世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【27】月下の中庭

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 逃れるように出た中庭で、ヒューは一人になれる場所を探し、噴水の陰に腰を下ろした。

 深い濃紺の空に、白い月が浮かんでいる。月明かりに照らされる美しい庭園を眺めて、また無意識に下腹部に触れる。アレックスの名を聞いて、少しざわついた。

 怖いよな、と内心で呟く。
 ――怖いのは、俺もだ。

 宴は中断状態で、遅れてやって来た勇者を一目見ようと、みな城内に戻って行った。
 喧騒の外で、庭園は静かだった。人の気配が消えると、ひどく広く感じた。噴水の水音だけが残る。

 あの夜もそうだった。《勇者アレク》を一目見ようと、一言でも会話を交わそうと、誰もが集まっていたから、静かな庭に逃れた。

 もうあの夜もずいぶん遠い。
 あの日のアレックスは、優しく、そっと自分に触れたのに。

「ヒュー!」

 名を呼ばれて、心臓が飛び出るかと思うほど跳ねた。
 だがその声はアレックスのものではない。

「大丈夫か?」

 グレンドルフがやって来て、真っ直ぐにヒューのところにやって来た。
 少し合わないのか、黒を基調にした礼装が窮屈そうだ。
「……大丈夫……じゃないな」
「まだ体調が戻ってないのか」
 ヒューが小さく笑うと、生真面目な青年は真摯に受け取ったようだった。
「屋敷に戻ろう。馬車を……」
「いいよ。……逃げるみたいで癪だし」
 ヒューは手招きし、自分の隣を指さした。
「座れば。ダンス疲れたろ?」
「……ああ、疲れたよ」
 グレンはどっかりと腰を下ろし、ふうと息をついた。
「けっこう踊れてたじゃん」
 普段通りの軽口が出て、ヒュー自身がほっとした。
 震える声が出たらどうしようかと思った。
「ご婦人の手や足を潰さないか、怖かった。庭仕事に貸してもらった剪定鋏も、もう何個も壊しているんだ」
 申し訳なさそうに笑う。
「旅の間も、色々壊したもんな。鉄製の鍋を折りたたんだときは、どうしようかと思ったぜ」
 心優しい怪物、とエルドが揶揄していたのを思い出す。パーティー髄一の真面目な男だが、いかんせん力が強過ぎて、破壊してきた道具は数知れない。
「野営の準備も食事の用意も、ヒューがいつも全部やってくれていたから、何か手伝いたいと思っていたんだが、俺がやればやるほど、迷惑をかけたな」
 いつも面目なさそうにしていたのを思い出し、ヒューは微笑んだ。
「やろうともしない奴らよりマシだったけどな」
 好奇心の強い貴族たちの関心が、一気にアレックスだけに注がれて、ほっとした。お前なんか貴族の盾になってろと心の中で毒づく。
「旅の話を聞かせてくれとか言われても、俺のやったことってメシ炊いてたりとかだよ」
「メシは大事だぞ。力が出ない」
「真面目に返すなよ」
 ヒューは苦笑し、賑わっている中の様子を、振り返らず音だけで伺った。
「疲れたんじゃないのか。起きたばかりだ」
「ん……」
 膝を抱えて、ヒューは顔を埋めた。あの晩に懲りて、そんなに飲んでいないはずなのに、酔っているときよりも頭がくらくらする。
「さっきから、無理に喋ってるんじゃないか?」
「……そんなことねーよ」
 アレックスが来た動揺を気取られたくないのに、グレンドルフは悪気無く気遣ってくれる。その優しさが、いまは堪える。余計なことを口走りそうになる。

 ――怖い、と口にしてしまいそうになる。

「帰ろう、ヒュー。今なら抜けても大丈夫だ」
「……考えてみたら、何で俺が逃げねーといけねーんだよ……」
「ヒュー」
「腹立つ」

 夢の中にまで出てきやがって。体だけじゃない、頭の中までぐちゃぐちゃにして、今だって顔も見たくないのに――どんな顔してそこにいるんだと思う。

「――アレクのことは、俺も許せない」

 顔を伏せたまま、ヒューはグレンドルフの言葉を聞いた。

「だが、ヒューが許すなら、俺も許すし、ヒューが許さないなら、もう会わせない」
 顔を上げると、漆黒の瞳と目が合った。
「グレン……」
「皆もそうだ。傍にいて、ヒューを助けてやれる距離にいたいんだ。守るとか、そういうことじゃなくて、頼られたい」
「……リオネルも、そんなこと言ってたな」
 ぼんやりと思い出す。あのときリオネルを怒らせたけど、その後、夢の中にまで助けに来てくれた。
「もっと頼っていいんだぞ」
「……助けられてるのは、分かってるよ……」
「じゃなくて。頼られたいのと、助けたいのとは違うだろ?」
「……頼る……」
 瞼の裏が熱くなって、涙が出そうになった。
 強がっているつもりではない。ただ、みんなより弱くて、置いていかれないようにするだけで必死だったから。
 膝を抱える腕にぎゅっと力をこめ、再び顔を埋める。
「……頼り方が……分かんない……」
「そうやって、言ってくれればいいんだ」
「やっぱり帰りたい……アレクに会いたくない……」
「いいさ。抜けよう」
 顔を伏せたまま、ヒューは頭を振った。
「逃げるのも怖い。……怖いとか思わせられてんのが、悔しい……俺が選択したことで、アレクが怒ったらどうしようって……」
「アレクが?」
 小さく、ヒューは頷く。
「……リオネルがアレクと戦ってるとき、すごく怖かった。俺のせいでリオネルが死ぬかもしれないって……。エルドだって……。グレンにも何かあったら、嫌だ」
「でも、また一人で逃げるのは、やめてほしい」
 静かだが強い声で、グレンドルフは言った
「ヒューがそうしたいと決めたことなら、仕方ない。でも俺たちを傷つけたくないからとか、そんなことなら考えなくていい」
「……考えるだろ……」
「考えなくていい。エルドだってリオネルだって、そんなにやわじゃないだろ? 俺だってそうだ」
 ヒューは顔を隠していたが、細い肩のかすかな震えまでは隠せていない。グレンはその様子を見つめ、手を伸ばすことはせず、ぐっと自らの拳を握った。
「それに俺は、アレクの攻撃くらいじゃ死なないぞ」
「……それもそうだな」
 顔を見せないまま、ヒューは笑っていたが、その後で小さく鼻を啜る音がした。彼がこんなに落ち込んでいる姿を、グレンは見たことがない。

 ヒューが思っているほど、彼は弱いわけではない。
 ただ、周りが強過ぎただけだ。
 それでも、《勇者》が見ていたのは常にヒューだけだった。だからヒューは必要で、最後までアレックスの傍にいた。
 それがヒューの体を蝕んだことを、皆が悔やんでいる。

《世界》を救うために、誰もがヒューを犠牲にしたのだ。
 いまこの平和な夜も、華やかなパーティーも、人々の笑顔も、すべて彼の寿命と引き換えにもたらされた。
 それは同時に、アレックスから幸せを奪ったのと同じだ。
 世界を憎んでも、仕方がないと思う。自分なら恨まないでいられるだろうかと、グレンドルフは顔を上げないヒューを見つめて、目を細めた。

 アレックスはずっと、何かに怒っている。それが何なのか、エルドヴァルドだけが分かっていて、口にしないことも、仲間たちは薄々気づいている。

「帰ろう、ヒュー。大丈夫だ。――俺も、みんなもいる」
 グレンドルフが声をかける。ヒューは小さく頷いた。手を取ってそっと立たせてやると、ヒューの目許にうっすら涙の痕が見えたが、グレンは何も言わなかった。
「……二人とも、少し似てるな」
 微笑みながらグレンが呟くと、ヒューの蒼い瞳が不思議そうに揺れた。
「頼らないのは、アレクも同じだ。でも、頼る必要なんて、ないのか」
 月明かりの下で、グレンドルフの表情は少し寂しげだった。
 パーティーの灯りの外は、薄暗くて、違う世界にいるようだ。

 ヒューの手に、壊れ物のように触れる。
 でもきっとそう扱われることを、ヒューは喜ばない。

「きっとアレクには、最初から俺たちなんか必要なかった」

 そんなこと、とヒューが口にする前に、グレンは真っ直ぐ微笑んだ。

「――でもそれを、ヒューが繋いでくれていたんだ」

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