世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【46】世界の臓腑

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 過去からずっと進んできた。
 たぶん次が最後の扉で、この遺跡の最深部になる。
 
 兄、ケレス、アレクの姿をした盗賊の神。
 兄とケレスは死者で、アレクはいま一番、ヒューが会いたい者だった。
 次も誰かに会うのだろうか。
 
 扉が開くと、ヒューは石造りの部屋に戻っていた。
 さっきまでと違うのは、壁や天井に広がっていた文字が無くなっている。
 ただの、装飾の無い部屋だった。
 でもここが、最深部なのだと分かった。
 
 胸と腹に手を置いて、息をゆっくり吸う。埃と黴の匂いとは別に、澄んだ魔素が体内に充満する。体という器に、ぬるい水が満ちていくようだ。そこにミストが揺蕩たゆたい、ヒューはただ静かに、呼吸だけを繰り返す。
 
 この瞬間、肉体を失ったような感覚に陥るときがある。自分は竜と世界を繋ぐ媒介でしかなくて、この竜もまた、世界と神を繋ぐ媒介だ。
 
 意識が無くなりそうになる。
 いっそ手放したら、心地好いまま楽になれるのに。
 
 生きるのは、悩んだり、苦しんだりするばかりだった。
 世界と溶けあってしまったほうが、自然で、幸せなんだろうと思う。
 兄と弟、ケレスやみんなにも会える。
 目を閉じ、もう何も見ないまま、このまま夜に包まれてしまいたい。
 
 そんな甘美な誘いから、ヒューはゆっくりと瞼を開き、意識を戻した。
 
「……アレク……」
 
 まだ、全部は手放せない。
 
「……はっ……」
 
 吸い込んだ息を、ヒューは一気に吐き出した。多量の魔素を、人間は分解できない。出来ないぶんは、毒になる。けれどその毒すら、ミストは引き受けて成長する。
 この旅で分かってきたのは、魔毒を貯め込みやすい自分の体質だ。たぶん普通の人間よりずっと、魔毒が体に合っている。合っているからこそ、限界まで溜め込んでしまった。
 ヒューの体は、ミストが食いきれなかった魔素を魔毒として溜め込み、生きた食糧庫のようになっている。
 グロテスクで、気味が悪いはずなのに、受け入れている。
 
「……は、くるし……」
 
 へたり込み、胸を押さえながら、ヒューは息を整えた。黒い血を吐いていたときよりましか、それより辛いと思うときがある。ミストが育てば育つほど、多量の栄養が必要で、最初は心地好い程度だった魔素も、もうとっくに容量オーバーしている。
 
「……大丈夫だ……まだ、大丈夫……」
 
 腹をさすって、言い聞かせる。竜だけではない、自分にも。
 
 まだ死なない。まだ生きなきゃいけない。
 
 アレクだけを《勇者》として、戦わせているのだから。
 もっと、必死で、生きなきゃ――。
 
「夜の神ナウレア……闇でもあり、月でもあり、夢でもある……」
 
 神の言葉を思い返し、ぶつぶつと、ヒューは口の中で繰り返した。
 夜は暗く、恐ろしいものだと、人々は恐れる。
 だが、夜が無ければ、育たない命もある。
 光だけでは、人は安らぎを得られない。
 
「夜と昼、闇と光……月と太陽……全部対になるものがあるとしたら、夢は……?」
 
 咳き込みながら、酸素の減った頭で考える。
 夢の反対なら、現実? 眠りと、覚醒?
 夜が明けると、この遺跡の真の姿は夢のように消える。
 触れられないのが夢だが、この世界には、夢は現実に侵蝕させる手段がある。
 
「――ああ、そっか……」
 
 夢でなら、俺とアレクは離れてても繋がれた。
 現実だったら、距離や立場に阻まれていても。
 
「接続と、断絶だ」
 
 この遺跡の役割は、想い出を蘇らせることではない。
 その答えを導けたら、おそらく、真に隠されたものが現れる。
 
 カチリ、と何かが嵌るような音がした。
 
「……扉……」
 
 顔を上げると、何も無かった壁に、扉が現れた。
 最深部より先は無い。だからこれは、本当に別の場所へとつながる扉だ。
 
「……すごい。正しく進むだけじゃない、答えに辿り着いたら、違う場所へ接続するんだ……」
 
 壮大な装置に、ヒューは思わず感嘆の声を漏らした。
 
「記憶を読み取るだけじゃない……それを追憶させることでも、未来を選ばせることでもない……ナウレアの神性を正しく理解すれば、転送の扉が開くのか……」
 
 ミストは満足しているのか、静かになっている。立ち上がり、扉に手を触れた。
 
 扉を抜けた瞬間、空気が変わった。
 石の部屋だったはずなのに、壁が無くなっている。
 薄暗いのにあちこち光っている。
 熱いとも寒いとも言えない不快感が、皮膚の内側までじっとりと撫でてくるようだった。
 床を歩いているはずなのに、石の床とは違う感触。大地のようで違う何かだ。ところどころ継ぎ目を合わせたように歪に縫い合わされ、その隙間から脈のようなものが見える。ゆっくり、一定の間隔で、脈打っている。巨大な生き物の体内に佇んでいるみたいだ。

「……世界の、裏側……?」

 声にすると、空気が揺れた。

 教典の読み聞かせで、聴いたことがある。世界には裏側があると。そこは恐ろしい場所で、人では辿り着けない。

 縫合したような線は、よく見れば糸ではなく、根のようだった。その隙間を塗って噴き出てくるのが瘴気だと、ヒューは気づいた。

 吸ったら不味い、と口を押さえたが、腹の奥で蹲っていたミストが、待ち構えたようにその毒素を吸収していく。

「駄目だ……っ」

 慌てて腹を軽く叩いたが、これこそがご馳走だと言わんばかりに、瘴気の毒素を吸収していく。せっかく綺麗な魔素を吸わせていたのに。

「ここは穢れてる……! これは裂け目だ……!」
 
 普通なら、すぐに死んでいる。致死量の瘴気で満ちているはずなのに、死なないのは、ミストのお陰だ。

「っ!」

 腹の奥じゃない、全身が軋んだ。器にひびが入るような感覚。それが自分に起きている。
 ヒューは扉を振り返ったが、無くなっている。あの扉から、世界の裂け目へ飛ばされた?
 夜の遺跡から、世界の裂け目へ飛ぶ手段があるとは思えない。関連性があるとしたら、ここがヒューか、“竜”に関連している場所だからだ。 
「冗談じゃない……!」

 本当に死ぬ。足の裏で、脈が蠢くような感覚。ブーツ越しに細い神経が這うように、ヒューの表面に上がってくる。
 ヒューは異物だ。ここが“世界の体内”だとしたら、異物は排除されるか、同化される。“排出”されるか“用途”になるか、どちらにしろ生物としての“死”が訪れる。

 いまはまだ、食われている場合じゃない。

 腰のバッグに手を突っ込み、転移の石を取り出した。旧夜の神が無慈悲でないことを祈り、放り投げる。

 直後、転移の魔法は発動した。

 茶色い地面に膝を着くように崩れ落ち、ヒューは激しく咳き込んだ。

「かはっ……! は、ぁっ……!」

 口から黒い血が大量に吐き出される。久々に、抱え込めない瘴気に全身の器官が痛んだ。“竜”を体内に抱えてなお、数秒しかその場にいなかったのに、これほどの毒素だ。こんなものを四百年も封じた魔王ヴァルナオグに、よく勝てたなと改めて畏怖した。

 魔王も化け物だし、勇者も化け物だ。そして、その上にいる神さえも、世界は内包して存在している。

 あの裂け目の下に、旧神が封じられ、蓋をされて、それでも漏れ出る腐臭が、魔瘴なのか。そこに自分は立って、直接それを吸い込んだのだ。生理的な嫌悪と根源的恐怖に、ヒューは吐き気を覚えた。口から出るのは黒い血ばかりだった。

 見たくなかった。自分たちが守ろうとした世界の内側を。
 どれだけ辛くて残酷なことがあっても、見上げればどこまでも澄んだ空や、優しい風や、初めて踏みしめた森の柔らかな土、川のせせらぎ、夕焼け、星空――美しいと思っていた世界が、その本質は、腐って、毒に満ちていた。

 表面だけは美しくて、中身はそうではない。それが世界の本質だった。

 腹の奥に、痛みが走る。さっきまでに比べたら可愛い痛みだが、ミストが警戒し、ヒューの体の周りに冷たい霧が舞った。

「人間?」
「ここは、魔族領ガイアデイラだぞ」
「最近、魔境線に群がっている者たちか。帝国とかいう」

 ――魔族領ガイアデイラ

 顔を上げると、魔族の集団が近づいていた。ヒューを見下ろしていた。五人いる。さらに、馬ほどのサイズがある黒狼のような魔獣を三頭連れていた。

「……ガイアデイラの、どの魔公の統治だ?」
「は?」
「ここは、魔境線に近いのか……」
 血だまりに手をつきながら、ふらりと立ち上がり、ぶつぶつと呟くヒューに、魔族たちが目をひそめた。ヒューが蹲っていた場所に、黒い血だまりが出来ている。

「あー、駄目だ、こいつ、魔毒に冒されてますよ」
「あの吐血、末期ね」

 ヒューを見下ろす彼らは、見た目は人間に近いが、いずれも体躯が大きい。女性でもヒューより遥かに背が高く大柄だ。
 肌が灰鉄色の者、獣のような耳や角が生えている者、翼や鱗を持っている者――獣と人をかけ合わせたような身体的特徴がある。
 人間の中ではすらりとした美青年だったヴェルゼが、ここでは小柄で弱そうに見えても無理はない。ヒューなど子供のように見えるかもしれない。

 五人と三頭の魔獣。この組み合わせで動く魔軍を知っている。

「《獣嵐公デュクス・フェラリス》の部下か……」

 先の戦いで、勇者側に討たれた魔公だ。たしかガインが斬った。その治めた地は、生き残った魔公に接取されたはずだ。

 灰がかった岩肌、ところどころに黒い鉄が混じっている。土は乾いていて、植物はほとんど生えていない。だが、岩に生えた雑草だけが、くすんだ色の小さな花をつけている。
 土の性質、生息している植物、乾いた空気、温度、風の強さ、魔瘴の濃さ、そのおおよそで、自分がどこにいるのか、ヒューには見当がついた。

「《霜雹公デュクス・グラキエス》の統治下っぽいな……てことは、長を失って、吸収されたのか」
「コソコソ調べあげて、なんのつもりだ、人間!」
 魔族たちが不快感を表す。推測だが、当たっているようだ。ヒューは片手を顔の前に上げた。

「迷い込んだだけだ、すぐに立ち去るから……」

 よろりと歩を進めようとすると、魔族の一人が号令を出した。三頭の魔獣が駆け出し、ヒューに群がってきた。

「食い散らかせ! どうせその体では死ぬだろうが」

 まだ重みの感じる体で、ヒューは素早く飛びのいた。
 黒い血だまりに混じって、黒紛が撒かれている。そこに獣たちが足を踏み入れると、脚や爪の間に血ごと黒粉が混ざり合う。
 昔、ケレスから習って、自分でアレンジした調合だ。特殊な鉱石を細かく砕いて組み合わせることで造っている。粉を細く伸ばせばそのまま爆線になり、一定量以上を盛れば一気に弾け飛ぶ。
 ヒューは手の中に隠した石を打ち、火種を投げる。火は爆線に落ち、細い線火が血だまりまで走る。
 飛びのきながら、首に下げた竜笛を吹いた。
「ワーテイル! 引っ張ってくれ!」
 現れた飛竜が、ヒューのフードを咥えて、宙に放り投げる。

 爆裂音と共に、空気が弾けた。
 血と粉が白く爆ぜ、獣たちの脚が揃って跳ね上がる。
 乾いた閃光と爆圧。
 耳より先に皮膚が震え、遅れて耳鳴りがきた。

 ワーテイルは羽ばたきながら、宙に放ったヒューを体で受け止めた。ヒューは飛竜の首にしがみつきながら、鱗を撫でた。
「ありがとな、お前は本当にいい子だ」
 ワーテイルが嬉しそうに鼻を鳴らす。

 折り畳んで腰に装着しているいしゆみをヒューは引き抜き、一瞬で組み立て、空中から魔族たちに向けた。

「竜使いか!」
 魔族の一人が戦斧を召喚し振るったが、ワーテイルがぐんと高度を上げる。

「俺の弩は、魔獣の皮膚でもぶち抜く。ここには咄嗟の転移で逃れてきただけだ。敵意は無い」

 脚を焼かれた魔獣たちは、煙を嫌がって後ずさっている。

「治療すれば治る程度だ。本当に敵意は無い。俺のことは見逃してくれ」
「そうはいくか。侵入者をみすみす逃すと思うか?」
「あんたらは、《獣嵐公ドゥクス・フェラリス》の配下だろ? いまは《霜雹公ドゥクス・グラキエス》の下か? 《霜雹公ドゥクス・グラキエス》は、いま穏健派か? それとも強硬派なのか?」

 ヒューの態度に、魔族たちが顔を見合わせる。

「なーんか、調子に乗ってません?」
「待って、あいつ、《勇者》の仲間じゃない? 爆炎使いの」
「え、勇者って、あの?」

 特殊な材料と調合ではあるが、撒いて火を点けるだけだ。それが魔導師かのように扱われていたとは。

「じゃあ、お前が勇者の“雌”か」

 最悪の呼び名が付いている。蔑称で呼ぶということは、人間に好意的ではないのだろう。

「まあ、そうだけど……」

 いちいち本気で取り合っても仕方が無い。ヒューは腹を撫で、ミストの様子を確かめた。いまは落ち着いて大人しい。毒を大量に吸ったのではないかと心配したが、ただ腹がいっぱいでくつろいでいるようだ。ヒューもほっとした。

 少しだけ、戦闘になりそうだ。


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