神の翼

斗弧呂天

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誕生

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フレッタはへグレタに手を引かれ森へ入った。
すると遠くの方から、何者かがこちらに駆けてきた。
『ん?ありゃ、フルダム様じゃねえか。』
その人物はこちらに見向きもせず、フレッタの横を走り去ろうとしたが、フレッタの叫びで足を止めた。
「…ディーク!ディークなの?」
『何?此奴を知っているのか?』
『おお、名無し子ヴァルサじゃねえか!ん?待て、ディークって名前なのかい?ていうかなんで知ってーーー!!』
へグレタが問いかけるのを待たず、辺りの背の高い草が風でなびいたかと思うと、目を開けていられない程の風の渦となって四人を包み込んだ。
フレッタは自身の身体が浮く感覚を覚え、気を失った。



『…おい。もうなくなよ。』
おにいちゃん、わたし、どうしてうまれてきたの?
『…はあ?』
おかあさんが、わたしは、わるいこだって、いってたわ。
とても、とても、わるいこだって。
だから、おかあさん、わたしがいきてたら、だって。
じゃあ、どうしてわたしは、いきているの?
『しらねーよ。おれだってわかんねーもん。でも、おまえ、かあさんがだったら、いきるのやめんのかよ。わるいこだって、いわれたら、いきるのやめんのかよ。』
…え?
『おれはいやだぜ。あんなやつ、えらそうにしてるほうがおかしいんだ。もっと、もっと、いろんなところへいって、いろんなひとにあって、そんでかあさんをみかえしてやる。かあさんよりも、もっともっと、いきてやる。それが、かあさんへのだ。おれはいつか、このいえをでていく。…いっしょにくるか?』
…え?いいの?
『あたりまえだろ。きょうだいなんだから。それと、いいわすれてたけど、』


おれは、おまえがいきてて、よかったとおもうぜ。





フレッタが目覚めたのは、薄暗い半球状の空間の中だった。
あちらこちらでほのかに光る苔が生え、あたりを照らす。
隣にはへグレタがのびていて、少し離れたところには、犬の姿に戻ったフルダムが立ち上がりかけていた。
その前にいたのは、
「…ディーク!」
フレッタはディークに駆け寄り、名前を呼んだ。
と同時に息を飲んだ。
先程まで気が付かなかったが、ディークの四肢は途中で途切れ、翼は大きくひしゃげ、どす黒く染まった皮膚が肩や腹で不気味に脈打っていた。
「ディーク?ディークはどうしたの?何が…。」
『恐らく腕輪に取り込んでいた魔力を使い果たしたのだろう。』
不意に背後から声がした。
フレッタが振り向くと、そこには二つの深く澄んだ青い瞳があった。
「あなたが…碧眼の君?」
『それは俗名だ。森の精ナーテルダン様とお呼びしろ。』
フルダムが不機嫌そうに訂正する。
『今はそんなことを言っている場合ではない。』
碧眼の君はそう言うと、にわかに辺りの光が強くなり、その姿を露わにした。
上半身は人間の女、下半身は巨大な蛇。
これが、森の民の長。碧眼の君。
蒼目の蛇ウォータリア
しかし、その姿がどこか苦しげで、弱っているのを、フレッタは感じ取った。
『腕輪は言わば、叫びの怨霊タキシムとの契約だ。腕輪が壊れた以上、此奴が仇を討てる可能性は無くなったと判断したのだろう。』
「今、ディークはどんな状況なのですか?」
『恐らく、極限まで魔力が減り、翼が残り少ない魔力を吸い取ろうとしているのだ。このままでは名無し子ヴァルサは翼諸共…。』
ディークの閉ざされた瞼を見詰める。
もう、二度と?
フレッタは静かに言った。
名無し子ヴァルサは…名前を得ました。国を救う決意と共に。彼は人間です。たった一人の、ちっぽけな、人間だったのです。翼にさえ選ばれなければ、彼は、こんな目には…いえ、それでも彼は戦った。敵国と、使命と…自身と。そして、今ここに、傷つき、倒れている。」
フレッタは碧眼の君をしっかと見た。
「彼は英雄です!この国を救おうとした英雄なんです!見殺しにしないで下さい!翼は付け替えることは出来ても、もう、ディークは戻ってはこない。私の単なる我儘かも知れませんが…彼は私の兄です。私を救ってくれた、私を…地獄から救い出してくれた、たった一人の兄なんです…だから…。」
碧眼の君は黙ったままだった。
「…五十年前の悲劇を繰り返すのですか?あの、名も無き大妖精のように。あなたは、五十年前も、今も、ここで、何も出来なかったのに?」
『口を慎め!』
フルダムが憤る。
『やめろ。』
碧眼の君は、力強い声でフルダムを制した。
フルダムは頭を下げ、後ずさった。
碧眼の君は息を吐き出し、続けた。
『フレッタ・スターレット。お前が正しい。私はこのフォルバでただ見ていることしか出来なかった。此奴の力にも慣れずにな。』
『何を言っているのです!あなた様が魔力を…。』
『今、どうか償いをさせてくれないか。』
へグレタの言葉を遮って、碧眼の君はフレッタに近づいた。



『フルダム。森の民を集め、デアハラムへ向かわせろ。』
『…は?』
『森の民をナハルザーム国と交戦させるのだ。』
『無礼を承知で申しあげます。何を考えておられるのですか?!確かに我々森の民にとって、人間などたわいもないものではありますが、それは魔力が溢れる森の中でのこと。一歩でも森を出てしまえば、森の民は魔力に喘ぎ、とても戦えません!ウルラ様の様な強大な大妖精か、あの名無し子の様に魔力を封じ込めた器を持つ者なら話は別ですが…。それか森の魔力が拡大することでもないと…』
『民達を犬死させるつもりは毛頭ない。既に手は打ってある。』
『…まさか!自身の魔力を森の外へ放出したのですか!』
『それしかなかった。』
『自らの魔力を肉体から離すのは生命に関わる禁忌です!腕輪のようにのとはわけが違う!あなた様もよく分かっておられるはず!そこまでして、なぜあの人間一人ごときを!』
『彼奴一人の為ではない。』


先代ウルラ姫から繋がる、ルーフ国と我らが森の精ナーテルダンの森の為だ。



『今、此奴の魔力は刻々と奪われている、と言ったな。』
碧眼の君は少しよろけながら言った。
『つまりは一刻も早く魔力を注入してやれば良い。森の中にいるだけで少しずつ魔力は供給されるが、何せ時間が無い。つまりは魔力を持った器が…』
『ナーテルダン様。』
『…此奴の中に取り込まれれば良い。私は今事情があって魔力があまり残ってはいないが、此奴を目覚めさせるには丁度いいくらいのはず。だから、』
『ナーテルダン様!』
フルダムの叫び声で、漸くへグレタが飛び起きた。
『何を仰っているのです!ご自身の生命をこの人間に捧げると言っているのですよ!そんなことなら、この私めが!』
『フルダム。お前の魔力は強すぎる。衝撃で此奴はひとたまりもないだろう。それに、』
碧眼の君はディークの頬を撫でる。
『もう私は永くない。このままでは、私は此奴の後を追うだけだ。人類が産まれる遥か昔からこの地に住み続けたが、結局私は無力な蒼目の蛇ウォータリアのままだったよ。それなら、未来の英雄に全てを託し、安寧と共にこの世を去るのも悪くは無い。』
苔が一層光を強め、全員の顔を照らした。
『私は生き過ぎた。この地を治めるには歳をとりすぎたのだ。新しい者が治めなければ、新しい明日はやって来ない。』
そして碧眼の君はフレッタに向き直った。
『フレッタ。お前の兄は、確かにこの国を救った英雄だ。だから、この者に相応しい未来を、此奴…ディークと共に見ておくれ。』
「碧眼の君…。」
フレッタの頬に涙が伝う。
『なあに、此奴のために死ぬ訳では無い。。無力な蒼目の蛇ウォータリアらしくな。』
だから、頼んだぞ。
そう聞こえた気がした。
今やフォルバは光に包まれ、目を開けるのがやっとという程になっていた。
フレッタはへグレタと共にディークと碧眼の君を見守った。
下半身を波打たせながら、碧眼の君はディークの胸に両手を当てた。
途端に肌の黒さは消え、手を当てられたところが鈍く光りだした。
碧眼の君は歌い出した。
懐かしいような、初めて聴くような。
高く、低く、悲しみにも、喜びにも似た歌だった。
やがて碧眼の君は身体が一つの光の塊となり、歌がこだまする中、ゆっくりとディークの胸に入っていった。
辺りの光が収まり、いきなり暗がりが訪れた。
しかしそれは一瞬で、今度はディークの背中から光が漏れ出し、それがどんどんフォルバの中に広がり、巨大な翼の形となって輝いた。
辺り一面が光る翼に包み込まれていく。
フレッタとへグレタは涙を流し、フルダムは天に向かって長く長く吠えた。
その神々しい光の中心で、男は目覚めた。
新しい森の精ナーテルダンの森の王として。



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 次週は、 第四十話&最終話同時投稿します。最後まで読んで下さると幸いです。
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