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「う…レイ…ラ…」
イアンはベッドの傍に立ってうなされるミシェルを見つめる。
見ているのは悪夢だろうか?
あれから三日が経った。目が覚めると興奮し、何をするか分からないミシェルは、鎮静剤で眠らされ、うなされ続けている。
「ミシェル様…」
イアンは濡らした布でそっと汗が滲んだミシェルの額を拭く。
頬を撫でると、ミシェルの部屋を出て行った。
ミシェルの部屋からミシェルの兄の執務室へ向かう廊下を曲がると、涙で目を潤ませたウィルマが立っている。
「イアン様…」
「……」
イアンは無言でウィルマの前を通り過ぎた。
「ううっ…」
後ろでウィルマが泣き崩れる様子が見ていなくても分かる。
この三日、何度も同じ事を繰り返しているからだ。
三日前、気を失ったミシェルをモーリス公爵家の屋敷へと連れ帰ったイアンが夜明けに自分の部屋へ戻ると、部屋の前でウィルマが待っていた。
「どうした?」
ウィルマは俯いてぶるぶる震える自分の両手を抑えるようにぎゅっと握った。
「…ごめんなさい…」
ウィルマが声を震わせて言う。
「何を謝っているんだ?」
「…イアン様が…別れるって言うから…」
ウィルマは独り言のように呟く。
「は?」
「だから…でも…こんな事になるなんて本当に思ってなかったんです…」
「何の話だ?」
確かに、舞踏会の日、ウィルマを送ってモーリス邸に戻る馬車の中で、イアンはウィルマに別れを告げた。あれは夏期休暇の前だったが今はもう冬だ。あれからウィルマは何も言わなかったのに、何を突然言い出したんだろうとイアンは思った。
「…惚れ薬を…」
「惚れ薬?」
「…ミシェル様が、サイラス殿下を好きになれば…イアン様はきっと戻って来てくれると…思って…」
!
まさか!?
「ミシェル様に惚れ薬を飲ませたのか!?」
イアンは涙を流すウィルマの二の腕を両手で掴んだ。
「痛っ」
「そうなのか?ウィルマ」
「……はい」
ウィルマは震えながら頷いた。
「…出せ。残っているんだろう?」
ウィルマを威圧的に見下ろすイアン。
「ひっ…」
「出せ!」
ウィルマはしゃくり上げながら震える手でポケットから小瓶を取り出す。
イアンはウィルマの手から奪うように小瓶を取るとじっと見つめた。
小瓶に少量の液体。そして一本の髪の毛。
光にかざすと、髪が紫色に光った。
「この髪はどうやって手に入れた?」
「ミシェル様に…お会いしに、ひっ…お越しになっ…た後、掃除の時ソファで…見つけて…」
「これを飲ませたのはいつだ?」
「…昨日…天体観測に行かれる前…のお茶…時間に…」
「効き目はどのくらい続く?」
「…レベッカは、五日くら…い…と…」
レベッカ・ハイアットは生徒会会計のサミュエル・セイモアの恋人で商家の娘だ。なるほど。商家の娘なら怪し気な薬も容易に手に入るだろう。
ウィルマとレベッカは同い歳で、教会での礼拝で隣に座った事で知り合い、友人になったのだった。
「五日…」
イアンは小瓶をギュッと握ると、腕を振り上げ、小瓶を床に叩きつけた。
ガシャンッと音を立てて小瓶が割れ、液体が流れ出る。
ビクリとしたウィルマは床にへたり込むと泣き崩れた。
「ごめんなさい…イアン様…ごめんなさい…」
だから今日ミシェル様の様子がいつもと違ったのか。
イアンは屋上でミシェルとレイラにスープを注いだカップを渡した時の事を思い出す。
スープを渡した時、ミシェルはイアンを見なかった。ああ言う時、ミシェルは必ずイアンの目を見て「ありがとう」と言うのに。
「…サイラス殿下が……私の…婚約者なのに…」
気を失う前、ミシェル様はそう言った。
つまり、あの時のミシェル様はサイラス殿下を好きになっていたから、強制力が働いた。
今までのミシェル様に強制力が働かなかったのは、転生者であるサイラス殿下に強制力が働いていないのと同時に、ミシェル様がサイラス殿下へ恋心を抱いていなかったから。
サイラス殿下に強制力が働いていればヒロインであるアリスへと向くはずの「憎しみ」が、サイラス殿下がレイラ様を助けに来た事でレイラ様へと向いたと言う事か。
イアンは小瓶の欠片と流れた液体を靴底で踏みにじる。
あの時、ミシェルはレイラと一緒に落ちようとしたようにも見えた。しかし結局落ちたのはレイラだけで、結果的にミシェルは「友人を殺そうとした」と言う、大きな十字架を背負う事になったのだ。
「こんな物のせいで…」
いや、違う。
ウィルマがこんな事をしたのも、俺が一方的に別れを告げたせいだ。理由も言わず一方的に別れを告げて、ウィルマも納得したと勝手に思って放置したせい。
ウィルマは知っていたんだ。
俺がミシェル様を好きな事。ずっと…ウィルマと付き合う前から、好きだった事。
「う…レイ…ラ…」
イアンはベッドの傍に立ってうなされるミシェルを見つめる。
見ているのは悪夢だろうか?
あれから三日が経った。目が覚めると興奮し、何をするか分からないミシェルは、鎮静剤で眠らされ、うなされ続けている。
「ミシェル様…」
イアンは濡らした布でそっと汗が滲んだミシェルの額を拭く。
頬を撫でると、ミシェルの部屋を出て行った。
ミシェルの部屋からミシェルの兄の執務室へ向かう廊下を曲がると、涙で目を潤ませたウィルマが立っている。
「イアン様…」
「……」
イアンは無言でウィルマの前を通り過ぎた。
「ううっ…」
後ろでウィルマが泣き崩れる様子が見ていなくても分かる。
この三日、何度も同じ事を繰り返しているからだ。
三日前、気を失ったミシェルをモーリス公爵家の屋敷へと連れ帰ったイアンが夜明けに自分の部屋へ戻ると、部屋の前でウィルマが待っていた。
「どうした?」
ウィルマは俯いてぶるぶる震える自分の両手を抑えるようにぎゅっと握った。
「…ごめんなさい…」
ウィルマが声を震わせて言う。
「何を謝っているんだ?」
「…イアン様が…別れるって言うから…」
ウィルマは独り言のように呟く。
「は?」
「だから…でも…こんな事になるなんて本当に思ってなかったんです…」
「何の話だ?」
確かに、舞踏会の日、ウィルマを送ってモーリス邸に戻る馬車の中で、イアンはウィルマに別れを告げた。あれは夏期休暇の前だったが今はもう冬だ。あれからウィルマは何も言わなかったのに、何を突然言い出したんだろうとイアンは思った。
「…惚れ薬を…」
「惚れ薬?」
「…ミシェル様が、サイラス殿下を好きになれば…イアン様はきっと戻って来てくれると…思って…」
!
まさか!?
「ミシェル様に惚れ薬を飲ませたのか!?」
イアンは涙を流すウィルマの二の腕を両手で掴んだ。
「痛っ」
「そうなのか?ウィルマ」
「……はい」
ウィルマは震えながら頷いた。
「…出せ。残っているんだろう?」
ウィルマを威圧的に見下ろすイアン。
「ひっ…」
「出せ!」
ウィルマはしゃくり上げながら震える手でポケットから小瓶を取り出す。
イアンはウィルマの手から奪うように小瓶を取るとじっと見つめた。
小瓶に少量の液体。そして一本の髪の毛。
光にかざすと、髪が紫色に光った。
「この髪はどうやって手に入れた?」
「ミシェル様に…お会いしに、ひっ…お越しになっ…た後、掃除の時ソファで…見つけて…」
「これを飲ませたのはいつだ?」
「…昨日…天体観測に行かれる前…のお茶…時間に…」
「効き目はどのくらい続く?」
「…レベッカは、五日くら…い…と…」
レベッカ・ハイアットは生徒会会計のサミュエル・セイモアの恋人で商家の娘だ。なるほど。商家の娘なら怪し気な薬も容易に手に入るだろう。
ウィルマとレベッカは同い歳で、教会での礼拝で隣に座った事で知り合い、友人になったのだった。
「五日…」
イアンは小瓶をギュッと握ると、腕を振り上げ、小瓶を床に叩きつけた。
ガシャンッと音を立てて小瓶が割れ、液体が流れ出る。
ビクリとしたウィルマは床にへたり込むと泣き崩れた。
「ごめんなさい…イアン様…ごめんなさい…」
だから今日ミシェル様の様子がいつもと違ったのか。
イアンは屋上でミシェルとレイラにスープを注いだカップを渡した時の事を思い出す。
スープを渡した時、ミシェルはイアンを見なかった。ああ言う時、ミシェルは必ずイアンの目を見て「ありがとう」と言うのに。
「…サイラス殿下が……私の…婚約者なのに…」
気を失う前、ミシェル様はそう言った。
つまり、あの時のミシェル様はサイラス殿下を好きになっていたから、強制力が働いた。
今までのミシェル様に強制力が働かなかったのは、転生者であるサイラス殿下に強制力が働いていないのと同時に、ミシェル様がサイラス殿下へ恋心を抱いていなかったから。
サイラス殿下に強制力が働いていればヒロインであるアリスへと向くはずの「憎しみ」が、サイラス殿下がレイラ様を助けに来た事でレイラ様へと向いたと言う事か。
イアンは小瓶の欠片と流れた液体を靴底で踏みにじる。
あの時、ミシェルはレイラと一緒に落ちようとしたようにも見えた。しかし結局落ちたのはレイラだけで、結果的にミシェルは「友人を殺そうとした」と言う、大きな十字架を背負う事になったのだ。
「こんな物のせいで…」
いや、違う。
ウィルマがこんな事をしたのも、俺が一方的に別れを告げたせいだ。理由も言わず一方的に別れを告げて、ウィルマも納得したと勝手に思って放置したせい。
ウィルマは知っていたんだ。
俺がミシェル様を好きな事。ずっと…ウィルマと付き合う前から、好きだった事。
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