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美
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アーネストは、今まで多くの死体を見てきた。
ある時は水の中。またある時は森の奥深く。
血を流し、または四肢を切り裂かれ、ただの肉塊と化した人間。
生きた人間には到底出来そうもない、無機質な表情。
しかしアーネストは、それらを美しいと思った事がなかった。
今でさえその女の顔をアップにした写真を手に取っていると、嫌悪感で胸がいっぱいになる。
先程から、デスクに置いた珈琲に手が付かないのも、そのせいだろう。
では、初めて彼女を視界に入れたときの、あの感情は何だったのだろう。
ダクストンに告げたその感情は、どこから……?
アーネストは、完全にその疑問を持て余していた。
あの事件から約1週間経ったというのに、捜査は未だに足踏み状態が続いていた。
女の両親は既に他界し、身辺の事を知っている者が殆ど居なかったのだ。
しかし、情報が皆無だった訳ではなかった。
女が住んでいたアパートの近隣の住民が僅かだが、気になる事を耳にしていたのだ。
「105号室に住んでた?ああ、マヘルさんね。ええ、知ってるわ。」
アパートの管理人のハンナは、高齢にもかかわらず、かなり矍鑠(かくしゃく)としていた。
ハンナはアーネストとクレイグを部屋に招き入れ、紅茶をすすめた。
アーネストは丁寧に断ってから切り出した。
「そのアディという女性が先日12日に殺害されました。彼女について何か知っている事はありませんか?」
アーネストはひと続きにそう言った。
よくドラマのシーンにあるような、まどろっこしい言い回しや気の利かせた台詞は一切無い。
それがアーネストの言葉であったし、それ以外の言葉は必要無かった。
ハンナは意外にも落ち着いていた。
「やっぱり、こんな事になってしまったわ。あの時、もっと親身になって聞いていれば…」
「あの時?」
クレイグは手帳から目を上げ、尋ねた。
「2、3ヵ月前から、あの娘ストーカーに遭っていたの。いつも病院から帰る道で待ち伏せしていて、アパートがある路地に入ると居なくなるって。最初は気のせいだって思ってたらしいけど、だんだんはっきり姿を現すようになって、ポストに気味の悪い文面の手紙を寄越すようになってきたらしいわ。」
「警察へは?」
「勿論行ったらしいけど、ほら、今ってそういうのの捜査って難しいじゃない?手紙が本当にその男の物か分からなければ動けないって言われちゃったらしいのよ。」
クレイグは確かに。と思った。
警察が最も介入しにくいのがこの手の話だ。
ストーカーまがいの人物がいたとしても、十分な確証がなければ実行に移せない。
警察にはblack or white(黒か白)しかない。grayは許されないのだ。
「それを聞いて、貴女は何とおっしゃったんですか?」
ハンナは目線を自分の両手に落とした。
「…いずれ時が解決してくれるわって。その時にはそれしか言えなかったの。どうしようもできなかった。」
ハンナの手は静かに震えていた。
クレイグが質問している中、アーネストは黙っていた。
しかし、クレイグがメモをとっていると、おもむろに口を開いた。
「アディ・マヘルが受け取ったその手紙は、今は何処に?」
「警察に行った時に持っていったらしいけど、その後直ぐに捨てたらしいわ。あんまり持っていたいとは思わないものね。」
しかしアーネストは諦めなかった。
「では、その文面を貴女は見ましたか?」
「ええ。確か…貴女のここが美しいとか、ここが愛おしいとか書いていたわね。」
「もっと具体的に覚えていませんか。例えば、何処か身体の一部分だけに異様にこだわっているようだったとか。」
「そうねぇ、そうだった気もするわ。ええと………
ああ。そうだ。」
アーネストとクレイグは黙って、ハンナの言葉を待った。
二人の頭に浮かんだ言葉は、ハンナの口から容易にこぼれ落ちた。
「『貴女の瞳は私の全て。貴女の瞳程美しい宝石は、この世にはありません。貴女の美しさの為に、私は命も惜しまない』…だったはずだわ。私の知っている事はこれで全部よ。」
二人は一瞬だけ視線を交差させた。
そして、心の中で同時に呟いた。
奴だ。
ある時は水の中。またある時は森の奥深く。
血を流し、または四肢を切り裂かれ、ただの肉塊と化した人間。
生きた人間には到底出来そうもない、無機質な表情。
しかしアーネストは、それらを美しいと思った事がなかった。
今でさえその女の顔をアップにした写真を手に取っていると、嫌悪感で胸がいっぱいになる。
先程から、デスクに置いた珈琲に手が付かないのも、そのせいだろう。
では、初めて彼女を視界に入れたときの、あの感情は何だったのだろう。
ダクストンに告げたその感情は、どこから……?
アーネストは、完全にその疑問を持て余していた。
あの事件から約1週間経ったというのに、捜査は未だに足踏み状態が続いていた。
女の両親は既に他界し、身辺の事を知っている者が殆ど居なかったのだ。
しかし、情報が皆無だった訳ではなかった。
女が住んでいたアパートの近隣の住民が僅かだが、気になる事を耳にしていたのだ。
「105号室に住んでた?ああ、マヘルさんね。ええ、知ってるわ。」
アパートの管理人のハンナは、高齢にもかかわらず、かなり矍鑠(かくしゃく)としていた。
ハンナはアーネストとクレイグを部屋に招き入れ、紅茶をすすめた。
アーネストは丁寧に断ってから切り出した。
「そのアディという女性が先日12日に殺害されました。彼女について何か知っている事はありませんか?」
アーネストはひと続きにそう言った。
よくドラマのシーンにあるような、まどろっこしい言い回しや気の利かせた台詞は一切無い。
それがアーネストの言葉であったし、それ以外の言葉は必要無かった。
ハンナは意外にも落ち着いていた。
「やっぱり、こんな事になってしまったわ。あの時、もっと親身になって聞いていれば…」
「あの時?」
クレイグは手帳から目を上げ、尋ねた。
「2、3ヵ月前から、あの娘ストーカーに遭っていたの。いつも病院から帰る道で待ち伏せしていて、アパートがある路地に入ると居なくなるって。最初は気のせいだって思ってたらしいけど、だんだんはっきり姿を現すようになって、ポストに気味の悪い文面の手紙を寄越すようになってきたらしいわ。」
「警察へは?」
「勿論行ったらしいけど、ほら、今ってそういうのの捜査って難しいじゃない?手紙が本当にその男の物か分からなければ動けないって言われちゃったらしいのよ。」
クレイグは確かに。と思った。
警察が最も介入しにくいのがこの手の話だ。
ストーカーまがいの人物がいたとしても、十分な確証がなければ実行に移せない。
警察にはblack or white(黒か白)しかない。grayは許されないのだ。
「それを聞いて、貴女は何とおっしゃったんですか?」
ハンナは目線を自分の両手に落とした。
「…いずれ時が解決してくれるわって。その時にはそれしか言えなかったの。どうしようもできなかった。」
ハンナの手は静かに震えていた。
クレイグが質問している中、アーネストは黙っていた。
しかし、クレイグがメモをとっていると、おもむろに口を開いた。
「アディ・マヘルが受け取ったその手紙は、今は何処に?」
「警察に行った時に持っていったらしいけど、その後直ぐに捨てたらしいわ。あんまり持っていたいとは思わないものね。」
しかしアーネストは諦めなかった。
「では、その文面を貴女は見ましたか?」
「ええ。確か…貴女のここが美しいとか、ここが愛おしいとか書いていたわね。」
「もっと具体的に覚えていませんか。例えば、何処か身体の一部分だけに異様にこだわっているようだったとか。」
「そうねぇ、そうだった気もするわ。ええと………
ああ。そうだ。」
アーネストとクレイグは黙って、ハンナの言葉を待った。
二人の頭に浮かんだ言葉は、ハンナの口から容易にこぼれ落ちた。
「『貴女の瞳は私の全て。貴女の瞳程美しい宝石は、この世にはありません。貴女の美しさの為に、私は命も惜しまない』…だったはずだわ。私の知っている事はこれで全部よ。」
二人は一瞬だけ視線を交差させた。
そして、心の中で同時に呟いた。
奴だ。
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