか、とヒューは心の中で問いかけた。少しだけ、我慢してくれ。
「ヒュー……。――また、触れられた」
背中とつうっと指がなぞり、腰まで降りていく。びく、と身を震わせ、ヒューは頭を振った。防御姿勢のように背中を丸めたまま、腹を隠すように庇う。
アレックスが耳許で、静かに告げた。
「……その中の子、邪魔?」
「……っ! 邪魔じゃねえ!」
反射的に、鋭い声が出た。
冷たい声にぞっとして、全身が総毛だった。ひやりと冷たい空気が満ちて、二人の周りをキラキラと煌めく霧に、アレックスは目を細めた。
「大切にしてるんだ?」
「……してる……孵してやるって、母親と約束した……」
そして、自分も救われている。体を蝕む毒を引き受けてくれたのは、この小さな産まれてもいない竜の仔だ。
「ヒュー、こっち見て?」
力強い腕が、ヒューの体をぐいと起こす。あ、とヒューは声を漏らし、アレックスの胸の中にとすんと背中を預けた。
「可愛い、ヒュー。愛してる」
ベッドの上で、背中から抱き締められ、うなじに口づけが落ちる。目を伏せると、彼の左手に指輪が鈍く輝いていた。
「……夢……これ、夢なのか……?」
夢なのに、温度がある。匂いも、感覚も。
「そうだよ。だから安心して、誰もいないし、誰も邪魔出来ない。エルドにだってね」
体の奥がざわめく。けれど、アレックスに抱かれていると、それが落ち着く。すごく楽になって、ヒューはほっとしてしまう。
目の前は霞がかったまま、彼の顔は見えない。けれど、大きな手のひらが、ヒューの体をゆっくりと撫で回してくる、その感触は嫌というほど知っていた。
「……ん……」
胸を一瞬指がかすめ、ピクンと身を震わせると、アレックスが後ろでふっと笑った。
「可愛い。覚えてるんだ?」
「……やめろ……」
かっと頬が赤くなる。夢だなんて思えない。すぐに熱くなる体温も、締めつけられるような胸の痛みも。
「僕も、ヒューのいいところ、全部覚えてるよ」
「やめろって……」
顎を優しく掴まれて、口づけられた。あの夜――最初は城の中庭で、初めて口づけられてから、一晩かけてすっかり慣れてしまった。
力強く舌が口の中を掻き乱す感覚も、すぐに体が思い出す。
「……っ……!」
押し返そうとして、敵うわけもなく、ベッドに押し倒された。ようやく正面からアレックスの顔を見た。
薄ぼんやりとした視界に、ずっと一緒にいた男の輪郭が浮かぶ。
忘れられるはずもない。
いつだって隣にいて、こいつの為になら何でも頑張った。ダンジョンを探索する技術も、罠の解除も、情報収集だって最初は下手だった。女装なんか好きでやってたわけじゃない。馬だって洗ったし、料理も覚えた。何か少しでも、少しでも役に立ちたくて、気がつけば十年、旅をした。
俺の――《勇者》。
「ああ、僕のヒューだ」
アレックスの淡く澄んだ瞳に、自分の姿が映る。目を逸らすと、頬をそっと包まれた。また口づけてこようとしたので、手で自分の口を塞ぎ、ヒューは叫んだ。
「――やっ……やめろ! 夢ん中でヤッて、だから何なんだよ……!」
「夢でも、僕がここにいることは現実だよ。君に触れているのも、キスも、ちゃんと君の体に残る」
無防備な首筋に口づけられた。強く吸われ、くっきりと痕が残る。
「……なんなんだよ、その能力……!」
「魔族の中に、夢を渡る奴がいるんだ。その力を貸してもらってる」
「ボコして言うこと聞かせてんじゃねーのか……」
「まあね、シルヴァーンと同じ」
さらっと言うが、ヒューは顔をしかめた。
「お前、魔族とつるんでるのか?」
「ヒューが言うんだ? それ」
アレックスは軽く笑った。
「エルドヴァルドの奴、よりによって《夜冠公》の従属者をつけるなんて、僕への嫌がらせかと思って、腹が立っちゃった」
「エルドとやり合ったのか……?」
背中に冷たいものが走って、ヒューは思わず震えた声を出した。すっと冷めた目で、アレックスがヒューを見返す。
「……エルドが心配? ちょっと喉を締めただけ」
「……っ、仲間だぞ!」
「僕もそう思ってたけど、もうさ、ヒューがいればいいやと思って」
「……なんで……っ!」
「そんなふうに、ヒューに心を乱してほしくないんだよ」
チッと舌打ちして、アレックスがヒューの肩を掴む。そのまま乱暴に押し倒して、脚の間を膝で割り、閉じられないようにする。
「……やめっ……!」
乱れた裾の間に、手が潜り込む。直接肌に触れられただけで、頭が痺れて脳が焼きつきそうだった。
アレックスが悪戯をする子供のように笑う。
「これから何されるか、想像した?」
「……うるせえ!」
顔が勝手に赤くなる。
「あの夜みたいに、何度も交わおうよ」
「……っ」
あの日にされたことを思い出して、体が震える。
でも、あのときとは違う。
本物であって本物ではない。
アレックスはただ苛立っているだけだ。
「……夢で、なんて、嫌だ……」
ヒューは腕で顔を覆い、頭を振った。灰の混じった黒髪が、シーツの上に散る。
「そうだね。夢じゃなくて、本当は迎えに行きたいんだけど」
「……っ、来るな! お前は、《勇者》だ!」
慌ててヒューが叫ぶと、アレックスの表情がすうっと凍りつく。
「俺はもう、お前についていけないんだ……足手まといになるだけだ。でも、今強くなってる魔族や魔獣に対抗出来るのは、お前だけだろ……」
「そうだね、ヒューは僕が、《勇者》でいるほうが、好きだもんね」
アレックスがヒューの手を取り、甲に口づける。そこにも痕が残った。
「……っ、好きとかじゃなくて、お前じゃなきゃ、世界は……」
「世界のために、《僕》に死ねってこと?」
「――え……?」
アレックスの瞳は、澄んでいて、綺麗な碧色のまま、その奥底はどこまでも深いように見えた。
綺麗なのに、底が見えなくて、不安になる。
「ヒューがいないなら、僕の心は死ぬ。君がいるから、世界を守りたいって思うよ。でもその世界が、僕からヒューを奪うなら」
アレックスの手が、ヒューの腕を掴み、ベッドに押し付ける。
「もうどうでもいい。――全部壊すよ」
本気だ。
これは本気の目だ。
鋭く射られたがましなくらい、無機質な瞳。
ヒューの喉が一気に乾いた。上手く音が出せない。
でも、何か言わないと。
言わないと、アレクが。
――アレクが、怒ってる……。
「……ごめん……なさい……」
ヒューは唇を震わせ、ようやくそれだけ呟いた。
勝手に涙が零れた。大型獣に喰われる小動物のように、何も抵抗出来ずに、ヒューはただ、泣いて懇願した。
「壊さないで……」
「じゃあ、もう静かにして」
冷酷に告げてから、アレックスは微笑んだ。
「最初より、もっと優しく出来ると思うから」
「……っ、待って、くれ、な、中に、子供……竜、の」
いま、何も分からないのに、体の中にアレックスを受け入れたら、竜に何の影響を及ぼすか、想像もつかない。ヒューは蒼褪めた。
「どうせ夢だよ」
「ま、まだ、形にもなってないんだ……だから、頼む……やめてくれ……」
アレックスの手が、ヒューの下腹部に触れる。ひっ、と小さく悲鳴を上げ、ヒューは身を引こうとしたが、《勇者》から逃れられるはずもない。
「ち、力、入れないで……」
「そんなに大事?」
どう答えたら、アレックスが怒りを鎮めるのか分からない。腹の奥がざわつくけれど、竜は怯えたように大人しい。
ヒュー自身も、アレックスの傍にいるだけで、全身から汗が噴き出し、体の底から震えが止まらない。
「だ……だいじ、だけど……」
何とか声を絞り出し、ヒューは言葉を繋いだ。
「アレクのほうが、だいじ……」
「僕のご機嫌取りなんて、ヒューらしくないよ」
にっこりと微笑み、アレックスが優しく腹を撫でる。は、は、と取り繕えない呼吸が、ヒューの喉から漏れる。
「――でも、優しくしてばかりだと、ヒューは僕の言うこと全然聞いてくれないから」
もう夢なら醒めてほしい。
この前、夢で会ったときは、抱き締められて温かったのに。
いまは、体が奥から冷えている。
「……体、冷えてるね、ヒュー。“この子”がいるから」
「アレク、ほんとに、やめてくれ……逃げたことも、謝るから……」
とんとん、と腹の上を指の腹で撫でられる。ヒューは本能的な恐怖を覚え、頭を振った。
「――ヒューを苦しめるなら、潰すよ」
冷えた空気が、すっと引いていく。腹の中のざわめきも静かになる。
「そう、大人しくしておいで。……ヒュー、優しいから、舐められてる」
アレックスが腹から手を離し、優しく頬に触れ、涙を拭った。
「怖がらせてごめんね。僕を大事って言ってくれて、嬉しかった」
「……え……?」
腹を潰されると本気で覚悟していたヒューに、アレックスは優しい眼差しを向けた。口づけをされ、しばらく貪られた。角度を変えて何度も、何度も。
忘れかけていた夜を、また思い出す。あのときのアレックスは嬉しそうだった。だけど、今のアレックスはどこか寂しそうだ。
(……違う)
ああ、とヒューは気づいた。
(俺が、寂しくさせてんのか……)
前なら気安く頭を抱いて、撫でてやったりもした。
――今はもう、出来ない。
(……俺なんかより、世界を守ってくれよ……)
それが残酷だと、ヒュー自身も分かっている。
でも今のままでは、アレックスはどんどん自分に執着する。それでは、どっちみちいつか世界は終わる。
誰より強いと思っていた勇者は、誰よりも脆くて。
世界より――自分だけを愛している。
114
あなたにおすすめの小説
片想いの相手が「そろそろ恋愛したい」と言ったので、用済みの俺はニートになることにしました。
はぴねこ
BL
高校生の頃、片想いの親友に告白した。
彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。
もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。
彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。
そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。
同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。
あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。
そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。
「俺もそろそろ恋愛したい」
親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。
不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
おしまいのそのあとは
makase
BL
悪役令息として転生してしまった神楽坂龍一郎は、心を入れ替え、主人公のよき友人になるよう努力していた。ところがこの選択肢が、神楽坂の大切な人を傷つける可能性が浮上する。困った神楽坂は、自分を犠牲にする道を歩みかけるが……
夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた
今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。
レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。
不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。
レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。
それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し……
※短め
昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する
子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき
「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。
そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。
背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。
結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。
「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」
誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。
叶わない恋だってわかってる。
それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。
君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。
幼馴染がいじめるのは俺だ!
むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに...
「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」
「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
ーーーーーー
主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
偽りベータの宮廷薬師は、氷の宰相に匂いを嗅がれ溺愛される
水凪しおん
BL
「お前の匂いがないと、私は息ができない」
宮廷薬師のルチアーノは、オメガであることを隠し、自作の抑制薬でベータと偽って生きてきた。
しかしある日、冷徹無比と恐れられる「氷の宰相」アレクセイにその秘密がバレてしまう。
処刑を覚悟したルチアーノだったが、アレクセイが求めたのは、ルチアーノの身体から香る「匂い」だった!?
強すぎる能力ゆえに感覚過敏に苦しむ宰相と、彼の唯一の安らぎとなった薬師。
秘密の共有から始まる、契約と執着のオメガバース・ロマンス!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる