世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

文字の大きさ
52 / 75

【51】王の理由

しおりを挟む
 ジルディウスは黙って、ヒューを見上げた。暗紫色の瞳が、うっすらと潤んでいた。
「え、嘘。泣いてる?」
「……どうせヒューは俺の頼みなんて、聞いてくれない……」
「そんなことねーよ」
 薄いヴェールの端を掴んで、ジルの目許を拭いてやる。
「妃のヴェールを、ただの布みたいに使うし……」
「あ、そうだよ、これ外れないんだけど、ちゃんと後で外せよ?」
「……ヒューの《秘匿庫アイテムボックス》に入れていいなら」
「入れていいから……」
 ふん、とジルディウスは鼻を鳴らし、
「どうせ行くんだろ。閉じ込めたって、なんとかして逃げ出す。お前はそういう奴だ」
「逃げるんじゃなくて、ちゃんと行って来るってジルに伝えてから行くよ」
「勇者のためにか?」
「ううん。俺は、俺が行きたいから行く」
 膝に乗せたジルディウスの頭を撫でていると、腹の奥に鈍い痛みが走った。
「……っ」
「大丈夫か?」
 思わず手を止めると、ジルディウスが体を起こし、ヒューの腹に手を置いた。
「静かにしろ。お前を第三夫と認めたとしても、序列は俺のほうが上だぞ」
 言ってることは意味不明だが、声のトーンが一段低くなると、さすがに凄みがある。ミストも何かを感じ取ったのか、ヒューの腹がすうっと軽くなった。
「こいつオスなの?」
「知らん。しかし、明らかにヒューに対して邪な所有欲を感じた。“刃”のくせに俗っぽい奴め……」
「まだガキなんだよ。でも、育ってるからかな。こいつが気に食わないことがあると、前はもやもやする程度だったのが、今ははっきり痛む」
 ジルディウスの手が、触診するようにヒューの下腹部を滑る。
「ただの霧竜とは、やはり違うな」
「分かるのか?」
「ヒューのことはヴェルゼに逐一報告させていた。それで俺もこっちで色々調べた。それこそガイアデイラ中の古い文献や言い伝えまで引っ張り出してな。普通の霧竜なら、母体にこんな負担をかけないからな」
「そっか……世話かけて悪い」
「お前の体の状態は、魔瘴に侵された体が、際限なく魔毒を生み出してしまう病だ。今のところ治療法が無い。だが今は、体内で作られる魔毒を、成長したミュルグレスが分解する力のほうが強い」
「だから、世界の裂け目でも無事だったのか」
「正しく成長し、魔瘴浄化能力が向上したんだろう。もうこのぐらいでいい。育て過ぎずに体内に留めておく。ミュルグレスを外に出した途端、限界値を迎えたその器はもう耐えられなくなる。神殺しの刃を生むのは、死と引き換えだ」
 ジルディウスがヒューの体を引き寄せた。片腕で腰を抱かれたかと思ったら、瞬時に転移していた。

「わっ……」
 直後、突風に煽られて、ヒューは思わず目を閉じた。浮遊感があると思ったが、宙に浮いている。ジルディウスの腕の中に収まるように、腰と肩をしっかりと抱かれ、下を見ると灰がかった荒野が広がっていた。
 地面まで、遠過ぎて距離感が掴めない。

「え、ここ……空? あー、もう、邪魔!」

 衣装がはためいて、ヴェールが顔にかかる。ヒューが声を上げると、急に風が和らいだ。ジルが何か術を使って、強い風から二人を護っているようだ。

「ヒュー。これが、いまのガイアデイラだ」

 ヒューを胸の中に抱き寄せ、ジルディウスが呟く。

 眼下に広がるのは、色を失った大地だった。
 空は常に曇天で、晴れ間というものがない。灰を溶かしたようなくすんだ青が、低く垂れ込めている。雲は厚いのに、雨は降らない。

 魔族領ガイアデイラの大地は、ほとんどが荒野だ。草木は点在する程度で、遠目には土と岩の境目も曖昧に見える。岩肌は黒ずみ、山と呼ぶには不格好な隆起が、無秩序に連なっている。生き物の気配はあるのに、生命の色が感じられない。

 その中に、ぽつぽつと黒い塊が見えた。
 近づいて初めて、それが街だと分かる。
 下級魔族たちの居住区――城郭も城壁もない、むき出しの街。
 建物は低く、どれも角張っている。石と骨と、金属の廃材を寄せ集めたような造りで、色は地面とほとんど同化していた。屋根らしい屋根はなく、天幕のような布が張られている場所もある。通りは狭く、上空から見ると、ひび割れた大地に刻まれた傷跡のようだ。

「魔王がいなくなって、やっぱり魔族たちの暮らしもかなり変わったのか?」
「いいや。魔瘴が濃くなり、魔獣は増えたがな」

 小さな影が、街の中を忙しなく動いている。
 人間よりも背の低い者、異様に手足の長い者、角や尾の形もまちまちで、統一感はない。秩序が無いわけではないが、整えられてもいない。
 街の外縁には、黒く変色した畑のような区画が見えた。作物なのか、魔力を集めるための装置なのか、ヒューには判別がつかない。ただ、そこだけ僅かに“動いている”気配がある。


「……魔族も、人間と変わんないな……」

 思わず漏れた言葉に、ジルディウスが答えた。
「下級は、常に生き延びることに忙しい。騒ぐ余裕がないだけだ」
「俺、魔族領に初めてきたとき、こういう街があって、魔族も普通に暮らしてんだって、知ったらさ、なんか……怖くなったよ。魔獣みたいに思ってたから」

 襲ってきた奴を倒すのはいい。
 でも、市井で暮らす者たちを見るのは、戦意が削がれた。

「だから……戦が終わったからって、占領しようとか、奴隷にしようとか、そんなのは違うと思ったよ」

 街と街の間には、何もない空白が広がっている。
 道らしきものはあるが、どれも途切れ途切れで、明確な境界線は無い。国というより、生存圏が点在しているだけの土地だ。
 そのすべてを覆うように、くすんだ青の空がある。
 昼も夜も、ほとんど区別がつかない。
 影は落ちるが、明るさは増さない。時間そのものが、鈍く停滞しているようだった。

 ――色を持たない世界だと、初めて訪れたときには思った。
 ここでは、花が咲いても、血が流れても、同じ色をしているのかもしれない。
 でも、そうじゃなかった。そこで生きている者たちには、はっきりとした色彩があった。
 そこで暮らしている営みが、たしかにあった。

「ヴェルゼから聞いている。人間どもの会議で、ヒューが勇者の中立性を訴えてくれたと。勇者とその伴侶の目がある以上、人間たちはガイアデイラへの侵攻は無いだろうとな」
「ヴェルゼ、頑張ってたよ」
「あいつはよく働く。見た目も人間に溶け込めるからな。“拾って”正解だった」
「拾った?」
「その話はしたことがなかったな。ヒュー、俺に聞きたいことは、他に何があった?」
「……《血月公ドゥクス・クルエンティス》ネメシアのこと」
「ヒューなら、もうその情報は掴んでいるだろうと思っていた」
「いや、たまたまだよ。裂け目から転移したら、《霜雹公領フラゴラ・テリア》に跳んで。そこで出会ったゼルナンドの配下がさ、元々はデーヴァ配下の百夫長だったんだ。ナハトっていう奴。そいつがジルの下で働きたいって言ってて」
「ゼルナンドは統治に興味がないからな。広いだけの凍て地を持て余している。人間領にも近い重要地点だから、そのうち俺が手を入れるつもりだ」
「本当に、王になるつもりなんだな」
「いっそお前が統治してみるか? ヒュー。《夜冠公妃ノクティア》として」
「なってねえって」
 冗談だと思ってジルディウスの顔を見たら、その目はいたって真剣だった。
「あの凍て地は魔瘴が薄く、人間達との交易の拠点にも悪くない。ヒューなら良い統治者になると思うぞ」
「なんないよ」
「残念だ。――ゼルナンド配下は、ゆくゆくは俺が引き受けることになる。統治だけじゃない、すべてに興味が無さ過ぎる奴だから、構わんだろう」
「つまり、ジルの配下にしてやってもいいってこと?」
「どうせそうなるという話だ」
 ヒューは少し安堵した。ナハトたちに良い報告が出来そうだ。

「いっそそういう魔公ばっかだと、ジルも改革がやりやすいのにな」

 ヒューが少し笑って見上げると、ジルディウスも愛しげに一瞬目を細めた。しかしすぐに遠くを見て、眉根を寄せた。
 その視線は、荒野ではない何かを見ているようだった。

「残った魔公の中で――ネメシアは俺でも少々持て余す」
「そんなに?」
「魔公から次の魔王を選ぶとしたら、純粋に力だけなら、俺かネメシアだ。力だけならな」
 ジルディウスは他者を滅多に褒めない。その彼が、対等に近いと認めている。
「残忍な奴だって聞いたけど」
「悪趣味な奴ではあるな。元々、ヴェルゼはネメシアの下にいた。母親と共に、散々嬲られていてな。ほぼ死にかけていたとき、俺が引き受けた」

 だからヴェルゼは人間だけではなく、魔族にも怯えていたのか。
 弱いからではない。生き延びるために身に着いた“反射”だったのだ。

「ネメシアに野心はないが、深く、尽きない欲がある」

 統治欲でも、支配欲ではない。
 ただ壊れる瞬間を欲しがる、底の見えない乾き。
 
「奴に複雑な感情は無い。ゆえに、その欲求が強い。理性を知らん」

 刹那、くすんだ青一色だった曇天に、微かな濁りが走った。
 何かが脈打つように。
 雲の奥に、嫌な赤色が見えた。

 ヒューの腹の奥が痛んだ。思わず身を縮めると、ジルディウスがヒューを庇うように、抱く腕に力を込めた。
 ジルディウスの翼がはためく。すると、立ち込めた嫌な気配が消えた。

「いま飛んできたのが、ネメシアの“感覚”だ。憶えたか?」
 ジルディウスはわざとネメシアの気配を、ヒューに教えてみせたのだ。
 
「獲物を探し、蠢く瞳だ。人間の大陸にすら届くという。ガイアデイラ内では俺が許さんが、俺の目が届かない場所では気をつけろ」
「分かった。憶えた」

 ヒューが頷いたのを確かめ、ジルディウスは広がるくすんだ大地を見つめた。

「俺の寿命は長い。最愛のお前が死んでも、生は続く」

 ジルディウスがヒューのヴェールの裾を持ち上げ、まるで世界から隠すように顔の前に落とした。星屑のような小さな魔力がきらきらと輝く。

「長い生に、何もなくなってしまう。だから、ヒューが世界を愛するように、俺もこの大地を美しいと思ってみたくなった」

 ジルディウスが淡々と、しかしどこか誓いの滲む、強い口調で呟いた。

「王になりたい理由など、そんなものだ」
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

片想いの相手が「そろそろ恋愛したい」と言ったので、用済みの俺はニートになることにしました。

はぴねこ
BL
 高校生の頃、片想いの親友に告白した。  彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。  もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。  彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。  そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。  同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。  あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。  そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。 「俺もそろそろ恋愛したい」  親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。  不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

おしまいのそのあとは

makase
BL
悪役令息として転生してしまった神楽坂龍一郎は、心を入れ替え、主人公のよき友人になるよう努力していた。ところがこの選択肢が、神楽坂の大切な人を傷つける可能性が浮上する。困った神楽坂は、自分を犠牲にする道を歩みかけるが……

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

幼馴染がいじめるのは俺だ!

むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに... 「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」 「はっ...ぁ??」 好きな奴って俺じゃないの___!? ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子 ーーーーーー 主人公 いじめられっ子 小鳥遊洸人 タカナシ ヒロト 小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。 姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。 高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、 脳破壊。 千透星への恋心を自覚する。 幼馴染 いじめっ子 神宮寺 千透星 ジングウジ チトセ 小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。 美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている) 転校生の須藤千尋が初恋である

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

偽りベータの宮廷薬師は、氷の宰相に匂いを嗅がれ溺愛される

水凪しおん
BL
「お前の匂いがないと、私は息ができない」 宮廷薬師のルチアーノは、オメガであることを隠し、自作の抑制薬でベータと偽って生きてきた。 しかしある日、冷徹無比と恐れられる「氷の宰相」アレクセイにその秘密がバレてしまう。 処刑を覚悟したルチアーノだったが、アレクセイが求めたのは、ルチアーノの身体から香る「匂い」だった!? 強すぎる能力ゆえに感覚過敏に苦しむ宰相と、彼の唯一の安らぎとなった薬師。 秘密の共有から始まる、契約と執着のオメガバース・ロマンス!

処理中です...