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【53】刃に残らないもの
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「疲れた……」
ぐったりとしたヒューを、ジルディウスがベッドに降ろした。
「一気に上位魔公ばかり会わせんな……」
「話が早い者ばかりだっただろう?」
「みんな圧がすごいんだよ……」
上位魔公のほとんどは、先の魔王討伐戦に参加していない。
会った印象は、悠然とただそこにあるだけだった。
敵意も好意も無く、こちらの事情を測る気配すらない。
あれから《地脈公》《深海公》《魔炎公》――と、立て続けに会いに行き、ジルディウスは次代の《魔皇》となることを告げて回った。
《魔皇》は魔族が呼ぶ長の正式称号だ。《魔王》は対外的な呼び名であり、“世界の魔瘴を引き受ける王”として人にそう名付けられた名である。
ジルディウスは終始淡々と物事を運び、ついでにヒューも妃として紹介された。すると全員がゼルナンドのように一人ずつ贈り物をくれたが、詐欺を働いた気分だ。
「色々貰って、なんか申し訳ないっていうか……」
「集金が捗ったな」
「やな言い方すんな。御祝儀詐欺だぞこれ」
「妃だからいいだろ」
「合わせただけだっつの」
「気に入ったものはあったか?」
ジルディウスがベッドに並んで腰かけてくる。
「いやどれも助かるけど……こいつかなぁ」
ヒューはジルディウスに貰った指輪の石をちょんと指で叩いた。《秘匿庫》の術が瞬時に発動し、ヒューの手の中にころんと赤い石が転がった。
冒険者の憧れ、《秘匿庫》――指輪が外れないのは困るが、この機能は本当に助かる。
「フェルグリムのか」
「うん」
《魔炎公》フェルグリムから、夜冠公妃への贈り物として受け取った。
核が燃えて揺らいでいるかのような、深く美しい紅玉。それがヒューの手の中で形を変えて、一つの炎の塊になった。熱くはない。炎は手の中ですり寄るように揺らめき、だんだんと別の形になった。
それは小さな鳥の雛だった。炎を纏う鳥――不死鳥の雛だ。
「まだ可愛いな」
ヒューが頭をつつくと、ピィピィと鳴いた。
「ほら、めっちゃ可愛い」
「成熟してない生き物押しつけてくるとは、あいつ馬鹿か。ただでさえ世界竜を飼っているのに。それに……醜くないか?」
美しき幻獣と呼ばれる不死鳥だが、それは成体だけの話で、幼体は羽毛がまばらで、目も潰れている。
「そんなことねーよ。名前付けよ。俺そういうの考えるの苦手だから、ジル付けてくれよ。格好いいやつ」
「え? ならば……格好いい系がいいか?」
「うん」
ジルディウスは少し考え、真顔で告げた。
「インフェルニタス・ヴォルヴィレクスとかどうだ?」
「長げーよ。インフェル……? フェルで」
「短縮し過ぎだ。《獄炎の循環王》という意味合いを込めたんだぞ」
「雛に過剰な期待込めんなよ」
「言っておくが、すぐにでかくなるぞ、それ」
「楽しみだな。こいつも魔素で育つのかな?」
手の中の小さな命を、ヒューが愛しげに眺める。そんなに目を細めるほど可愛いとは思えない鳥だったが、はしゃぐヒューは可愛い、とジルディウスは思った。
「ガイアデイラにいれば勝手に育つ」
「こいつは秘匿庫に入れとくの、ちょっと可哀相でさ」
「巣を作ってやろう。石の状態で嵌め込める装身具か何かをな」
ジルディウスが、フェルに手を伸ばす。炎を帯びた小さな雛が、たちまちに宝玉へと姿を変えた。
「明日また返してやる」
「ありがと……あのさ、ネメシアはともかく、《天嶺公》……ヴォルケリオンだっけ? 会わなくていいのか? 仲悪い?」
長男と言うから、一番に会うのだと思っていた。
ああ、とジルディウスが、明らかに面倒くさそうな顔つきになる。
「会うつもりはあるが、手順がある。ヒューも疲れただろう?」
「二人目ぐらいでもう疲れてたけど」
「人の身でありながら、上出来だ。今日は休むといい」
ジルディウスの手が、ヒューの髪を愛しげに撫で、ヴェールを持ち上げる。
「これ、そろそろ外したいんだけど……」
呪いのように外れないヴェール付きの宝冠に、ヒューは手を添えた。するりと脱げて、あ、とヒューは声を上げた。
「やっと取れた……」
「ヴォルケリオンに会うときは、また身に着けてもらうぞ。あらゆる耐性を付与しているし、魔族からの目隠しにもなる」
「そんな便利なもんだったのか……」
「その衣装すべてに、同じ耐性を付与している。まあしかし、寝るときは裸でも全然大丈夫だ。ここは俺の領内だからな」
「服はくれ……」
「初夜を愉しみたいが、一人でゆっくり休みたいだろう」
「え」
「ん? 二人で過ごしたいか?」
「いや、びっくりしただけ……」
初夜という単語に思いがけず、体が固まっただけだ。対等に話しているつもりでも、本気になればジルには絶対に勝てない。それを意識して、勝手に身が竦んでしまった。
「抱いていいなら抱くが?」
「だ――駄目。それは駄目。ごめん」
自分がどんな顔をしているのか分からなかったが、ジルディウスが眉をしかめ、それから呆れたように呟いた。
「惚れている男の前で、その顔はどうかと思うぞ」
「え、どんな顔か分かんねーよ……」
「煽っているようにしか見えん」
「……ごめん、そんなつもりなくて……」
ジルの顔が近づき、ヒューは慌てて身を引いた。
「ほら、また煽っている」
「分かんねえって……」
不味い、とヒューは内心焦った。どんどん変な雰囲気になっている。話せば話すほど墓穴を掘って、頬が熱くなった。
「勇者もそれで、舞い上がったんじゃないのか?」
「え、……いや……」
もう遠い、あのパーティーの中庭で。
俺はアレクに、酷いことしたのかな。
懐かしさで、急に涙が出そうになったが、それはジルに対して不誠実だと思って、堪えた。でも気づかれていて、ジルの指がヒューの目尻をそっと撫でた。
「おい、冗談だ。――悪かったな。妃ごっこをさせて」
ヒューはかぶりを振った。
「俺こそ……」
「少しの間でいい、夜冠公妃として振舞ってくれ。その間に、俺は国家としての地盤作りをする」
ジルディウスはヒューの手を取り、濡れた瞼に口づけた。
ヒューの肩がびくりと震える。
「あ……」
震えたら駄目だ。意識しているみたいになる。こんなの、昔、死んだ兄ちゃんがしてくれたキスと変わらないのに。
「勇者なら、辛抱出来ずに襲っているな」
ジルが笑った。
「そのへんは、俺のほうが上だ。俺は、ヒューが体を開きたいと思うまで、手を出すつもりはない。以前は、ちょっと無理強いしたが……」
「あ……それは……もういい……終わったことだし……」
以前、襲われかけたことがあったが、そのときより、今の状況のほうが気まずい。
あまりに大切に愛されると、どうしていいか分からなくなる。誠実にしてもらっているのに、応えないのは申し訳ないようで、だからといって抱いてもいいよとは言えない。
ジルと一緒にいても、アレクのことを思い出す。
どちらに対しても申し訳なくなる。
世界のことを考えて動きながら、恋愛のことで頭がいっぱいになる。
ヒューが何も言えず、動くことも出来ない間に、ジルディウスが立ち上がった。
「ヴォルケリオンに会うのはいつでもいい。明日、《霜雹公領》に行ってみろ。ナハトたちのことも気になっているだろう? 俺は行かんから、よろしく伝えてくれ」
「え?」
「ずっと俺がべったりでも、ヒューは疲れるだろ。お前は一人でだって、誰かとの繋がりを作って、楽しく生きられる奴だ。だから俺は第二夫でいいと言ったし、妃を分け合うというのも、本気だ」
「いや、分け合うって……」
「縛りつける愛は、お前に向いてない」
当たり前のように、ジルディウスが言った。
「勇者がそうだったから――お前は逃げたんじゃないのか?」
光に満ちた庭には、音が無い。
だから、骨や肉を断つ感触が、いやに耳に響いた。
「――慣れてきたな」
アレックスは剣を握り直し、ぽつりと呟いた。
足許に、ヒューが手を伸ばしたまま、倒れている。アレックスに縋るように、腕は足のすぐ傍で力無く落ちていた。
「君の形をしたものを、斬るのも……」
地面には血だまり、切り裂いた腹からは臓腑が零れ落ちている。幻のくせに、生々しい死に様を見せつけてくる。
風も匂いも、時間の流れさえも存在しない。
白い石畳がどこまでも続き、草花は揺れず、空はただ眩しいだけの色をしている。
普通の人間なら、どれだけいたら狂うのだろう。
血塗れのまま、“それ”ががむくりと起き上がり、にこりと微笑む。
破れた腹を愛しそうに撫でている。ヒューの行動を表面だけなぞり、ちぐはぐな動きしか出来ない。
このところ、女神は姿を現さない。
代わりに、ヒューの形だけを作り、それを斬らせる。
それを、遊戯のように繰り返している。
飽きるまでは続くだろう。
関心がまだ、アレックスだけに向いている証だ。
最初に斬ったとき、嫌な感覚が手に残った。刃に違和感が絡みついた。
けれど、回数を重ねているうちに、それも薄れた。
ヒューではない。そう思えば、心は動かない。
ずっとそうだった。
魔獣を斬ったときも。
魔公と戦ったときも。
魔王を滅ぼしたときも。
この手には何も残らなかった。痛みも重みも。
仲間の初めての死は、ケレスだった。
良い人間だったし、アレックスも可愛がってもらった。彼が死んだとき、ヒューはすごく泣いた。取り乱し、声を上げ、しばらく立ち直れなかった。
その横で、自分は何も感じていないことに、アレックスは気づいてしまった。
好きだったし、死んでほしくはなかった。でも、喪失の痛みが分からない。
セシィリアの怒りも、ヒューの嘆きも、少しも分からなくて、そんな自分に驚いた。
親しい人の死を悲しいと思えない自分が、人間らしくないことにショックを受けたのだ。
あのときからなんとなく、自分は《勇者》であるような気がした。
勇者にでもなってみろと、故郷で担ぎ上げられ、旅に出た。
この強さに、多くの人々が期待するようになった。
強い仲間もどんどん増えた。様々な国と繋がりを持った。
そして、自分はたった一人、世界に現れる《勇者》なんじゃないかと自覚した。
その無慈悲さに気づいたときに。
そうか。
世界に必要なのは、感情ではない。
処理する力だ。
ヒューの形をしたものを、最初は斬りたくないと思った。
けれど、すぐに修正出来た。
ヒューではない。ただの処理対象だ。そう思えば斬れた。
――アレク。
偽りが血に濡れた手を伸ばす。アレックスはその腕を斬り落とした。偽りのくせに、信じられないというような、悲しげな表情をするようになった。
「違うよ」
ぽつりと、声を落とす。
「ヒューじゃない。ヒューはもっと……」
刃に残る感覚が軽い。
魔王、魔公、色んな強者に会った。
魔獣も、人間も、人が定めた正義の下に斬った。
躊躇ったことはない。
――ああ、でも。
唯一、怒りだけに任せて、斬った奴がいたっけ。
《夜冠公》ジルディウス。
人に害をなしたわけではない。
ヒューを愛してしまった、魔族の男だ。
どの魔公よりも強かった。だが勝った。
とどめを刺そうとして、ヒューが割って入ったとき、視界が真っ白になった。
自分の憎しみが、ヒューを殺しかけたことにも。
この男を殺したら、ヒューは二度と自分を許さないだろうと、気づいたことにも。
リオネルやエルドに刃を向けたときもそうだ。
それをしたら許さないと、ヒューが叫ぶ。その瞬間まで、自分は気づかない。
彼が大切にしているものを、自分は壊せてしまうのだ。この不快な幻を斬るときのように。
壊してからでは、遅いのに。
「……ヒューは」
言葉が、喉で止まった。
幻を何度も斬り捨てながら、処理をするだけならこんなに楽なのに、と思った。
ヒューは、もっと。
もっと、生きている匂いがするのに。
「ヒュー……僕は」
君がいないと、刃の納め方が分からない。
ぐったりとしたヒューを、ジルディウスがベッドに降ろした。
「一気に上位魔公ばかり会わせんな……」
「話が早い者ばかりだっただろう?」
「みんな圧がすごいんだよ……」
上位魔公のほとんどは、先の魔王討伐戦に参加していない。
会った印象は、悠然とただそこにあるだけだった。
敵意も好意も無く、こちらの事情を測る気配すらない。
あれから《地脈公》《深海公》《魔炎公》――と、立て続けに会いに行き、ジルディウスは次代の《魔皇》となることを告げて回った。
《魔皇》は魔族が呼ぶ長の正式称号だ。《魔王》は対外的な呼び名であり、“世界の魔瘴を引き受ける王”として人にそう名付けられた名である。
ジルディウスは終始淡々と物事を運び、ついでにヒューも妃として紹介された。すると全員がゼルナンドのように一人ずつ贈り物をくれたが、詐欺を働いた気分だ。
「色々貰って、なんか申し訳ないっていうか……」
「集金が捗ったな」
「やな言い方すんな。御祝儀詐欺だぞこれ」
「妃だからいいだろ」
「合わせただけだっつの」
「気に入ったものはあったか?」
ジルディウスがベッドに並んで腰かけてくる。
「いやどれも助かるけど……こいつかなぁ」
ヒューはジルディウスに貰った指輪の石をちょんと指で叩いた。《秘匿庫》の術が瞬時に発動し、ヒューの手の中にころんと赤い石が転がった。
冒険者の憧れ、《秘匿庫》――指輪が外れないのは困るが、この機能は本当に助かる。
「フェルグリムのか」
「うん」
《魔炎公》フェルグリムから、夜冠公妃への贈り物として受け取った。
核が燃えて揺らいでいるかのような、深く美しい紅玉。それがヒューの手の中で形を変えて、一つの炎の塊になった。熱くはない。炎は手の中ですり寄るように揺らめき、だんだんと別の形になった。
それは小さな鳥の雛だった。炎を纏う鳥――不死鳥の雛だ。
「まだ可愛いな」
ヒューが頭をつつくと、ピィピィと鳴いた。
「ほら、めっちゃ可愛い」
「成熟してない生き物押しつけてくるとは、あいつ馬鹿か。ただでさえ世界竜を飼っているのに。それに……醜くないか?」
美しき幻獣と呼ばれる不死鳥だが、それは成体だけの話で、幼体は羽毛がまばらで、目も潰れている。
「そんなことねーよ。名前付けよ。俺そういうの考えるの苦手だから、ジル付けてくれよ。格好いいやつ」
「え? ならば……格好いい系がいいか?」
「うん」
ジルディウスは少し考え、真顔で告げた。
「インフェルニタス・ヴォルヴィレクスとかどうだ?」
「長げーよ。インフェル……? フェルで」
「短縮し過ぎだ。《獄炎の循環王》という意味合いを込めたんだぞ」
「雛に過剰な期待込めんなよ」
「言っておくが、すぐにでかくなるぞ、それ」
「楽しみだな。こいつも魔素で育つのかな?」
手の中の小さな命を、ヒューが愛しげに眺める。そんなに目を細めるほど可愛いとは思えない鳥だったが、はしゃぐヒューは可愛い、とジルディウスは思った。
「ガイアデイラにいれば勝手に育つ」
「こいつは秘匿庫に入れとくの、ちょっと可哀相でさ」
「巣を作ってやろう。石の状態で嵌め込める装身具か何かをな」
ジルディウスが、フェルに手を伸ばす。炎を帯びた小さな雛が、たちまちに宝玉へと姿を変えた。
「明日また返してやる」
「ありがと……あのさ、ネメシアはともかく、《天嶺公》……ヴォルケリオンだっけ? 会わなくていいのか? 仲悪い?」
長男と言うから、一番に会うのだと思っていた。
ああ、とジルディウスが、明らかに面倒くさそうな顔つきになる。
「会うつもりはあるが、手順がある。ヒューも疲れただろう?」
「二人目ぐらいでもう疲れてたけど」
「人の身でありながら、上出来だ。今日は休むといい」
ジルディウスの手が、ヒューの髪を愛しげに撫で、ヴェールを持ち上げる。
「これ、そろそろ外したいんだけど……」
呪いのように外れないヴェール付きの宝冠に、ヒューは手を添えた。するりと脱げて、あ、とヒューは声を上げた。
「やっと取れた……」
「ヴォルケリオンに会うときは、また身に着けてもらうぞ。あらゆる耐性を付与しているし、魔族からの目隠しにもなる」
「そんな便利なもんだったのか……」
「その衣装すべてに、同じ耐性を付与している。まあしかし、寝るときは裸でも全然大丈夫だ。ここは俺の領内だからな」
「服はくれ……」
「初夜を愉しみたいが、一人でゆっくり休みたいだろう」
「え」
「ん? 二人で過ごしたいか?」
「いや、びっくりしただけ……」
初夜という単語に思いがけず、体が固まっただけだ。対等に話しているつもりでも、本気になればジルには絶対に勝てない。それを意識して、勝手に身が竦んでしまった。
「抱いていいなら抱くが?」
「だ――駄目。それは駄目。ごめん」
自分がどんな顔をしているのか分からなかったが、ジルディウスが眉をしかめ、それから呆れたように呟いた。
「惚れている男の前で、その顔はどうかと思うぞ」
「え、どんな顔か分かんねーよ……」
「煽っているようにしか見えん」
「……ごめん、そんなつもりなくて……」
ジルの顔が近づき、ヒューは慌てて身を引いた。
「ほら、また煽っている」
「分かんねえって……」
不味い、とヒューは内心焦った。どんどん変な雰囲気になっている。話せば話すほど墓穴を掘って、頬が熱くなった。
「勇者もそれで、舞い上がったんじゃないのか?」
「え、……いや……」
もう遠い、あのパーティーの中庭で。
俺はアレクに、酷いことしたのかな。
懐かしさで、急に涙が出そうになったが、それはジルに対して不誠実だと思って、堪えた。でも気づかれていて、ジルの指がヒューの目尻をそっと撫でた。
「おい、冗談だ。――悪かったな。妃ごっこをさせて」
ヒューはかぶりを振った。
「俺こそ……」
「少しの間でいい、夜冠公妃として振舞ってくれ。その間に、俺は国家としての地盤作りをする」
ジルディウスはヒューの手を取り、濡れた瞼に口づけた。
ヒューの肩がびくりと震える。
「あ……」
震えたら駄目だ。意識しているみたいになる。こんなの、昔、死んだ兄ちゃんがしてくれたキスと変わらないのに。
「勇者なら、辛抱出来ずに襲っているな」
ジルが笑った。
「そのへんは、俺のほうが上だ。俺は、ヒューが体を開きたいと思うまで、手を出すつもりはない。以前は、ちょっと無理強いしたが……」
「あ……それは……もういい……終わったことだし……」
以前、襲われかけたことがあったが、そのときより、今の状況のほうが気まずい。
あまりに大切に愛されると、どうしていいか分からなくなる。誠実にしてもらっているのに、応えないのは申し訳ないようで、だからといって抱いてもいいよとは言えない。
ジルと一緒にいても、アレクのことを思い出す。
どちらに対しても申し訳なくなる。
世界のことを考えて動きながら、恋愛のことで頭がいっぱいになる。
ヒューが何も言えず、動くことも出来ない間に、ジルディウスが立ち上がった。
「ヴォルケリオンに会うのはいつでもいい。明日、《霜雹公領》に行ってみろ。ナハトたちのことも気になっているだろう? 俺は行かんから、よろしく伝えてくれ」
「え?」
「ずっと俺がべったりでも、ヒューは疲れるだろ。お前は一人でだって、誰かとの繋がりを作って、楽しく生きられる奴だ。だから俺は第二夫でいいと言ったし、妃を分け合うというのも、本気だ」
「いや、分け合うって……」
「縛りつける愛は、お前に向いてない」
当たり前のように、ジルディウスが言った。
「勇者がそうだったから――お前は逃げたんじゃないのか?」
光に満ちた庭には、音が無い。
だから、骨や肉を断つ感触が、いやに耳に響いた。
「――慣れてきたな」
アレックスは剣を握り直し、ぽつりと呟いた。
足許に、ヒューが手を伸ばしたまま、倒れている。アレックスに縋るように、腕は足のすぐ傍で力無く落ちていた。
「君の形をしたものを、斬るのも……」
地面には血だまり、切り裂いた腹からは臓腑が零れ落ちている。幻のくせに、生々しい死に様を見せつけてくる。
風も匂いも、時間の流れさえも存在しない。
白い石畳がどこまでも続き、草花は揺れず、空はただ眩しいだけの色をしている。
普通の人間なら、どれだけいたら狂うのだろう。
血塗れのまま、“それ”ががむくりと起き上がり、にこりと微笑む。
破れた腹を愛しそうに撫でている。ヒューの行動を表面だけなぞり、ちぐはぐな動きしか出来ない。
このところ、女神は姿を現さない。
代わりに、ヒューの形だけを作り、それを斬らせる。
それを、遊戯のように繰り返している。
飽きるまでは続くだろう。
関心がまだ、アレックスだけに向いている証だ。
最初に斬ったとき、嫌な感覚が手に残った。刃に違和感が絡みついた。
けれど、回数を重ねているうちに、それも薄れた。
ヒューではない。そう思えば、心は動かない。
ずっとそうだった。
魔獣を斬ったときも。
魔公と戦ったときも。
魔王を滅ぼしたときも。
この手には何も残らなかった。痛みも重みも。
仲間の初めての死は、ケレスだった。
良い人間だったし、アレックスも可愛がってもらった。彼が死んだとき、ヒューはすごく泣いた。取り乱し、声を上げ、しばらく立ち直れなかった。
その横で、自分は何も感じていないことに、アレックスは気づいてしまった。
好きだったし、死んでほしくはなかった。でも、喪失の痛みが分からない。
セシィリアの怒りも、ヒューの嘆きも、少しも分からなくて、そんな自分に驚いた。
親しい人の死を悲しいと思えない自分が、人間らしくないことにショックを受けたのだ。
あのときからなんとなく、自分は《勇者》であるような気がした。
勇者にでもなってみろと、故郷で担ぎ上げられ、旅に出た。
この強さに、多くの人々が期待するようになった。
強い仲間もどんどん増えた。様々な国と繋がりを持った。
そして、自分はたった一人、世界に現れる《勇者》なんじゃないかと自覚した。
その無慈悲さに気づいたときに。
そうか。
世界に必要なのは、感情ではない。
処理する力だ。
ヒューの形をしたものを、最初は斬りたくないと思った。
けれど、すぐに修正出来た。
ヒューではない。ただの処理対象だ。そう思えば斬れた。
――アレク。
偽りが血に濡れた手を伸ばす。アレックスはその腕を斬り落とした。偽りのくせに、信じられないというような、悲しげな表情をするようになった。
「違うよ」
ぽつりと、声を落とす。
「ヒューじゃない。ヒューはもっと……」
刃に残る感覚が軽い。
魔王、魔公、色んな強者に会った。
魔獣も、人間も、人が定めた正義の下に斬った。
躊躇ったことはない。
――ああ、でも。
唯一、怒りだけに任せて、斬った奴がいたっけ。
《夜冠公》ジルディウス。
人に害をなしたわけではない。
ヒューを愛してしまった、魔族の男だ。
どの魔公よりも強かった。だが勝った。
とどめを刺そうとして、ヒューが割って入ったとき、視界が真っ白になった。
自分の憎しみが、ヒューを殺しかけたことにも。
この男を殺したら、ヒューは二度と自分を許さないだろうと、気づいたことにも。
リオネルやエルドに刃を向けたときもそうだ。
それをしたら許さないと、ヒューが叫ぶ。その瞬間まで、自分は気づかない。
彼が大切にしているものを、自分は壊せてしまうのだ。この不快な幻を斬るときのように。
壊してからでは、遅いのに。
「……ヒューは」
言葉が、喉で止まった。
幻を何度も斬り捨てながら、処理をするだけならこんなに楽なのに、と思った。
ヒューは、もっと。
もっと、生きている匂いがするのに。
「ヒュー……僕は」
君がいないと、刃の納め方が分からない。
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