世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【45】夜の案内人

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「アレク……、っ」

 名前を呼ぶと、腹の奥が痛んだ。ミストが警戒して、嫌がっている。
 ということは、これは本物のアレクなのか?
 それとも、兄やケレスみたいに、幻影?

「どうしたの? お腹痛い?」
 アレックスがやって来て、顔を覗き込む。手が腹に伸びてきて、ヒューははっと手で庇った。
「だ、大丈夫。触んな……」
「ああ、そうだね、前に僕、そこガンガン突いちゃったから、やだよね」
 申し訳なさそうに、アレクが目を伏せる。
 これは今まで見た兄やケレスとは違う、想い出の中のアレクじゃない。でも、本人がここに居るわけがない。

「……なんだこれ、また、夢で会ってる……?」
「夢じゃないよ。でも現実でもない。行こう」
 大きな手が、ぎゅっとヒューの手を掴んだ。少しびくっとしたが、慣れた手の温度に、勝手に心臓が高鳴った。何度も繋いだ。何度も助けられた。アレクの手。

 彼は何もない光の中を、迷わず進んだ。

「お腹、痛い? まだその“竜”に舐められてるの?」
「成長してきただけだよ……こいつも俺を傷つけようとしてるわけじゃない……」
「あのときのこと、怒ってる?」
「夢のことか……? ああいうのは、もう無しだ……けど……」

 歩く速度も、歩幅も、握る手の強さも、間違いなくアレクだ。
 ここにいるわけがないのに。
 アレクに対して、懺悔しているような気持ちになる。

「……あのときは、こいつのことばっかで、俺もお前を勝手に怖がってた……お前は強いし勇者だから、一人で頑張ってても、当たり前だと思ってたかも……」
 腹に手を当て、ヒューは俯いた。
「僕だって、寂しいよ。ヒューがいなくなって、ずっと寂しかった」
「それは、ごめん……」
「でも、頑張って戦ってたよ。一人でも。ヒューは、みんなのために役に立つ僕が好きなんだよね?」
「……俺は……」

 雪の中に消えていった兄。腕の中で冷たくなった弟。救えなかった孤児仲間。もう会えない仲間たち。生きてきたのは、耐えがたい喪失の記憶だ。

「アレクなら……世界を……」
「変えてほしい?」

 アレックスが立ち止まり、ヒューを振り返った。握った手はそのままに、指の間に指を絡めてくる。
「あ、……ちょっと……」
 腰を引こうとしたが、指を絡めたまま、優しく、でも強く引き寄せてくる。
「この繋ぎ方じゃ、歩きにくい……」
「引っ張ってごめんね。一緒に歩こう?」
 そう言って、歩く速度を緩める。指を絡めて、並んで歩くなんて、今までしたことがない。手を繋いだことは何度もあるのに。
「や、やっぱ、やだ……」
 ヒューは立ち止まり、手を振り解いた。アレックスがきょとんとした顔をする。
「どうして?」
「お前、本物じゃない……だろ……するなら、本物とする……」
 言いながら、それだけで頬が熱くなった。
「ヒュー、顔真っ赤」
「うるせえ」
「抱き締めるのは?」
「駄目……」

 アレックスは再び手を伸ばし、今度は指を絡めず、ぎゅっと握った。
 そしてまた歩き出す。

「お前は、俺の中のアレクか……?」
「うん。ヒューの記憶から再構築した、ちゃんとアレクだよ。ヒューが選んだ、記憶の案内人」
「案内……?」
「ヒュー、ちゃんと、ここまで来られて偉いね。ここから先は、不確定な未来しかない。だから迷うし、まだ選べないこともある。僕の手を握ったまま、歩いて」

 罠じゃないか? とすぐに疑ってしまうのは、盗賊の性分だ。
 アレックスの言葉が甘ければ甘いほど、誘惑じゃないのかと感じる。

「ヒューは、お兄さんやケレスのことは疑わないのに、僕のことは疑うんだ?」

 笑いながら、アレクが見透かしたように言う。前を歩いているから、表情は見えないのに、どんな顔をしているか分かってしまう。

「……だって、お前のことは、よく知ってるから……」
 ヒューは言いかけて、目を伏せた。
「知ってるから、分かんないよ……今だって、お前が本物なら、いいのにって思う……」
「本物だよ。ヒューの記憶にいる僕は、ちゃんと本物」

 腹の奥が鈍く痛む。“竜”は嫌がってはいても、強く拒絶しないということは、行き先は間違っていないのだろうか。

「ここはね、ふるい、夜の神の遺跡。夜と、闇と、月と、夢……どれもかな。昔の神様は、色んな役割を兼ねていたから」
「やっぱお前、アレクじゃないだろ。あいつ旧神話とか知らねえよ」
「案内人って言っただろ? アレックスの記憶に、案内人としての“機能”を付けたんだ」
「“機能”……ね」
 あまりに人間らしくない物言い。この“アレク”の正体が、なんとなく分かった。
「この遺跡に祀られていたのは、夜の神、ナウレア……旧神は、自分が作った種族に、名前を教えてたからね」
「ああ、そういや、旧い水の神の名前をヴェルゼが言ってた……」
「もう旧神は去ったのに、たくさんの旧神遺跡が残っているの、不思議だと思っただろ?」
「ああ……」
「ヒューはどう思ってる?」
「どうって……愛されたからだろ」
「へえ?」
「現神と旧神の対立構図は、この世界の定説だ。けど、そうじゃない見方もある。俺はけっこう、現神と旧神は、仲悪くなかったと思ってる」

 いくつもの遺跡に触れるたびに、ヒューは考えた。
 排斥されたり、疎まれたりした存在が、こんなに長い間祀られるだろうか。
 人間が大地を支配するようになってからも、旧神信仰は残ったのだろうと思う。それを許された証が、いくつもの旧神遺跡だ。

「かなり遺跡が残ってるのは、旧神の力の強さもあると思うけど、今も消えていい存在ってわけじゃないんだと思う。研究者じゃないから、勝手に考えただけだけど」
「いい線いってる。君は女神の子なのに、自然に根付いていて、神も人も魔族も竜も愛せる。勇者に愛されながら、でも世界を選んだ。殉教者のようだね」
「なんかお前、エルドも入ってない?」
「そう? ヒューの好きな人たちの記憶が、いっぱい詰まってるのかも。君は僕が一番好きなのに、他にもたくさん大切なものがあって、その全てを選べない。そういうヒューが僕も好き。だから、世界もヒューが好きなのかもね」
「一番好き……とか言いきるあたりは、アレクっぽいな……」
「だから、アレクだって」

 無邪気に笑いながら、アレックスが強引に手を引いていく。
 二人で旅をしていたときを思い出す。
 よく手を引かれた。眠るときは、一緒がいいと言われた。甘えん坊な奴、と思っていた。でも本当は、アレクが傍にいて、眠れていたのは自分だったのかもしれない。

「……魔毒が無かったら……」

 見慣れた背中に向かって、ヒューはぽつりと呟いた。

「お前とずっと、生きたかった……二人で、平和になった世界を回って……それが、俺の夢だった」
「もう、諦めたの?」
 振り向かずに、アレックスが尋ねた。右腕を引っ張られながら、ヒューは自分の左手を見つめた。
「諦めてない……」
「良かった。じゃあヒューはもう、決めてるんだね」

 先を歩くアレックスの輪郭がぼんやりと滲む。
 アレックスの声が、どこか遠くに聴こえ始めた。

「この世界は、魔王が倒れても、全然平和じゃない。魔瘴は際限なく噴き出てるし、女神は期限切れ、勇者は厄災級の強さがあって、その勇者が唯一愛する君は、竜の力でなんとか生き永らえてる。人間の国はまとまってないし、魔族はバラバラ。何がきっかけで終わってもおかしくない。どうするの?」

 やっぱり、アレクじゃない。

「勇者が愛した君は、もう世界の中心にいる」

 アレクじゃないのに、声を聴けて嬉しい。
 胸の奥が震えて、泣きたくなるくらいに。

「一つずつ……終わらせてく。まずは魔族との戦いは、絶対に止めないと……魔族も世界のバランスの一つだ」
「うん、瘴気噴き出るガイアデイラは、彼らしか暮らせない。そして彼には長たる魔王が必要で、魔王は世界の均衡を保つ」
「でも、勇者を魔王にするわけにはいかない」
「そうだね、そのために君は、指輪をして、たった一人、魔族に狙われる存在になった。勇者を堕とすなら、愛する人を殺せばいい」
「俺は死なない……そのために、旧神の力が必要だ。俺の体の“竜”……こいつは、狂った運命を断ち切る力なんだろ……?」

「その“竜”は旧神が遺した刃。しかるべきときに備えて、この世界に生まれるようになっている。霧の竜をベースに、“胎還り”の特性で、永い永い時を超え続けてきた」

「永い時……」
 ヒューは腹に触れた。もう痛くない。静かだ。前は静かだと、死んでいるのではないかと思って怖くなった。でもいまは、この仔がどうしているのか、不思議と分かる。穏やかにまどろんでいる。

「君の、魔毒を貯め込みやすい体質と、とても合うみたいだね。君の感情や、たいせつに育てられている記憶も、ちゃんと憶えている。もうすぐ、生まれ落ちるときがくるよ。でも、人間の君は耐えられないかもしれない」

 やっぱりそうなのか、と思うと同時に、思っていたほど怖くはなかった。
 腹の奥に感じる存在感に、それでもやはり生まれてきてほしいと思う。

「勇者は、それを許さないだろう。君は生きることも、死ぬことも難しい」

 アレクの形をしていたものが、揺らいでいく。
 もう少しその姿を見ていたいと願うと、輪郭がまだ戻ってくる。

「この世界は……循環してるのか? 魔王と勇者が繰り返し生まれるように……神様もそうなのか?」

 アレクのままでいてほしいと願ったその形に、ヒューは語りかけた。

「魔王は魔瘴を封じる。だけどいつかは限界がくる。終末期に狂った魔王は、世界を壊そうとする。それを止める勇者が生まれる。次の魔王が生まれなかったら、勇者自身が魔王にもなれる……」

 繰り返し考えた。勇者について。世界について。その解をくれる存在を、ずっと探していた。
 旧神の遺跡を巡っていれば、いつか触れられるのではないかと思っていた。
 でも、“これ”は、旧神じゃない。

「どうして、人間の……俺を、助けてくれるんだ?」
「助けているわけじゃないよ」
「でも……俺の、ずっと傍にいてくれた。……あなたは、《盗賊》なのか?」

 アレクの輪郭が歪んだ。優しい幻が終わる。

「盗賊の神は、夜の眷属神。弱い者を許す神だ。俺の兄もケレスも、生きるために盗みをした。俺もそうだ。だからこの記憶の遺跡で、二人の記憶が強く蘇った」
「どうして、《盗賊》だと思うの?」
「ここが、古の夜の神ナウレアの遺跡だって聞いたから。現神のあなたが、旧神のナウレアの遺跡に干渉できるのは、同じ夜の属性があるからだ。やっぱり、断絶していないんだな、神々は」
「神の存在を、そこまで身近に感じてくれて、嬉しいな」

 声も、アレクの声に重なって、いくつもの声が聴こえる。

「ああ、神だと認識し過ぎないで……狂ってしまうよ。大切な彼のことを思い浮かべて……」

 強く手を握られる。歪んだ輪郭に、アレックスの姿を重ねると、その背中がだんだんと形を取り戻した。

「ナウレアは、僕の親しい友達だ。いまは世界の裂け目にいるけどね……」

 運命の女神は、世界を創った旧神たちを、世界の果てへと追いやった。
 人間の世界を創世した、始まりの神だ。
 そう伝えられているけれど。

「旧神の排除は、必然だったのか? 運命神は、循環を担っただけに過ぎないってことか……?」
「うん。かつて旧神たちがそうだったように、《運命》も終末期を迎えてる。緩やかに狂いながら、崩壊していく、その力の奔流に、世界は耐えられないだろう」
「次の循環が、必要なのか……」
「魔王ヴァルナオグが塞いでいた世界の裂け目……そこに、旧神たちが封じられている。魔瘴とは、神々の腐臭だ。だが彼らは死んではいない。やがて訪れる終末に目覚め、人間と旧きものたちの世界は反転する」
「人間が、追いやられる側になるのか……?」
「それは君たち次第。魔族も変革を迎えている。次の魔王次第で、人間との共存が可能かもしれない。旧神は、人間を憎んではいないからね。彼らは最も超然たる存在だ」

「僕たちは、少し人間贔屓だからね……運命は特に過保護だ。色々やり過ぎて、赤ん坊のように大事にし過ぎた。特にアレックスのことは可愛くて仕方ないみたい。生まれたての末っ子みたいなもんだね」
「末っ子……」
 ヒューは少し笑った。たしかに、そういうタイプだ。

「さあ、着いたよ。もう質問は無い?」
「大丈夫……あとは、俺たち人間で考える」

 何も無い空間に、いつも間にか扉だけが浮かんでいる。

 アレックスの形をした“神”が、ヒューの手を取って、扉の前へ促す。そして悪戯っぽく笑った。

「この姿さ、君のことが大好きだって気持ちでいっぱいだ」
「……俺の記憶、だからかな……」
 ヒューは顔を赤くした。
「口づけくらいしていく?」
「いや……ありがとう。でも、やめとく」
 離れがたい手を、ヒューは笑って解いた。
「浮気相手が神様じゃ、笑えない……」
「そうだった。彼は“神殺し”の勇者だったね」

 扉が開いて、アレクの姿も滲んでいく。
 最後に声だけが、そこに残った。

「今のままじゃ、《運命》には勝てない。でも、生きることを諦めないって、ヒューが言ってくれて、嬉しかったよ……」

 ――今度は、本物の僕に伝えてあげて。
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