世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【72】契約

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「我との契約か、それは無理だな」

 軽く告げられ、リオネルは、瞬きをした。

「……え?」

「たしかに英雄を名乗るだけの資質はある。だが、我を使役出来る器ではない。過ぎた力は身を滅ぼすだけだ」
「じゃあ、何のための試練!?」

 命を削って、覚悟を晒した。ヒューの姿をしたものを傷つけてまで。
 それで、何も得られなかったのでは、引き下がれない。

「まあ急くな」

 ヴォルケリオンは小さな手を上げ、宥めるように振った。

 そして、アレクとヒューの姿をしたものたちに、視線を送る。

「《巡風候マルキス・ウェントゥス》《断雷候マルキス・フルグリス》――我と同じく、ヴァルナオグと竜の狭間に生まれた子らだ。称号はあれど、未だに真の名を持たぬ」
「魔王と竜の……」
「定型を持たぬ。ゆえに、誰の姿にもなれる。知性は未熟だが、力そのものは魔公に劣らぬ。ただし……」

 竜王は、くっくと喉を鳴らした。

「面白いことにしか興味を示さん」

 アレクが微笑み、ヒューが肩を竦めた。
 二人がしそうな仕草だ。

「お主との戦いは、楽しかったはずだ」

 幼子の姿をした竜王は、リオネルに近づき、その顔を見上げた。

「名を与え、契約を結べ」

「ボクが与えちゃっていいの? 魔王の子なら、あなたが兄だ」

 自分より遥かに古く、強い存在。
 彼が名付けず、いきなり現れた人間の子供に、その資格があるのだろうか。

「兄ゆえに、与えぬのだ。竜王が名を与えれば、こやつらは我のものになる。我と生き、我に縛られ、もはや自由に羽ばたけぬ」

 透き通った瞳が、ゆっくりと細められる。
 未だアレクとヒューの姿をした青年たちが、よく分かっていないような顔で見返した。

「共にこの世界の果てで暮らし、幾百年……そろそろ、こやつらも“外”を知って良い頃合いだ」

 雷が、静かに鳴る。
 風が、衣を揺らす。

「兄は、見守るものだ」

「会ったばかりのボクで、いいのか?」
「他の竜にも、それを言ってきたのか?」

 ヴォルケリオンがまた笑う。

「名を持たぬまま幾百年。風は吹き、雷は落ち、ただそれだけで在った。定まらぬものは、定まらぬままなら自由だ。しかし、縛られることで得るものもある。それを決めるのは、我でもお主でもない」

 ヴォルケリオンの声が、どこか優しく、神殿を満たした。

「お主が嫌なら、拒否する権利はこやつらにもある。それが“契約”だろう?」

「……うん」

 名を与えろ。
 そう言われ、リオネルは二つの存在を見た。

 アレクの姿。ヒューの姿。
 追いかけてきた背中。守りたかった人。
 リオネルは二人に向き合った。
 大切なことには変わりない。
 だが、いつまでも縋るべきじゃない。

「――もう、その姿じゃなくて、いい」

 リオネルの言葉に、光が揺れた。

 アレクが、ヒューが、かすかに輪郭を失う。

「外に行こう。ボクの力になってくれ」

 両手をそれぞれに向けると、輪郭が完全に失われる前の、二人の手が、リオネルにゆっくりと伸ばされた。

「《断雷候フルグリス》」

 閃光が爆ぜる。

「《巡風候ウェントゥス》」

 神殿に奔流が走る。

 リオネルは光に包まれた。

(……あ)

 光の中で、雷をはらんだ風が吹き荒れる。リオネルはその中心に立っていた。

 まだ若い、母のラドネーの姿を見た。
 赤ん坊を抱いている。
 赤い髪の赤ん坊。

 ――大変な時代に、産んじゃったね。

「……母上……」

 まだ少女のような姿の母が、大切そうに自分を抱えている。
 その自分の手を、大きく武骨な手が、こわごわと触れている。
 赤ん坊の指が、父の手を握り返す。

 ――すごいな。まだ小さいのに、もう力強い。

「……父……上……?」

 死んだ父、アルベリクの姿だ。
 その微笑みを見るだけで、全身が震えた。

 ――竜騎士のあたしと、この国の守護騎士たる、貴方の子だもん。強いよ。
 ――いきなり期待をかけて、大丈夫かな。

 ラドネーとアルベリク。若い夫婦が、宝物のように赤ん坊を抱きながら、仲睦まじい様子で笑い合っている。

「……父上……母上……」

 目の奥が痛んだ。涙が出る前のような痛み。
 でも、胸の奥は温かかった。

 ――大丈夫だよ。ほら、この子、ずっと笑ってる。
 ――じゃあ、リオネル……お前は、《若獅子リオネル》だ。

 父・アルベリクが、大きな手のひらを、そっとリオネルの額に当てた。

 ――国や王を護る、守護獣の名だよ。



「……は……」

 意識が揺さぶられた。

「過去を、見せてくれたの……?」

 声をかけたが、風も雷も答えない。

 またごうごうと風が唸った。渦のように巻き上がり、永遠の螺旋のように、リオネルの周りを舞い続けている。

(……また、見える……)

 六歳になった自分が、泣いている。
 父を失い、母は国に戻ったからだ。
 母は、リオネルだけを仲間たちに預けた。

 ――ラドネー。本当にいいのか?

 尋ねているのは、ヒューだ。

 幼い、と感じた。
 記憶の中では、ヒューはずっと大人のように思っていた。
 あの頃のヒューは、十八ぐらいだったはずだ。
 元々童顔なのに、顔にまだ子供っぽさが残っている。

 ――いいの。こっちこそ、ごめんね。ハーケイルは安定してない。暗殺、策謀、内乱……そんな中に、リオネルを連れて行けなくて……。
 ――俺たちはいいよ。でも、この旅だって、きっと過酷だから。
 ――一番信頼出来る人間は、貴方たち。皮肉だね、祖国の人間さえ、信用出来ない。竜のほうが、よっぽどまともだよ。

 母は微笑んでいたが、その目は腫れていた。
 そうか、母上も、泣いていたんだ。
 ボクだけ泣いていたんじゃなかった。

「……大丈夫だよ、母上……」

 過去の光景を見て、リオネルは呟いた。

 泣きじゃくるリオネルの手を、ラドネーが離す。
 離した後、また繋ぐ。
 縋ろうとした自分を、母親は涙を溢れさせながら、抱き締め、引き離した。

 そのリオネルを、ヒューがそっと抱き締めた。
 ラドネーの背中に向かって伸ばされた手を、ヒューの手が包む。

「……あんなに、細かったんだ」

 ヒューの手、華奢で、子供みたい。
 でもいつも、しっかりと握っていてくれた。

「……決めた」

 リオネルは胸に片手を当て、顔を上げた。
 与える名を決めた。

 その瞬間に、嵐が晴れた。
 元の神殿だ。

 アレクとヒューの姿はもう無く、そこに巨大な光の柱が二つあった。
 リオネルは声を上げた。

「ハーケイル五大家が一つ、グランデル家に連なりし竜騎士、リオネル・アルベリク・グランデルの名において、お前たちに名を与える」

 先に、雷を見る。
 荒れ狂い、すべてを薙ぎ払う。
 その中心にあるのは、揺るがぬ強さ。
 
 王のように。

「雷なる竜よ、汝の名は《王の星レグルス》」

 雷鳴が、祝福のように轟く。
 名を受け入れたのだ。

 光が弾け、形を変える。
 電が収束し、竜の骨格を描き出す。

 その目が開き、確かな意志を宿した。

 ――名を得た雷竜の姿だ。

 次に、風に向き直る。
 柔らかく包み、優しく導く。
 しかし時に渦となって、運命さえ巻き込む。

 絶えず巡り、終わらない命のように。

「風なる竜よ、汝の名は《命の渦スピラ》」

 そよ風が、歌うように踊った。
 与えられた名を、高らかに繰り返すように。
 
 透き通る翼が空を描く。
 細身の竜が、しなやかに首をもたげた。

 その瞳もまた、リオネルを映していた。

「……さっきのは、スピラか? ありがとう。会わせてくれて」

 そっと下りてきた風竜の首に、リオネルは手を当てた。
 くるる、と雷竜が不満そうに鳴く。近づいてきたその首も、一緒に撫でてやる。

「レグルスも、よろしくな」

 子供が笑うような声が聴こえた。
 体は大きいが、彼らの種族としては、まだまだ子供なのだろう。

「ボクと同じだ」

 もう、早く大きくなりたいとは思わなかった。
 リオネルなりの早さで、力をつけていけばいい。

 いずれそれが、母やヒューの助けになると信じている。

「己を信じられるようになったか」

 ヴォルケリオンが、一番愉しそうに笑っている。
 幼子の姿のまま、リオネルに近づく。

「雷竜レグルス、風竜スピラ――良い名を与えてくれた」

「これからは、呼びやすいでしょ?」

 リオネルはヴォルケリオンに笑った。
 竜王も、ふっと微笑んだ。

「……我の力が必要になったら、強く願うといい。いまのお主の器であれば、一度くらいは呼べるだろう」
「マジ?」
「一度だぞ。忘れるな」

 指を一つ立てる竜王に、リオネルは頷いた。

「ありがとう、竜王……天竜ヴォルケリオン。神殿、寂しくならない?」

「しばらくは、世界を見て愉しむ。というか、何故すぐ行くつもりでおる?」
「え?」
雷竜レグルス風竜スピラの力を、予習もなく使う気か。しばらく修行しろ、ここで」
「……え」

 リオネルは顔を引き攣らせた。

「お主ら、稽古の続きをやれ」

 雷竜と風竜に目配せすると、竜たちはまた光となって、しゅるしゅると収束した。
 その姿は、またアレクとヒューになった。武器を携えて。

「待ってよ! ボクが主じゃないの!?」
「我は兄だからな。兄の言うことは、まあ絶対であろう」
「そんなことないよ!」
「言ったであろう、そやつらは遊び相手が欲しかったと。主として、気が済むまで遊んでやれ」
「嘘だろ!」
「ついでに強くなる」

 アレクとヒューが、微笑みながら武器を構えた。

「せめて休ませてよ!」
 叫びつつも、リオネルも光の槍を構えた。

 弩を持ち上げながら、ヒューが優しくも厳しい声で言う。
「戦場で休めると思ってんのか?」
「リオネルは、まだ子供だなぁ」
 アレクが嘲るように笑う。
「さっきは、手加減してやっただけなのに」
 嫌な再現性の高さだ。

「主なら、完全にねじ伏せて見せよ」

 背後で、ヴォルケリオンが退屈などしないといったふうに、愉快げに見つめている。

「くそ……! 絶対強くなってやる!」

 リオネルは吠えて、再び地面を蹴った。
 何日でも、何カ月かかっても、必ずヒューのところに戻ってやる。
 新しい強さを身に着けて。

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