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【54】氷野の商い
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《霜雹公領》の朝は、静かだ。
風が吹いているはずなのに、耳に届くものはほとんどない。
白く凍った大地が、すべてを飲み込んでいるからだ。
「……寒」
ヒューが息を吐くと、白い霧が消えた。
その背後で、魔族たちが膝をつく。
この地で、《夜冠公妃》として迎えられる初めての朝だ。
とはいえ、さすがにあのドレスまがいの装束は着ていない。いつもの、慣れた装備でやって来た。
「ええと、とりあえず何しよ……困ってることある?」
傍らのナハトに尋ねる。
「交易……ですかね」
「交易か」
「バルディオンと友好を結び、魔境線で簡易の市を立てているのですが、我々は商売というものに不慣れですし、人間とでは価値観が違い過ぎます」
「あー……でもまあ、市はやってるんだ?」
商人というのは、国交が整う前から動く。
危険があろうが、儲けの匂いがすれば足を運ぶ連中だ。
「そうですね、バルディオンやカリステリスから、僅かですが商人が来ています」
「カリステリスか、あそこは商業国家だ。魔族との交易に、もう金の匂いを嗅ぎつけてるってわけだ」
「しかし……魔獣の動きが活発で、商人は多くありません。それに、人間は我々の出す商品の価値が分からず、我々もまた、酒や塩など、人が持ち込む物の価値を測りかねています」
「……あー」
ヒューは短く息を吐いた。
「要するにさ。お互い、欲しいもんはあるけど、どれがどのぐらい大事か、分かってないんだろ?」
ナハトがゆっくり頷く。
「こっちの商品、ちょっと見せてくれよ。俺、人間だし。全部じゃなくても、少しは分かると思う」
「是非ともお願いいたします、夜冠公妃様」
「かしこまんなくていいって。前みたいに、もっとくだけてても……姐さん、はちょっとあれだけど」
「そうもいきません」
「せめて夜冠公妃はやめようぜ」
「では、ヒュー様」
「まだいいか……」
ヴェルゼにもそう呼ばれていたし。元気かな、と思い出した。ヴェルゼだけじゃない、リオネルも、みんなも。別れたのが、ずいぶん前に思える。
ナウレアの神殿から、裂け目を見て、ガイアデイラに出るまで、現実の日数とラグがあったらしい。自分が思っているより、十日ほど時が経っていた。
「こちらです」
案内された小屋に、商品が積まれていた。
「これ、綺麗だな」
ヒューが指差したのは、箱に詰められた、氷そのもののような石だった。
「氷結核です。攻撃魔法の補助に使えば、周囲一帯を凍結させられる、便利なものですが……」
「危な過ぎるだろ……民間じゃ売れないな。それに、ビビッちゃうって、こんな兵器がゴロゴロしてる国だって思われたら」
「ゴロゴロしておりますが……」
「それこそ帝国に目を付けられちまう。これから、他国に許可なく売ったら駄目なもんを決めていこう」
「この膨大な品物の中からですか……?」
「とにかく、なんでも基準決めて、リスト化だ」
困惑した顔のナハトに、ヒューはきっぱり言い放った。
「じゃあまずは……」
小屋の中をぐるりと見回し、ふと足を止める。
「あれ? これって」
壁際の隅。
木箱の陰に、無造作に積まれているものがある。
「この皮、よくいる魔獣のだよな?」
しゃがみ込み、指先で一枚引き抜く。
「はい。弱い魔獣の部類ですが、肉が食用になります。ただ皮は、特別な魔力も無く、防寒具にもなりません」
「でも、一応取ってたのか」
「ああ……取っておいたほうがいいと言う者がおりまして。商人をやりたいと。そいつが最低限の処理をして、そこに置いているようです」
「処理は甘いけど……」
ヒューは皮を軽く振って、感触を確かめた。
「めちゃくちゃ軽い。丈夫だし、癖も無い」
別の布を手に取る。
これなら軽くて、運びやすい。商人が好みそうだ。
「この素材、いいと思うけどな」
「え?」
ナハトが瞬きをする。
「人間向けだよ、これ。服、外套、鞄、何にでも使えそうだ」
「防御力は低く、魔族にとっては価値の低いものですが……」
「軍人に売るわけじゃないからさ。魔族にとっての価値より、人間にとっての扱いやすさだよ。これを商品として目を付けた奴、呼んできてくれ。見どころあるよ」
「見どころ、ですか?」
「だって、魔族にとっちゃ価値が無くて当たり前のものだろ? それを、他種族にとっては価値があるかもってさ、ちょっと違う目線持ってるよ」
ナハトははっとした。
「なるほど、では連れて来ましょう」
呼ばれた商人候補の男は、魔族らしくヒューよりはずっと長身だったが、細身で筋肉が少ない。戦闘向きではなさそうだ。
所在なさげに、視線を動かしている。
「砦にいるってことは、一応軍に所属してんのか?」
「はあ……でも、戦いはあまり得意じゃなくて……ここらで交易やるって聞いて、こっちに配属してもらったんです。戦争終わったし、商い、いいかもなぁって……」
のんびりした喋りの男だった。浅黒い肌に、少し伸びた黒髪を後ろで無造作に結んでいる。頭部からは羊のような下向きの角が生えていた。
「まず名乗らねえか。――御無礼を、ヒュー様。こいつは、サウラと言います。弱っちい奴ですが、狩りの腕はまあまあです」
ナハトが代わりに紹介すると、サウラがぺこりと頭を下げた。
「あの皮ってさ」
ヒューが部屋の隅を見ると、ああ、とサウラが顔を上げた。
「よくある魔獣皮です……けど、捨てるのは勿体ねえかなって……」
そう言い、自信なさげに頭を掻く。
「俺らの扱いじゃ、すぐボロっちくなるけど、人間は軽いのが好きなんかなって、何回か市場の取引見てたら、そう思って……」
「それ、じゅうぶん商売の才能あるよ。これから勉強していけば、ちゃんと仕事になる」
「あんな皮でも、売れるんですか?」
「売れるかじゃなくて、売ろう。とりあえず、片っ端から在庫見ようぜ」
ヒューはサウラの丸まった背中を、励ますように軽く叩いた。サウラは一瞬驚いたように背を伸ばしたが、すぐに頷いた。
「干し肉かぁ……」
「それは売れません。魔瘴の濃いこの地の食べ物は、やはり忌避されます」
綺麗に保存された干し肉を摘まむと、ナハトが言った。
「売るつもりで、丁寧に保存はしてるんですけど……」
サウラが残念そうに呟く。
「一つ食べてみていい?」
「え、でもお妃様、人間じゃあ……」
慌てて止めようとするサウラをよそに、ヒューは干し肉を齧った。
「すげえ美味い」
「だ、大丈夫ですか……? 魔瘴抜きはしてますが……」
「俺、耐性あるから。まあ俺が食えても、説得力無いか。魔瘴抜きって、どうやんの?」
ヒューの疑問に、ナハトが答えた。
「元々、霜雹公領は魔瘴自体が薄めです。一定以上の低温化で、食い物から魔瘴は抜けていきます。だから雪に埋めたり、箱の中で氷を敷き詰めたり……」
「あ、それ!」
ヒューはぱっと顔を上げた。
「それ、絶対売れるぞ!」
「え? 食料品は売れませんぜ。人間が嫌がって……」
「じゃなくて、氷だよ。魔瘴が低温化で抜けるなら、霜雹公領の氷そのものが売れる。食い物運んだり、特に船で運ぶなら、めちゃくちゃ重宝する」
「氷なんて、そこらへんにありますよ」
「それはここがガイアデイラだから。魔境線より向こうは温暖からやや冷涼ぐらいだ。このガイアデイラ内部は異常気候で、この霜雹公領なんて寒冷地帯だろ?」
「そうですね、ゼルナンド様の居城周りなんて特に――溶けない氷に覆われて、除氷作業も大変で……」
「めっちゃいい。溶けにくい氷は絶対売れる。加えて、寒い地域ならではの特産品を作るんだ。北国からの輸入品は貴重で高価だ。それをここで作れたらでかいぞ」
「特産品はすぐには無理ですが、氷ならいくらでも切り出せます!」
「氷が?」
ナハトはいまいち信じがたいようだったが、サウラは顔を輝かせた。
「干し肉も一応持ってくか……あとは、貨幣での売買は難しいから、結局物々交換ってことになるけど、魔族側は何が欲しいかだな」
「我々は貨幣を持ちませんからな」
「あ、それならもう決めてあります……今回は、香辛料と鉱物に交換しようかと」
「妙な粉や葉っぱとかか? 何になるんだ?」
ナハトが尋ねる。
「この前の取引で手に入れて、街で色んな魔族に試してもらったんですよ。そしたら、若いのの何人かは気に入ってました。意外と売れるんじゃないかと……」
「へえ、お試しで配ったのか」
手に入れた物を、次の商売に繋ぐための材料にする。商売などしたことなかったサウラが、自己流でそれをしたことに、ヒューは感心した。
「それは“投資”ってやつだ。最初からそれが出来るなんて、サウラはいい商人になるよ」
ヒューが賞賛すると、サウラが恐縮して俯いた。
「も、もったいなきお言葉で……」
「なるほどなぁ……」
ナハトもううん、と唸った。
「若い連中はああいうのが好きなのか……じゃ、鉱物ってのは、どんなのがいいんだ?」
「そ、それも食用です。この前、千夫長が美味いって齧ってたやつですよ」
「あれか! 人間界の鉱物だったのか」
「人間にとっちゃ、安モンらしいです。でも魔族には、鉱物喰いもけっこういるんで、色々買ってみたいですね。まあうちの商品も売れなきゃ、買えませんが……」
「大丈夫、大丈夫、魔境線までわざわざ来るような商人だぜ? 優れた商人なら、価値がねえようなもんでも、価値を付けて売っちまうからさ」
「こっちが売るのは、薄っぺらい皮と、氷ですよ?」
ナハトが半信半疑で言った。
「大丈夫だって。じゃあ、在庫を全部チェックして、改めて商品をリスト化しよう。売るか売らないかは、今日のところは俺が決める」
商品のチェックだけで、その一日を費やしてしまった。
「ジル! 証文作って! あと印章も!」
「帰るなり藪から棒になんだ」
《夜冠公領》の城に戻ったヒューは、自室にこもっているジルディウスの前に転移した。便利な指輪だ。ジルに何かを頼みたいときだけ。
「証文と印章作ってくれよ。商売に使う用の」
はい、と手を差し出され、ジルディウスは眉をしかめた。
「そんな手を出されても……言われたものすぐに出せるわけないだろう。一日くれ」
「一日で出来る?」
「紙と印章だろう? 半日でも出来る。何に使うんだ?」
「商売」
「それは聞いた。……ああ、そういえば交易を始めたが、現場に任せきりだったな」
「貨幣取引が出来ないからさ、基本は物々交換なんだけど、片方に欲しい物が無い時、金の代わりに証文を発行したらいいと思って」
「ふうん……金の代わりというわけか、ベースは紙でいいのか?」
「破れなくて、燃えなくて、濡れても平気で、偽造されたらすぐ分かるやつ」
「簡単に言うな。まあヒューの頼みなら何でも聞いてやるが」
ジルディウスは魔導具造りの名手で、見た目は派手な支配者タイプのくせに、自室で何かを作るのが趣味のような男だ。
「人間は、紙が好きだな。我らは、約束を形に残したりはしないからな」
「証文はちゃんと残さないとさ。魔族はやんない?」
「やらんな。基本は口約束だ」
「約束破られたらどうすんの?」
「殺す」
「シンプルだけどさあ……」
「そもそも、我らは“個人”を重んじない。“支配者”がすべてだからな。国家・商業・民間での契約は未発達だ」
「そういうとこからか」
これからの国造りの大変さを思わざるを得ない。
「そうなるな。丈夫な証文と印章はすぐに作ってやる。印章は夜冠公妃の特別仕様でな」
「普通で……」
本当にやりかねない。
「腕を出せ、ヒュー。左右どちらでもいい」
「腕?」
なんとなく左腕を出すと、ぱちんと小さな金属音がして、手首に腕輪がはめられた。
簡素だが、繊細で美しい造りの装具だ。中心に赤い石が輝いている。
「その装具が、インフェルニタス・ヴォルヴィレクスの巣だ」
「頑なにその名前で呼ぶんだな……」
紅玉を撫でると、小さな炎が舞って雛が現れる。
「フェル、いい子にしてたか?」
指先で頭を撫でてやると、不死鳥の雛はピィピィと鳴いた。しばらく構ってやると、また自ら紅玉に戻り、腕輪に還った。
「派手な装具は嫌いだと思って、シンプルにした。宝石を散りばめても良かったが」
「これでいい。ありがとう、ジル」
ヒューが微笑むと、ジルディウスは満足げに笑った。
「妃として仕事をしてくれて、こちらからも礼を言う」
「妃じゃないけど……」
「頼まれたものは作っておく。明日も頼むぞ、妃として」
「なしくずしにしようとしてない?」
風が吹いているはずなのに、耳に届くものはほとんどない。
白く凍った大地が、すべてを飲み込んでいるからだ。
「……寒」
ヒューが息を吐くと、白い霧が消えた。
その背後で、魔族たちが膝をつく。
この地で、《夜冠公妃》として迎えられる初めての朝だ。
とはいえ、さすがにあのドレスまがいの装束は着ていない。いつもの、慣れた装備でやって来た。
「ええと、とりあえず何しよ……困ってることある?」
傍らのナハトに尋ねる。
「交易……ですかね」
「交易か」
「バルディオンと友好を結び、魔境線で簡易の市を立てているのですが、我々は商売というものに不慣れですし、人間とでは価値観が違い過ぎます」
「あー……でもまあ、市はやってるんだ?」
商人というのは、国交が整う前から動く。
危険があろうが、儲けの匂いがすれば足を運ぶ連中だ。
「そうですね、バルディオンやカリステリスから、僅かですが商人が来ています」
「カリステリスか、あそこは商業国家だ。魔族との交易に、もう金の匂いを嗅ぎつけてるってわけだ」
「しかし……魔獣の動きが活発で、商人は多くありません。それに、人間は我々の出す商品の価値が分からず、我々もまた、酒や塩など、人が持ち込む物の価値を測りかねています」
「……あー」
ヒューは短く息を吐いた。
「要するにさ。お互い、欲しいもんはあるけど、どれがどのぐらい大事か、分かってないんだろ?」
ナハトがゆっくり頷く。
「こっちの商品、ちょっと見せてくれよ。俺、人間だし。全部じゃなくても、少しは分かると思う」
「是非ともお願いいたします、夜冠公妃様」
「かしこまんなくていいって。前みたいに、もっとくだけてても……姐さん、はちょっとあれだけど」
「そうもいきません」
「せめて夜冠公妃はやめようぜ」
「では、ヒュー様」
「まだいいか……」
ヴェルゼにもそう呼ばれていたし。元気かな、と思い出した。ヴェルゼだけじゃない、リオネルも、みんなも。別れたのが、ずいぶん前に思える。
ナウレアの神殿から、裂け目を見て、ガイアデイラに出るまで、現実の日数とラグがあったらしい。自分が思っているより、十日ほど時が経っていた。
「こちらです」
案内された小屋に、商品が積まれていた。
「これ、綺麗だな」
ヒューが指差したのは、箱に詰められた、氷そのもののような石だった。
「氷結核です。攻撃魔法の補助に使えば、周囲一帯を凍結させられる、便利なものですが……」
「危な過ぎるだろ……民間じゃ売れないな。それに、ビビッちゃうって、こんな兵器がゴロゴロしてる国だって思われたら」
「ゴロゴロしておりますが……」
「それこそ帝国に目を付けられちまう。これから、他国に許可なく売ったら駄目なもんを決めていこう」
「この膨大な品物の中からですか……?」
「とにかく、なんでも基準決めて、リスト化だ」
困惑した顔のナハトに、ヒューはきっぱり言い放った。
「じゃあまずは……」
小屋の中をぐるりと見回し、ふと足を止める。
「あれ? これって」
壁際の隅。
木箱の陰に、無造作に積まれているものがある。
「この皮、よくいる魔獣のだよな?」
しゃがみ込み、指先で一枚引き抜く。
「はい。弱い魔獣の部類ですが、肉が食用になります。ただ皮は、特別な魔力も無く、防寒具にもなりません」
「でも、一応取ってたのか」
「ああ……取っておいたほうがいいと言う者がおりまして。商人をやりたいと。そいつが最低限の処理をして、そこに置いているようです」
「処理は甘いけど……」
ヒューは皮を軽く振って、感触を確かめた。
「めちゃくちゃ軽い。丈夫だし、癖も無い」
別の布を手に取る。
これなら軽くて、運びやすい。商人が好みそうだ。
「この素材、いいと思うけどな」
「え?」
ナハトが瞬きをする。
「人間向けだよ、これ。服、外套、鞄、何にでも使えそうだ」
「防御力は低く、魔族にとっては価値の低いものですが……」
「軍人に売るわけじゃないからさ。魔族にとっての価値より、人間にとっての扱いやすさだよ。これを商品として目を付けた奴、呼んできてくれ。見どころあるよ」
「見どころ、ですか?」
「だって、魔族にとっちゃ価値が無くて当たり前のものだろ? それを、他種族にとっては価値があるかもってさ、ちょっと違う目線持ってるよ」
ナハトははっとした。
「なるほど、では連れて来ましょう」
呼ばれた商人候補の男は、魔族らしくヒューよりはずっと長身だったが、細身で筋肉が少ない。戦闘向きではなさそうだ。
所在なさげに、視線を動かしている。
「砦にいるってことは、一応軍に所属してんのか?」
「はあ……でも、戦いはあまり得意じゃなくて……ここらで交易やるって聞いて、こっちに配属してもらったんです。戦争終わったし、商い、いいかもなぁって……」
のんびりした喋りの男だった。浅黒い肌に、少し伸びた黒髪を後ろで無造作に結んでいる。頭部からは羊のような下向きの角が生えていた。
「まず名乗らねえか。――御無礼を、ヒュー様。こいつは、サウラと言います。弱っちい奴ですが、狩りの腕はまあまあです」
ナハトが代わりに紹介すると、サウラがぺこりと頭を下げた。
「あの皮ってさ」
ヒューが部屋の隅を見ると、ああ、とサウラが顔を上げた。
「よくある魔獣皮です……けど、捨てるのは勿体ねえかなって……」
そう言い、自信なさげに頭を掻く。
「俺らの扱いじゃ、すぐボロっちくなるけど、人間は軽いのが好きなんかなって、何回か市場の取引見てたら、そう思って……」
「それ、じゅうぶん商売の才能あるよ。これから勉強していけば、ちゃんと仕事になる」
「あんな皮でも、売れるんですか?」
「売れるかじゃなくて、売ろう。とりあえず、片っ端から在庫見ようぜ」
ヒューはサウラの丸まった背中を、励ますように軽く叩いた。サウラは一瞬驚いたように背を伸ばしたが、すぐに頷いた。
「干し肉かぁ……」
「それは売れません。魔瘴の濃いこの地の食べ物は、やはり忌避されます」
綺麗に保存された干し肉を摘まむと、ナハトが言った。
「売るつもりで、丁寧に保存はしてるんですけど……」
サウラが残念そうに呟く。
「一つ食べてみていい?」
「え、でもお妃様、人間じゃあ……」
慌てて止めようとするサウラをよそに、ヒューは干し肉を齧った。
「すげえ美味い」
「だ、大丈夫ですか……? 魔瘴抜きはしてますが……」
「俺、耐性あるから。まあ俺が食えても、説得力無いか。魔瘴抜きって、どうやんの?」
ヒューの疑問に、ナハトが答えた。
「元々、霜雹公領は魔瘴自体が薄めです。一定以上の低温化で、食い物から魔瘴は抜けていきます。だから雪に埋めたり、箱の中で氷を敷き詰めたり……」
「あ、それ!」
ヒューはぱっと顔を上げた。
「それ、絶対売れるぞ!」
「え? 食料品は売れませんぜ。人間が嫌がって……」
「じゃなくて、氷だよ。魔瘴が低温化で抜けるなら、霜雹公領の氷そのものが売れる。食い物運んだり、特に船で運ぶなら、めちゃくちゃ重宝する」
「氷なんて、そこらへんにありますよ」
「それはここがガイアデイラだから。魔境線より向こうは温暖からやや冷涼ぐらいだ。このガイアデイラ内部は異常気候で、この霜雹公領なんて寒冷地帯だろ?」
「そうですね、ゼルナンド様の居城周りなんて特に――溶けない氷に覆われて、除氷作業も大変で……」
「めっちゃいい。溶けにくい氷は絶対売れる。加えて、寒い地域ならではの特産品を作るんだ。北国からの輸入品は貴重で高価だ。それをここで作れたらでかいぞ」
「特産品はすぐには無理ですが、氷ならいくらでも切り出せます!」
「氷が?」
ナハトはいまいち信じがたいようだったが、サウラは顔を輝かせた。
「干し肉も一応持ってくか……あとは、貨幣での売買は難しいから、結局物々交換ってことになるけど、魔族側は何が欲しいかだな」
「我々は貨幣を持ちませんからな」
「あ、それならもう決めてあります……今回は、香辛料と鉱物に交換しようかと」
「妙な粉や葉っぱとかか? 何になるんだ?」
ナハトが尋ねる。
「この前の取引で手に入れて、街で色んな魔族に試してもらったんですよ。そしたら、若いのの何人かは気に入ってました。意外と売れるんじゃないかと……」
「へえ、お試しで配ったのか」
手に入れた物を、次の商売に繋ぐための材料にする。商売などしたことなかったサウラが、自己流でそれをしたことに、ヒューは感心した。
「それは“投資”ってやつだ。最初からそれが出来るなんて、サウラはいい商人になるよ」
ヒューが賞賛すると、サウラが恐縮して俯いた。
「も、もったいなきお言葉で……」
「なるほどなぁ……」
ナハトもううん、と唸った。
「若い連中はああいうのが好きなのか……じゃ、鉱物ってのは、どんなのがいいんだ?」
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「あれか! 人間界の鉱物だったのか」
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「大丈夫、大丈夫、魔境線までわざわざ来るような商人だぜ? 優れた商人なら、価値がねえようなもんでも、価値を付けて売っちまうからさ」
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「大丈夫だって。じゃあ、在庫を全部チェックして、改めて商品をリスト化しよう。売るか売らないかは、今日のところは俺が決める」
商品のチェックだけで、その一日を費やしてしまった。
「ジル! 証文作って! あと印章も!」
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「証文と印章作ってくれよ。商売に使う用の」
はい、と手を差し出され、ジルディウスは眉をしかめた。
「そんな手を出されても……言われたものすぐに出せるわけないだろう。一日くれ」
「一日で出来る?」
「紙と印章だろう? 半日でも出来る。何に使うんだ?」
「商売」
「それは聞いた。……ああ、そういえば交易を始めたが、現場に任せきりだったな」
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「ふうん……金の代わりというわけか、ベースは紙でいいのか?」
「破れなくて、燃えなくて、濡れても平気で、偽造されたらすぐ分かるやつ」
「簡単に言うな。まあヒューの頼みなら何でも聞いてやるが」
ジルディウスは魔導具造りの名手で、見た目は派手な支配者タイプのくせに、自室で何かを作るのが趣味のような男だ。
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「証文はちゃんと残さないとさ。魔族はやんない?」
「やらんな。基本は口約束だ」
「約束破られたらどうすんの?」
「殺す」
「シンプルだけどさあ……」
「そもそも、我らは“個人”を重んじない。“支配者”がすべてだからな。国家・商業・民間での契約は未発達だ」
「そういうとこからか」
これからの国造りの大変さを思わざるを得ない。
「そうなるな。丈夫な証文と印章はすぐに作ってやる。印章は夜冠公妃の特別仕様でな」
「普通で……」
本当にやりかねない。
「腕を出せ、ヒュー。左右どちらでもいい」
「腕?」
なんとなく左腕を出すと、ぱちんと小さな金属音がして、手首に腕輪がはめられた。
簡素だが、繊細で美しい造りの装具だ。中心に赤い石が輝いている。
「その装具が、インフェルニタス・ヴォルヴィレクスの巣だ」
「頑なにその名前で呼ぶんだな……」
紅玉を撫でると、小さな炎が舞って雛が現れる。
「フェル、いい子にしてたか?」
指先で頭を撫でてやると、不死鳥の雛はピィピィと鳴いた。しばらく構ってやると、また自ら紅玉に戻り、腕輪に還った。
「派手な装具は嫌いだと思って、シンプルにした。宝石を散りばめても良かったが」
「これでいい。ありがとう、ジル」
ヒューが微笑むと、ジルディウスは満足げに笑った。
「妃として仕事をしてくれて、こちらからも礼を言う」
「妃じゃないけど……」
「頼まれたものは作っておく。明日も頼むぞ、妃として」
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ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
偽りベータの宮廷薬師は、氷の宰相に匂いを嗅がれ溺愛される
水凪しおん
BL
「お前の匂いがないと、私は息ができない」
宮廷薬師のルチアーノは、オメガであることを隠し、自作の抑制薬でベータと偽って生きてきた。
しかしある日、冷徹無比と恐れられる「氷の宰相」アレクセイにその秘密がバレてしまう。
処刑を覚悟したルチアーノだったが、アレクセイが求めたのは、ルチアーノの身体から香る「匂い」だった!?
強すぎる能力ゆえに感覚過敏に苦しむ宰相と、彼の唯一の安らぎとなった薬師。
秘密の共有から始まる、契約と執着のオメガバース・ロマンス!
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