世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【73】生きる理由

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「三ヶ月の間に出た被害を報告します」

 ヴェルゼが、机上の書類に目を落としたまま告げた。

「霜雹公領にて、大型魔獣による輸送隊への襲撃が五件。開拓村が一つ、半壊しています。
配置した伯以下の部隊でいずれも撃退しましたが……」
「が?」
 ジルディウスが促す。

「出現地点が偏っています。街道と補給路に沿っている。偶発的な遭遇というには、出来過ぎかと」

 空気が、わずかに張りつめた。

「手が足りないな……」
 ヒューが低く呟く。
 街が広がり、人が増え、物流が整えば整うほど、守る線も伸びる。
 それは豊かさの証だが、同時に弱点でもあった。

「ネメシア一派の動きは?」
「掴めません。潜伏先の候補はいくつか絞れましたが、確証がなく……」

血月公ドゥクス・クルエンティス》の居城は、未だ誰も知らない。
 ジルディウスでさえも。

「商人や職人を育てるのも結構だが、戦える奴も増やした方がいいんじゃねぇか」
 腕を組んだガインが言う。
「先の勇者戦で、実戦経験のある魔族は大きく減っています」
「あー、俺らのせいか」
 悪びれず、ガインは鼻を鳴らした。

 ジルは小さく息を吐く。
「討たれた魔公の残党でも構わん。将校クラスがいれば厚遇しよう。兵は集められても、統率する者はすぐには育たん」

 魔族らしい合理的な判断だ。
 感情より運用。
 確執より現実。

「加えて」
 ジルディウスの視線が、ゆっくりと室内を巡る。
「流入してきた者の身元をもう一度洗い出せ。経歴が曖昧な者、最近になって急に態度の変わった者、小さな違和感でも構わない」
 ヴェルゼが頷いた。
「……内通を疑われますか」
「疑うのは仕事だ」
 淡々とした声だった。

 ヒューは、癖になっている仕草で、腹に手を当てた。
 守るべきものが増えている。
 それは確かに嬉しい。
 だが、そのぶん狙われる。

「警戒を上げろ」
 ジルディウスが告げた。
「ネメシアは、常にこちらを測っている」

「それだけどさ」
 ヒューは口を挟んだ。

「ネメシアは、破壊を好む快楽主義者ってイメージなんだけど、次々と街や村を襲ってくるわけじゃないよな。帝国駐屯地を制圧する力があるのに」

 ヒューの疑問に、ヴェルゼの表情が曇った。

「それは……帝国側の事情かと」
 慎重に言葉を選ぶようにして、ヴェルゼが続ける。
「内通していた帝国の上層部からの依頼だったのでしょう。ネメシア様は、基本的に無差別の破壊をお好みにはなりません」
「快楽と破壊の限りを尽くす女公じゃなかったっけ?」
 ガインが言うと、ヴェルゼが曖昧に頷く。
「ええ、間違ってはいません……ですが、あの方は選ぶのです。何を壊すのが、一番愉しいか。何を奪えば、誰が嘆くのか」

 ヴェルゼの喉が小さく鳴る。
 かつて彼は、彼女の下で虐待を受けていたと聞いている。ヒューが声をかけようとすると、ジルディウスが目線で止めた。

「……以前は……」

 震えながらも、絞り出すようにヴェルゼが言った。

「私の、母方の一族でした。妖精族は……長く、ネメシア様に狩られていました。逃げ場があると思わせて、奪う。希望を残して、壊す……」

 ヴェルゼが書類の端を握り締め、その指先が白くなる。

「最後に残った母も、嬲られた末に、父ヴァルナオグに殺されました。そう仕向けられたのです。ヴァルナオグはもうほとんど、正気ではありませんでしたから……」

 妖精族は美しく、小柄で、旧時代から残る古い種族だ。その血を引くヴェルゼも、魔族にしては小柄にあたる、人間の青年ほどの体躯だ。
 その彼が、ガイアデイラで幼いときに母も失い、どれだけ恐ろしかっただろう。

「……今は、私は幸せです。敬愛する方にお仕え出来るのですから」

 ヒューの視線に気づいたのか、ヴェルゼが小さく微笑む。

「さらに以前は、矛先はヴァルナオグ自身に向いていた」

 ジルディウスが淡々と引き継ぐ。

「自身の母――勇者の娘を娶った、その男に。ネメシアの母は殺され、ヴァルナオグと別の妃との間に生まれた子が、幾人も殺害された」

 生まれてすぐではない。ある程度成長し、周囲の愛着に包まれているときに、殺す。
 より多くの悲しみを味わうために。

「そしてヴァルナオグの怒りを買い、休眠に追い込まれた」

 ジルディウスはそう告げ、ヒューに視線を向けた。

「今回の奴の興味は、間違いなく、勇者の関係者だ。そっちの男ならいいが」
 とガインを顎で示す。
「おいおい」
 次に、ヒューを見つめる。
「お前は絶対に気に入られる。気をつけろ」

 ヒューは特に、驚きはしなかった。
 勇者の伴侶で、夜冠公の妃。狙われて当然だ。
 ヒューを殺せば、アレクが世界を壊しに来るのだから。

「というか、勇者の関係者は正確にはヒューしかいないな。他の英雄が殺されようと、あの男は眉一つ動かさんだろ」
「失礼じゃね? 合ってるけど」
 ガインの言葉を、ジルディウスは無視して、ヒューだけを見つめる。
「だがヒューは美しいし、可愛い……俺も好きだ……」
 ぎゅっ……とヒューを抱き締めるジルの肩を、ガインがつつく。
「もしもし、ジルさーん」
「綺麗で、儚くて、弱々しい……」
「弱いはマジで失礼だろ」
 ヒューが眉をしかめる。
「だいたいヒューってそんな儚いか? 盗賊だぜ」
「それも偏見だろ」

 しかし、構図は分かりやすい、とヒューは思った。

「俺に目が向くなら好都合じゃねーの」
「良くない!」
 ジルが体を離し、声を荒げる。その声は怒りさえ含んでいた。
「お前を囮になど、絶対にさせんからな」

「ネメシア様の興味の対象がヒュー様であれば、その周囲が狙われます」

 ヴェルゼが冷静に言った。

「しかし、対象が勇者であれば、ヒュー様が狙われます」

「じゃ、世界だったら?」

 ガインが飄々と、しかし鋭い言葉を投げた。

「ネメシアの興味が、個人とは限らねえよな? この壊れかけの世界だったら、どうなるんだ?」

「……その鍵も、やはり勇者と、ヒュー様にあるかと思います……ですが、やはり、ネメシア様はもっと……手の届くものを、求めているような気がします……」

 ヴェルゼが顔を伏せる。

「上手く言えませんが……私は一時、お姉様……ネメシア様に、興味を向けられていました。妖精族を破壊する一端に過ぎなかったでしょう……あの方は、最後の玩具である私を、長く愉しみたかったようでした」

 話しながら、ヴェルゼが一度胸を押さえた。
「ヴェルゼ」
 ヒューが声をかけるより早く、ジルディウスがその名を呼んだ。ヴェルゼが小さく頷く。

「……大丈夫です……あのとき、お姉様は、苦しそうで、寂しそうでした。私という玩具を失っては、退屈になってしまうから……あの方は、それをとても悲しいと思うのです。本気で……」

 その性質を分かってはいても、理解出来ないようというように、ヴェルゼが小さく頭を振った。

「……私の母が死んだとき、あの方は泣いていたんです……子供みたいに、大声を上げて……」

「瀕死のヴェルゼを、ネメシアから取り上げたのは俺だ。だから、俺のことは恨んでいるだろう。だから、よりヒューは狙われる可能性が高い」

 ジルディウスは小さく息をついた。

「とはいえ、俺もヒューもやることは他に山積みだ。動き出した国造りを止めるわけにもいかん」
「そうだな……濃くなっていく魔瘴の問題もあるし……」
「どちらにしろ、守りはいま以上に固める。他公領から流れてきた戦士の中で、使えそうな人材を洗い出せ。見込みがあれば、三候の下に就かせろ」
「はい」
 ジルディウスの言葉に、ヴェルゼが恭しく頷く。

「……他の英雄たちは、どうしている?」
 ジルディウスが、ヴェルゼとガインを見た。

「さあ?」
 ガインは相変わらず、とぼけた返答だ。実際に知らないのだろう。

「セシィリアぐらいしか分かんねーな。あいつは実家で寝てるだろ」
「《血塗れ聖女サンクヴィア》か。英雄の中でも最高戦力だ。力を借りられないのか?」
「セシィは……もう旅の目的を果たしたんだ」
 ヒューは首を振った。
「《無帰公ドゥクス・インリトルス》を討って――ケレスの仇は、セシィ自身の手で終わらせた。もう、これ以上戦わせたくない。ケレスの墓のあるところで、静かに過ごさせてやりたいんだ」

「その男の仇は、終わっていない」

「……え?」

「《無帰公ドゥクス・インリトルス》ラザリオルは、ネメシアの信徒だ。奴の思想は、あの女に連なっている」

 守るべきものを奪う。
 愛する者の心を折る。
 それでも生きることを願う。

「英雄の仲間を殺すことで、英雄を壊す。それがラザリオルの辿り着いた信仰だ――ネメシアへのな」

「よりによって、アレクの次に手を出しちゃいけねー女だぜ、あれは」

 ガインが顔をしかめる。

「ああ」

 ジルディウスが蔑むような目を、虚空へ向けた。

「……つまらん生に、惨たらしい最期だったな、ラザリオルは」

 その声は無機質だ。
 すでに終わった亡霊を思い出すかのように。

「せっかく、ネメシアの虐殺から逃れた子だったというのに。愚か者だ」

 ――ケレスは、ネメシアの信徒に殺された。

 その事実は、ヒューの心臓の奥も掻き毟った。
 そんなこと、セシィが知ってはいけない。
 終わらせたままのほうがいい。

「ヒュー。それは傲慢だろ」

 ガインが静かに言った。ヒューの心を見透かしたように。

「どっちにしろ、セシィリアはずっと、死んだように生きる。生きてりゃきっと良いことあるとでも思ってんのか?」

「でも……セシィの戦い方は、駄目だ……あんな、命を削るみたいな……」
「お前がやってんのも、ずっと同じことだ。いい加減にしろよ」

 厳しく、ガインが諭す。
 いつもへらへらと笑っている酒飲みではない。ヒューより生きた年月を重ねた、男の言葉だった。

「俺は無茶していい、俺は死んでもいい――お前のその考え方を、否定はしねえ。でも、色んな奴を振り回してきた。それもいいさ。お前は自由だ。誰のものでもねえ」

 言葉通り、ガインはヒューを否定しない。

「だが、お前は愛され過ぎてる。自覚もあんだろ? お前を閉じ込めたところで別に世界は変わらんだろうよ。だからお前は、進んでいい。……でもな」

 ジルディウスもヴェルゼも、黙ってガインの言葉を聞いている。
 たぶん、それぞれ言い方は違っていても、全員の気持ちが、同じなのだろう。

「守られる覚悟も決めろや。お前の命で、世界は生きるし死ぬんだぜ」



《中央国家》アディーナ立憲王国。
 宗教都市の祝福神殿で、セシィリアは一日中眠って暮らしていた。

 夢の中でなら、ケレスの面影を見られるから。
 けれど、今日は見られなかった。
 がっかりしながら、セシィリアは体を起こし、大きく欠伸をついた。

「ガインが、ヒューをいじめてる夢を見ました……」
「そう。面白い夢だね。君のことだから、本当のことかも」
「祝福かしら……《未来》の。それとも《遠見》……」

 分からない。祝福の数が多過ぎて。
 すべての神に愛される、この世で唯一の《聖女》だから。
 それでも、愛する男を奪われたことは、何故なのか。
 ずっと答えが出ない。

「……かわいそうなヒュー……ケレスとわたくしの弟みたいに可愛いのに……アレクやガインやエルドにネチネチいじめられて……セクハラされて……」
「僕、彼に何かしたかな?」

 ふわぁ、とまた欠伸をするセシィリアに、エルドヴァルドは苦笑を向けた。

「……貴方はヒューを、世界のために犠牲にも出来るもの」

 窓辺に腰かけ、青年の容姿をした賢者が、首を傾げた。

「僕だって、ヒューのことは愛してるよ」
「でも、愛していることと、犠牲にすることは、両立出来るでしょう?」

 セシィリアは掛布を床に捨て、ベッドから下りた。

「支度をする? 《聖女》様」

 エルドが尋ねた。セシィリアは、緑の瞳を彼には向けず、ただぼうっと遠いものを見るようだった。

「送ってあげるから、そろそろ働かない? ガイアデイラでの戦いは、まだ物足りないだろう?」

「……殺せるのなら」

 セシィリアは無表情のまま、ゆらりと歩き出した。
 窓を少し開くと、寝癖の残った亜麻色の髪が、ふわりと揺れる。
 すぐ外に、ケレスの墓がある。

「もっと、殺せるのなら、殺したい……あの人の仇が、まだいるのなら……嬉しい……」

 そのことにしか、生きる意味を見つけられない。

「ああ、神よ、感謝いたします」

 セシィリアは、胸に手を組み、熱っぽい瞳を歪めた。

「わたくしに、再び、生の希望を与えてくださって――」

 窓の外で風が揺れた。
 墓標に添えられた小さな花が、ふわりと乱れた。

 セシィリアはそんなもの見ていないが、エルドは気づいた。
 何かが彼女に語りかけているようなのに、彼女にはそれが聴こえないのだろう。彼女にはいつも、たくさんの神が愛を囁いているから。

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