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【73】生きる理由
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「三ヶ月の間に出た被害を報告します」
ヴェルゼが、机上の書類に目を落としたまま告げた。
「霜雹公領にて、大型魔獣による輸送隊への襲撃が五件。開拓村が一つ、半壊しています。
配置した伯以下の部隊でいずれも撃退しましたが……」
「が?」
ジルディウスが促す。
「出現地点が偏っています。街道と補給路に沿っている。偶発的な遭遇というには、出来過ぎかと」
空気が、わずかに張りつめた。
「手が足りないな……」
ヒューが低く呟く。
街が広がり、人が増え、物流が整えば整うほど、守る線も伸びる。
それは豊かさの証だが、同時に弱点でもあった。
「ネメシア一派の動きは?」
「掴めません。潜伏先の候補はいくつか絞れましたが、確証がなく……」
《血月公》の居城は、未だ誰も知らない。
ジルディウスでさえも。
「商人や職人を育てるのも結構だが、戦える奴も増やした方がいいんじゃねぇか」
腕を組んだガインが言う。
「先の勇者戦で、実戦経験のある魔族は大きく減っています」
「あー、俺らのせいか」
悪びれず、ガインは鼻を鳴らした。
ジルは小さく息を吐く。
「討たれた魔公の残党でも構わん。将校クラスがいれば厚遇しよう。兵は集められても、統率する者はすぐには育たん」
魔族らしい合理的な判断だ。
感情より運用。
確執より現実。
「加えて」
ジルディウスの視線が、ゆっくりと室内を巡る。
「流入してきた者の身元をもう一度洗い出せ。経歴が曖昧な者、最近になって急に態度の変わった者、小さな違和感でも構わない」
ヴェルゼが頷いた。
「……内通を疑われますか」
「疑うのは仕事だ」
淡々とした声だった。
ヒューは、癖になっている仕草で、腹に手を当てた。
守るべきものが増えている。
それは確かに嬉しい。
だが、そのぶん狙われる。
「警戒を上げろ」
ジルディウスが告げた。
「ネメシアは、常にこちらを測っている」
「それだけどさ」
ヒューは口を挟んだ。
「ネメシアは、破壊を好む快楽主義者ってイメージなんだけど、次々と街や村を襲ってくるわけじゃないよな。帝国駐屯地を制圧する力があるのに」
ヒューの疑問に、ヴェルゼの表情が曇った。
「それは……帝国側の事情かと」
慎重に言葉を選ぶようにして、ヴェルゼが続ける。
「内通していた帝国の上層部からの依頼だったのでしょう。ネメシア様は、基本的に無差別の破壊をお好みにはなりません」
「快楽と破壊の限りを尽くす女公じゃなかったっけ?」
ガインが言うと、ヴェルゼが曖昧に頷く。
「ええ、間違ってはいません……ですが、あの方は選ぶのです。何を壊すのが、一番愉しいか。何を奪えば、誰が嘆くのか」
ヴェルゼの喉が小さく鳴る。
かつて彼は、彼女の下で虐待を受けていたと聞いている。ヒューが声をかけようとすると、ジルディウスが目線で止めた。
「……以前は……」
震えながらも、絞り出すようにヴェルゼが言った。
「私の、母方の一族でした。妖精族は……長く、ネメシア様に狩られていました。逃げ場があると思わせて、奪う。希望を残して、壊す……」
ヴェルゼが書類の端を握り締め、その指先が白くなる。
「最後に残った母も、嬲られた末に、父ヴァルナオグに殺されました。そう仕向けられたのです。ヴァルナオグはもうほとんど、正気ではありませんでしたから……」
妖精族は美しく、小柄で、旧時代から残る古い種族だ。その血を引くヴェルゼも、魔族にしては小柄にあたる、人間の青年ほどの体躯だ。
その彼が、ガイアデイラで幼いときに母も失い、どれだけ恐ろしかっただろう。
「……今は、私は幸せです。敬愛する方にお仕え出来るのですから」
ヒューの視線に気づいたのか、ヴェルゼが小さく微笑む。
「さらに以前は、矛先はヴァルナオグ自身に向いていた」
ジルディウスが淡々と引き継ぐ。
「自身の母――勇者の娘を娶った、その男に。ネメシアの母は殺され、ヴァルナオグと別の妃との間に生まれた子が、幾人も殺害された」
生まれてすぐではない。ある程度成長し、周囲の愛着に包まれているときに、殺す。
より多くの悲しみを味わうために。
「そしてヴァルナオグの怒りを買い、休眠に追い込まれた」
ジルディウスはそう告げ、ヒューに視線を向けた。
「今回の奴の興味は、間違いなく、勇者の関係者だ。そっちの男ならいいが」
とガインを顎で示す。
「おいおい」
次に、ヒューを見つめる。
「お前は絶対に気に入られる。気をつけろ」
ヒューは特に、驚きはしなかった。
勇者の伴侶で、夜冠公の妃。狙われて当然だ。
ヒューを殺せば、アレクが世界を壊しに来るのだから。
「というか、勇者の関係者は正確にはヒューしかいないな。他の英雄が殺されようと、あの男は眉一つ動かさんだろ」
「失礼じゃね? 合ってるけど」
ガインの言葉を、ジルディウスは無視して、ヒューだけを見つめる。
「だがヒューは美しいし、可愛い……俺も好きだ……」
ぎゅっ……とヒューを抱き締めるジルの肩を、ガインがつつく。
「もしもし、ジルさーん」
「綺麗で、儚くて、弱々しい……」
「弱いはマジで失礼だろ」
ヒューが眉をしかめる。
「だいたいヒューってそんな儚いか? 盗賊だぜ」
「それも偏見だろ」
しかし、構図は分かりやすい、とヒューは思った。
「俺に目が向くなら好都合じゃねーの」
「良くない!」
ジルが体を離し、声を荒げる。その声は怒りさえ含んでいた。
「お前を囮になど、絶対にさせんからな」
「ネメシア様の興味の対象がヒュー様であれば、その周囲が狙われます」
ヴェルゼが冷静に言った。
「しかし、対象が勇者であれば、ヒュー様が狙われます」
「じゃ、世界だったら?」
ガインが飄々と、しかし鋭い言葉を投げた。
「ネメシアの興味が、個人とは限らねえよな? この壊れかけの世界だったら、どうなるんだ?」
「……その鍵も、やはり勇者と、ヒュー様にあるかと思います……ですが、やはり、ネメシア様はもっと……手の届くものを、求めているような気がします……」
ヴェルゼが顔を伏せる。
「上手く言えませんが……私は一時、お姉様……ネメシア様に、興味を向けられていました。妖精族を破壊する一端に過ぎなかったでしょう……あの方は、最後の玩具である私を、長く愉しみたかったようでした」
話しながら、ヴェルゼが一度胸を押さえた。
「ヴェルゼ」
ヒューが声をかけるより早く、ジルディウスがその名を呼んだ。ヴェルゼが小さく頷く。
「……大丈夫です……あのとき、お姉様は、苦しそうで、寂しそうでした。私という玩具を失っては、退屈になってしまうから……あの方は、それをとても悲しいと思うのです。本気で……」
その性質を分かってはいても、理解出来ないようというように、ヴェルゼが小さく頭を振った。
「……私の母が死んだとき、あの方は泣いていたんです……子供みたいに、大声を上げて……」
「瀕死のヴェルゼを、ネメシアから取り上げたのは俺だ。だから、俺のことは恨んでいるだろう。だから、よりヒューは狙われる可能性が高い」
ジルディウスは小さく息をついた。
「とはいえ、俺もヒューもやることは他に山積みだ。動き出した国造りを止めるわけにもいかん」
「そうだな……濃くなっていく魔瘴の問題もあるし……」
「どちらにしろ、守りはいま以上に固める。他公領から流れてきた戦士の中で、使えそうな人材を洗い出せ。見込みがあれば、三候の下に就かせろ」
「はい」
ジルディウスの言葉に、ヴェルゼが恭しく頷く。
「……他の英雄たちは、どうしている?」
ジルディウスが、ヴェルゼとガインを見た。
「さあ?」
ガインは相変わらず、とぼけた返答だ。実際に知らないのだろう。
「セシィリアぐらいしか分かんねーな。あいつは実家で寝てるだろ」
「《血塗れ聖女》か。英雄の中でも最高戦力だ。力を借りられないのか?」
「セシィは……もう旅の目的を果たしたんだ」
ヒューは首を振った。
「《無帰公》を討って――ケレスの仇は、セシィ自身の手で終わらせた。もう、これ以上戦わせたくない。ケレスの墓のあるところで、静かに過ごさせてやりたいんだ」
「その男の仇は、終わっていない」
「……え?」
「《無帰公》ラザリオルは、ネメシアの信徒だ。奴の思想は、あの女に連なっている」
守るべきものを奪う。
愛する者の心を折る。
それでも生きることを願う。
「英雄の仲間を殺すことで、英雄を壊す。それがラザリオルの辿り着いた信仰だ――ネメシアへのな」
「よりによって、アレクの次に手を出しちゃいけねー女だぜ、あれは」
ガインが顔をしかめる。
「ああ」
ジルディウスが蔑むような目を、虚空へ向けた。
「……つまらん生に、惨たらしい最期だったな、ラザリオルは」
その声は無機質だ。
すでに終わった亡霊を思い出すかのように。
「せっかく、ネメシアの虐殺から逃れた子だったというのに。愚か者だ」
――ケレスは、ネメシアの信徒に殺された。
その事実は、ヒューの心臓の奥も掻き毟った。
そんなこと、セシィが知ってはいけない。
終わらせたままのほうがいい。
「ヒュー。それは傲慢だろ」
ガインが静かに言った。ヒューの心を見透かしたように。
「どっちにしろ、セシィリアはずっと、死んだように生きる。生きてりゃきっと良いことあるとでも思ってんのか?」
「でも……セシィの戦い方は、駄目だ……あんな、命を削るみたいな……」
「お前がやってんのも、ずっと同じことだ。いい加減にしろよ」
厳しく、ガインが諭す。
いつもへらへらと笑っている酒飲みではない。ヒューより生きた年月を重ねた、男の言葉だった。
「俺は無茶していい、俺は死んでもいい――お前のその考え方を、否定はしねえ。でも、色んな奴を振り回してきた。それもいいさ。お前は自由だ。誰のものでもねえ」
言葉通り、ガインはヒューを否定しない。
「だが、お前は愛され過ぎてる。自覚もあんだろ? お前を閉じ込めたところで別に世界は変わらんだろうよ。だからお前は、進んでいい。……でもな」
ジルディウスもヴェルゼも、黙ってガインの言葉を聞いている。
たぶん、それぞれ言い方は違っていても、全員の気持ちが、同じなのだろう。
「守られる覚悟も決めろや。お前の命で、世界は生きるし死ぬんだぜ」
《中央国家》アディーナ立憲王国。
宗教都市の祝福神殿で、セシィリアは一日中眠って暮らしていた。
夢の中でなら、ケレスの面影を見られるから。
けれど、今日は見られなかった。
がっかりしながら、セシィリアは体を起こし、大きく欠伸をついた。
「ガインが、ヒューをいじめてる夢を見ました……」
「そう。面白い夢だね。君のことだから、本当のことかも」
「祝福かしら……《未来》の。それとも《遠見》……」
分からない。祝福の数が多過ぎて。
すべての神に愛される、この世で唯一の《聖女》だから。
それでも、愛する男を奪われたことは、何故なのか。
ずっと答えが出ない。
「……かわいそうなヒュー……ケレスとわたくしの弟みたいに可愛いのに……アレクやガインやエルドにネチネチいじめられて……セクハラされて……」
「僕、彼に何かしたかな?」
ふわぁ、とまた欠伸をするセシィリアに、エルドヴァルドは苦笑を向けた。
「……貴方はヒューを、世界のために犠牲にも出来るもの」
窓辺に腰かけ、青年の容姿をした賢者が、首を傾げた。
「僕だって、ヒューのことは愛してるよ」
「でも、愛していることと、犠牲にすることは、両立出来るでしょう?」
セシィリアは掛布を床に捨て、ベッドから下りた。
「支度をする? 《聖女》様」
エルドが尋ねた。セシィリアは、緑の瞳を彼には向けず、ただぼうっと遠いものを見るようだった。
「送ってあげるから、そろそろ働かない? ガイアデイラでの戦いは、まだ物足りないだろう?」
「……殺せるのなら」
セシィリアは無表情のまま、ゆらりと歩き出した。
窓を少し開くと、寝癖の残った亜麻色の髪が、ふわりと揺れる。
すぐ外に、ケレスの墓がある。
「もっと、殺せるのなら、殺したい……あの人の仇が、まだいるのなら……嬉しい……」
そのことにしか、生きる意味を見つけられない。
「ああ、神よ、感謝いたします」
セシィリアは、胸に手を組み、熱っぽい瞳を歪めた。
「わたくしに、再び、生の希望を与えてくださって――」
窓の外で風が揺れた。
墓標に添えられた小さな花が、ふわりと乱れた。
セシィリアはそんなもの見ていないが、エルドは気づいた。
何かが彼女に語りかけているようなのに、彼女にはそれが聴こえないのだろう。彼女にはいつも、たくさんの神が愛を囁いているから。
ヴェルゼが、机上の書類に目を落としたまま告げた。
「霜雹公領にて、大型魔獣による輸送隊への襲撃が五件。開拓村が一つ、半壊しています。
配置した伯以下の部隊でいずれも撃退しましたが……」
「が?」
ジルディウスが促す。
「出現地点が偏っています。街道と補給路に沿っている。偶発的な遭遇というには、出来過ぎかと」
空気が、わずかに張りつめた。
「手が足りないな……」
ヒューが低く呟く。
街が広がり、人が増え、物流が整えば整うほど、守る線も伸びる。
それは豊かさの証だが、同時に弱点でもあった。
「ネメシア一派の動きは?」
「掴めません。潜伏先の候補はいくつか絞れましたが、確証がなく……」
《血月公》の居城は、未だ誰も知らない。
ジルディウスでさえも。
「商人や職人を育てるのも結構だが、戦える奴も増やした方がいいんじゃねぇか」
腕を組んだガインが言う。
「先の勇者戦で、実戦経験のある魔族は大きく減っています」
「あー、俺らのせいか」
悪びれず、ガインは鼻を鳴らした。
ジルは小さく息を吐く。
「討たれた魔公の残党でも構わん。将校クラスがいれば厚遇しよう。兵は集められても、統率する者はすぐには育たん」
魔族らしい合理的な判断だ。
感情より運用。
確執より現実。
「加えて」
ジルディウスの視線が、ゆっくりと室内を巡る。
「流入してきた者の身元をもう一度洗い出せ。経歴が曖昧な者、最近になって急に態度の変わった者、小さな違和感でも構わない」
ヴェルゼが頷いた。
「……内通を疑われますか」
「疑うのは仕事だ」
淡々とした声だった。
ヒューは、癖になっている仕草で、腹に手を当てた。
守るべきものが増えている。
それは確かに嬉しい。
だが、そのぶん狙われる。
「警戒を上げろ」
ジルディウスが告げた。
「ネメシアは、常にこちらを測っている」
「それだけどさ」
ヒューは口を挟んだ。
「ネメシアは、破壊を好む快楽主義者ってイメージなんだけど、次々と街や村を襲ってくるわけじゃないよな。帝国駐屯地を制圧する力があるのに」
ヒューの疑問に、ヴェルゼの表情が曇った。
「それは……帝国側の事情かと」
慎重に言葉を選ぶようにして、ヴェルゼが続ける。
「内通していた帝国の上層部からの依頼だったのでしょう。ネメシア様は、基本的に無差別の破壊をお好みにはなりません」
「快楽と破壊の限りを尽くす女公じゃなかったっけ?」
ガインが言うと、ヴェルゼが曖昧に頷く。
「ええ、間違ってはいません……ですが、あの方は選ぶのです。何を壊すのが、一番愉しいか。何を奪えば、誰が嘆くのか」
ヴェルゼの喉が小さく鳴る。
かつて彼は、彼女の下で虐待を受けていたと聞いている。ヒューが声をかけようとすると、ジルディウスが目線で止めた。
「……以前は……」
震えながらも、絞り出すようにヴェルゼが言った。
「私の、母方の一族でした。妖精族は……長く、ネメシア様に狩られていました。逃げ場があると思わせて、奪う。希望を残して、壊す……」
ヴェルゼが書類の端を握り締め、その指先が白くなる。
「最後に残った母も、嬲られた末に、父ヴァルナオグに殺されました。そう仕向けられたのです。ヴァルナオグはもうほとんど、正気ではありませんでしたから……」
妖精族は美しく、小柄で、旧時代から残る古い種族だ。その血を引くヴェルゼも、魔族にしては小柄にあたる、人間の青年ほどの体躯だ。
その彼が、ガイアデイラで幼いときに母も失い、どれだけ恐ろしかっただろう。
「……今は、私は幸せです。敬愛する方にお仕え出来るのですから」
ヒューの視線に気づいたのか、ヴェルゼが小さく微笑む。
「さらに以前は、矛先はヴァルナオグ自身に向いていた」
ジルディウスが淡々と引き継ぐ。
「自身の母――勇者の娘を娶った、その男に。ネメシアの母は殺され、ヴァルナオグと別の妃との間に生まれた子が、幾人も殺害された」
生まれてすぐではない。ある程度成長し、周囲の愛着に包まれているときに、殺す。
より多くの悲しみを味わうために。
「そしてヴァルナオグの怒りを買い、休眠に追い込まれた」
ジルディウスはそう告げ、ヒューに視線を向けた。
「今回の奴の興味は、間違いなく、勇者の関係者だ。そっちの男ならいいが」
とガインを顎で示す。
「おいおい」
次に、ヒューを見つめる。
「お前は絶対に気に入られる。気をつけろ」
ヒューは特に、驚きはしなかった。
勇者の伴侶で、夜冠公の妃。狙われて当然だ。
ヒューを殺せば、アレクが世界を壊しに来るのだから。
「というか、勇者の関係者は正確にはヒューしかいないな。他の英雄が殺されようと、あの男は眉一つ動かさんだろ」
「失礼じゃね? 合ってるけど」
ガインの言葉を、ジルディウスは無視して、ヒューだけを見つめる。
「だがヒューは美しいし、可愛い……俺も好きだ……」
ぎゅっ……とヒューを抱き締めるジルの肩を、ガインがつつく。
「もしもし、ジルさーん」
「綺麗で、儚くて、弱々しい……」
「弱いはマジで失礼だろ」
ヒューが眉をしかめる。
「だいたいヒューってそんな儚いか? 盗賊だぜ」
「それも偏見だろ」
しかし、構図は分かりやすい、とヒューは思った。
「俺に目が向くなら好都合じゃねーの」
「良くない!」
ジルが体を離し、声を荒げる。その声は怒りさえ含んでいた。
「お前を囮になど、絶対にさせんからな」
「ネメシア様の興味の対象がヒュー様であれば、その周囲が狙われます」
ヴェルゼが冷静に言った。
「しかし、対象が勇者であれば、ヒュー様が狙われます」
「じゃ、世界だったら?」
ガインが飄々と、しかし鋭い言葉を投げた。
「ネメシアの興味が、個人とは限らねえよな? この壊れかけの世界だったら、どうなるんだ?」
「……その鍵も、やはり勇者と、ヒュー様にあるかと思います……ですが、やはり、ネメシア様はもっと……手の届くものを、求めているような気がします……」
ヴェルゼが顔を伏せる。
「上手く言えませんが……私は一時、お姉様……ネメシア様に、興味を向けられていました。妖精族を破壊する一端に過ぎなかったでしょう……あの方は、最後の玩具である私を、長く愉しみたかったようでした」
話しながら、ヴェルゼが一度胸を押さえた。
「ヴェルゼ」
ヒューが声をかけるより早く、ジルディウスがその名を呼んだ。ヴェルゼが小さく頷く。
「……大丈夫です……あのとき、お姉様は、苦しそうで、寂しそうでした。私という玩具を失っては、退屈になってしまうから……あの方は、それをとても悲しいと思うのです。本気で……」
その性質を分かってはいても、理解出来ないようというように、ヴェルゼが小さく頭を振った。
「……私の母が死んだとき、あの方は泣いていたんです……子供みたいに、大声を上げて……」
「瀕死のヴェルゼを、ネメシアから取り上げたのは俺だ。だから、俺のことは恨んでいるだろう。だから、よりヒューは狙われる可能性が高い」
ジルディウスは小さく息をついた。
「とはいえ、俺もヒューもやることは他に山積みだ。動き出した国造りを止めるわけにもいかん」
「そうだな……濃くなっていく魔瘴の問題もあるし……」
「どちらにしろ、守りはいま以上に固める。他公領から流れてきた戦士の中で、使えそうな人材を洗い出せ。見込みがあれば、三候の下に就かせろ」
「はい」
ジルディウスの言葉に、ヴェルゼが恭しく頷く。
「……他の英雄たちは、どうしている?」
ジルディウスが、ヴェルゼとガインを見た。
「さあ?」
ガインは相変わらず、とぼけた返答だ。実際に知らないのだろう。
「セシィリアぐらいしか分かんねーな。あいつは実家で寝てるだろ」
「《血塗れ聖女》か。英雄の中でも最高戦力だ。力を借りられないのか?」
「セシィは……もう旅の目的を果たしたんだ」
ヒューは首を振った。
「《無帰公》を討って――ケレスの仇は、セシィ自身の手で終わらせた。もう、これ以上戦わせたくない。ケレスの墓のあるところで、静かに過ごさせてやりたいんだ」
「その男の仇は、終わっていない」
「……え?」
「《無帰公》ラザリオルは、ネメシアの信徒だ。奴の思想は、あの女に連なっている」
守るべきものを奪う。
愛する者の心を折る。
それでも生きることを願う。
「英雄の仲間を殺すことで、英雄を壊す。それがラザリオルの辿り着いた信仰だ――ネメシアへのな」
「よりによって、アレクの次に手を出しちゃいけねー女だぜ、あれは」
ガインが顔をしかめる。
「ああ」
ジルディウスが蔑むような目を、虚空へ向けた。
「……つまらん生に、惨たらしい最期だったな、ラザリオルは」
その声は無機質だ。
すでに終わった亡霊を思い出すかのように。
「せっかく、ネメシアの虐殺から逃れた子だったというのに。愚か者だ」
――ケレスは、ネメシアの信徒に殺された。
その事実は、ヒューの心臓の奥も掻き毟った。
そんなこと、セシィが知ってはいけない。
終わらせたままのほうがいい。
「ヒュー。それは傲慢だろ」
ガインが静かに言った。ヒューの心を見透かしたように。
「どっちにしろ、セシィリアはずっと、死んだように生きる。生きてりゃきっと良いことあるとでも思ってんのか?」
「でも……セシィの戦い方は、駄目だ……あんな、命を削るみたいな……」
「お前がやってんのも、ずっと同じことだ。いい加減にしろよ」
厳しく、ガインが諭す。
いつもへらへらと笑っている酒飲みではない。ヒューより生きた年月を重ねた、男の言葉だった。
「俺は無茶していい、俺は死んでもいい――お前のその考え方を、否定はしねえ。でも、色んな奴を振り回してきた。それもいいさ。お前は自由だ。誰のものでもねえ」
言葉通り、ガインはヒューを否定しない。
「だが、お前は愛され過ぎてる。自覚もあんだろ? お前を閉じ込めたところで別に世界は変わらんだろうよ。だからお前は、進んでいい。……でもな」
ジルディウスもヴェルゼも、黙ってガインの言葉を聞いている。
たぶん、それぞれ言い方は違っていても、全員の気持ちが、同じなのだろう。
「守られる覚悟も決めろや。お前の命で、世界は生きるし死ぬんだぜ」
《中央国家》アディーナ立憲王国。
宗教都市の祝福神殿で、セシィリアは一日中眠って暮らしていた。
夢の中でなら、ケレスの面影を見られるから。
けれど、今日は見られなかった。
がっかりしながら、セシィリアは体を起こし、大きく欠伸をついた。
「ガインが、ヒューをいじめてる夢を見ました……」
「そう。面白い夢だね。君のことだから、本当のことかも」
「祝福かしら……《未来》の。それとも《遠見》……」
分からない。祝福の数が多過ぎて。
すべての神に愛される、この世で唯一の《聖女》だから。
それでも、愛する男を奪われたことは、何故なのか。
ずっと答えが出ない。
「……かわいそうなヒュー……ケレスとわたくしの弟みたいに可愛いのに……アレクやガインやエルドにネチネチいじめられて……セクハラされて……」
「僕、彼に何かしたかな?」
ふわぁ、とまた欠伸をするセシィリアに、エルドヴァルドは苦笑を向けた。
「……貴方はヒューを、世界のために犠牲にも出来るもの」
窓辺に腰かけ、青年の容姿をした賢者が、首を傾げた。
「僕だって、ヒューのことは愛してるよ」
「でも、愛していることと、犠牲にすることは、両立出来るでしょう?」
セシィリアは掛布を床に捨て、ベッドから下りた。
「支度をする? 《聖女》様」
エルドが尋ねた。セシィリアは、緑の瞳を彼には向けず、ただぼうっと遠いものを見るようだった。
「送ってあげるから、そろそろ働かない? ガイアデイラでの戦いは、まだ物足りないだろう?」
「……殺せるのなら」
セシィリアは無表情のまま、ゆらりと歩き出した。
窓を少し開くと、寝癖の残った亜麻色の髪が、ふわりと揺れる。
すぐ外に、ケレスの墓がある。
「もっと、殺せるのなら、殺したい……あの人の仇が、まだいるのなら……嬉しい……」
そのことにしか、生きる意味を見つけられない。
「ああ、神よ、感謝いたします」
セシィリアは、胸に手を組み、熱っぽい瞳を歪めた。
「わたくしに、再び、生の希望を与えてくださって――」
窓の外で風が揺れた。
墓標に添えられた小さな花が、ふわりと乱れた。
セシィリアはそんなもの見ていないが、エルドは気づいた。
何かが彼女に語りかけているようなのに、彼女にはそれが聴こえないのだろう。彼女にはいつも、たくさんの神が愛を囁いているから。
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主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
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世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
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