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【45】夜の案内人
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「アレク……、っ」
名前を呼ぶと、腹の奥が痛んだ。ミストが警戒して、嫌がっている。
ということは、これは本物のアレクなのか?
それとも、兄やケレスみたいに、幻影?
「どうしたの? お腹痛い?」
アレックスがやって来て、顔を覗き込む。手が腹に伸びてきて、ヒューははっと手で庇った。
「だ、大丈夫。触んな……」
「ああ、そうだね、前に僕、そこガンガン突いちゃったから、やだよね」
申し訳なさそうに、アレクが目を伏せる。
これは今まで見た兄やケレスとは違う、想い出の中のアレクじゃない。でも、本人がここに居るわけがない。
「……なんだこれ、また、夢で会ってる……?」
「夢じゃないよ。でも現実でもない。行こう」
大きな手が、ぎゅっとヒューの手を掴んだ。少しびくっとしたが、慣れた手の温度に、勝手に心臓が高鳴った。何度も繋いだ。何度も助けられた。アレクの手。
彼は何もない光の中を、迷わず進んだ。
「お腹、痛い? まだその“竜”に舐められてるの?」
「成長してきただけだよ……こいつも俺を傷つけようとしてるわけじゃない……」
「あのときのこと、怒ってる?」
「夢のことか……? ああいうのは、もう無しだ……けど……」
歩く速度も、歩幅も、握る手の強さも、間違いなくアレクだ。
ここにいるわけがないのに。
アレクに対して、懺悔しているような気持ちになる。
「……あのときは、こいつのことばっかで、俺もお前を勝手に怖がってた……お前は強いし勇者だから、一人で頑張ってても、当たり前だと思ってたかも……」
腹に手を当て、ヒューは俯いた。
「僕だって、寂しいよ。ヒューがいなくなって、ずっと寂しかった」
「それは、ごめん……」
「でも、頑張って戦ってたよ。一人でも。ヒューは、みんなのために役に立つ僕が好きなんだよね?」
「……俺は……」
雪の中に消えていった兄。腕の中で冷たくなった弟。救えなかった孤児仲間。もう会えない仲間たち。生きてきたのは、耐えがたい喪失の記憶だ。
「アレクなら……世界を……」
「変えてほしい?」
アレックスが立ち止まり、ヒューを振り返った。握った手はそのままに、指の間に指を絡めてくる。
「あ、……ちょっと……」
腰を引こうとしたが、指を絡めたまま、優しく、でも強く引き寄せてくる。
「この繋ぎ方じゃ、歩きにくい……」
「引っ張ってごめんね。一緒に歩こう?」
そう言って、歩く速度を緩める。指を絡めて、並んで歩くなんて、今までしたことがない。手を繋いだことは何度もあるのに。
「や、やっぱ、やだ……」
ヒューは立ち止まり、手を振り解いた。アレックスがきょとんとした顔をする。
「どうして?」
「お前、本物じゃない……だろ……するなら、本物とする……」
言いながら、それだけで頬が熱くなった。
「ヒュー、顔真っ赤」
「うるせえ」
「抱き締めるのは?」
「駄目……」
アレックスは再び手を伸ばし、今度は指を絡めず、ぎゅっと握った。
そしてまた歩き出す。
「お前は、俺の中のアレクか……?」
「うん。ヒューの記憶から再構築した、ちゃんとアレクだよ。ヒューが選んだ、記憶の案内人」
「案内……?」
「ヒュー、ちゃんと、ここまで来られて偉いね。ここから先は、不確定な未来しかない。だから迷うし、まだ選べないこともある。僕の手を握ったまま、歩いて」
罠じゃないか? とすぐに疑ってしまうのは、盗賊の性分だ。
アレックスの言葉が甘ければ甘いほど、誘惑じゃないのかと感じる。
「ヒューは、お兄さんやケレスのことは疑わないのに、僕のことは疑うんだ?」
笑いながら、アレクが見透かしたように言う。前を歩いているから、表情は見えないのに、どんな顔をしているか分かってしまう。
「……だって、お前のことは、よく知ってるから……」
ヒューは言いかけて、目を伏せた。
「知ってるから、分かんないよ……今だって、お前が本物なら、いいのにって思う……」
「本物だよ。ヒューの記憶にいる僕は、ちゃんと本物」
腹の奥が鈍く痛む。“竜”は嫌がってはいても、強く拒絶しないということは、行き先は間違っていないのだろうか。
「ここはね、旧い、夜の神の遺跡。夜と、闇と、月と、夢……どれもかな。昔の神様は、色んな役割を兼ねていたから」
「やっぱお前、アレクじゃないだろ。あいつ旧神話とか知らねえよ」
「案内人って言っただろ? アレックスの記憶に、案内人としての“機能”を付けたんだ」
「“機能”……ね」
あまりに人間らしくない物言い。この“アレク”の正体が、なんとなく分かった。
「この遺跡に祀られていたのは、夜の神、ナウレア……旧神は、自分が作った種族に、名前を教えてたからね」
「ああ、そういや、旧い水の神の名前をヴェルゼが言ってた……」
「もう旧神は去ったのに、たくさんの旧神遺跡が残っているの、不思議だと思っただろ?」
「ああ……」
「ヒューはどう思ってる?」
「どうって……愛されたからだろ」
「へえ?」
「現神と旧神の対立構図は、この世界の定説だ。けど、そうじゃない見方もある。俺はけっこう、現神と旧神は、仲悪くなかったと思ってる」
いくつもの遺跡に触れるたびに、ヒューは考えた。
排斥されたり、疎まれたりした存在が、こんなに長い間祀られるだろうか。
人間が大地を支配するようになってからも、旧神信仰は残ったのだろうと思う。それを許された証が、いくつもの旧神遺跡だ。
「かなり遺跡が残ってるのは、旧神の力の強さもあると思うけど、今も消えていい存在ってわけじゃないんだと思う。研究者じゃないから、勝手に考えただけだけど」
「いい線いってる。君は女神の子なのに、自然に根付いていて、神も人も魔族も竜も愛せる。勇者に愛されながら、でも世界を選んだ。殉教者のようだね」
「なんかお前、エルドも入ってない?」
「そう? ヒューの好きな人たちの記憶が、いっぱい詰まってるのかも。君は僕が一番好きなのに、他にもたくさん大切なものがあって、その全てを選べない。そういうヒューが僕も好き。だから、世界もヒューが好きなのかもね」
「一番好き……とか言いきるあたりは、アレクっぽいな……」
「だから、アレクだって」
無邪気に笑いながら、アレックスが強引に手を引いていく。
二人で旅をしていたときを思い出す。
よく手を引かれた。眠るときは、一緒がいいと言われた。甘えん坊な奴、と思っていた。でも本当は、アレクが傍にいて、眠れていたのは自分だったのかもしれない。
「……魔毒が無かったら……」
見慣れた背中に向かって、ヒューはぽつりと呟いた。
「お前とずっと、生きたかった……二人で、平和になった世界を回って……それが、俺の夢だった」
「もう、諦めたの?」
振り向かずに、アレックスが尋ねた。右腕を引っ張られながら、ヒューは自分の左手を見つめた。
「諦めてない……」
「良かった。じゃあヒューはもう、決めてるんだね」
先を歩くアレックスの輪郭がぼんやりと滲む。
アレックスの声が、どこか遠くに聴こえ始めた。
「この世界は、魔王が倒れても、全然平和じゃない。魔瘴は際限なく噴き出てるし、女神は期限切れ、勇者は厄災級の強さがあって、その勇者が唯一愛する君は、竜の力でなんとか生き永らえてる。人間の国はまとまってないし、魔族はバラバラ。何がきっかけで終わってもおかしくない。どうするの?」
やっぱり、アレクじゃない。
「勇者が愛した君は、もう世界の中心にいる」
アレクじゃないのに、声を聴けて嬉しい。
胸の奥が震えて、泣きたくなるくらいに。
「一つずつ……終わらせてく。まずは魔族との戦いは、絶対に止めないと……魔族も世界のバランスの一つだ」
「うん、瘴気噴き出るガイアデイラは、彼らしか暮らせない。そして彼には長たる魔王が必要で、魔王は世界の均衡を保つ」
「でも、勇者を魔王にするわけにはいかない」
「そうだね、そのために君は、指輪をして、たった一人、魔族に狙われる存在になった。勇者を堕とすなら、愛する人を殺せばいい」
「俺は死なない……そのために、旧神の力が必要だ。俺の体の“竜”……こいつは、狂った運命を断ち切る力なんだろ……?」
「その“竜”は旧神が遺した刃。しかるべきときに備えて、この世界に生まれるようになっている。霧の竜をベースに、“胎還り”の特性で、永い永い時を超え続けてきた」
「永い時……」
ヒューは腹に触れた。もう痛くない。静かだ。前は静かだと、死んでいるのではないかと思って怖くなった。でもいまは、この仔がどうしているのか、不思議と分かる。穏やかにまどろんでいる。
「君の、魔毒を貯め込みやすい体質と、とても合うみたいだね。君の感情や、たいせつに育てられている記憶も、ちゃんと憶えている。もうすぐ、生まれ落ちるときがくるよ。でも、人間の君は耐えられないかもしれない」
やっぱりそうなのか、と思うと同時に、思っていたほど怖くはなかった。
腹の奥に感じる存在感に、それでもやはり生まれてきてほしいと思う。
「勇者は、それを許さないだろう。君は生きることも、死ぬことも難しい」
アレクの形をしていたものが、揺らいでいく。
もう少しその姿を見ていたいと願うと、輪郭がまだ戻ってくる。
「この世界は……循環してるのか? 魔王と勇者が繰り返し生まれるように……神様もそうなのか?」
アレクのままでいてほしいと願ったその形に、ヒューは語りかけた。
「魔王は魔瘴を封じる。だけどいつかは限界がくる。終末期に狂った魔王は、世界を壊そうとする。それを止める勇者が生まれる。次の魔王が生まれなかったら、勇者自身が魔王にもなれる……」
繰り返し考えた。勇者について。世界について。その解をくれる存在を、ずっと探していた。
旧神の遺跡を巡っていれば、いつか触れられるのではないかと思っていた。
でも、“これ”は、旧神じゃない。
「どうして、人間の……俺を、助けてくれるんだ?」
「助けているわけじゃないよ」
「でも……俺の、ずっと傍にいてくれた。……あなたは、《盗賊》なのか?」
アレクの輪郭が歪んだ。優しい幻が終わる。
「盗賊の神は、夜の眷属神。弱い者を許す神だ。俺の兄もケレスも、生きるために盗みをした。俺もそうだ。だからこの記憶の遺跡で、二人の記憶が強く蘇った」
「どうして、《盗賊》だと思うの?」
「ここが、古の夜の神ナウレアの遺跡だって聞いたから。現神のあなたが、旧神のナウレアの遺跡に干渉できるのは、同じ夜の属性があるからだ。やっぱり、断絶していないんだな、神々は」
「神の存在を、そこまで身近に感じてくれて、嬉しいな」
声も、アレクの声に重なって、いくつもの声が聴こえる。
「ああ、神だと認識し過ぎないで……狂ってしまうよ。大切な彼のことを思い浮かべて……」
強く手を握られる。歪んだ輪郭に、アレックスの姿を重ねると、その背中がだんだんと形を取り戻した。
「ナウレアは、僕の親しい友達だ。いまは世界の裂け目にいるけどね……」
運命の女神は、世界を創った旧神たちを、世界の果てへと追いやった。
人間の世界を創世した、始まりの神だ。
そう伝えられているけれど。
「旧神の排除は、必然だったのか? 運命神は、循環を担っただけに過ぎないってことか……?」
「うん。かつて旧神たちがそうだったように、《運命》も終末期を迎えてる。緩やかに狂いながら、崩壊していく、その力の奔流に、世界は耐えられないだろう」
「次の循環が、必要なのか……」
「魔王ヴァルナオグが塞いでいた世界の裂け目……そこに、旧神たちが封じられている。魔瘴とは、神々の腐臭だ。だが彼らは死んではいない。やがて訪れる終末に目覚め、人間と旧きものたちの世界は反転する」
「人間が、追いやられる側になるのか……?」
「それは君たち次第。魔族も変革を迎えている。次の魔王次第で、人間との共存が可能かもしれない。旧神は、人間を憎んではいないからね。彼らは最も超然たる存在だ」
「僕たちは、少し人間贔屓だからね……運命は特に過保護だ。色々やり過ぎて、赤ん坊のように大事にし過ぎた。特にアレックスのことは可愛くて仕方ないみたい。生まれたての末っ子みたいなもんだね」
「末っ子……」
ヒューは少し笑った。たしかに、そういうタイプだ。
「さあ、着いたよ。もう質問は無い?」
「大丈夫……あとは、俺たち人間で考える」
何も無い空間に、いつも間にか扉だけが浮かんでいる。
アレックスの形をした“神”が、ヒューの手を取って、扉の前へ促す。そして悪戯っぽく笑った。
「この姿さ、君のことが大好きだって気持ちでいっぱいだ」
「……俺の記憶、だからかな……」
ヒューは顔を赤くした。
「口づけくらいしていく?」
「いや……ありがとう。でも、やめとく」
離れがたい手を、ヒューは笑って解いた。
「浮気相手が神様じゃ、笑えない……」
「そうだった。彼は“神殺し”の勇者だったね」
扉が開いて、アレクの姿も滲んでいく。
最後に声だけが、そこに残った。
「今のままじゃ、《運命》には勝てない。でも、生きることを諦めないって、ヒューが言ってくれて、嬉しかったよ……」
――今度は、本物の僕に伝えてあげて。
名前を呼ぶと、腹の奥が痛んだ。ミストが警戒して、嫌がっている。
ということは、これは本物のアレクなのか?
それとも、兄やケレスみたいに、幻影?
「どうしたの? お腹痛い?」
アレックスがやって来て、顔を覗き込む。手が腹に伸びてきて、ヒューははっと手で庇った。
「だ、大丈夫。触んな……」
「ああ、そうだね、前に僕、そこガンガン突いちゃったから、やだよね」
申し訳なさそうに、アレクが目を伏せる。
これは今まで見た兄やケレスとは違う、想い出の中のアレクじゃない。でも、本人がここに居るわけがない。
「……なんだこれ、また、夢で会ってる……?」
「夢じゃないよ。でも現実でもない。行こう」
大きな手が、ぎゅっとヒューの手を掴んだ。少しびくっとしたが、慣れた手の温度に、勝手に心臓が高鳴った。何度も繋いだ。何度も助けられた。アレクの手。
彼は何もない光の中を、迷わず進んだ。
「お腹、痛い? まだその“竜”に舐められてるの?」
「成長してきただけだよ……こいつも俺を傷つけようとしてるわけじゃない……」
「あのときのこと、怒ってる?」
「夢のことか……? ああいうのは、もう無しだ……けど……」
歩く速度も、歩幅も、握る手の強さも、間違いなくアレクだ。
ここにいるわけがないのに。
アレクに対して、懺悔しているような気持ちになる。
「……あのときは、こいつのことばっかで、俺もお前を勝手に怖がってた……お前は強いし勇者だから、一人で頑張ってても、当たり前だと思ってたかも……」
腹に手を当て、ヒューは俯いた。
「僕だって、寂しいよ。ヒューがいなくなって、ずっと寂しかった」
「それは、ごめん……」
「でも、頑張って戦ってたよ。一人でも。ヒューは、みんなのために役に立つ僕が好きなんだよね?」
「……俺は……」
雪の中に消えていった兄。腕の中で冷たくなった弟。救えなかった孤児仲間。もう会えない仲間たち。生きてきたのは、耐えがたい喪失の記憶だ。
「アレクなら……世界を……」
「変えてほしい?」
アレックスが立ち止まり、ヒューを振り返った。握った手はそのままに、指の間に指を絡めてくる。
「あ、……ちょっと……」
腰を引こうとしたが、指を絡めたまま、優しく、でも強く引き寄せてくる。
「この繋ぎ方じゃ、歩きにくい……」
「引っ張ってごめんね。一緒に歩こう?」
そう言って、歩く速度を緩める。指を絡めて、並んで歩くなんて、今までしたことがない。手を繋いだことは何度もあるのに。
「や、やっぱ、やだ……」
ヒューは立ち止まり、手を振り解いた。アレックスがきょとんとした顔をする。
「どうして?」
「お前、本物じゃない……だろ……するなら、本物とする……」
言いながら、それだけで頬が熱くなった。
「ヒュー、顔真っ赤」
「うるせえ」
「抱き締めるのは?」
「駄目……」
アレックスは再び手を伸ばし、今度は指を絡めず、ぎゅっと握った。
そしてまた歩き出す。
「お前は、俺の中のアレクか……?」
「うん。ヒューの記憶から再構築した、ちゃんとアレクだよ。ヒューが選んだ、記憶の案内人」
「案内……?」
「ヒュー、ちゃんと、ここまで来られて偉いね。ここから先は、不確定な未来しかない。だから迷うし、まだ選べないこともある。僕の手を握ったまま、歩いて」
罠じゃないか? とすぐに疑ってしまうのは、盗賊の性分だ。
アレックスの言葉が甘ければ甘いほど、誘惑じゃないのかと感じる。
「ヒューは、お兄さんやケレスのことは疑わないのに、僕のことは疑うんだ?」
笑いながら、アレクが見透かしたように言う。前を歩いているから、表情は見えないのに、どんな顔をしているか分かってしまう。
「……だって、お前のことは、よく知ってるから……」
ヒューは言いかけて、目を伏せた。
「知ってるから、分かんないよ……今だって、お前が本物なら、いいのにって思う……」
「本物だよ。ヒューの記憶にいる僕は、ちゃんと本物」
腹の奥が鈍く痛む。“竜”は嫌がってはいても、強く拒絶しないということは、行き先は間違っていないのだろうか。
「ここはね、旧い、夜の神の遺跡。夜と、闇と、月と、夢……どれもかな。昔の神様は、色んな役割を兼ねていたから」
「やっぱお前、アレクじゃないだろ。あいつ旧神話とか知らねえよ」
「案内人って言っただろ? アレックスの記憶に、案内人としての“機能”を付けたんだ」
「“機能”……ね」
あまりに人間らしくない物言い。この“アレク”の正体が、なんとなく分かった。
「この遺跡に祀られていたのは、夜の神、ナウレア……旧神は、自分が作った種族に、名前を教えてたからね」
「ああ、そういや、旧い水の神の名前をヴェルゼが言ってた……」
「もう旧神は去ったのに、たくさんの旧神遺跡が残っているの、不思議だと思っただろ?」
「ああ……」
「ヒューはどう思ってる?」
「どうって……愛されたからだろ」
「へえ?」
「現神と旧神の対立構図は、この世界の定説だ。けど、そうじゃない見方もある。俺はけっこう、現神と旧神は、仲悪くなかったと思ってる」
いくつもの遺跡に触れるたびに、ヒューは考えた。
排斥されたり、疎まれたりした存在が、こんなに長い間祀られるだろうか。
人間が大地を支配するようになってからも、旧神信仰は残ったのだろうと思う。それを許された証が、いくつもの旧神遺跡だ。
「かなり遺跡が残ってるのは、旧神の力の強さもあると思うけど、今も消えていい存在ってわけじゃないんだと思う。研究者じゃないから、勝手に考えただけだけど」
「いい線いってる。君は女神の子なのに、自然に根付いていて、神も人も魔族も竜も愛せる。勇者に愛されながら、でも世界を選んだ。殉教者のようだね」
「なんかお前、エルドも入ってない?」
「そう? ヒューの好きな人たちの記憶が、いっぱい詰まってるのかも。君は僕が一番好きなのに、他にもたくさん大切なものがあって、その全てを選べない。そういうヒューが僕も好き。だから、世界もヒューが好きなのかもね」
「一番好き……とか言いきるあたりは、アレクっぽいな……」
「だから、アレクだって」
無邪気に笑いながら、アレックスが強引に手を引いていく。
二人で旅をしていたときを思い出す。
よく手を引かれた。眠るときは、一緒がいいと言われた。甘えん坊な奴、と思っていた。でも本当は、アレクが傍にいて、眠れていたのは自分だったのかもしれない。
「……魔毒が無かったら……」
見慣れた背中に向かって、ヒューはぽつりと呟いた。
「お前とずっと、生きたかった……二人で、平和になった世界を回って……それが、俺の夢だった」
「もう、諦めたの?」
振り向かずに、アレックスが尋ねた。右腕を引っ張られながら、ヒューは自分の左手を見つめた。
「諦めてない……」
「良かった。じゃあヒューはもう、決めてるんだね」
先を歩くアレックスの輪郭がぼんやりと滲む。
アレックスの声が、どこか遠くに聴こえ始めた。
「この世界は、魔王が倒れても、全然平和じゃない。魔瘴は際限なく噴き出てるし、女神は期限切れ、勇者は厄災級の強さがあって、その勇者が唯一愛する君は、竜の力でなんとか生き永らえてる。人間の国はまとまってないし、魔族はバラバラ。何がきっかけで終わってもおかしくない。どうするの?」
やっぱり、アレクじゃない。
「勇者が愛した君は、もう世界の中心にいる」
アレクじゃないのに、声を聴けて嬉しい。
胸の奥が震えて、泣きたくなるくらいに。
「一つずつ……終わらせてく。まずは魔族との戦いは、絶対に止めないと……魔族も世界のバランスの一つだ」
「うん、瘴気噴き出るガイアデイラは、彼らしか暮らせない。そして彼には長たる魔王が必要で、魔王は世界の均衡を保つ」
「でも、勇者を魔王にするわけにはいかない」
「そうだね、そのために君は、指輪をして、たった一人、魔族に狙われる存在になった。勇者を堕とすなら、愛する人を殺せばいい」
「俺は死なない……そのために、旧神の力が必要だ。俺の体の“竜”……こいつは、狂った運命を断ち切る力なんだろ……?」
「その“竜”は旧神が遺した刃。しかるべきときに備えて、この世界に生まれるようになっている。霧の竜をベースに、“胎還り”の特性で、永い永い時を超え続けてきた」
「永い時……」
ヒューは腹に触れた。もう痛くない。静かだ。前は静かだと、死んでいるのではないかと思って怖くなった。でもいまは、この仔がどうしているのか、不思議と分かる。穏やかにまどろんでいる。
「君の、魔毒を貯め込みやすい体質と、とても合うみたいだね。君の感情や、たいせつに育てられている記憶も、ちゃんと憶えている。もうすぐ、生まれ落ちるときがくるよ。でも、人間の君は耐えられないかもしれない」
やっぱりそうなのか、と思うと同時に、思っていたほど怖くはなかった。
腹の奥に感じる存在感に、それでもやはり生まれてきてほしいと思う。
「勇者は、それを許さないだろう。君は生きることも、死ぬことも難しい」
アレクの形をしていたものが、揺らいでいく。
もう少しその姿を見ていたいと願うと、輪郭がまだ戻ってくる。
「この世界は……循環してるのか? 魔王と勇者が繰り返し生まれるように……神様もそうなのか?」
アレクのままでいてほしいと願ったその形に、ヒューは語りかけた。
「魔王は魔瘴を封じる。だけどいつかは限界がくる。終末期に狂った魔王は、世界を壊そうとする。それを止める勇者が生まれる。次の魔王が生まれなかったら、勇者自身が魔王にもなれる……」
繰り返し考えた。勇者について。世界について。その解をくれる存在を、ずっと探していた。
旧神の遺跡を巡っていれば、いつか触れられるのではないかと思っていた。
でも、“これ”は、旧神じゃない。
「どうして、人間の……俺を、助けてくれるんだ?」
「助けているわけじゃないよ」
「でも……俺の、ずっと傍にいてくれた。……あなたは、《盗賊》なのか?」
アレクの輪郭が歪んだ。優しい幻が終わる。
「盗賊の神は、夜の眷属神。弱い者を許す神だ。俺の兄もケレスも、生きるために盗みをした。俺もそうだ。だからこの記憶の遺跡で、二人の記憶が強く蘇った」
「どうして、《盗賊》だと思うの?」
「ここが、古の夜の神ナウレアの遺跡だって聞いたから。現神のあなたが、旧神のナウレアの遺跡に干渉できるのは、同じ夜の属性があるからだ。やっぱり、断絶していないんだな、神々は」
「神の存在を、そこまで身近に感じてくれて、嬉しいな」
声も、アレクの声に重なって、いくつもの声が聴こえる。
「ああ、神だと認識し過ぎないで……狂ってしまうよ。大切な彼のことを思い浮かべて……」
強く手を握られる。歪んだ輪郭に、アレックスの姿を重ねると、その背中がだんだんと形を取り戻した。
「ナウレアは、僕の親しい友達だ。いまは世界の裂け目にいるけどね……」
運命の女神は、世界を創った旧神たちを、世界の果てへと追いやった。
人間の世界を創世した、始まりの神だ。
そう伝えられているけれど。
「旧神の排除は、必然だったのか? 運命神は、循環を担っただけに過ぎないってことか……?」
「うん。かつて旧神たちがそうだったように、《運命》も終末期を迎えてる。緩やかに狂いながら、崩壊していく、その力の奔流に、世界は耐えられないだろう」
「次の循環が、必要なのか……」
「魔王ヴァルナオグが塞いでいた世界の裂け目……そこに、旧神たちが封じられている。魔瘴とは、神々の腐臭だ。だが彼らは死んではいない。やがて訪れる終末に目覚め、人間と旧きものたちの世界は反転する」
「人間が、追いやられる側になるのか……?」
「それは君たち次第。魔族も変革を迎えている。次の魔王次第で、人間との共存が可能かもしれない。旧神は、人間を憎んではいないからね。彼らは最も超然たる存在だ」
「僕たちは、少し人間贔屓だからね……運命は特に過保護だ。色々やり過ぎて、赤ん坊のように大事にし過ぎた。特にアレックスのことは可愛くて仕方ないみたい。生まれたての末っ子みたいなもんだね」
「末っ子……」
ヒューは少し笑った。たしかに、そういうタイプだ。
「さあ、着いたよ。もう質問は無い?」
「大丈夫……あとは、俺たち人間で考える」
何も無い空間に、いつも間にか扉だけが浮かんでいる。
アレックスの形をした“神”が、ヒューの手を取って、扉の前へ促す。そして悪戯っぽく笑った。
「この姿さ、君のことが大好きだって気持ちでいっぱいだ」
「……俺の記憶、だからかな……」
ヒューは顔を赤くした。
「口づけくらいしていく?」
「いや……ありがとう。でも、やめとく」
離れがたい手を、ヒューは笑って解いた。
「浮気相手が神様じゃ、笑えない……」
「そうだった。彼は“神殺し”の勇者だったね」
扉が開いて、アレクの姿も滲んでいく。
最後に声だけが、そこに残った。
「今のままじゃ、《運命》には勝てない。でも、生きることを諦めないって、ヒューが言ってくれて、嬉しかったよ……」
――今度は、本物の僕に伝えてあげて。
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美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
偽りベータの宮廷薬師は、氷の宰相に匂いを嗅がれ溺愛される
水凪しおん
BL
「お前の匂いがないと、私は息ができない」
宮廷薬師のルチアーノは、オメガであることを隠し、自作の抑制薬でベータと偽って生きてきた。
しかしある日、冷徹無比と恐れられる「氷の宰相」アレクセイにその秘密がバレてしまう。
処刑を覚悟したルチアーノだったが、アレクセイが求めたのは、ルチアーノの身体から香る「匂い」だった!?
強すぎる能力ゆえに感覚過敏に苦しむ宰相と、彼の唯一の安らぎとなった薬師。
秘密の共有から始まる、契約と執着のオメガバース・ロマンス!
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