世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【50】世界竜

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 俺はいま多分、すごいものを見ている、とヒューは呑気に思った。
 魔族の、上位中の上位の、《夜冠公ドゥクス・ノクティス》が、自分を見下ろして。
 子供みたいに、泣きそうな顔をしていた。

「お前、そんな顔するんだ」
「誰のせいだと……」

 ジルディウスは眉をしかめ、体を起こそうとするヒューの背中に腕を回した。抱き寄せるというより、胸に収めるような優しさだった。
 触れている手も、押さえつけたりなどせず、ただ確かめるように置かれていた。
 ベッドに沈み込むように、ジルディウスが体を預けてくる。体重はかけず、あくまで気遣いながら、ヒューの首筋に顔を埋めてきた。

「……お前が去ってから、城に中庭を造った。あったらいいと言っていただろ。早く案内したい」
「後で案内してよ。なんか花植えた?」
「人間界の植物を植えてみたが、育たなかった」
「そうなんだ。残念だったな」
「見たことない新種の毒草になっている」
「ある意味見たいけど……」
「今度は土から手に入れて、また育てている。人間の食べるものも食べたし、ヒューが好きだと言った、紅茶も飲んでいる」

 ぽつりぽつりと、ジルディウスが呟く。抑えきれない言葉が溢れるように。

「ヒューはこれが好きだろうかとか、次は一緒に食べようとか、いつも考えている」

 最も強く、最も冷酷な魔公だと知られている男の言葉とは思えない。ヒューの頬に手を添え、首筋に甘えるように顔を埋めてくる。リオネルにするように頭を撫でかけ、ヒューは慌てて手を引いた。危ない。
「今のは撫でてくれる流れだっただろ……」
 気づかれていたのか、拗ねたような顔を向けられた。ヒューは苦笑いを返した。
「いや、友人としてならいいんだけど、そうは取らないだろ?」
「友人じゃない」
「意思疎通してくれよ」
「このままずっとここで暮らそう」
「無理だよ。ごめんな」
「いやだ。もう行かせない」
「聞く気ねーじゃん……」
 駄々をこねるジルディウスの頭を、ヒューをぽんぽんと撫でた。それから右手を口許に近づけ、指輪の石に軽く口づける。

 次の瞬間、ヒューはジルディウスから離れ、ベッド脇に立っていた。

「……は?」
「ほんとに、領内なら簡単に転移出来るんだ」

 ヒューは指輪を見て、感嘆した。
 ジルディウスが引き攣らせた顔を上げた。

「その使い方はずるいぞ!」
「脆弱性を潰しておかなかったのが悪いだろ。これってさ、この城には簡単に来れるけど、帰りたいときはどうすんの?」
「は? 帰れるわけないだろ」
 不機嫌そうに、ジルディウスがベッドに座り直した。
「一方通行でこの城にしか来られない。帰る必要などない」
「めちゃくちゃ便利ってわけでもないな……」

 ヒューはベッドの端に腰かけた。

「後で撫でてやるから、話の続きしようぜ」
「また俺を騙そうとしてないか?」
「してない。情報の対価を差し出そうとしてるだけ」
「無慈悲に襲ってもいいんだぞ……」
「でもそんなことしないだろ? ジルは」
「その物言いはずるい……!」
「どんな情報でも差し出すって言ったのはジルだろ?」

 ぐ、と言葉に詰まったのが分かった。
 尊大な男だと思われがちだが、案外真面目で、一度言ったことに責任を持つタイプだとヒューは知っている。

「よし、膝なら貸してやる」
「騙そうと……?」
「してない、してない」
 ほら、と膝を叩くと、ジルディウスは疑いの目を向けながら、しっかりと膝に頭を預けてきた。
「相変わらず角でけーな……」
「よし、何でも話そう」
 仰向けで、威厳もへったくれもない体勢だが、ジルの機嫌はとりあえず直った。
「――何の話をしていたか忘れたな」
「こいつのこと。“世界の竜”」
 ヒューが自分の腹を撫でると、ああ、とジルディウスが目線を向けた。

「こいつは、“ミュルグレス”だ」

 聞き慣れない言葉を、ヒューは口の中で反芻した。

「ミュルグレス……? それが、ミストの本当の名前?」
「それもシステムの一つだ。形は知らなかった。竜に変態することも。誰も知らないから、想像と推測でしか語れない。ヴェルゼから聞いていた話と、いま実際に対峙して、そう感じただけだ」
「それって、なんなの?」
「《勇者》は、《魔王》の機能を停止させられるが、《ミュルグレス》はそれを、《神》に対して行使する」
「“神殺しの刃”だって、アレクは言ってたけど……」
「古の伝承だな。『ミュルグレスは運命を断つ』――魔族でも相当に古いものしか知らん。俺もかなり調べた。勇者が何故知り得たかは分からんが……」
「あいつ、最初は俺の中にこんなもん入れたって、エルドにキレてて……」
「それはそうだろう。俺でもキレる」
 ジルディウスが真顔で言った。
「とはいえ、ヒューの延命装置になったことは確かだ。だがあくまで延命だ」
 目を細め、ジルディウスが呟く。
「……これほど見事に器に収まっているのなら、収めたままにしておけば、お前の命は永らえる。“神殺し”など行使する必要は無い」
「そりゃ、神様を殺すなんて、しないほうがいいに決まってるけど……」
「それは違う。放っておいても神は死ぬ。そのとき世界は大きく壊れる。その前に、神を因果から断ち切るのが、《ミュルグレス》の役割だ。だがそのミュルグレスがまさか、ヒューの中にいるとは、勇者も思わなかったのだろう」
「世界が壊れる……」
「そいつがミュルグレスだと確信したから、勇者はお前に姿を見せない。違うか?」
「……まあ、最近見ないけど……」
 アレクの考えていることなど、もうヒューには分からない。だから、姿を現したり現さないことに、それ自体に疑問は持っていなかった。

「お前からそいつを抜くと、お前が死ぬからだ。神を殺したいのに、殺せなくなってしまったわけだ」
「……俺が……死ぬから……?」
「殺し損ねた女神は、狂い続けるしかない。監視出来るのは、同じ神以外なら勇者ぐらいのものだろう」
「監視……神様を?」
「ああ、それも狂神のな」

 運命の女神。
 遠い神話の時代、世界を崩壊させた旧神たちを追放し、新しい世界を構築させた、創世の女神。
 ヒューが生まれた北の大国、《神聖国家》エストラ神聖国では、そう伝えられている。

 女神を信奉する国家のトップである聖務卿が、女神には祈らない、と言った。
 それは、女神はもう壊れているということだ。

「……俺の故郷は、女神信仰の国だ」
「知っている。エストラだろう」
 ジルディウスが当たり前のように答える。
「ヒューの生まれた場所だからな、名産品まで言える」
「へえ、なんでしょう?」
「《聖雪塩》《寒樹蜜》《白麦》」
「お、合ってる」
「工芸品は《聖蝋》」
「酒は?」
「《氷酒》」
「すごい」
「撫でてくれ」
 すごいので頭を撫でてやった。ジルディウスは満足そうだ。
「女神信仰の国だからか、研究も色々進んでて、同じ信仰なのに考えの違う宗派も色々あって、わりとそこは自由なんだ。で、施しのとき、教典や神話を読んでもらったりするとさ、内容や解釈が微妙に違ったりしてて、面白かった」
 夜の神殿で、記憶の扉を開かれてから、少し昔のことを思い出せるようになった。
「最近思い出したんだけど、死んだ俺の兄ちゃんは頭良くてさ、ちょっとずつ違う女神の話を、小さい俺にも分かるように話してくれた。兄ちゃんは、女神もいずれ死んで、世界に還るって考えが、好きだったっぽい」
「それは本質に近い。さすがヒューの血縁者だな」
 ジルディウスの賞賛に、ヒューは薄く笑った。
「エストラの聖務卿が、もう女神に祈ってない。あの国の上層部には、女神の何かを感じることが出来る術があって、そしてもう、女神は終末期だと知っている。だから祈らない」
 そしてそれを、わざわざヒューに伝えた。同じ神聖国の出身だから、通じると分かっていてだ。

 女神はもうじき死ぬ。そのことを。

「あと、俺……世界の裂け目を見たんだ。旧神の……夜のナウレアの遺跡から跳ばされて」
 ジルディウスが怪訝な顔をする。
「……裂け目? いや、それは」
 まさか、と小さく呟く。
「魔族の言葉では、その場所を《界断ヴルヌス》と呼ぶ。そこに辿り着く術は、存在しないはずだ」
「でも間違いない。ミストがいなかったら死んでたし、ミストがいたからあそこに着いたのかもしれない」

 ヒューは腰のあたりに、そっと手を当てた。寝ている子供を起こさないように。こいつがどんな夢を見ているかは知らない。けれど、それが神を断つ夢だなんて思いたくなかった。

 子供なんてもっと無邪気で、楽しいことや優しいことだけ知っていればいい。

「俺はこいつを孵したい。けど、それで死ぬつもりなんてない」


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